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胸に響くはきみの歌声(第2回/全2回)

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胸に響くはきみの歌声(第2回/全2回)

リアクション

 閉ざされたドアが続く通路は階段よりいくらかましではあったが、やはり明るいとは言えなかった。
 通り過ぎる圧力ドアはどれも電気が通っているようには見えない。触ってみないと本当のところは分からないだろうが、おそらくどのドアも開かないだろう。そんな感じが伝わってきて、キーボックスに触る気にもなれなかった。
「ヴァイス、おまえ本当にいいのか?」
 セリカ・エストレア(せりか・えすとれあ)は前を歩くヴァイス・アイトラー(う゛ぁいす・あいとらー)に訊く。
「いいって、何が?」
「ここへ下りたことだ。おまえ、状況に流されてないか?」
「うーん……」
 自分でもちょっとそんな気はしていたので、セリカの鋭さに少し困りながらもヴァイスは答える。
「かといって、上に残ってても安全ってわけじゃなさそうだし」
「それはそうだが」
「それに……俺は、今回のルドラは、そんなに悪いやつじゃないと思う。さっきの話、おまえも聞いてたろ? ここ、アンリって人に関係ある遺跡らしいし。一応知っておいても悪いことじゃないと思ってさ」
「悪いことじゃない、だと? おまえはどうしてそう思いつきで行動するんだ!」
「きゃ……っ」
 飄々と答えるイライラとして思わず声を荒げた直後、セリカの後ろで少女の驚く短い悲鳴が起きた。
 振り返るとアストー01と同じアストーシリーズのアストー12が体勢を崩してアルバ・ヴィクティム(あるば・う゛ぃくてぃむ)に支えられている。
「大丈夫かい? あれはきみに怒っているのではないんだよ」
「い、いえ……あの……ちょっと足をすべらせただけで……」
 アストー12は恐縮そうにもじもじと身を縮める。あきらかに萎縮している様子の彼女を見て、セリカはガリガリと頭を掻いた。
「……あー……、トエ。ここにも段差がある。気をつけろ」
「……はい」
 だが数分といかないうちにアストー12はまたもどこかにつま先をひっかけてつまずき、セリカのひじのあたりにしがみついた。
「大丈夫か?」
「すみません!」
「きょろきょろして、辺りに目を奪われすぎているからだ。足元に気を配るんだ」
「は、はい……。申し訳……」
 うつむいたまま恥ずかしそうにほおを染めて、パッと放した手を後ろへ回す。
 なぜかそのままセリカは進む様子を見せず、彼女を見つめていた。
「あ、あの……何か……?」
「いや。ただ、そんなに周囲を気にして歩くってことは、ここで何か感じていることでもあるのか?」
「い、いえ、そんなことはないです。ただ、わたし……まだ起動して数日なので、めずらしくて……。外の世界って、こんなふうなんだ、と……」
「ああ、そうか。なるほど。そうだったな」
 動作も仕草も人間くさくて、自然で、全然忘れていたが、この娘は目覚めたばかりのヒヨコなのだ、とセリカはあらためて気づいた。
「だが気をつけろ。先までの敵はいないとはいえ、ここも未知の場所だ。どこから何が出てくるか分からない。何かあればすぐ言え」
「はい。ありがとうございます……」
 ばかみたいに浮かれすぎた、恥ずかしい、とアストー12はあごを引いて、ますます下を向いた。
 起動して日が浅いからといって、今がどういう事態か分からないわけではない。危険から守ってほしいと彼らにお願いしたのは自分なのだ。その自分が彼らに迷惑をかけるなど本末転倒だ。
(何もできないのだから、せめてセリカさんたちの足を引っ張らないようにしなくてはいけないのに……)
 自分は本当にいたらない、と落ち込む。
 彼女たちが立ち止まっていることに気づいて、「まあまあ」とヴァイスがとりなすように戻ってきた。
「ここは暗いし、しかたないよ。手をつないで行こう」
「えっ? で、でも……」
「ほら、アストー01だってルドラに手を借りているよ」
 手を借りているというか、アストー01の方が一方的にコートを掴んでいるだけなのだが、振り払わないで受け入れているということは、そういうことなのだろう。
