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リアクション
chapter.3 地下二階(1)・壁
地下二階。
周りを囲む風景はひとつの階層と大差ないが、瘴気が濃くなっているのを晴明らは感じていた。
「空気がもう汚いもんな。帰ったら速攻で風呂入ろ」
服の袖をつまみ、臭いをかぎながら晴明が言う。さすがは筋金入りの潔癖症である。
そんな彼を、じいっと観察している生徒がいた。
「ふうん、なるほどなるほど、潔癖症ならこういう時そういうリアクションになるんだ……」
聞こえるか聞こえないかくらいの声でそう呟いたその生徒は、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)。
彼女は、歌劇団に所属しているらしく、その演技の幅を広げるため晴明をひたすらここまで観察し続けていたというのだ。
「……ん?」
その視線は晴明も感じていたのか、彼は不思議そうに振り返る。しかしリカインは特に話しかけるでもなく反応を見せるでもなく、ただじっと晴明を見ているだけだった。
「なんかさっきから視線感じるんだけど」
まさか晴明も、男性である自分がこんなセリフを言うことになるとは思っていなかっただろう。さて、それを言われたリカインはというと。
「ああ、私のことは気にしなくていいわよ。あくまで見てるだけだから」
「いやだから、それのこと言ってんだけど」
と、いまいち噛み合っていない会話を繰り広げていた。
「むしろ、変に意識されてらしくないことをされちゃうと意味がないし」
「じゃあ見んなよ、てか何がしたいんだよ」
「まあまあ、ほら続けて続けて」
「何をだよ!」
完全にリカインのペースにのまれた晴明は、埒があかないと会話をやめた。当然、その後もリカインの視線を存分に浴びることになる。
と、リカインが思い出したように口にした。
「あ、そういえば陰陽師として何かためになりそうな部分がないか見てきてほしいって頼まれてたんだった……でもよく分からないし。まあ、多分サンドラがやってくれるでしょ」
どうやら彼女は陰陽師であるパートナーに、晴明から色々聞いてくるよう頼まれたらしいが、どうせ自分では理解できないだろうとそれを投げ出した。
代わりに、その役目を担ったのが今彼女が口に出したサンドラ・キャッツアイ(さんどら・きゃっつあい)であった。
「念願叶って陰陽師になれただけじゃなく、有名人さんに会えるなんて!」
サンドラは、元気な口調で晴明に話しかけていた。晴明が軽く反応を示すと、サンドラはそのまま会話へと流れていった。
「私はまだまだひよっこだけど、陰陽師の技術について色々教えてもらえたら嬉しいな。式神のこととか」
「技術っつったってなあ……式神でも見せればいいのか?」
憧れにも似た態度が晴明の自尊心をくすぐったのか、晴明は割と素直にサンドラの言葉に答えた。
「そうだな、門を壊す時使ったヤツ以外だと……よく使うのはこれか」
言って、晴明が新たな紙を出す。見た目は先ほどと同じ人型の薄い紙だが、そこに描かれている呪印のようなものが若干異なっている。
「起きろ……『万物掌握(ペーパー・アンド・インク)』」
相変わらずのネーミングで晴明が唱えると、紙は先ほど同様に自ら動き出し、ぴょんと晴明の手の上に乗った。
「これは、何ができる式神なの?」
「言っとくけどこれ超便利だぞ。これな、電車の吊り革とか握ってくれんだよ」
「……え?」
「電車の吊り革とか握ってくれんだよ」
「ほ、他には?」
「便所のドアノブとか回して、開けてくれんだよ」
「そういう日常的なことじゃなくて……」
「なんだよ、古本屋行った時だって、ページめくってくれんだぞ」
「……」
サンドラは言葉を失った。本当なら、もっと晴明しか使えないような、想像も出来ないような式神の話をしてもらえると思っていたのだ。ところがハードルを上げすぎたのか晴明が話した式神があまりにアレだったのか、サンドラは素直に尊敬の眼差しを送れなくなっていた。
私は私で、頑張らないと。
サンドラは心にこっそり誓った。その彼女の心を推し量ったように、リカインのもうひとりのパートナーで、サンドラと双子でもあるアレックス・キャッツアイ(あれっくす・きゃっつあい)が彼女に話しかけた。
「こうして見てる分には、陰陽師が飛び抜けてすごい風には感じないけどね」
「そ、そのうちきっともっとすごい式神とか出したり……」
一応会話の聞こえる位置に晴明がいるため、軽いフォローを入れるサンドラ。が、そんなサンドラにアレックスは無慈悲な一言を放った。
「姉貴はそれより、あのくノ一さんに色々教えてもらう方がいいと思うけどな」
ちら、とアレックスが目をやったのは、集団の中にいるお華だった。悪気はきっとない。きっとないはずだが、どうしてもそう言われると比較してしまうのは、お華とサンドラの胸だった。
その後すぐ鋭い眼光がアレックスに浴びせられたのは、言うまでもない。
◇
一行がさらに先へ進むと、闇はさらに深くなった。生徒たちの灯す明かりがかろうじて道を映しているほどだ。
「それにしても、ここって変わってるわよね」
もっと知ろうという目論見からか、観察から対話に行動を移したリカインが晴明に話しかける。
「普通お城って、一番上が最深部でしょ? 初めから上下さかさまに造られてるのか、地下に埋めることになって中身を動かしたのか、最上階が一番奥だと思ったら実は折り返しで下まで降りなきゃいけないへそ曲がりな構造なのか……晴明君はどう思う?」
「どうって……衛生面を気にしないヤツがつくったんだなって思うけど」
「うーん、そうくるかあ……」
まだまだ観察したりないな、そうリカインが思った時だった。
「グルルル……」
突如聞こえた、低く唸る声。咄嗟に臨戦態勢に移る一行だが、同時に違和感を覚えた。
生きた動物が、誰も踏み入らなかった地下に?
