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【プロローグ】傷痕


「えー、マスターの命令、めんどくさいなー」
 デメテール・テスモポリス(でめてーる・てすもぽりす)が特殊戦闘部隊員を密偵として放ったのは、数時間前のことであった。
 彼女のいうマスター――ドクター・ハデス(どくたー・はです)の命令はある人物を探し出せというものだったが、元来ものぐさなデメテールはあまり乗り気でない。とはいえ組織の上司の命に背く気にもならないし、何より隠密行動は得意分野でもあるので、任務遂行中に邪魔が入れば即座に対応する準備は出来ていた。武器は研ぎ澄まされているし、罠もある。同じ目的で動いている他の契約者たちと遭遇したとしても、その動きを妨害すること位は容易いだろう。


 山肌に開いた小さな横穴の中は、ひどく暗かった。
 外はもう長いこと冷たい雨が降り続いていたが、少し前から雪に変わっている。うるさい雨音が止んだせいで、周囲には静寂が満ちていた。
 青年はふと、その静寂を破る足音が近づいて来るのに気づく。
「H−1、そこを離れて下さい。貴女がまだあの人でないからといって、その顔が傷つくのは見たくありません」
 洞穴の入口を守っていた女型の機晶兵は、暗がりからかけられたその言葉に素直に従うと、声の主の傍に寄り添う。
 丁度その時、入口から奥を覗き込むように身をかがめながら、ハデスが姿を現した。薄暗い洞穴でも目立つ銀色の髪を認めると、彼はにやりと笑みを浮かべる。デメテールに捜索を命じていた甲斐があった。
「フハハハ!我が名は世界征服を企む悪の秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクターハデス! ククク、ソーンよ。手酷くやられたものだな」
 青年からは半ば睨みつけるような鋭い視線を向けられたが、ハデスは臆することなく彼に近づいていく。
反射的に刀を構えたH−1を左手で制して、銀髪の青年ソーン・レナンディは口を開いた。
「僕に何用ですか?」
「単刀直入に言おう。我らオリュンポスと手を組まぬか? お前の研究に、この俺の頭脳が役に立つと思うがな」
 ハデスは洞穴の壁に寄り掛かるようにして半身を起しているソーンを見やりながら、それに、と続けた。
「それにその腕、義手くらい無いと不便であろう?」
 ソーンの右肘から下、本来腕があるはずの部分は、契約者たちから逃れてくる際に失われていた。止血のためにきつく結ばれた白衣の袖は、もはや白さを残していない。もっとも、H−1に命じて右腕を切断させたのはソーン自身だったのだが。
 ハデスはその腕に機晶技術による義手を装着する手術を行ってやろう、という提案をした。
「あとは、その緑の機晶石の研究を手伝ってやっても良いし、『煌めきの災禍』の奪還を試みるなら、手伝ってやっても良い」
「……貴方が求める見返りは?」
「代わりに、我らオリュンポスが来るべき世界征服に乗り出す暁には、我らに協力して欲しいのだ」
 ハデスはソーンおよび『灰色の棘』とオリュンポスとが同盟を結ぶ利点について力説する。
「我らが世界を支配するのに、お前の持つ機晶技術が必要だ! それに、世界征服をした暁には、存分に機晶技術を研究できる環境を用意すると約束しよう!」
 ソーンは無言でハデスの話を聞きながら、考えを巡らせていた。
 確かにハデスは有益なスキルを沢山持っているようだったし、同盟の条件自体も悪いとは言えない。だが、端からソーンは自分以外の人間を信用していなかった。
 手術の間だけ悪の組織を利用して、手っ取り早く義手を手に入れることも考えた。だが、その義手に何か細工されない保証はない。
「残念ですが、僕は世界征服というものに全く興味がないのですよ。この世界がどうなろうと、知ったことではないのでね」
何かを言いかけたハデスの言葉を遮るように首を横に振ってから、ソーンは再び口を開く。
「先に、僕が貴方の申し出を断る理由を述べましょう。まずは……そうですね、貴方は僕と違って、ご友人が多そうですから。貴方方と同盟を結ぶことで、別のところに情報が流れるかも知れない。この危険性を常に念頭に置きながら行動しなくてはならないというのは、当然僕にとって好ましい状況ではありません」
 ソーンはハデスの表情を注意深く観察しながら続ける。
「それに僕としては、貴方のような切れ者ほど距離を詰めるのが不安になる。チンピラ連中のように単純思考な者は御しやすいので計画に組み込みましたが、元々僕は誰かと手を組むつもりはないのです。残念ですがこの話、お断りします」
 外の雪は止む気配すらなく、徐々に激しさを増していた。


