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魂の研究者・序章~それぞれの岐路~

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魂の研究者・序章~それぞれの岐路~

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 第34章 そしてパラミタへ

 ――数日前、スリーウォンズ商店にて。
「自分じゃなくても、いつか引き取りに来る奴が来たら渡してほしいって」
「…………」
 トルネから話を聞き、ザミエルは考え込まずにはいられなかった。ザミエルはレンから、リンに食べさせる為に智恵の実を手に入れるように頼まれていたのだ。フィアレフトから話を聞いたレンは精神的に不安定なリンの容態を案じ、実を使って記憶と気持ちを落ち着かせようと考えた。詳しい事情を知ったザミエルも、ラスとその父が死ぬか生きるかの話になっていると聞き、遠出だからと頼みを無碍に出来なかった。
 その後に、フランスまで行くとしてもだ。
「知らない相手だったら誰に使うのか確認するように言われてるけど……知ってる相手だからな。もしかしてって思ってさ。何かそれっぽい気もしたし」
「まあ、そうだろうな……」
 恐らく、ラスがトルネに預けた智恵の実の用途は、今回自分達が行おうとしている事と同じものなのだろう。だとしたらこの場合、預けられている実を持っていくべきなのだろうか。それとも、店売りから買っていくか――
「その、『誰に使うのか』っていうのに当てはまるのは、リンっていう女の人でいいんだよな?」
「なんだ、やっぱりそうなんじゃん。待ってて、倉庫から持ってくっから」
 一応、と思って訊ねると、トルネは勝手に得心した顔になって裏口から外に出て行った。結果、ザミエルは保管されていた方の智恵の実を持ってフランスに来たというわけだ。
 病院の場所と部屋番号は、レンが話を知った当日、2階から戻ったラスに直接聞き出していた。

 ――そして今日。
 リンの部屋に、ベッドは1つしか存在しなかった。故に、リンと覚は同じベッドに寝かされていた。夫婦だし、特に問題は無いだろう。2人が眠っている間に、ダリルはホーリーブレスとナーシング、ルカルカの持っていたシボラの薬草を使って彼女達の手当てを行った。目を覚ましたリンが再び暴れだした時の為に、ベッドの上ではルカルカがジュニアメーカーから出した小さいルカルカ達が待機している。
 部屋の中は、綺麗に掃除されていた。欠片という欠片は全て片付けられ、家具類も運び出された。窓のある部屋に移らなかったのは、再びガラスが武器化するのを防ぐためだ。
「……まあ、人間の心は弱い」
 2人が目覚めるのを待ちながら、ザミエルはリンの安らかな顔を見ながら誰にともなく口を開いた。
「誰かを悪者にしたり、存在そのものを自分の記憶から消さないと生きていけない奴も要る。愛情が深ければ深い程、そういう深みに嵌り易い。……哀しい性って奴だ」
「智恵の実が効いていれば、起きた時にリン様は記憶を取り戻している……ということになるのでしょうか?」
「その筈だけどな。効果はまちまちの実だが、この場合はな。それにそう思ったから、ラスもトルネに実を預けてたんだろ」
 望の言葉に答えながら、ザミエルはどこかで引っかかるものを感じていた。智恵の実には『食べた者に潜在している何か』を引き出す能力がある。あの時――大廃都の遺跡に行った日、記憶を取り戻した者も中には居ただろう。しかし、その効果をあの場で大っぴらにしていた者はいなかった筈だ。だが恐らく、ラスは智恵の実でリンの記憶が戻ることを確信していた。怪しいだの眉唾だの散々言ってピノに食べさせなかったにも関わらず、だ。
 それを、『もしかしたら効果があるかも』程度で自分の母親に食べさせようとするだろうか。
「…………。? 私…………。! サトリ!」
 そこで、リンが先に目を覚ました。隣で寝ている覚を見て数秒後、全てを思い出したのか真っ青になって彼女は彼を揺り動かす。
「大丈夫!? サトリ! 死んじゃったの!? サトリ!」
 その様子には、身近な死を知っているからこその必死さがあった。死んでしまった、とリンが思うのも無理のないことだ。力の限りに彼女は覚の首を絞め、そして今、隣に横たわる覚は首に手の痕を残して青ざめた顔色をしているのだから。
「大丈夫だよ! サトリさんは生きてるよ!」
「ただの貧血だろう。結構血を流したからな」
 ノーンとダリルがそう言うと、リンは「本当!?」と救いを見たかのような目を2人に向けた。心底、安心した表情になる。
「良かった……これでサトリまで死んでしまったら、私……サトリ、サトリ、起きて!」
 寝かせておいたらどうですか、と誰が言う間もなく、リンは容赦ない力で覚を揺らす。気の毒な覚は時を待たずに目を開け、どこか混濁したその目で妻を見つめた。
「……リン……」
「ああ! サトリ……! ごめんなさい! 私、あなたに酷いことを……!」
「いっ……痛っ! リン、痛いんだが……」
 抱きしめてくるリンを押し戻そうとするが力が入らず、増した腕の痛みにふとある事を思い出す。
「そうだ。リン……痛くないか? 手と足に傷が……」
「傷?」
 妻は何のこと? というように起き上がって全身を確認した。手紙を探す時に出来た傷は、綺麗さっぱり消えている。
「あの程度なら完治可能だ。サトリの怪我はそうはいかないが、血は止まっているし、短期間で治るだろう」
「そうか……ありがとう」
「記憶は戻ったのか? 完全に?」
 ダリルの説明に覚が淡く笑み、ザミエルがリンに問いかける。
「きおく……? あ……」
 覚の安否に気を取られていたリンは、その言葉で意識を自分自身に向けたようだ。ぽろぽろと、大粒の涙を流し始める。
「そうね……サトリの言っていたことは、嘘じゃなかったみたい……何で……何で……私は……」
『忘れていたのか』なのかそれとも『受け入れられない』なのかそれ以外か。どこで『、』がつくのかも『。』がつくのかも、『私は』の後に続く言葉も分からない。
 誰をも移さない瞳から、際限なく涙が流れる。うわごとのように、声が漏れる。
 その様子を見て、覚は察した。今のリンは、娘が亡くなった直後の彼女と同じだ。瞼を閉じ、寝台で横たわる娘の前で、彼女はこうして涙を流した。ほぼ心ここにあらずで葬儀を終え、その後数日間は心を閉ざして表情を殆ど変えず、覚達が何を言っても殆ど反応しなかった、あの時の状態にまで戻ったのだ。
 それから、彼女は心の均衡を取る方法を編み出した。
 自分が気絶している間に何があったのか、リンが記憶を戻した理由は把握しきれていなかったがひとつ、確実なのは。
 ここで彼女の心を現実に引き戻せなければ、また、同じことの繰り返しだということだ。
「……リン、哀しいのはお前だけじゃない。俺もピノが助からなかったのは哀しいよ。ラスもそうだ」
「…………」
 泣き止まないままに、リンは眼だけをこちらに向けた。声は聞こえている、と考え、覚は続ける。
「お前は哀しみを、全て自分の中に閉じ込めてしまった。今度は、それを俺達に分けてくれ。今度は逃げたりしない。ちゃんと傍に居るから。まあ、殺されるのはちょっと困るが……怪我くらいならしたっていい」
「…………」
 涙を零す濁った瞳が、僅かに見開かれた。何者をも受け入れまいとしていたそこに、光が徐々に戻ってくる。
「……リン、サトリをもっと頼って。彼は、あなたの夫なんだから」
 ルカルカが言うと、リンはこく、と小さく頷いた。それを見届け、彼女は2人から少し離れたところから淵に連絡を入れる。パートナー間通話の利点を使ってツァンダに居るラスに報告するためだ。ノーンが合流した時、彼女はラスが空京に居ることまでは聞いていなかった。
 だから、電話が繋がった時に彼がツァンダに戻っていたのは偶然としか言いようがなかった。

