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冬空のルミナス

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冬空のルミナス

リアクション


●負け犬どもの賛歌

 空京郊外。
 廃棄された病院の跡地で向き合う二人の男があった。
 八神 誠一(やがみ・せいいち)日比谷 皐月(ひびや・さつき)だ。
 ひびわれた白い壁を背に、皐月は不敵に笑った。
「――さあ、『楽しもう』じゃねーか」
「……」
 だが誠一は動かない。
 皐月は、待つ。
 皐月は行動予測を立て、誠一の初手を読もうとしていた。頭の中で無数の電算機が数値をたたき出す。
 右から来るか、ならば左から急襲する。
 左から来るか、ならば右から足払いだ。
 あるいは頭上か、ならば対空の蹴りを放とう。
 さもなくば……。
 皐月は、待つ。待つほどに計算結果が蓄積されていく。
 彼らを見おろすように桜の巨木が枝を投げかけている。その幹は黒ずんで、老人の腕のように節くれ立っていた。
 翌桧 卯月(あすなろ・うづき)は皐月を見守っていた。魔鎧となって、彼の身を包んでいた。
 ただ行動を共にしているだけではない。卯月は、戦っていた。皐月と一緒に。
 ――私は貴方で、貴方は私。
 何度止めようと思ったことか。だが卯月は、最終的に皐月の意思……つまり誠一との決戦をを認めた。
 ――だから、なんに気兼ねをする必要もないけれど。……気にするのでしょうね。皐月だから。
 祈るような気持ちだ。生きている皐月を感じることができるのは、今日が最後になるかもしれない。
 戦いに赴く直前、卯月は皐月に言った。
「――手に入れに行きましょう」
 と。
「『楽しかった過去』ではなく、『皆で笑える未来』を」
 と。
 桜の大樹の陰より、オフィーリア・ペトレイアス(おふぃーりあ・ぺとれいあす)が顔をのぞかせている。
「さて、我が剣の仕上がり具合を試させてもらうぞ」
 そう言ってほくそ笑んでいる。
 油断できない――卯月は眼前の誠一より、むしろオフィーリアに警戒を怠らなかった。またいつ、彼女がどんな手出しをしてくるかわからない。オフィーリアへの対策こそが、この戦いの明暗を分けると卯月は思っている。
 誠一は、どこか焦点の定まらぬ目で目で皐月を見ていた。
 されど誰知ろう、このときすでに、誠一は意識を取り戻しているのだった。夏に皐月と戦(や)りあったときとは決定的に違う、もうほとんど正気なのである。オフィーリアの精神的支配からはとうに脱していた。
 皐月がそれを知るすべはない。
 ――やはり操り人形か。
 ならば攻めを待っても無意味、そう皐月は判断した。
 仕掛ける、こちらから。
 蓄積した計算結果はすべて破棄した。今度は自分から攻めたときのシミュレーションを高速で行う。行いながら……挑む!
「のっけから全開だ」
 あらゆるスキルを総動員した。
 自分の踏み込みに合わせて足裏に精製、加速を行い、
 自分の攻撃に合わせて槍の穂先に当て、攻撃の軌道を無理矢理に変えて当てに行き、
 振った槍の穂先に氷を精製して、間合いを誤認させる。
「奪(と)った!」
 読みが当たった。誠一は皐月に反応しようとするも目線がずれている。
 策が成功したのだ!
 だがそれは、ぬか喜び。
「火薬を使わないなんて言ってない」
 口元に笑みが浮かびそうになるが誠一はこらえた。
 こらえつつ、上手投げで対イコン用手榴弾を投げつけた。
 ――この至近距離でそんなものを!
 皐月の目の前で世界が弾けた。熱と光と衝撃が塊になって襲ってくる。ガードしようとするも無意味、爆心地から一センチでも遠ざかるのがせいぜいだ。
