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うるるんシャンバラ旅行記

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うるるんシャンバラ旅行記

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 その街は、荒野の中に忽然と現れた。
 ごつごつとした剥き出しの大地に、ぽつんと緑の集落が目に入る。そして、素朴な建物が軒を連ね、確かにそこに人々がいると上空からも知れた。
 飛空挺はそこからやや離れた場所に降りたち、街までは馬車を使って移動することになる。
 キマクの街にたどり着いたのは、ちょうど正午を過ぎたあたりだった。天高く位置する太陽が、残酷なほどの日差しで照りつける。しかも、それを遮るような雲も木陰もない。地面が蜃気楼に揺らぐ暑さに、レモは息苦しそうに口を開いた。
「大丈夫か?」
「あ、はい……」
 無理もない。一年のほぼすべてを霧に覆われたタシガンでしか過ごしたことのないレモにとっては、容赦の無い日差しというものも初めてだ。
「これを使うといい」
 マリウスは、用意していた布をレモの頭に巻いてやる。いくらか日差しが遮られ、それだけでもほっと息がつけた。
「本当に……違うんですね。空の色も、空気も、人も」
「あんまりぼんやりしてるなよ」
 早速旅先の感動に浸っているレモに、カールハインツがそう釘を刺す。たしかに、ざっとあたりを見回しただけでも、タシガンの人々とは風体が明らかに違う。
「パラ実生は多種多様だ。略奪に来るモヒカンとは戦うしかないが、見た目だけで判断するのはよくない」
 口元を引き締めたレモに、そうマリウスは微笑んで、付け加えた。「細かいことは気にしないのが彼らの流儀だから、ある意味気楽とも言えるな」
「そう……なんですか」
 まだタシガンからほんの少し離れただけなのに、カルチャーショックにすでにレモはクラクラしているようだ。
「とりあえず、宿に急ごう。見て回るのはそれからだ」
 レモの大荷物を担いだカールハインツの足が速くなる。その背中を慌てて、レモは追いかけた。

 行商などに訪れる人々のための、簡素な宿で一端荷物を解くと、三人は外へと出かけた。
 すると、レモは地図も見ていないのに、ふらふらと導かれるようにしてどこかへ向かおうとする。
「レモ?」
「あ……バザー、あっちなんだよね?」
 レモが指さす方を見ると、確かになにやら騒がしく、市がたっているらしいことがわかる。
「よくわかったな」
「なんとなく、そうかなって……」
 カールハインツが感心すると、レモは曖昧に微笑み、また歩き出した。
 自分でも、よくわからないのだ。ただ、なんだか、あそこに行かなければいけない気がする。誰かが、囁いているような、呼んでいるような、そんな感覚があった。
 そして、実際に。
『そう……こっちだよ…』
 粘着質な声が、低く、微かに、レモの深層意識に囁き続けていたのだ。

 バザーは活気に溢れていた。様々な衣装、風俗の人々がごった返し、怪しげな露店が軒を連ねている。汗の饐えた匂いと、軒先に並んだスパイシーな料理の匂い、そしてお香や煙草の匂いが混じり合い、混沌となって鼻をつく。
「はぐれないようにしねぇとな。……って、レモ!?」
 カールハインツは声をあげた。いつの間にか、小柄なレモの姿が、カールハインツとマリウスの傍らから消えてしまっていたのだ。
 あわてて周囲を見渡すが、人、人、人の波に、身動きがすぐにとれない。
「二手に分かれよう」
 嫌な予感がする、とマリウスはカールハインツの肩を押した。