              ◇◇◇◇◇◇

「わ、悪かったって。ちょっとほら、アレだ。仕事の呼び出しが掛かって……」
 リュー・リュウ・ラウンに戻った直後、カルキノスとフィアレフトと管理人に平謝りしたラスは、ラスボス――むー、と頬を膨らませたピノを前に、困り果てていた。事情はともあれ(その事情も嘘だが)、ピノに一言の報告も無く放牧場を脱出したことを怒っているらしい。
「だとしても、メールくらいは出来るよね。……今日帰ってくるの? って聞いたら3人とも困ってたよ! それって、明日とか明後日まで戻ってこなかったかもしれないってことだよね? それなのに、何の報告もないとか、おにいちゃん、マナーって知ってる?」
「あー……だから……な、それは……」
 正論過ぎてぐうの音も出ない。ピノの怒りは収まりそうになく、事情を知る3人につい逆恨み的な目を向けると、「あーあ」という表情を浮かべるフィアレフトの隣で、カルキノスと淵は何か「今だろ」というように口元に笑みを浮かべている。先程ミサイル攻撃を謝った際、淵はピノが『自分は一人ぼっちなんだ』と誤解しないように、この試験期間中ピノに愛を伝えるようにとラスに言った。大切な家族だ、と強く何度も伝えるようにと。
「……………………」
 ちらりとピノに目を戻すと、彼女はますます頬を膨らませていた。どれだけ空気が入る頬なのか。
 ――ピノ殿を寂しがらせてはならんぞ、兄としてはな。
 ――ぎゅっと手を握ったりハグして、ピノが大好きでピノじゃなきゃダメだってのを伝えるのも良いぞ。
 淵の言葉を思い出す。普段からウザがられる程度には態度に表している気はするが……いくらなんでも後半は難易度が高すぎる。誰がやるかと突っぱねてもいいところだが、数時間前の負い目もあって断れず、現実、ピノは今こうして大事な時に優先度を下げられたことを怒っている。
 短い葛藤の後、ラスはピノに向き直った。しかし、これは何の罰ゲームだろうか。
「ピノ……お前は俺の大切な家族だ。お前の試験は俺にとっても大事だし、もうどこにも行かないから……だから、機嫌を直してくれないか?」
 目を合わせ続けること暫く。険のある瞳でじーっと見上げてきていたピノは、そのままの表情で口を開いた。
「これからは、ちゃんと連絡する?」
「する! するから! な!」
「……………………」
 それをどう捉えたのか、ピノは「……明日は朝9時からごはんでそれから試験だからね。寝坊しちゃだめだよ!」と言ってファーシー達の所へ駆けていった。手伝いに来てくれた友人達に、楽しそうな笑顔で混じっていく。とりあえず安心して、「お前ら……」と淵達に抗議しようとしたところで、淵の携帯に連絡が入った。
「……ルカからだ」
 緩んでいた空気に緊張が走る。ピノ達の方を見て、一応と4人は場所を変えた。
「……そうか、分かった。ラス殿、リン殿は記憶を取り戻したそうだ。智恵の実を使ったようだな」
「智恵の実……まさか、あれか?」
 それだけでは預けてあった分なのか別口なのかが分からない。後でトルネに確認してみようと思っている中、淵は更に報告を続けた。
「サトリ殿も無事だそうだ。怪我を負ったようだが、命に関わる程ではないらしい。軽症でもないようだがな」
「…………。……だから行くなっつったんだよ……まあ、生き残ったなら良い……のか?」
「……それで、リン殿に何か伝言はないかということなんだが、何かあるか?」
「は? 伝言!?」
 頭を掻きむしりながら話を聞いていたラスは、驚きの表情で硬直した後、脳内で何が駆け巡ったのか数分前にピノに話し聞かせた後のような顔になった。それから、ふと真顔になって今は目視はできない場所にいるピノのいる方に目を遣ってからひとこと言った。

