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リアクション
●霧雨の中 (2)
「フレイ、自由にやりたいことをすればいい。俺は絶対にお前のそばから離れねぇから」
ぴったりとフレンディスに併走しながら、ベルクはそう声をかけた。
常識的に考えれば自殺行為だ。あの少女……満月を救って逃れるほうが通常である。
敵はこちらの数十倍も数がいるのだ。黒い霧雨という天佑があっても、まともに戦うべき相手ではない。
しかし、フレンディスは直感的に「敵幹部の首級を上げる」と宣言した。その読みをベルクは尊重した。もしこの特攻により死ぬとしても、彼女のそばで死にたかった。
――ここで二人とも死ぬはめになったとしたら、まあ最後までフレイと一緒にいられた、ってことになるしな。悪くねぇ。
ところがそんな彼の考えを読んだのだろうか、フレイは落ち着いた声で言った。
「大丈夫、私は諦めておりませぬ。これは生き残るための戦い……そうですよね?」
その言葉を言い終えるより早く、彼女は地を蹴って高く跳躍し、ひらり後方に宙返りしながら無数の小太刀をクランジたちに見舞っている。
フレンディスは信じていた。強く、信じていた。ベルクを、彼とともにあれば生き延びられるということを。そして、いまは行方の知れないもう一人のパートナー忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)の生存を。
フレンディス・ティラは忍びの一族の生まれである。忍びの里に生まれ、一人前になるまでは、ほとんど外界を知らずに育った。
それは、2021年のこと。
地球の情勢が急転するなか、フレンディスは母親に命じられてパラミタに潜入した。初の大型任務だった。そして、結果的には母親から命じられた最後の任務となった。
母親は「いずれ忍びの里にも被害を及ぼす可能性を危惧してこの任務を授ける」と言っていたが、それが嘘であることを今のフレンディスは知っている。
あれは、自分を生きながらえさせるための親心だったのだ。
母親は、地球の過半が死滅することをあのときにはもう悟っていたのだろう。
その後さまざまなことがあり、彼女はパートナー(現在は恋人関係でもある)のベルク・ウェルナートと巡り会った。だがその一方で、以前からのパートナーであるポチの助とは生き別れの運命をたどった。
今なおポチの助の生死は明らかではない。だが、ポチの助は死んでいない、いつか再会できる――とフレンディスは信じている。
「いつまでも戦火から逃れて生きることはできぬ道理……ならば、戦局を切り開ける機会はなんとしてもつかみたく思いまする……!」
ベルクが横凪いだ量産機の頭部をフレイは踏みつけ、一刀してさらに跳躍した。
量産型は自分の頭の上に電磁鞭を振り回すがフレイの爪先に触れることすら果たせず、西瓜のように割られた頭から火を吹いて動きを止めた。
フレイは前だけを見ている。
――この先に敵幹部がいるのですね。クランジ側の機晶姫……夜霧朔。
けっしてフレイには、彼女に恨みがあるわけではない。しかし、討ち取るという決意があった。
「くっ……!」
自分は何をしているのだろう――夜霧朔の想いだ。
クランジの思想にはまるで賛同できない。自分たち以外の種族をすべて滅ぼすなどと。
だが、かつて朔は一度だけ、クランジのリーダーと言われるε(イプシロン)に会ったことがある。彼女は、そのような狂信的なことを主張する者には見えなかった。
――イプシロンの言う通りにしていれば……あるいは。
そんな期待があった。朝霧垂を含むあらゆる種族と共存できる世界が実現するのではないか。
今はただその過渡期なのではないか。
しかしそんな理想は理想でしかない。いまの夜霧朔は人間狩り部隊の先兵だ。逆らう相手は全力で排除しなければならない。謎のテクノロジーを有する逃亡者を捕獲しなければならない。
逃げるわけにはいかない。ならば、
――でも、大丈夫ですよね? 皆さんお強いですもの……手を抜いたりしなくても『きっと私を倒してくれる』はず。
密かに朔は、そんなことを願っていた。
「あら、無様ですこと」
腹の底から寒くなるような、冷たい声が聞こえた。
さらさらと衣擦れの音を立てて、白い着物を着た女性が姿を見せた。長身、気味が悪いほど白い肌。透明感のある水色の髪をハーフアップにしている。肩に軽く、黒い軍服の上前をかけているのがひどく不釣り合いに映った。
「μ(ミュー)……様」
クランジμ(ミュー)、ずっと封印されていたクランジの一人。
雪女のような白い着物が異様、とってつけたような軍服も異様、これだけ黒い霧雨のなか、まるで汚れていない様子なのも異様だ。
しかし最大に異様なのはその目だろう。
長い帯のようなようなもので目隠ししているのだ。やはり白色の。
ために、彼女がどんな目をしているのかはわからない。
しかし目隠しされていようと見えるらしく、ミューはしずしずと朔に近づいた。
パン、と音がした。ミューが冷たい手で、朔の頬を張ったのだ。
「指揮官たる者が我を失うとは何事! 今後はわたくしが指揮を執ります、よろしくて?」
一応疑問形はとっているが、有無を言わせぬ口調だった。
強く叩かれたので耳がまだじんじんと音を立てている。
――ミュー……こんなところに来ているなんて……。
だがその想いは顔に出さず、朔は彼女に跪いて謝し、頭を垂れた。
突然現れた二人の襲撃者、その快進撃もここまでだと朔は思った。
黒い霧の中その白い人影は、スポットライトを浴びて立っているようで異様なほど目立った。
「敵か!?」
ベルクも一瞬行動を躊躇した。それほどに相手は、無防備に立っていた。
「その通り。はじめてお目にかかります。クランジμと申します」
「ミュー……!?」
――μというクランジは聞いたことがない。
しかし考えている暇はなかった。
ミューと名乗る女の最大の特徴は、眼に巻いた長いた鉢巻きだろう。
彼女はこれをするっと解いた。
真っ赤な瞳があらわれた。
赤みがかっているというのではない。炎が燃えているかのように赤い。
ミューの両目は真っ赤に燃えさかっている!