しかしその答えはすぐに明かされた。ひた、ひたと集団の後方から進みでてきたのは、トラだった。いや、正確にはトラの毛皮が式神化したものだった。
「あ、これキツネさんの……」
サンドラが言うと、周りの者たちもその意味を理解した。敵ではないのだ、と。
そう、これは彼女やアレックス同様リカインのパートナーである空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)の遠隔呪法による式神なのだ。
本人は空京にいながらにして、式神を異なる場所で操るという陰陽師ならではの術である。
そしてその式神となっているトラが吠えたことで、彼らはもうひとつ、理解していた。それは、自分たちを拒もうとする明確な敵意。それがあることに、彼らは気づいた。
「ところで、あのふよふよ浮いてるのってなんですか?」
サンドラが前方の異変に気づいた。そこには、暗がりの中にぼんやりと浮かぶ紫色の炎のようなものがあった。
「ヒトダマ……というものだ」
彼女たちの前にすっと現れ、そう短く答えたのは神海だった。深編笠に隠されたその顔から心中は伺えない。ただ神海は、じっとヒトダマと呼ばれたそれを見ていた。と、ぽうっとまたひとつ同じものが浮かび上がる。それはだんだんと数を増していき、あっという間に晴明たちはヒトダマに囲まれた。
「おい、囲まれたぞ神海」
「案ずるな。心を揺らさなければ恐るることはない」
晴明の言葉に神海が、低く篭った声で返事をする。
神海によれば、ヒトダマは死者がその魂だけを残したもので、黄泉へと誘いこむ呪いを吐くのだという。
ひとたびヒトダマに体をすり抜けられてしまえば、体の中にある心をヒトダマが読み取り、一番心の脆い部分を突かれるのだ。
そう説明を加えた晴明は、「だよな?」と神海に目で尋ねる。神海は小さく頷き、周囲のヒトダマを見渡した。
「触れずして抜けるか、心を保ち続けるしかあるまい」
言うは容易いが、それをこの大人数で実行するのは困難であることを、誰もが予想していた。とはいえ、退却するわけにもいかない。
まず先陣をきったのは、如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)だった。
「呪術的なものなら耳栓くらいじゃ防げないんだろうな……だったら、呪いを受けても影響を少なくする方向でいった方が良さそうだ」
佑也はそう切りだすと、マインドシールドを展開し、精神に壁を構築した。同時にエンデュアも発動させ、精神攻撃に対する抵抗を高めることも忘れない。自我を保とうというその強い意志で放ったそれらの技は、まさに対ヒトダマ用のものといっても過言ではない。
「ヤツらは、内なる壁も時に崩してくる。ゆめゆめ、油断されるな」
後ろから神海の忠言が飛ぶ。もちろん、佑也にそんな気持ちはない。念には念を、ということなのだろう。しかし、その神海に怪訝な顔を向ける者がいた。佑也のパートナー、神威 由乃羽(かむい・ゆのは)だ。
「なんかその深編笠の奥から、とてつもなくヤラしい視線を感じるんだけど」
由乃羽は、嫌悪感を露にして神海を見た。もちろん神海は、特にいやらしい視線を彼女に向けてもいない。が、一度かかった疑いは晴らすのが困難なのだ。
「何を……」
「ちょっと来ないで、何かヤダ。近づきたくない」
露骨に避ける由乃羽は、終いにとんでもないことを言い出した。
「やましいことがないなら、ソレ外しなさいよ。それとも汚れるのが嫌なの? 顔が汚れたら、力が出なかったりするの?」
神海は「何を言っているか分からない」といった様子でふう、と息を吐いた。もしかしたら彼女は、色々なアニメを見すぎてしまったのかもしれない。
「そんなことより、ヒトダマだヒトダマ! いいか、少しでも心に違和感を覚えたら、自分の頬を引っ叩いてでも正気を取り戻すぞ。みんな気をつけて……って、アルマ!?」