              ◇◇◇◇◇◇

「『ごめん』って、謝っておいてくれって言ってたわ」
 電話を切ったルカルカが伝えると、覚とリンは顔を見合わせた。
「……どうして……? 謝るのは私の方なのに……」
 まだ気を取り直すには程遠い状態であるリンは、新しく追加された意味の解らないメッセージに混乱した。理性や思考力が回復しきっていない彼女の隣で、覚は考える。
「……ああ……そうか」
 答えを出すのに、そう時間は掛からなかった。
「ラスは、ピノとそっくりな女の子と一緒に生活しているんだ。多分……その事に罪悪感を感じているんだろう」
「……ピノと……そっくりな子……?」
「人格にピノとの繋がりは無いが、髪の色と雰囲気以外は生き写しだ。剣の花嫁という種族は知っているか?」
 リンは激しく首を振った。明らかに衝撃を受けているらしい彼女に、覚は剣の花嫁について説明する。そうして、最後にこう言った。
「その、一番大切な人――の姿を取った彼女を、ラスは『ピノ』とそのままの名前で呼んでいる。だから……リンを1人にしておいて、自分は、という気持ちがあるんだろう。実際、最初はピノの代わりだという意識が強かったみたいだしな」
「そんな……そんな、子が……?」
「会いたいか?」
 覚の問いに、リンは大きく頷いた。希望を見出したような輝きを目に宿す彼女に、覚は『続き』を言えなかった。明らかに『娘に再び会える』という表情をしている彼女に、娘が死んだばかりであるのと変わらない状態の彼女に、『あくまで別人だから、娘と混同しないように』とは酷過ぎて言えなかった。
 リンに娘扱いされれば、ピノは恐らく傷つくだろう。いや――面識が無い相手ならば、それ程は傷つかないだろうか。ラスが『妹』の影を見ていると知って少女が泣いたのは、きっと、同居人相手だったからだ。
 そう――思いたい。
 自分も実際に会うまでは、娘として見ない自信が無かった。今、ピノを別個人のピノとして見られるのは、奇跡のようなものだ。別人として見ろというのを、強制は出来ない。そして、出来るようになるまで会うなというのも――
「そうか……。何にしろ、ラスに会いに行けば顔を合わせる事になるだろう。パラミタに……行ってみるか?」
 断るわけもない。そう思いながら問い掛けたら、リンはまた頷いた。

              ⇔

「当面は、凶器になる物は近くに置かないようにした方がいいわ。後、彼女を寂しがらせないように」
 疲れたのか、再び眠りに落ちたリンを見ながら“揺り返し”の危険性を説明したルカルカが言うと、ベッドに身を起こしたままだった覚は苦笑した。
「……ああ。まだ落ち着くには時間が掛かりそうだ」
「パラミタに行くの?」
「そうだな……」
 覚は外気吹き込む窓側に目を移した。日はまだ高いが、今日すぐに出発するのは流石に体が保ちそうになかった。リンも、心を休める時間が必要だろう。それに、壊した家具や窓の弁償手続きもする必要がある。近々退院するだろう旨も医師に伝えなければいけないだろう。
「今日はホテルにでも泊まって、明日、出発するよ。帰りも、付き合ってくれるかい?」