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リアクション
神楽崎 優子(かぐらざき・ゆうこ)のパン屋の片隅で。
「…………パンがあってもお菓子を食べていいじゃない」
ぼそりとそんな声が響いた。
「亜璃珠、カウンターのパンが少なくなってきたから補充を……」
カウンターに出ていた優子が商品保管庫に戻ってきた。
くるり、と振り向いた崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)は、どんよりとした暗いオーラを纏っていた。
「どうかしたか?」
「分からない? 本当に分からないの? こんなに美味しそうな菓子パンの中で仕事させておいて」
「いやでも、そんな暗い顔してたら売り子はできないしな。手伝ってくれるのは嬉しいんだけど……」
優子は困り顔だった。
「この日がどんなに憂鬱に思えたことか。パン…ツァー(戦車)パーティーとかになってしまってもよかったのに。2013年の頭頃に流行ったらしいじゃないそういうの」
ぶつぶつつぶやきながら、亜璃珠は追加のパンを用意していく。
各種あんパンから、サンドイッチ、ピザパンまで様々なパンが積まれている。
手が届く場所に、美味しそうな食べ物があるのに、亜璃珠は食べられない。食べられない食べられないのだ。
「何ならいっそ本当にこの会場からパンと付くものを駆逐してケーキしか食べられないイベントにしてしまおうかとも考えたくらいよ、ええそれぐらいなんというかこう、スイーツ不足で私の中の暗黒面が出てしまいそうなの」
「分かった。キミが減量のことをきちんと考えているということは分かったよ。けど、そんなに無理して節制して減ったとしても、その後普通の生活に戻ったらリバウンドするだろ? リバウンドをしないために、一生スイーツを我慢することは……キミにはできなそうだし」
「うん……だからさ、アフターケアがてらにダイエット企画とか、ないものかしら。以前別の目的で行った合宿タイプのものでも構わないわ」
トレーにパンを並べていきながら、亜璃珠は提案をする。
「百合園に限らず、女の子には少なからず共通した悩みだと思うのだけど」
トレーを置いて、近づいてきた優子の引き締まった腹周りを触りながら続ける。
「どう、神楽崎優子監修ともなれば説得力も集客力もかなりのものじゃない?」
優子は自分の腹に触れていた亜璃珠の手を掴むと、もう1つの手を、亜璃珠の腹に伸ばした。
「うわっ」
物凄い反射神経で、亜璃珠は体を逸らして逃れた。
「亜璃珠、この間の温泉合宿来なかったじゃないか」
「あれは、合宿というより打上げでしょ。最後に宴会やったみたいだし」
「それまでの訓練をしっかりやっていれば、最後の宴会くらい問題はなかったはずだ。減量目的の強化合宿を行ってもいいが、真面目にこなすキミの姿は想像が出来ない」
「し、失礼な……でもね、私に実行力があるとかないとか、そういう問題じゃないの。それを行ったという事をこの世界に事実として残す必要があるのよ……! それと、減量目的の強化合宿じゃなくて、あくまでダイエット合宿よ!」
「行っても、減らなきゃ意味がないだろ」
亜璃珠の言葉に、訳が分からないというように優子は首を左右に振る。
「引率は難しいが、逃げずにこなすというのなら、訓練メニューをつくって、希望者を募るくらいはできるぞ」
「優子さんが引率できないんじゃ、皆さぼりそうよ」
「ならば、それで減量に成功しなかった奴は、直々に最終手段だな」
「最終手段?」
亜璃珠が問うと、優子は不敵な笑みを浮かべて、自らの指をぱきんと鳴らした。
「ベッドに縛り付けて、マッサージ。力づくで脂肪を燃焼させて揉みだす。かなりの苦痛を伴うが、確実に痩せる……というや痩せるまで放さない」
「そ、それはなんだか、見ているだけなら楽しそう」
「まあ、亜璃珠は外見的に標準体重内だとは思うから、そこまでする必要はないけれど。標準を超えた時には……楽しみにしてろ」
くすくす笑いながら、優子はパンの乗ったトレーを持つ。
「あ、私の鞄の中に、和菓子が入ってるから休憩の時にどうぞ。脂質0、糖分も控え目のものだから」
食べ物を食べる前に、野菜を摂ったり、野菜ジュースを飲んだ方がいいなどのアドバイスもして、優子はカウンターに戻っていった。
ちょうど客が途切れたところだった。お店には臨時で売り場に出ていたリン・リーファ(りん・りーふぁ)以外、誰もいない。
「総長さんお帰りなさい」
リンはパンダの着ぐるみを纏っていた。
桜茶屋から差し入れに来たリンは、パンを取りに向かった優子に代わり、少しの間売り場を任されていたのだ。
「ただいま。手伝ってくれてありがとう。代わるよ」
「はい。えーと、改めましてこんにちは! いつもみゆうがお世話になっています!」
リンはうやうやしく丁寧にお辞儀をした。
「ふふ、私は特に何もしてないよ。世話になっているのはこちらの方だ……しかし、パラ実生は仕方ないと思うんだけど、キミにまで総長と呼ばれるとなんだか……照れるというか」
軽く苦笑する優子。
「でも、総長さんはあたしたち若葉分校生の総長だから、他の呼び方なんて思い浮かばないよ」
「そうか」
軽く笑い合った後――。
もくもくとパンを並べていく2人。
(か、会話が続かない!)
