蒼空学園

リアクション

【魔法世界の城　東の塔・２】


（……怖い、やだ、怖い！！）
　本能が彼女に教えた恐怖感に、翠は、そして彼女に届かぬ腕を伸ばしたサリアは叫んでいた。
「助けて、おにーちゃん！」
　直後、翠の目の前が真っ暗になる。背中に庇う時間も無い。アレクは翠の肩を掴んで半身だけ前に出た自分に押し付けるようにしながら、分厚い氷の壁で攻撃魔法を弾いた。
　だが弾いた次の瞬間に追撃がくる。
　崩れていく氷が光りと弾け飛ぶ中、アレクは苦い顔をしながらも即二の手に出た。素早く回した太刀の柄頭（つかがしら）で、『敵』の腹部へ向かって突きを繰り出したのだ。
　手加減などない、全力のひと突きだ。幾ら刃でなくとも、常人ならば耐えられない。
　だが契約者や本物の豊美ちゃんなら、死なない筈だ。
「…………おにーちゃん」
　死を逃れたとは言え、恐怖は未だ翠の中に残る。がくがくと震える小さな肩を抱いたアレクの手に力が篭った。
「アレクさん、後ろに！」
　武器を構えた状態で、柳尾　なぎこ（やなお・なぎこ）が翠を後ろへ下げさせようとアレクに声をかける。
　豊美ちゃんは仲間を攻撃したりはしない。それだけは此処に居る誰もが「絶対に無い」と断言出来る。だがもし彼女が南の塔で瘴気を受けていたら？
　――確信が欲しい。あれは誰だ。
　祈るような間に、豊美ちゃんの顔がゆるりと上がり掛けたとき。