「あ……そ、そうですね……。
 ……ありがとうございます」
 差し出された手におずおずと手を乗せて、アストー12はヴァイスと並んで歩いた。
 ヴァイスは水色の右目から視力が失われている。だからこそ周囲を気にして歩くことに慣れているのか、どんな障害物にもすぐ気づいて彼女を誘導して行く。そして、アストー12の気をまぎらわそうとしてか、こう言った。
「アストー12、かぁ……。12、12……12月の誕生石ってラピスラズリだよな。
ラピスラズリ、トゥエルヴ……ラフィエルもよくない? こんなときに何だけど」
「えっ?」
「きみの名前」
「ラフィエルか。良い響きだ。可憐なその娘によく似合っている。……なんだ? おまえたち。その目は」
 2人の会話をなんとはなし、耳にして、うんうんとうなずいたアルバは、直後ヴァイスとセリカの無言の冷めた視線に気づく。
「親父、変態くさい」
「なっ!? なんだね、それは!」
「まぁ、変態なのはいつものことだがな」
「セリカ、おまえまで!」
 はははと笑いが生まれる。
 ヴァイスとセリカ、そしてアルバの3人を順番に見つめるアストー12にヴァイスが気づいた。
「気に入らない?」
 アストー12は背筋をしゃきっと伸ばすと、ブルブルっと首を振った。
「そんなこと……あの……ないですっ」
 そして真っ赤になって、はにかんだ顔を隠すように、また下を向いてしまった。その様子を見てアルバは
「ういういしいねぇ」
 とつぶやく。そしてやおら素の表情に戻るとセリカを見た。
「なんだ?」
「先の話を考えるに、どうもこの件にはポータラカ人が関わっているようだ。我が言うのもなんだが、ポータラカ人というのはどこか頭のネジがはずれている輩が多い。警戒を怠らぬことだ」
「あ、ああ」
「それに、おそらくあの娘が、ここにいるだれより一番割りを食うことになるだろう。多少でも情が移ったのなら、優しくしてやれ。さもなくば、一切かかわるな」
「……は? 何を言っている?」
「ま、ヴァイス次第であろうがな」
「だから何を言っていると」
 わけが分からないと言うセリカの前、アルバは1人納得してうんうんうなずいている。どう見ても、説明する気はなさそうだった。



「お兄ちゃん、割りを食うってどういう意味?」
 自分たち以外気配のない静かな通路だから、話し声は自然と耳に入る。ティエン・シア(てぃえん・しあ)に訊かれて、高柳 陣(たかやなぎ・じん)は「ああ?」と声を上げた。
 ちなみに陣は、近場でしゃべられていても興味のない話には耳にシャッターを下ろす癖が(某パートナーのおかげで)ついているため、一切会話は聞いていない。
「あー……まあ、あまりうれしくない事態に陥るっつーか、損をするというか。そういう意味だ。貧乏クジを引くとも言うな。
 いきなりどうした」
「あのね。アストー12さんが、そうなるって」
 陣はアストー12を見た。
「……ああ。そうかもな」
 1人納得したふうにうなずく陣を見つめたが、それっきり口を開きそうにないのを見て、ティエンは質問を変えた。
「それって、アンもそうなるってこと?」
「アン?」
 ティエンをはさんで反対側を歩いていたユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)が、小耳にはさんで訊き返す。
「あ、うん。なんか、こっちの方がいい気がしたの。アっちゃんだとアイドルや芸人さんに間違われそうだし」
「そう」
(ま、アスよりはマシよね)
「いや、あいつアイドルだろ」
「あっ、ひとが言わなかったことを」
「違うよ、お兄ちゃん! アンはそういうのじゃないの! アンが歌ってるのはポップスじゃないの! まるで知らないんだねっ!」
「を? お、おお……」
 めずらしくティエンが自分に腹を立てて怒り出したのを見て、陣はとまどう。
「歌ってくれたでしょ? ちゃんと聞いてたの!?」
「すまん」
 ここはひとつ素直に謝って、ティエンのとりなしはユピリアに任せることにする。そして陣はあの歌について思い出した。
 『アストレース』との名前を冠した歌は、途中で終わっている。そしてここへの入口を開けた『ひよこのうた』。これは何を意味するのか。
(……いやな予感しかしねぇのは俺だけか?)