ぷっとリンはふき出して。
「えーとえーと」
優子と話をしてみたいと思ってきたけれど、実際何を話したらいいのか。
ゼスタとなら、色々話したいこともあるし、彼の方からも話しかけてくるのだけれど。
「あ、総長さんはぜすた……せんせーと結婚するの?」
リンはゼスタが優子のことを『初めての嫁にしてやってもいい』というようなことを言っていたことを、思い出した。
「なんでそんなことを?」
「んと、ぜすたせんせーが、総長さんとの結婚も少し?考えてるみたいだったから」
「キミたちはそんな話もしてるのか」
優子は軽く笑みを見せた後、少し考えて。
「私は考えてない。キミは?」
逆にリンに問いかけた。
「あたしは結婚の予定は今のところないよ」
「うん。それでキミは、彼と仲が良いようだけれど……ゼスタ・レイランという人物と、結婚考えられるか?」
「……ええと……。あたしは、ぜすた、せんせーがお嫁さんにしたい人じゃないよ。だから考えるもなにもないよ」
ゼスタが欲しい家族は、パートナーの優子と、水仙のあの子。
リンはそんな風に――思っていた。そうであってほしいとも。
「そんなことはない。奴には、同族やキミのような慕ってくれる女の子の方がよほど相応しい。ゼスタ自身のためにも……多分」
優子はトレーのパンを並べていきながら言った。
「あの……総長さんは、どうしてぜすた……せんせーと契約しようと思ったの?」
「パラミタで活動していくために、必要だったから」
互いを気にいって、好き合って契約したわけじゃないんだなと、リンは思った。
でも。
「契約してくれて、ありがとう」
素直な気持ちを、リンは優子に伝えた。
不思議そうな顔をしている優子に、微笑んで。
「あたしはぜすたんに会えてよかったなーって思うから」
「そうか。私も出会えてよかったと思ってるし、契約したことに後悔はしていない。そして、いつも頼りにしている……が、こんなこと本人に言うなよ」
「内緒話、だね。りょーかい! あっ」
リンは、優子が並べているパンに目を留める。
「あたしがリクエストした『チョコデニッシュパン』だ! これ、ゼスタせんせーにあげてね。総長さんからチョコもらえなくて拗ねてたから」
そう言って、リンは笑う。
「いや、物をあげると厄介なお返しがきそうで、面倒なんだよな」
優子は苦笑しながら、特別に思われない形であげるよ、とリンに約束をした。
その後、ゼスタと康之にあげるパンを取りに来たアレナに、優子はチョコデニッシュを含む、手作りパンを渡したのだった。
品出しの方も手伝ってから、リンが「ただいまー」と桜茶屋に戻ると。
「おー、やっとうちのパンダちゃんが帰ってきた」
そんな風に言い、ゼスタはリンを迎えて「可愛い可愛い」と着ぐるみの頭を撫でた。
「ぜすたん、総長さんのチョコパン食べた?」
「え? うん、普通に美味かった」
「お返しにまた変なものあげちゃだめだよ」
「変なものなんて、あげたことないぞ」
「ほんとかなー」
くすくす笑いながら、リンは思う。
(ぜすたんがなんか総長さんに変な事したり、突っかかるのって、 小さい子が気を引きたくて大人を困らせるようなことするのに似てるかも)
「じゃ、変なものを選ばないように、今度買い物付き合ってくれ。お礼に美味いスイーツご馳走するぜ」
「スイーツ! むしろそれをご馳走するといいかもね。美味しいかどうかあたしが試食してあげる〜。
っと、お店混んできたね、いらっしゃいませ〜!」
ゼスタと軽く約束した後、パンダなリンはぱたぱた走って仕事に戻っていった。
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