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【真相に至る深層】――前奏

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【真相に至る深層】――前奏

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【都市の陰に蠢いたもの】





「――パッセル様は此方にお住まいなのですか?」

 神殿からの道すがら、方向が同じだからと一緒になったいかにも育ちの良さそうな娘――ルスキニアが首を傾げたのに、パッセルは微妙に眉を寄せながらも「ええ、そうですよ」と頷いた。彼女が示した方向は、ポセイドン南側の第四地区でも貧民街と呼ばれる場所だ。ルスキニア自身は、生前両親が熱心にボランティアを行っていた場所、程度の認識で訊ねたのだが、出身であるパッセルはそうは受け取れなかったのだろう、ギリギリの敬語でつっけどんに去っていってしまった。
 その背中を不思議そうに見送り、寮から久しぶりに自宅へと戻ったルスキニアは、一通り掃除を終えた後でそっと書庫へと足を踏み入れた。そこにひっそりと収められているのは、この都市へ移り住んだ始祖たちが、郷愁の芽を摘むために放棄し、禁じたはずの魔法書……地上の記録書だ。亡くなった両親は都市建造にも関わった魔法学者の末裔でもあったことから、それらの喪失を惜しんで綿々と守ってきたのだろう。ルスキニアは、悲しい懐かしさを共に、それらの中から特に気に入っている一冊を引き出してそっと開いた。
 その瞬間、淡い光が溢れて、おぼろげな輪郭が豊かな木々の茂る森をそこへ再現した。枝葉の隙間から木漏れ日が柔らかく差し込み、木には鳥たちが止まっている。古い魔法だからか、色彩はやや色褪せ初めてはいるものの、ポセイドンには無い光景にルスキニアは小さく心が跳ねるのを感じながら、僅かに漏れ聞こえる小鳥のさえずりに、その唇を歌わせたのだった。




 そして――時は、そこから数年を遡る。
 
「……なんだよ、アンタら」
 ポセイドン南側、第四地区。三色に属する貴族以外の者達が済むその地区の中でも、元騎士や官吏、巫女達の住む比較的裕福な者達が住む第二、第三、地区に接した「縁周」、貴族の従者達の住む、大通りに面し、神殿に近い側にある「中通」に比べて、街の端側に位置し、最も地位の低い者達が住む所謂貧民街と呼ばれる「外周」で、パッセルは来訪者に警戒を込めた鋭い眼差しを送った。
 何しろ、その「客」二人は身なりが良く、若いが頑強な体つきをしている。貧民街には全く似つかわしくない人間だと、夜目にも一目でわかる。特に前にいる男は、その年で既に人を見下し、従わせるのに慣れた貴族様のそれだ。左に控えているのは護衛だろうか。幼い身ながらスリで生計を立てていたパッセルは、彼らに手を出すのはヤバイ、と本能的に察していた。隙が無く、容赦の無い相手だ。態度こそ強気ではあるが、腰が引けそうなパッセルだった、が。
「お前を迎えに来た……妹よ」
 中央の男の一言に、パッセルは思わずぽかんと瞬いた。そうしていると小さな少女な彼女に男は膝を折ってわざわざ目線を合わせ(が、それでも男のほうが幾らか高くて見上げることになったが)「お前の父は私の父だ。母は違うが」そう苦い声で言う。
「父は紅の巫女との不手際で――いや、不始末……何だ。いや、まあいい……兎に角、お前は我々の異母妹だ」
 途中、子供に聞かせるような話ではない部分を傍の護衛、と言うにはやや近い立場らしい男から肘でつつかれながらそう言うと、そこで男はようやく気付いたように、そのきつめの容貌をほんの少し緩めた。
「私は蒼族のビディリード。あれは弟のビディシエ、お前の兄になる男だ」
 その名前に今度こそパッセルは耳を疑った。ビディリードと言えば、先日亡くなった蒼族の長の息子で、つまり現蒼族の若きトップである。それが兄、とは何の冗談だろう。
「……お、オイ、ジジイ! 何だよこれ!」
 慌ててパッセルは振り返り、自身の今の養い主とも言える老人へと声をかけたが、今にも崩れそうなボロ屋からは返答がない。どうやら話はついている、ということらしい。
 そうして、パッセルはその理解が完全に追いつくより前に、ビディリードの異母妹として、彼の屋敷へ迎えられることとなったのだった。


