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 初戦から数えて9人(人と数えていいか疑わしいのが若干名いるが)。流石に疲労が見え始め、それでも何とか呼吸を整えようと肩で大きく翼が息をする。
 だがそれも次で終わり。次に入場するのが最後の選手である。
 花道に現れたのは、左腕がない女性――朝霧 垂(あさぎり・しづり)。棺桶マッチでは引き分けという結果に終わったが、隻腕とは思えぬファイトを見せつけたことは記憶に新しい。
 歓声を浴び、悠々とリングへ上がり翼と対峙する。足元には激戦の跡である凶器や、残骸が散らばっていた。
 体力、気力と共に充実している挑戦者、垂に9戦を勝ち抜き満身創痍な現王者、翼。一見してみると圧倒的に垂が有利であり、最早勝負は決まったかのように見える。
 だが、翼には9戦を勝ち抜いたという勢いがある。そして、これがプロレスの試合であるという事が重要だ。
 プロレスでは何が起こるかわからない。圧倒的な体格差、性別、年齢――様々な要素は必ずしも不利に働くという事は無いし、有利になるとも限らない。
――垂が勝利し、新たな王者になるか。
――翼が勝利し、王座を防衛するか。
 その答えを出す為の試合開始を告げるゴングが鳴り響いた。

 垂は足元に転がる凶器には目もくれず、掌底を放ち翼を牽制する。
 今回のルール上凶器の使用は許可されているが、垂は使う気など更々なかった。
『反則前提の試合で反則行為を受け切り勝利する。それこそが真のストロングスタイル、真の強さなんじゃないか。ならばその真の強さを見せつけてみせる』と垂は思っていた。
 それに対し翼は掌底を受けつつも、ドロップキックで流れを持ち込もうと反撃する。ダウンした状態に更にフットスタンプと、一気に畳み込む。
 そしてコーナーへと上がり、ファイヤーバードスプラッシュ。だがこれを垂は膝を立てて鳩尾に突き刺す。
 何度もやられた手口に頭では分かっている筈だが、身体がついていっていないのだ。突き立てられた膝に苦しそうに鳩尾を抑えつつ翼がロープへともたれかかる。
 だが身体がもたれたまま動かない。身体を起こそうとするのだが、何やら重い物に圧し掛かられているようで動けないのである。
 それは垂の【グラビティコントロール】であった。ロープへと貼り付け状態になる翼に、垂は近くのコーナーを駆けあがる。
「地獄の断頭台だ! 受けてみやがれ!」
 コーナーから飛び、翼の首元を狙いニードロップで落下する。脛を喉元に当て、更に自身の重力も操ったのか体重がかかり翼の身体が大きく回り場外へと落下する。
 リング内に戻る垂の後、ようやく立ち上がった翼が這いずる様にしてリングへと戻る。だがその足元はおぼつかない。
 ふらつく翼の身体を垂が器用に片手で肩に担ぎあげる。ファイヤーマンズキャリーの体勢に入ると、自身の身体を捻りつつ翼の身体を大きく振り回して旋回させるF5で叩きつけようとする。
 だが翼は更に勢いを加え、脇に垂の頭を抱えて体重をかけてのスイングDDTへと移行する。
 予想外の一撃は垂に大きなダメージを与えた。前頭葉をリングに叩きつけられ、頭を押さえつつ立ち上がるがその足はふらついている。
 だが翼にダメージが溜まっているのも同じである。即座にフォールへも、追い打ちへも行けず大きく肩で息をしている。身体が休息を求めているのである。攻勢に回れない垂を追いかけるよりも体力の回復を優先しているのだ。
 ならばと垂は大きく息を吸い、気持ちを落ち着かせる。そして翼を見据えると同時に、【潜在解放】と【エナジーコンセントレーション】を発動。
 ふらつく翼に向かって、垂が叫ぶ。そして同時に駆け出し、身体を空中で旋回させ勢いをつける。
「せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」
 翼の頭めがけたハイキック、トラブル・イン・パラダイス。垂の全力を賭した一撃。食らえば勝負は垂の勝利で決していただろう。そう、食らえば。
 トラブル・イン・パラダイスは、空を切った。翼が屈んだのである。
 これを避けようと思っての行動なのか、将又体から力が抜け偶然そのような形になったのかはわからない。だが、屈んだ先にあったパイプ椅子を手にしたのは偶然ではなかった。
 翼はそのパイプ椅子を、垂に向かって放り投げた。力なく投げられたパイプ椅子を垂はキャッチする。
 直後、そのパイプ椅子目がけて翼がトラースキックを放った。その勢いで垂は頭に椅子を叩きつけられた形になり、ダウンする。
 たまらずエスケープする垂であったが、その直後翼は錐揉み上に体を旋回させて浴びせるトルニージョを放つ。
 場外でもダウンを奪うと、翼は組み立ててある机の上に垂を寝かせる。更にその上に今まで使用されなかったガラスボードを載せた。
 作業を終えると翼はコーナーの上へ駆け上がり、垂との距離を確認。両手を大きく広げ、飛んだ。
 空中で一回転し、背中から垂へと身体を降らせる。スワントーンボムであった。
 外せば圧倒的に翼が不利になる。逆にこれが決まれば勝負は決まる。
 結果は――翼の身体が背中から、ガラスボードの上に着地。その下の垂を押し潰す。
 その衝撃でガラスボードは砕け、破片が垂は勿論翼の身体を刻む。更に長テーブルが折れ、残骸に埋もれる形で垂がダウン。
 その上に、翼はただ乗っかっていた。体勢はフォールの形であったが、抑え込む程の力は残っていないのだろう。
 場外でもカウントは有効。レフェリーがカウントを数える。2度、場外の地面を叩いたところで垂が右腕を力なく上げる。だが、それは腕が上がっただけ。肩が上がっていない為、フォールを返したことにならない。
 垂も限界だったのである。そのまま上にいる翼を除ける事が出来ず、3度目のカウントが数えられた。
 同時にゴングが鳴り響く。これによりガントレットマッチは終了。最後まで残ったのは翼であった。
 それは即ち、現王者が防衛を成功した事を示す。
 過酷な戦いを勝ち抜いた王者に、観客から歓声と拍手が浴びせられる。
 それに対し、翼は大の字になり立ち上がる事も出来ず、ガラスと机の残骸に埋もれてただ涙を流したのであった。

○天野 翼(6分19秒 片エビ固め※スワントーンボム)朝霧 垂●
※現王者天野翼がハードコア王座決定ガントレットマッチを勝ち残る。
 これにより現王者がハードコア王座防衛となる。