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リアクション
●シーサーペントを求めて
雲が晴れるや海の水面(みなも)は、鏡のごとく光を反射し、その上下するさまはまるで、銀の魚が鱗踊らせ、悠々と泳ぐ姿のようだった。
一艘の小舟が波間に揺られている。
舳先には一人、少女の姿があった。
セミロングの黒髪を頭の後ろで無造作に束ね、身にぴったりと合った制服姿で屈んでいる。黒目がちのその瞳は、果てなく続く水平線を眺めていた。たとえるなら野生の花か。絢爛なところはないがそれだけに、虚飾のない凛乎とした美しさがあった。
反射光が眩いのか、笠置 生駒(かさぎ・いこま)は眼を細めた。
「何か見えるか?」
生駒のかたわら、浅黒い肌の男がのっそりと身を起こした。髪は逆立ち顎髭は濃く、しかもその髪と髭はもさもさと伸びた頬髭で連結している。猿面(えんめん)……というよりはもう猿人そのものの顔つきで、ぎょろりとした眼(まなこ)だけ異様なほど白い。ずいぶん恐ろしい形相にも見えるが、白の碁石風の目には逞しい知性の光もあるのだった。彼は賢者ジョージ・ピテクス(じょーじ・ぴてくす)、生駒のパートナーである。
「何も」
生駒は特に感慨もない様子で言った。
「ふむ……」
ジョージはぼりぼりと顎をかいた。
このごろ、海京の売りである海産物の価格が異常なまでに高騰し、各店で品薄となっているのは世間一般にも広く知られている。
だがその原因と思われるもの……すなわち、『シーサーペント』と仮称される海の怪物が海京周辺の水域に出現し海を荒らしている、という情報まではあまり知られていない。
これは、未確定情報で人心を惑わすの愚を避けることを危惧したがゆえの当局の判断であるが、同時に、天御柱学院校長コリマ・ユカギール(こりま・ゆかぎーる)がすでに動き出していたからでもある。コリマは天御柱学院を中心に勇士をつのり、怪物が目撃された海域に向け彼らを派遣していたのだ。その目的が怪物調査・退治にあることは言うまでもないだろう。
「ただ漫然と探していても意味がないよね」
「そうじゃな」
「考えがあるんだ」
怪物をおびき寄せたい、と生駒は言った。
「釣りをしようと思ってね」
「ほう、釣りか。して、餌や釣り具はどこにある?」
小舟がほぼ空であるのをジョージは知っている。しかし生駒は至って平然と、
「これ」
塩にまみれた荒縄を船底からずるずると引っ張り上げたのだった。
「それで、これをこうして……」
手慣れた様子で生駒はこれを、ジョージの腰に結わえ付ける。
「命綱じゃな。よほど強い釣り竿でも使うのか? 海に引き込まれないための用心か」
「命綱? 違うよ」
しかし生駒は、まるで法律の条文を読むかのように言ったのである。
「エサだよ」
次の瞬間、彼女はジョージの背中をポンと蹴り、彼を船から叩き落とした。ざんぶと水音が立ち、たちまちジョージは海の中だ。
「なるほどわしを生き餌にして怪物をおびき寄せるというのか。これは考えてもみなかったわい……って、ウキー!」
やめれ! とジョージはあっぷあっぷしながら小舟に泳いで戻ろうとするも、生駒は船のエンジンを入れてこれを動かし、ロープをたくみに操ってジョージを船から遠ざけるのである。さながら長良川で鵜飼いが鵜を操るかのように。
「ごめん。これも新鮮な海産物を堪能するため! これしか手段が思いつかなかったんだ。喜んで犠牲になってね」
「喜べるか! ウキキー!」
溺れる猿と化しジョージはじたばたするがなにせ水の中、その声は生駒に届くはずもないのだ。
そんなこんなで船はスピードを増し、しかも怪物の注意を惹くべく蛇行運転に入ったので、抵抗虚しくジョージはこれに翻弄されるはめとなった。目の前は白い泡と波飛沫、水音高くてほとんどなにも聞こえぬ。
しかも、船の勢いが強すぎたかしばらくして、古い縄はぶつんと切れた。死刑宣告が下ったかのように、激しい勢いでジョージの体は海に流されてしまう。
「こ、こ、これでは怪物の姿を拝むよりも先にわしのほうがお陀仏して拝まれるはめになりかねんのじゃ……!」
賢者ジョージ・ピテクス、遂に海の藻屑と終わるかと彼が覚悟したそのとき、
「!?」
誰かが彼の腕を掴み引っ張り上げてくれた。