 五体がバラバラになるところからすんでのところで皐月は逃れた。しかし立つことはかなわない。火傷を追って地面を転がって、振り落としそうになる意識を必死でつなぎとめようとする。骨も数本、砕けているに違いない。
「顔を上げて、前を向いて、胸を張って、叫べ!」
 叫び声が頭にこだました。
「アイロウ! I LOL! I laughing out loud――だッ!」
 それが卯月の声だと理解するより早く、皐月は両脚で地面を蹴っていた。
 笑っていた。皐月は真っ赤な口を開けて笑っていた。呵々大笑。血塗れになりながらも翔ぶ。
 後ろ髪がふっと数本、束になって虚空に飲まれた。
 後頭部すれすれを、誠一の放ったショックウェーブがかすめていったのだ。
「ほう」
 オフィーリアの瞳孔が狭まる。彼女は、蛇のような笑みを見せた。
「あれ(皐月)一人であれば、とうに命果てておったな」
 しかし面白い、と彼女は独り言する。
「それにしても我が剣(誠一)よ、基礎的な能力にほとんど変化はないが……力の使い方、状況利用の仕方、この方面が成長しているようだな」
 卑怯のそしりを怖れることなく手榴弾を使うなど、以前の誠一にできたかどうか。
「仕上がり具合は、そう悪くないようだ」
 オフィーリアは身を乗り出していた。大樹の陰からはもう出ている。彼女は、誠一の戦いぶりに酔っていた。
 皐月は地面に着地した。荒い息を吐いてすっくと立つ。空中にあった短い間で呼吸を整え、ギリギリ戦闘できるまでには体力を取り戻していた。
「甘く見てたな、おまえを。暗殺者だもんな、正々堂々戦(や)るルールなんてハナからねーし」
 呼吸するだけで肺が焼けるくらい痛いのに、それでも皐月が話している理由は一つ。
 時間稼ぎだ。
 ――自分一人じゃ思考が行動に追いつかねー。でも。二人だ。だからやれる。確信しろ。
 つぎに誠一はどう出る? 計算はやり直しだ。これまで無視していた条件も全部ブチこんで考え直さなければ。
 ――追いすがれ、喰らい付け、決して離れず、諦めるな。
 自分に言い聞かせなければ、膝を付いてしまいそうだ。
 ――オレたちを信じて、未来を確信して、結果を手繰り寄せろ!
「おい! そこにいるやつ! 誠一の中身! よく聴けよ! 『幸福』の感情があるってことを、オレはお前にこのあいだの喧嘩で叩き込んでやったんだ。もう一度揺り動かしてやるさ。なんの取り得もねーオレの……」
 跳躍に備え皐月は右足を一歩下げた。
 それが命取りだった。
 目に見えないくらい細い鋼糸、それに足がかかったのだ。
「トラップだと!」
 先ほどに倍する規模の爆発が彼を包み込んだ。
 廃病院の敷地を戦場に選んだのは偶然――そう皐月は思い込んでいた。
 手榴弾を受けた直後必死で身を捻ってここに着地した――それも違った。
 最初から皐月は、誠一によってこの場所に追い込まれていたのだ!
 死んだ――と皐月は思った。死んだ人間が思考するはずはないということにすら考えが及ばない。
「………悪いね、兄弟」
 なにか、声が聞こえた。
 ――誠一……?

 目を覚ましたとき皐月は真っ暗な森にいた。
 そこが廃病院の敷地だと気がついたのは、意識回復からかなり経ってしてようやく、這って動けるようになってからだ。
「……皐月、すでに彼らの気配はありません。立ち去ったようです」
 卯月の声が聞こえた。とすれば鎧も崩壊をまぬがれたということか。卯月は続ける。
「どうやら『偶然』この場所に吹き飛ばされたようですね。彼がオフィーリアに『殺した』と説明できるほどの距離に」
 鎧のまま卯月が言った。
「すごい『偶然』だよな」
「ええ」
 卯月の声が少し、笑っているように聞こえた。
 皐月も含み笑いした。今回は完敗。だが爽快な気持ちだった。
「……あいつ、正気を取り戻しやがった」