 ソーン・レナンディが赴任してきて以降、彼の所有部屋と化していた職員室は、しばらくの間手つかずの状態で放置されていた。
「手伝わせてしまってすまんな」
 ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)はそう言いながら、両手で段ボール箱を運ぶカイ・バーテルセン(かい・ばーてるせん)に声を掛けた。
「いや、これは元々村の人間がやらなきゃいけない仕事なんだけど……生憎、族長はこの部屋に入りたがらなくてさ。ソーンのこと、あまり思い出したくないらしくて」
 まあ気持ちは分かるけど、とカイは呟く。
 二人は職員室の整理をしつつ、その奥の壁を取り払って部屋の拡張をしているところだった。壁際に設置されていた暖炉はなくなったが、その代わり新しく出来たスペースには何故かコタツが備え付けられることになっている。そこは宿直室のような役割を果たす予定で、コタツの設置に伴って床には畳が敷かれていた。最も奥に位置する壁には、図書室と同じように専用の裏口が設けられており、質素な木戸が嵌められている。
「しかしコタツかぁ……懐かしいな。でもそういえばコレ、熱源どうするんだ? 火鉢でも入れといて火事になったら、木造校舎が全焼しかねないんだけど」
「いや。雷術を電気に変換するバッテリーが存在するので、それを使う」
 カイの質問に答えながら、ブルーズは職員室の整理を進めている。後で調べやすいよう、ソーンの残していった荷物は部屋の一角にまとめられていく。
 その荷物、いわば遺留品を丹念に調べながら、メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)は物品のリストを作成していた。本棚に納められた大量の文献、古文書の数々、白衣等の衣服類……それら全てを失くしてしまわないように注意しながら、撮影し、記録していく。
 ソーンは以前の戦闘で『煌めきの災禍』を攫い損なったものの、『災禍』つまりリト・マーニの弟とされる緑の機晶石を奪っていった。これは由々しき事態だったが、メシエにはある考えがあった――つまり、ソーンのもつ機晶姫作成技術を使えば、弟君にも体を作ってあげられるかもしれない、ということである。そのためにソーンの望みも明確化して対処方法を考え、彼との取引材料を作りたい。それがメシエに遺留品捜査をさせている動機なのであった。
 古代の機晶技術に関する古文書など、資料と思われるものはOCRで読みとってデータ化していく。これでHCさえあれば希望者全員が閲覧できるようになるだろう。古びた古文書類に混じってファイリングされていた新聞も、電子データとなって保存された。
 作業中にふと手に取った写真立ての中では、穏やかな顔のソーンと共に、彼と同じような銀髪の女性がにこやかな笑みを浮かべていた。ソーンの方はジャケットにズボンという出で立ちだったが、女性は清潔感の溢れる白衣を身に纏っている。メシエは【サイコメトリ】を発動すると、その写真に意識を集中させた。
――ふふ、ソーンったら。写真撮るときくらい、もっと笑えば良いのに。
とても穏やかな時間の流れを感じるとともに、込み上げてくる温かい気持ち。
――あなたが勉強を終えて故郷に戻ってきたら、また撮りましょうね。そうしたらその時は、ちゃんと笑うのよ?
 優しい声。少しだけ悪戯っぽく浮かべられた、柔らかな笑顔。
心地の良いこの心象の中に、けれど痛みを覚えるのは何故だろう。どうしようもないような悲しみが、窓の外を白く染める雪のように、ただ静かに降り積もっていく。