「真実を見抜け！」

　真の声に乗って風を斬った暗器は、『彼女』の横顔を掠める。短冊状の武器の攻撃は、頬に僅かに血が滲ませるくらいしか出来なかった。
　しかし掠めた部分は外側であり、その内側は真の二つ名によって完全に貫かれていたのだ。
「それは豊美さんじゃない、ヴァルデマールの力を与えられた偽物だ！」
　【オブザーバー・オブ・トゥルース】――武器で触れる事によって対象の思考を読み取る事能力で、真がその瘴気を纏ったトヨミが全く別の存在であると見抜いたのだ。
　その声に始めに動いたのは契約者ではなく、グラキエスの影の巨狼・スカーだった。
　真っ直ぐに駆け抜け牙を剥き出しにした口を開き、トヨミに向かって飛び込む。
　狭い廊下は漆黒の巨体に塞がれ、契約者達にはその先で何が起こっているのか分からない。そうして咆哮が何度か響いたと思った時、魔法の閃光が弾け、スカーが此方へ吹き飛んで来た。
「主（あるじ）ッ！！」
　グラキエスを守ろうとしたアウレウスは、自らが盾となり凄まじいスピードで迫る昏倒したスカーをまともに正面から受け止める。背中の後ろ、主たるグラキエスに指一本触れさせてなるものか、という気概で１９５センチの身体は倒れはしなかった。
　代わりにどうっと音を立てスカーの巨体が床に落ちる。が、その上に遂に膝をついたアウレウスの上半身が折り重なった。
「アウレウス！」
　グラキエスがパートナーを助け起こそうとするのに、駆け寄った真が「俺が回復を」と手を貸した。
　視界が開け遠くに見えるトヨミは、アレクに魔力を強化された時の豊美ちゃんと良く似ていた。
　――ならば『あれ』が来る！
　正面には魔法の発動を示す光を見た契約者達は、これは絶対に防がなければならないと身構えた。
　カガチが皆の魔法防御を高め、ウルディカ・ウォークライ（うるでぃか・うぉーくらい）が銃弾を散撒き牽制し、エルデネスト・ヴァッサゴー（えるでねすと・う゛ぁっさごー）が氷壁で皆を守ろうとする。
　間は刹那。
　その最小の時間に紫月　唯斗（しづき・ゆいと）は攻勢を続けていた。　
　時の壁をすり抜ける知覚不能の領域の中で、九十九の斬撃がトヨミを襲う。トヨミは魔力の防壁を張っていたが、それは豊美ちゃんが得意とする前方魔力障壁魔法［月之灯楯縫］とは異なるただの防壁だ。ヴァルデマールが作り出した贋物であるから使えない、という以前、唯斗の動きが早過ぎてそこまでの反応が出来なかったのだ。
　それでも豊美ちゃんをベースに作られた闇の魔法使いの防壁は、唯斗の何撃かを防いだ。
　だがそれは唯斗の想定内だ。
（俺足止め要員だから。後は任せるぜ？）
　ヴァルデマールに与えられた内なる魔力を高め、唯斗をスカーと同じ様に弾き返そうとしたトヨミは、別の気配を感知する。
　炎の天使を纏うように何かが向かってくる。
　その強い光りの目眩ましにアレクを援護していたのはセレアナだ。トヨミが唯斗の全ての斬撃を受け切ったところで、アレクはもう後ろを取っていた。
「――――ッ」「動くな」
　トヨミが口を開くより早く、感情の見当たらない平坦な声が背中に響く。
「動いたら折る」
　証拠とばかりに首に回された腕に、僅かに力が上乗せされた。
「それにアンタの魔法が発動させるより、前の男の方の刀がアンタを斬る方が早い。分かるな」
　念をおす声に、頷く事も出来ないトヨミが瞬きで反応を示したのに、唯斗は諭すように言う。
「まぁ、アレだ。豊美ちゃんの姿で暴れちゃあいけねぇよ」
　そうして首を捻った。
「どうすんべ」
　トヨミは彼等の仲間の豊美ちゃんと寸分違わぬ容姿だ、小さな、可愛らしい少女にしか見えない。改まってしまうと手に掛けるには憚られると、契約者等は皆躊躇を見せる。
「パラミタに連れ帰って俺の部下するというのはどうだろうか！？」
　ハデスの提案に、皆がそれはそれでまた問題が……という顔をする。
「兄さんまさか…………あの偽物の豊美ちゃんを好きになったんじゃ……！」
　咲耶がスリッパを片手にヤンデレの片鱗を見せかけたのに、ペルセポネやハデスのオリュンポス特戦隊達が慌て出した。
　しかし何時ものコントを繰り広げている場合では無いのだ。
「おいおい、アレク。ぼーっとしてないで何とか言えよオメェも。あ？」
　唯斗に振られたアレクは、眉も動かさずに言った。
「殺す」と。
　トヨミ本人よりも皆の表情が固くなる。それまでわーわーと騒いでいた咲耶ですら息を止めていた。だがこの言葉には続きがあったのだ。
「――とか、気絶させるとか、そういうのより前に大事な事がある。
　唯斗、正面じゃなきゃ駄目だ、俺の代わりに確認してくれないか？」
「なんだよ？」
「闇豊美ちゃんは、ぱんつも黒なのか。
　是非、確認して欲しい」
　廊下が、しんと静まり返った。あーともいーとも、単純な音すら出せない。
　と、アレクが急に声を上げた。
「大変だ！　今日は俺の大事な突っ込み１号２号が居ない！！」
「誰も突っ込んでくれないんだね…………」
　真が呆れぎみに笑うと、皆がどっと肩を落した。緊張していた此方が馬鹿みたいだ。
「勿論個人的に知りたい訳じゃない。これは敵を知る上で、極めて重要な情報なんだ」
「……そういう理由じゃ、仕方ねぇな？」
　やや疑問系ではあるが、朗らかなトーンで唯斗が答える。アレクの奇行など勝って知ったる他の契約者達はもう何も言わないし、何もしようとしない。
　一人焦っているのは、アレクにがっちりと固定されて動けないトヨミだけだ。
　このままでは男性にぱんつを見られてしまう！
　トヨミは確かに偽物だが、豊美ちゃんをトレースして作られたから、ヴァルデマールに与えられた悪しき部分を取り払えば、乙女心を持った純真な魔法少女なのだ。
「前々から思ってたんだけどさ。アニメーションで闇落ちってあるだろ。あれエロいよな？」
　アレクの発言は、先程の言い訳とは裏腹に個人的な興味丸出しだ。
「何時もの可愛いキャラクターを知ってるからこそ、そそるものがあるっていうか……それを捩じ伏せて自分の思い通りにしたいっていう願望がこう……ヒヒヒヒ」
　危ない笑い声が耳元に降って落ち、間近に迫った唯斗の手がスカートに伸びた瞬間。
　闇の衣を纏ったトヨミの心は、限界を迎えた。