佑也が自分のパートナーたちに注意を呼びかけようとしたその時、彼は驚くべき光景に出会った。
それは、パートナーのひとりアルマ・アレフ(あるま・あれふ)の体をヒトダマがすり抜けていく様子だった。途端に彼女は目が虚ろになり、全身が脱力していった。
精神に防御策をまったく張っていなかったアルマの内部に、呪いがこだまする。
やられ役。噛ませ。イジられ役。噛ませ。噛ませ。噛ませ。噛ませ噛ませ噛ませ噛ませ。
山びこのように何度も何度も響くその呪いは、アルマの脳に刷り込まれていった。
「なんだろ、急にやる気なくなったっていうか……」
ぼそっと、アルマが呟く。彼女から気概が奪われていた。
「どうせ今回も噛ませ役なんでしょ? 分かってんのよ……あたしなんか何の取り柄もないし……」
「お前そんな繊細なキャラだっけ!? ゴメン今度から気をつけるから!」
佑也が大声を張り上げ正気に戻そうとするが、彼女にそれは届かない。
「ええい、こうなったらヒトダマを全滅させて、せめて被害の拡大を防がないと! 動き自体は早くなさそうだし、軌道を予測して刀を……って、物理攻撃が効くのか!?」
こういった輩に最も効果的なのは、おそらく光輝属性の攻撃だろう。が、彼にその技はなかった。そこで助け舟を出したのは、パートナーのひとりラグナ・オーランド(らぐな・おーらんど)である。
「大丈夫、佑也ちゃんも光輝属性が使えますわよね?」
「……へっ?」
訂正しよう、助け舟ではなく無茶ぶりだったようである。思わず素っ頓狂な声を上げてしまった佑也に、ラグナは言葉を付け加えた。
「ほら、光条兵器のことですわ」
「いや今まで使ったことないし、そもそもどこからどう出すのか分からないし……ってちょっとラグナさん!?」
「簡単ですわ。誰かさんみたいに、佑也ちゃんのこの手をアルマちゃんの胸へワシッとすれば……」
言って、ラグナはなんと大胆にも佑也の手を掴み、胸へと持っていったのだ。ただし、自分のではなく、アルマの胸へ。
「本当あたしは役立たずで、胸くらいしか人目を惹くものないし、その胸もワシワシされたり……え? え!?」
絶賛呪われ中のアルマの豊かな胸を、佑也が鷲掴みにする。否、無理矢理させられる。まさか胸の愚痴を吐いている最中に胸を揉まれるなど想定もしていなかった自体に、アルマの目が生気を取り戻した。同時に怒気も。
「い、いきなり人の胸掴むなんて何考えてんのよ!?」
怒りの咆哮とともに、アルマは持っていた銃で佑也の後頭部を殴りつけた。
「あだだだ! 割れてないコレ!? 頭割れてない!?」
その場にしゃがみ込み頭を抑えうずくまる佑也を見下ろし、ラグナは「……あら、何も出てきませんわね」と不思議そうに言う。
「いやたぶん出てるよ! 血とか!」
佑也とアルマ、ラグナが騒いでいる一方で、由乃羽はヒトダマを見つめ何かを考えていた。
「迷えるヒトダマをウチの神社に帰依させれば、信仰も一気に増える……!」
それは、巫女としての信仰集め計画であった。もうそうなれば彼女には、ヒトダマですらも信仰させる対象にしか見えない。
「フフ……あっちにも信仰、こっちにも信仰……!」
ふらり、と危うい笑顔で由乃羽はヒトダマに近づく。危ない、と他の者が止めるよりも早く、由乃羽はバニッシュをヒトダマに放っていた。
「何かブツブツ言ってきてる気もするけど、どうでもいいわ。さあ、神のもとへ召されなさーい!」
そこからはバニッシュの連発だった。確かにその技は、ヒトダマに対して有効であった。彼女の放つ光が、次々とヒトダマを打ち消して道をつくっていく。
「この隙間を突けば、先へ進むことも難しくはないであろう」
神海が空いたコースに晴明を連れだそうとする。が、後ろを振り返った神海の目に写ったのは、ヒトダマに既に触れられてしまっていた晴明だった。
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