 もしかしたら、ここに来るべきではなかったのかもしれない。
 今からでも遅くない、ルドラにそう言って、引き返すことを提案するべきだ。きっとルドラもその可能性に気付いている。もしかしたら、最初から。
 だが陣はぐっとあごを引き、言葉を飲み込んだ。
 気付いていて、なお前へ進むというのがルドラの意思ならば、自分はそれを尊重するべきだ、と。
 もしも、ということがある。
 そしてその可能性が、たとえクモの糸ほどに細いものであったとしても。

 それを選ぶのはルドラでなくてはいけない。




 うす暗い周囲を警戒して進む彼らはもっぱら通路の左右についたドアやときたま現れる側路といった、前方を気にしていた。
 しかし、皮肉にも彼らを呼び止める声は後方から起きた。
「……前回の事件で自分たちのパートナーを操っていたやつに手を貸すとは、きさまらもよくよくお人好しだな」
 それは、やはりドルグワントとして覚醒したパートナーティアン・メイ(てぃあん・めい)を持つ高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)だった。
 そのティアンは堂々と立つ玄秀の影に身を隠すようにして立っている。自分たちを見つめてくるコントラクターたちの目を意識し、懸命に表情を押し隠して自分の今の状態を気付かれまいとしているが、血の気の引いた青白い肌は隠せそうになかった。
「じゃあ何してろってんだよ。ぼーっと茶でも飲んでこたつに入ってろとでも言う気か? それに比べりゃよっぽどこっちの方が建設的だと俺ぁ思うが」
 肩をすくめての陣の嫌みも玄秀は意に介さず、強気の表情が崩れることはなかった。
「おまえ」と視線はアストー01と、彼女をかばうように立つルドラへと向いている。「性懲りもなく現れて扇動し、こいつらを利用するつもりだな。それはいい。勝手にすればいい。だが、そのまま楽に先へ進めると思ってもらっては困る!」
「チッ。やっぱやんのかよ!」
 陣はすばやく後ろ手でティエンに合図を送った。ティエンは意味を理解し、光術を打ち上げて通路全体を明るくするとともに、うす闇に慣れているであろう玄秀の目を刺激する。
 しかしここで、彼らはなぜ玄秀がこの暗さにまぎれての奇襲をかけず、わざわざ口上を用いて彼らの気を引いたかを知ることになった。
 彼は陣とやりとりをするわずかの間に、だれがどこにいるか、その位置関係を把握していたのだ。
 光はたしかに玄秀の目を一瞬くらませたが、攻撃の手をひるませるには至らなかった。
 どこからともなく飛来した紙片が音もなく玄秀に近づき、その鋭い薄刃で首をかき斬ろうとするが、それに気づいたティアンが七輝剣でどうにか切り落とす。
 その隙に玄秀は十二天護法剣を発動させ、現れた12の光球がルドラを包む結界を成した。
「え?」とだれもが驚いた。
 てっきりアストー01をねらってくるものと思っていたのだ。そのため「アストー01、こっちよ!」とアストー01の腕を引っ張って自分たちの後方へ押し込む者はいても、ルドラを守ろうとする者はいなかった。
 まんまと結界に捕らわれたルドラを見てほくそ笑んだ玄秀は、間をおかずに酸度0%のアシッドミストを放った。瞬時に拡散し――場所がそう広くない通路ということもあり――コントラクターたちを濃い霧のなかに閉じ込める。
 一件無為に思えるこの攻撃。玄秀の意図に気付いた者は何人いただろうか? いたとしても、対応するには遅すぎた。
 続いて放たれたヴェイパースチームによる爆炎が通路を赤く走り抜け、彼らが張った防御魔法ごと軽く吹き飛ばす。ほとんどの者が対処に遅れ、為す術なく天井や壁、床に激突して意識を失う。防御が間に合い、威力を半減させることができた者を次に襲ったのは、壁の向こうに身をひそめていた式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)の霞斬りだった。
 壁抜けを用いて攻撃する瞬間だけ通路に現れ、玄秀に対し戦意を持つ者を斬っていく。
 玄秀が現れて1分にも満たない間の出来事だった。
「……冗談じゃ、ないわよ……」
 あおむけに倒れた陣の下から身を起こしたのは、ユピリアだった。