「マヤ」
 ビディシエが、茫然自失気味のパッセル送っていくのを見届けながら、ビディリードが独り言のように漏らした言葉に「はい」と影から反応があった。マヤール・オルセウロだ。父親の代から、異端の教えの下にある彼女の一族は、ビディリードの庇護の対価として、常にその手足として闇を動く一族として勤めているのである。
「何なりと」
 命じください、と潜められた声が言う。都市の中ではかなり珍しい色素の濃い肌は夜の闇に隠れて姿が殆ど判らない。色違いの藤色の目を前髪に隠し、頭を下げたマヤールに、ビディリードは静かに冷たく声をかけた。
「始末は任せる」
 言葉の意味は明白だったが、マヤールは躊躇うことなく頷いた。
 そして、彼女が再び闇の中へと消えていったのと同じ頃、同じように蠢く幾つかの影が、外周に血生臭い風をもたらしていた。
「任務、完了いたしました。例の二人の死は、物取りの犯行として処理されるでしょう」
「ご苦労」
 覆面の男が、暗殺者の報告に頷いた。例の二人、とは代々魔法学者の家系であったルスキニアの両親のことだ。熱心な慈善家でもあったことから、ボランティア中の不幸な事故、と処理されるだろう(それが深夜であったことから、後に謎の死と称されることとなるのだが)と、覆面の男は語ったが、暗殺者達のほうは僅かに訝しげな様子だった。
 彼女達の殺害の理由を、紅族の族長オーレリアの子飼いであるこの覆面の男は、外界への叛意の拡大の阻止と、都市構造の機密遵守のため、と語ったが、その外界への叛意は、地位向上の見込めない一部の貧民街の者達が細々と口にする程度のものだ。何より、建造の術も、記録も三族長の一族のみの門外不出の技であり機密だ。
「書物ひとつすら全て、聖神殿の書庫に管理されています……恐らく何も知らなかったのでは?」
「でしょうね」
 覆面の男は肩を竦めて頷いた。都市の構造自体は機密でもなんでもないし、建造に至る下地は全て三色の族長のみの手によるもので、部外の者では知りようのないものだ。当時を知る始祖たちが、手を貸した際におぼろげに推測が出来たかもしれない、程度の可能性だ。
「ですがどんな小さな芽も、摘むに越したことはありません。これが最後の芽。オーレリア様もご安心めされるでしょう」
 そう言って暗殺者達を帰した覆面の男だったが、周囲に静寂が戻った所で密かに息を吐き出した。
 彼らの言うとおり、二人を殺害する理由として、外界への叛意も機密の遵守も、さして必要なものではない。重要なのは、二人が当時……つまりエリュシオンの大地を知識として知る立場にあるということだ。巫女達の歌う歌が、神殿外で禁じられているように、外界の知識は閉ざされたこの世界には毒だ。生まれた場所ではなくても、自分たちのルーツを知れば辿りたくなるのが人間だ。だがそれは、この都市の均衡を危うくする。
「こんな小さな都市ですし……崩れる時はあっという間でしょう。が……」
 あのオーレリアが恐れるようにそれを防ごうとしているのには、もっと別の理由があるのだろう。恐らくは、この都市の存続そのものを危うくするような、何かが。だが今の自身には、知りようもないことだ。
「今は……考えるだけ、無駄でしょうかね」
 男は溜息を吐き出すと、命令の完遂を主へと伝えるために、踵を返したのだった。