やがてジョージはそれが水上オートバイの上であると知った。陸地ではないが、地獄から天国に救い出されたかのような安定感があった。
「大丈夫ですか?」
艶やかな黒髪ツインテール、端守 秋穂(はなもり・あいお)が彼の顔をのぞきこんでいる。
「むー、まさかその人が『海の怪物』の正体じゃないよねー?」
止めたバイクの脇に、ユメミ・ブラッドストーン(ゆめみ・ぶらっどすとーん)がぷかりと浮かび上がってきた。ユメミは、耐水性にも優れたヴァンガード強化スーツを着込んでいる。
「さすがにそれは違うと思うよ」
同じく、セレナイト・セージ(せれないと・せーじ)も浮かび上がっている。セレナイトはゴムのダイビングスーツこそ着ているがなんと素潜りだ。伊達に『カニ漁船員』の称号は名乗っていないということか。彼女は濡れた髪をかきあげた。
彼らも怪物の捜索に来たのだ。秋穂が船上で司令塔となり、ユメミとセレナイトが水中で怪物を探すという作戦なのである。
「よければ協力してくれません?」
秋穂の申し出に、無論、とジョージは胸を叩いた。
「あのままでは土左衛門は確実だったからのう! それに、うら若き乙女の頼みを断れるはずはないのじゃ」
ただし生駒は除く、とジョージはぽつりと付け加えている。『うら若き乙女』にも例外があっていい。
ところがこれを聞くや秋穂は少々慌てて答えたのである。
「乙女? えっと、いえ、僕、男子ですよ」
「お、それは失敬。じゃが命を救ってもらった恩は必ずや返そう」
「それは願ってもないことです。けれどそれほど探索には時間がかからないかもしれませんね。地球の生き物より大きいなら、早く見つけられそうな気がしますので……」
話がまとまったようなので、再開しようとセレナイトは告げた。
「秋穂はそのまま水上で、船攻撃してくる大きいのがいないか見張っといて、ね」
言い残して彼女は、再びじゃぼんと水中に消えた。セレナイトは素潜りでも数分は息が続くという。
「わかった……ユメミ、何かあったら精神感応ですぐ知らせて」
秋穂がうなずくとユメミは、
「わかったー。なるべく早く見つけるねー」
とセレナイトに続こうとする。
「あと、二人とも、できれば離れちゃダメだよ……!」
「わかってるってー。秋穂ちゃん期待しててねー」
俺もその話乗った、と声が聞こえた。
「姫宮 和希(ひめみや・かずき)ってんだ。交流会に参加するつもりだったが、話を聞いてすっ飛んで来たぜ。海京といや旨い寿司や刺身が自慢だってのに、これじゃ来た甲斐が無いってモンだからな」
海にあってもバンカラな学ランそして学帽、それが和希の生き様だ。黒くて厚い長ランは、この陽気の下ではきっと暑いことこの上なかろうが和希は脱がない。ガクセーはガクセーらしくですよ、という先人の教えを忠実に守っているのだろうか。
和希は櫂を使って、すいすいと小舟を寄せてくる。その船というのが実にシンプルなものなのである。木製でモーター無し、巌流島に乗り込む宮本武蔵よろしく、野太い櫂だけで進んでいた。すなわちその動力は、和希の並外れた腕力だけなのだ。
「怪物調査隊アッセンブルだな! 道々、釣りをしながらここまで来たんだ」
という和希は釣り竿を上げて見せた。このとき、『釣り』という単語にジョージがビクッと反応したのだが和希はそれに気づかない。竿の先には鯛のような魚がかかっており、元気にびちびちと尾を振っている。
「立派なエサですね? それは持ってきたものですか?」
秋穂が感心したように言った。この魚だけでも結構なご馳走になるだろう。
「これか? いや、最初はずっと小さいエサだったんだぜ。釣り竿で魚を釣って、釣れた魚をまたエサに……って感じで交換しいしい来たんだ。どんどんデカイのに変えていったってわけ」
釣りは得意なんだ、と和希は胸を張った。けど、と気恥ずかしそうに言い加える。
「……自慢じゃねーが俺は泳げないんで、海に落ちないように気をつけてる」
そのとき、波を蹴立ててまた別の小舟が近づいてくるのが見えた。
「このへんに猿人浮かんでなかったー?」
ウキー! ジョージは頭から湯気を立てて歯を剥き出しにした。生駒が戻ってきたのだった。
かくてアッセンブル(集結)した一行は、再び怪物探しに入った。
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