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魂の研究者・序章~それぞれの岐路~

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魂の研究者・序章~それぞれの岐路~

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 第15章 2029年を知らずに

 2029年――35歳になったジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)は少佐にまで昇進していた。自分にとっても予想外であったが、今や大隊長である。そして、そんな大隊長の主な仕事は――
「……階級が上に行けばいくほど、書類ばっかり書かされてるような気がするな」
 椅子に座って頭を悩ませる書類仕事や、他部隊などとの渉外だった。前線勤務は佐官級になる前よりも更に減り、毎日を大隊本部のオフィスで過ごしている。勿論、戦闘がある時は戦場に出るが、それ以外の時は土の匂いも汗の臭いもしない場所で判子かペンを持っていた。
 実はあまりデスクワークが得意ではないジェイコブは、これがどうにも苦手だった。判子を押すだけの仕事であっても、なんだかんだで内容は確認しなければいけないし書類作成は言わずもがなである。
 そして何故か、やたらと疲れる。
「また体が揺れてますわよ」
 ごつい身体を机の前で縮こまらせ、ちまちまと報告書を書いていると後ろからフィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)の声がした。その言葉にはっとして、無意識のままに動かしていた体を止める。
 振り返ると、ファイルを幾つか持ったフィリシアからにっこりとした笑顔が送られてくる。参った、という感情のままに妻に向けて愚痴を零す。
「どうにも少しイラついてしまってな。しかし、こうして体を揺らすのは健康にも良いと聞くぞ」
「今は何を書いてらっしゃるんですか?」
「ああ、今は……」
 書きかけの書類を見せる。すると、フィリシアは一度瞬きした。
「……ふふ、これはちょっとあなたには難しいかもしれませんわね」
 それは、ただ起こったことを報告するだけのものではなかった。それだけでもジェイコブには厄介なのに、これは別紙に書かれた項目に沿って一点一点纏めていく形式になっている。感覚で理解していることもいつも以上に理論立てて言葉で説明しなければいけないしで非常に面倒くさい。正直、彼はもう辟易していた。
「文章は私が書きますわ。あなたはこの申請書類を書きながら思い出話をしてください」
「分かった。……これを書きながらじゃないと駄目なのか?」
「今日も忙しいですから。これは簡単ですよ。皆から届いた消耗品発注の要望を纏めるだけですから」
「…………」
 それはそれで面倒臭い。時間も掛かりそうである。
 だが、件の報告書よりはマシだった。
「珈琲でも淹れますね」
 渋々と書類を受け取ると、フィリシアは笑って給湯室に入っていった。彼女が戻るまで、ジェイコブは窓を通して外を眺める。緊張の要する空気は感じられない、安穏とした青空が広がっている。
「今日も平和か……ま、ドンパチやってるよりはいい」
 別な意味でのドンパチなら、今こうして手元にあるわけだが。
 副官であるフィリシアが書類の半分以上を処理してくれているから助かっているが、彼女がいなければ本当にどうなっていたことやらとおそろしい。
「そうそう、今日の夕食は何にしますか? 子供達を迎えに行ったら、一緒に買い物して帰りますから」
「ん? そうだな……なんでもいいが」
「またそれですか? 一番困るんですよ、なんでもいいっていうのが」
 マグカップをジェイコブの前に置き、フィリシアは自分の机に座った。28歳になる彼女との間には、今、5歳の長女と3歳の長男がいる。昼間は子供達を幼稚園や託児所に預けて退役せずに仕事を続け、帰ったら可能な限りに家事をこなす妻に、ジェイコブは頭が上がらなかった。どちらかと言えば華奢な印象の彼女だが、彼と子供のために――家族全員で笑顔でいられるように、その辺の男ども以上のバイタリティで日々頑張っている。
 家庭が波風立たずに円満なのは、フィリシアのおかげだ。
 その彼女に、ジェイコブが敵うわけもない。
「じゃあ、始めますわね。まだ書いてないところから……殆ど書いてないですけれど。項目1について、『演習において……』」

              ⇔

「……まあ、多分昇進できても少尉までだろうな」
 ――2024年、准尉に昇進して多忙な日々を送っているジェイコブは、今日も仲間からの「次は少尉だ」とか「このまま兵隊元帥を目指せよ」という激励を聞き流して自分の仕事に取り組んでいた。下士官上がりの将校はおおむね大尉で軍歴を終える。雲の上の話ではないのだろうが、どうもピンと来なかった。
 仕事をしていてよく耳に入るのは、空京のデパートで起きた通称『兎事件』の話だった。単独犯が私怨で起こしたらしかったが、そこそこの規模であったこの事件を、いつテロ組織が模倣してもおかしくない、ということで教導団は概要の把握と防止策検討に努めている。
 だが、ジェイコブ自身はあまり気にしている余裕が無かった。顛末を聞いて後味の悪い事件だとも思ったが、今日もまだまだ仕事が残っている。
 生まれてくる子供のためにも、目の前の任務をこなすのが一番だった。