『いやああああああああああああああああああッ！！！！』

　劈くような少女らしい悲鳴を上げて、トヨミは瘴気へと還ってしまった。
　存在から服から跡形も無く消え去りその場に残されたものは何もなく、アレクの腕が拘束対象を失いスカッと空を切る。
　成る程矢張りこれは作戦だったのか。唯斗は上手い事やってくれたアレクを激励しようとしたが
「………………残念」と舌打ちする心底不機嫌そうな顔に、出かけた言葉を飲み込んだ。


「兎に角、何とかなって良かったわ。先に進みましょう」
　ミリアが殆ど無理矢理微妙な空気を切り上げたのに、契約者達達は再び目的地を目指して進み始める。
　と、そんな折に通信が入った。勿論魔法世界で通信機の類いは使えないからスキルに頼る事になる。
　アレクにしか聞こえていない通信の声は、誘拐された契約者達を救出すべく行動するキアラ・アルジェント（きあら・あるじぇんと）だ。彼女が居る部隊は、アレらのコマンド部隊と森で分かれた後、アッシュの情報から城の地下へ向かった。そこには牢獄が有り、床には拘束具が散らばっていた。
　確かにそこに契約者が居た痕跡はあったのだ。
　だが、もぬけの殻の牢獄を前に、定期連絡を前に通信してきたのだ。
　アレクは逡巡した。サヴァスに誘拐されたシェリー――妙なところで度胸が有る彼女が、もし契約者達を一緒にいたら。そして讃良ちゃんが姫子に変わっていたら……。
「もう逃げてるかもな」
　仲間の契約者に向かってそう言うと、アレクは部隊に指示した。
［Understood.Continue to search for――］
　口は開いていないが通信中の彼の背中に、唯斗が提案の声を掛けた。　
「向こうは大丈夫そうなんだろ？　だったら念のためにこっちの戦力、増やしといた方がいいんじゃねぇの？　トーヴァをおねーさんとか」
　振り向いたアレクは頷きながら、唯斗が指名したトーヴァ・スヴェンソン（とーゔぁ・すゔぇんそん）へ合流指示を送る。確かに基本的に隠密行動をとる救出・脱出支援部隊とは違い、此方は最終的にヴァルデマールという魔法世界最強の魔法使いへ立ち向かおうとしているのだ。トーヴァのような高い能力を持つ契約者で戦力を増強するのは妥当だ。
　こうして通信を終え、止まりかけていた歩みを進めながらも、アレクは思う。一番心配なのは讃良や姫子やシェリーでは無い。
「ハルカちゃん……、牢から出て迷子になってないよな？」
　飛び出た名前に皆がくるりと振り返り、アレクの神妙な顔を見つめた。
　あの天才的な方向音痴の彼女が、不容易に、それも知らない世界の知らない城を歩いたらどうなってしまうか……。
　彼女を知る皆は、同じ結果に思い当たり、押し黙って考え込む。
　再びの沈黙のあと
「だ……、大丈夫かな」真が呟いた声をきっかけに、アレクは急に走り出した。
　可愛い可愛いハルカの身に何かあったら！　そう思うだけで彼は居ても立っても居られなくなってしまったのだろう。何時もの様に表情こそは変わらないが、顔色は真っ青だ。
「ちょっ、待ってヘンタ……アレクさん！」
　ミリアが止める声も届いていないらしい。全速力に追いつこうと皆必死に走る。何だか分からなくてもおにーちゃんと一緒で楽しい翠とサリア、自分の力で走っていない真の肩に乗った兄タロウだけは上機嫌だ。
「おにーちゃん、次はどこいくの？」
「上に行くんだよね！」
「すっげーはやいな！　たのしいなみんな！　あはははははははは！」


　暫くして皆がぜいぜいと息を切らし、肩を激しく上下させる仲間の様子にスノゥ・ホワイトノート（すのぅ・ほわいとのーと）は思う。
（ふぇ〜……異世界にきてもぉ……皆さんいつも通りですねぇ〜……）