 壁に手をつきながらもブーストソードを杖のようにして立ち上がる。生焼け状態で、おぼつかない足でふらふらしながらも立ったユピリアはゴッドスピードを発動させた。
 横に一歩、紙一重で避け、その位置から玄秀を貫かんと剣を突き出す。しかしその渾身の一撃も、玄秀のマジックブラストで退けられた。
 爆炎のとおりすぎたあとを、玄秀は悠々と結界に守られたルドラの元へ近づく。
 この状態になってもルドラは無表情で、肩越しに見た後方でアストー01が気を失っているだけなのを確認すると、視線を玄秀の結界へ向けた。
 ぱん、と軽い音がして、玄秀の結界はルドラのぶつけたバリアで相殺される。
 それも見越していた玄秀はフッと笑いを漏らすと、爆炎掌をたたきつけてバリアを破り、その奥にあるルドラの腕を掴んだ。
「とうとう捕まえたぞルドラ。あのアストーを深部まで送り届けるだけがきさまの目的ではあるまい。真意を吐いたらどうだ?」
 勝ち誇る玄秀の後ろで、シュウ、と不安げに瞳を揺らすティアンが声に出さずつぶやいた。
『あそこには近付きたくない……また自分が自分でなくなるのが怖いの』
 ここに来るまで、ティアンは何度そう訴えただろうか。
『どうして行くの、シュウ……』
 答えを求めても、玄秀は何も答えてくれなかった。むしろ、うるさいと言いたげな視線を向けられるだけで……疎ましがられるのがいやで、それ以上口をつぐみ、黙して従うしかなかった。
 そんな彼女を広目天王はガラスのような物言わぬ視線で見つめるだけで、何も語らない。東カナンで剣を差し出したとき、彼も2人のこの状態を少しは憂慮してくれていたのかと思えたが、どうやらそれはティアンの思い違いでしかないようだった。結局のところ、彼は玄秀の心の機微になど、これっぽっちも頓着していないのだろう。
 これでは以前と同じだ。1年前から少しも変わっていない。少しは変わったと思っていたのに、あれは幻想でしかなかったのだろうか……。
 玄秀と背中合わせとなり、立ち上がってくる者を警戒しつつ深く思い悩むティアンの耳に、その信じられない言葉が飛び込んできたのは次の瞬間だった。
「僕の目的はただ1つ。ティアからドルグワント因子を除去することだ。方法を聞かせてもらおう。それができるのであればこのまま開放し、深部までの護衛をしてやってもいい」
「シュウ、あなた」
 思わず振り返ったとき。
「……はああああっ!!」
 その隙を見計らってユピリアが飛び起き、チェインスマイトを仕掛けた。
 ティアンを貫かんとするその剣からかばって、玄秀はティアンを脇に抱き、跳躍する。
 距離をとった玄秀に、ルドラは告げた。
「不可能だ。それはわたしにも、アンリにも想定していなかった副次的産物だ。パラミタで生きてきた以上、とり除くことはだれにもできない」
 塵と化したドルグワントは大気に乗って数千年をかけてパラミタじゅうに広がり、大地に混ざり、水に溶け込んでいる。呼吸せず、土に触れず、水も飲まず暮らしている者など1人もいない。パラミタに生きる全員が、ドルグワントに覚醒する可能性を持っている。そしてそれは、ここで今も息をしている玄秀にもいずれ覚醒する可能性があることを意味する。
「ただし、覚醒にはうなり木がいる。意識を揺さぶり共鳴を起こす者だ。末端である者たちには自らそれを引き起こす力はない。
 3人の博士以外にドルグワントを統べる力を持っていたのは純粋なドルグワントであるアストー、ドゥルジ、アエーシュマだが、このうち2体はすでに崩壊死している。ドゥルジについては、わたしの埒外だ」
「つまり、現在それを為し得る力を持つ者は、そのドゥルジというやからと、きさまというわけか」
「――そうだ」
 ザリチュ博士存命について玄秀が気付いていないことが分かったが、ルドラはあえて訂正はしなかった。
 短い沈黙のあと、玄秀は「なるほど」とうなずく。
「どうやらきさまを殺さねばならないようだ。が、今はそのときではないようだな」
 意識を取り戻し、立ち上がり始めたコントラクターたちを見た。時間切れだ。
「その命、今は預けておこう。――広目天王」
 広目天王は玄秀の声に、奉神の宝刀から血を振り飛ばし、傍らへ戻る。
 ルドラとユピリアが見つめる前で、玄秀は2人を連れて通路の闇に溶け入るようにその場から消えた。