 ふらふらと、気づけばレモはバザーの端のほうまで歩いていた。さすがにこのあたりまでくると、人影もまばらだ。
 そこまで来て、ようやくレモは、自分がはぐれてしまったことに気づいた。うろたえながら周囲を見回すが、カールハインツもマリウスも見当たらない。
 どうしよう。とりあえず戻ろうか。……そう、思った矢先だった。
「もしかして、レモじゃないか?」
「あ……!」
 ぎしぎしと金属の軋む不快な音には、聞き覚えがあった。振り返ると、そこには、一体の魔鎧が得たいの知れない深い闇色の空洞から、じっとレモを見つめていた。
「偶然だね。また会えて、嬉しいよ」
 ブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)が、ぎしぎしと体を揺らす。おそらくは、微笑んでいるのだろう。
「ブルタさん、久しぶりだね。あの、マリウス先生を見なかった? はぐれちゃって」
「ああ……むこうで見かけた気がするよ。でも、まさかと思ってさ。本当にマリウスだったんだね。せっかくだから、案内してあげるよ」
「ありがとう!」
 ここまで呼び寄せたのもまた、ブルタのテレパシーだとは知らず、レモは礼を言った。
 彼が薔薇学から放校されたことを知らないわけではないが、詳しい事情までは、レモには知らされていない。それはひいては、ウゲン・タシガン(うげん・たしがん)のこともまた、引き合いにださずにはいられない話題だったからだ。
 ブルタの先導で、レモは再びバザーへととって返す。ブルタの異様な姿すらも、ここではそう奇異ではない。そのうち、とある露店の一つで、ブルタは足を止めた。
「この人形、キミにそっくりじゃないか? これをプレゼントしよう!」
 そう、手渡されたのは、密かにブルタがこの店に並べていた「ねんどーる『うげん・たしがん』」だった。
 たしかにブルタの言うとおり、人形はレモにうり二つだ。その、瞳の色を除けば。
「これ……」
 人形の赤い瞳と、小憎らしい表情に、これがウゲンであるとレモは悟ってしまう。そして、その頬をこわばらせた。
「あ……ありが、とう」
 明らかな動揺をにじませ、レモはそれでも、人形を受け取る。細い指先は、微かに震えていた。
(恐れている、って感じだね)
 その様を、ブルタは言葉とは裏腹に、ねっとりと観察する。
「ねぇ、レモ。……ウゲンを覚えているよね?」
 びくり、とその肩が震えた。
「彼はおそらくもう、生きてはいないと思うけど……せめて遺体だけでも、故郷のタシガンに戻してあげられないのかな? タシガンの人々にとっては、大切な元領主だよ? 彼らと共生していくためにも、必要なことなんじゃないかと思うんだよ」
「遺体……」
 ウゲンが今どうしているか、レモは知らない。いや、正確には、知ろうとはしないできた。彼の影から逃れることが、レモにとっては最優先だったからだ。
 だが、創造主である彼が、今はもう死んでいると告げられ、レモは自分でも驚くほどに強い衝撃を受けていた。
「キミなら、ジェイダスにお願いもできるんじゃないかな? どうだろう、レモ……」
 囁きは低く、直接レモの脳にまで響く。浸食されていくような恐怖と、激しいショックに、レモは息すらもうまくつぐことができない。
 にやり、とブルタは笑った。
 ――しかし。
「レモ!!」
 鋭い一喝に、レモは夢から覚めたように大きく瞬きをした。そして、はっとしたように、顔をあげる。
「なにをしている?」
「久しぶりだね、マリウス。ちょっと、再会を喜んでいたところだよ。じゃあ、ボクはこれで。……また、会おうね」
 背中を丸め、退散していくブルタを、レモは見送りはしなかった。ただ、手にした人形を強く握りしめる。
「大丈夫か? レモ」
「……はい。平気、です」
 そう答えつつも、レモは、マリウスの顔を見上げることはしなかった。
(やはり、危惧はあたってしまったな……)
 マリウスはそう思いつつ、レモの肩に手を置いた。無事ではあったようだが、心はひどく傷ついたようでもある。未然に防げなかったことに、マリウスもまた、内心で苦いものを噛みしめていた。


(……逃げられたか)
 鬼院 尋人(きいん・ひろと)は、手にしていた天馬の槍を一端納めた。彼は密かに、レモの護衛として、ブライトブレードドラゴンで一行の後についていたのだ。
 マリウスが見つけなければ、警告も兼ねて槍を放つつもりでいた。あの男が何を囁いていたかはわからないが、レモの様子はただ事では無かった。
 そして、ブルタのことだ……おそらくは、ウゲンに絡んだことなのだろう。
「…………」
 ウゲンのことを忘れられないのは、おそらくは尋人にしても同じことだった。
 どうしても、意識せずにレモと接することはできない。だからこそ、今回もこうして、影ながら同行するという手段をとった。
 だからこそ逆に、尋人が一番、軽々しくレモに対してウゲンのことをちらつかせる存在は不快であったかもしれない。
 その夜、キマクでの一通りの観光を終え、宿に戻ったのを見届けてから、尋人も離れた場所でドラゴンを休ませることにした。
「よぉ」
 そこへやってきたのは、カールハインツだった。いつ頃から気づいていたのか、当然といった態度で。
「よくわかったね」
「昼間、レモを探してるときに、たまたま気づいただけだけどな」
「不快に思われたら申し訳ないけど、今の自分にはこういうことしかできないから……」
「いや。助かるぜ」
 カールハインツが、座ってもいいか?と目で尋ねる。尋人は首肯し、たき火の隣をすすめた。
「ブルタがよこしたのは、ウゲンの人形だった。……詳しいことはレモは言いたがらないが、かなり動揺したみたいだぜ」
「そうか……可哀相に」
 痛ましげに、尋人は目を伏せる。
「あんたは、ウゲンに帰ってきて欲しいのか?」
 直裁な問いに、尋人はわずかに息を呑んだ。
「……いつか、と。そう願ってるよ」
 ただそれは、ウゲンが人と心を通わせることができるようになって、という意味だ。
 ブルタのように、権力や破壊のためではない。
 けれども、そう願っている人間は少数であることもまた、尋人にはわかっていた。
「でも、そのためにも、レモには良い友人、信頼出来る仲間を見つける力を持って欲しいと思ってる」
 ぱちぱちときらめくたき火の火を見つめ、尋人はそう口にした。
 この旅が、その第一歩になれば良いと願っていたが……まさか最初から、こんなことになるとは思ってもみなかった。
「いつか、レモもそう思えれば良いんだけどな」
「え?」
「恐れてたって仕方がないだろう。……戻ってきて欲しいと思えるくらい、レモが強くならないとな」
 たき火に照らされたカールハインツの横顔は、真剣なものだった。
「……あんたは、その手助けがしたいの?」
 だから、レモを旅行に誘ったのだろうか。自分が側にいるから、と。
 だが、その指摘に、カールハインツは一瞬目を見開き、尋人の顔をまじまじと見た。それから、ややあって、「ああ……」と小さく呟く。
「そうなのかも……しれねぇな」
 視線をそらしたカールハインツは、今更に自覚したことに、幾分照れているようだった。
「あんたがそう思ってるなら、オレも安心だな」
 尋人はそう心から言うと、カールハインツにむかって微笑む。
「それはまぁ、ともかく。この先しばらくは、平穏だとは思うが……警護は、頼んだぜ」
「ああ」
 まかせてくれ、と尋人は力強く頷いた。