――なんだ……これは!
いかに先読みを得手とするベルクであろうと、『ただ眼を見せるだけ』というミューの行動を読むことはできなかった。いや、読めたとしてどう対処できるというのだろう。
ベルクの四肢が動くことを拒否した。まるで石像になったかのようだ。首を動かすこともできない。まばたきもできない。
そのまま彼はどさっと前のめりに倒れた。
黒い汚泥で眼前は真っ暗になった。
「ベルクさん!」
量産型の首から刀を引き抜くと、フレンディスは疾風のようにミューに飛びかかった。
「迅い。ですが、眼で捉えることならできますわ……!」
ミューはまた、真っ赤な目でフレイを見た。
――あの目に催眠作用が……!?
とっさにフレイは目を閉じた。瞬間で判断した最良の手段だったろう。しかし、
「……!」
息を吸うのが精一杯、フレイもまた、空中で金縛りにあい落下していた。
「目を閉じたくらいで、この『メデューサ・アイズ』から逃れることはできぬが運命(さだめ)」
くすくすと笑うと、ミューはまずベルクの体を仰向けにして息が詰まらないようにし、フレイのそばにしゃがみ込んでその意識があることを確認した。
「ご心配なく。殺しはしません。あなたがたはわたくしの役に立ってもらいます……」
ミューは再び目隠しをして、薄くなり始めた霧雨の向こうに眼をやった。
あと一人……逃亡者を捕らえることは、諦めたほうがいいだろう。
満月・オイフェウスは泥水の中に両手をつき、両肩を震わせていた。
「ようやく……ようやく……!」
危うかった。フレンディスたちと別れてから何度も捕まりそうになった。
追いつめられ、いよいよもうダメかと思ったとき、満月は救援隊と合流することができたのである。
「ようやく……お会いできました……!」
満月は涙ぐんでいる。この日が来ることをどれだけ待ったことか。
こんな風になるとは思わなかった。こんな風でなければもっとよかっただろう。
しかし、ようやく会うことができたのだ。念願がかなったことだけは事実だ。
満月のそばには彫像があった。黒い雨に濡れた彫像……それは凍った量産型クランジが、彫像のように静止したものだった。
「な……なんとか……」
と言って、ぎこちなく笑みを見せた少女は、なんとクランジλ(ラムダ)だという。
「ラムダちゃん、よくやったわ。あなたはやればできる子なんだからね」
と言って彼女を落ち着かせると、アテフェフ・アル・カイユームはラムダの肩を抱いたまま満月に近づいてくる。
「もう安心して。私は医者よ。怪我を見せてごらんなさい」
――アテフェフ小母さん、ですよね……?
満月には理解できなかった。満月が知っているアテフェフとは顔と声が同じだけで別人のようだから。しかもあの、クランジλとともにいるなんて! 満月の知っている歴史では、ラムダはクランジでも類を見ないほどの極悪人で、2024年よりずっと前に、同情の余地のない死に方をしたはずだ。
しかし、はっきりと『別人』と言えるほど異なるのは、他でもない鬼崎朔だった。
夜霧朔ではなく鬼崎朔、満月が会いたかった『母さん』……のはずだ。
たしかに外見は限りなく似せてある。しかし普通の人間と呼ぶにはあきらかに不自然な部分が朔には多数あった。後から知ったのだが朔は、その体の半分以上を機械と入れ替えているという。人間よりは機晶姫、もっといえば人間をベースに作った機晶姫であるクランジのほうが近いほどの存在だと言っていい。
そのためなのかは判らないが、この世界の朔は鬼崎朔ではなく『ヌーメーニアー』と名乗っているという。
「すまない。私の駆けつけるタイミングが悪くなって……。満月と言ったね? きみを助けた二人連れも救えなかったことは残念だ」
朔、いや、ヌーメーニアーは言った。
霧雨が止んで戻ってみれば、もう戦場としていた荒野には誰も残っていなかった。フレンディスもベルクも、機晶姫もすべて。量産型の残骸がなければ、さっきのできごとが夢のように思えたかもしれない。
「クランジの気配を感じた……」
ヌーメーニアーはどこか遠く、地平線の果てを眺めているような眼をして言った。
「夜霧朔のことじゃない。戦場にはあと一人、クランジの一族がいたと思う」
クランジは私の同族――言葉には出さねどヌーメーニアーはそんなことを感じている。
クランジはクランジの存在を感じ取ることができるという。
ヌーメーニアーもまた、それに近い状態であった。ゆえにその『感覚』は信じるに足りよう。
――別のクランジがいるのであれば会ってみたい。現在のこの体制は駄目だ、打倒すべきだと私は思うが……クランジはいわば私の家族だから……。
ヌーメーニアーはしばしそんな感慨にひたった。
しかし今は、感傷に身を委ねているときではないだろう。彼女は気を取り直して満月に呼びかけた。
「ところで、名前を聞いていなかったな」
「ま……」
満月はわずかにためらい、そして言った。
「満月です。ただの『満月』と呼んでください」
満月はもう一度確認した。
やはり、スカサハ・オイフェウス(すかさは・おいふぇうす)の姿はない。
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