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リアクション
いつもの、だからこそ貴重な日常
花曇りの空から柔らかな光が射してくる。
まだどこか手探りのように、けれど確かに春を受けて、木々は芽吹き、蕾を膨らませる。
緑一色だった絵本図書館ミルムの生け垣も、いつ花開いても不思議ないくらいに小さな蕾をつけていた。
窓辺でさえずる小鳥の声をBGMに、今日もまたミルムの1日が始まる。
ボランティアで働く学生たちも、もう慣れたものでさっさと自分の仕事について開館を待った。扉の外側にサリチェがウェルカムボードを掛けると、それが開館の合図。
日によっては開館を待っていた子供たちがすぐに館内に入ってくるけれど、今日の出足はのんびりなようだ。
ボードを掛け終えたサリチェが事務室に戻ってくると、今井 卓也(いまい・たくや)がきれいに仕分けした書類の束を差し出した。
「頼まれていた書類を分類しておきました。上から優先度順になっていますので」
「助かるわ。私、こういうの本当に苦手なのよね」
それでもやらなければと適当に手に取ったものから手をつけていると、重要なものが後回しになってしまい慌てたり。効率が良いとはいえないやり方をしているサリチェを見かねて、卓也は書類の整理をかって出たのだった。
「言って下さればいつでも手伝いますよ。溜めると後が大変ですから」
「ありがとう。またお願いするわね」
早速、優先順位が高い書類と取り組み始めたサリチェを残し、卓也は写本をしている部屋に向かった。
サリチェとは反対に卓也は細々とした事務作業は苦にならない。寄付等で増えた本の目録を作り、目録と現在ある本を対照し……と目録を整えてきた卓也は、今度は目録に写本の有無を書き添えようと思い立ったのだった。
写本に使っている部屋を覗いてみると、佐々良 縁(ささら・よすが)やクエスティーナ・アリア(くえすてぃーな・ありあ)らのいつもの写本メンバーは不在だった。
代わりに高月 芳樹(たかつき・よしき)、アメリア・ストークス(あめりあ・すとーくす)、伯道上人著 『金烏玉兎集』(はくどうしょうにんちょ・きんうぎょくとしゅう)が地球産の絵本を囲んでいた。
「翻訳って案外難しいんだな」
神和 綺人(かんなぎ・あやと)や風森 巽(かぜもり・たつみ)らが寄贈した日本の絵本を、どうシャンバラ語に翻訳して良いものかと、芳樹は頭を悩ませる。
日本をはじめ地球各地の絵本を読んでもらうことが出来れば、ラテルの人々に地球の文化に親しんでもらう機会になる。ひいてはシャンバラと地球の間にある距離感を縮めることが出来るかも知れない。そんな期待をこめての翻訳なのだが。
契約によってシャンバラ語の読み書き会話が出来るようになっていても、それをラテルの人々に解るように翻訳するとなるとまた話は別だ。
「なあアメリア、団子ってどう訳せばいいんだろう」
「ダンゴ? 白くて丸いお菓子って訳せば解るかしら……」
「じゃ、お地蔵さん、は?」
「お地蔵さん……守り神の像……はなんか違う気がするわね、シャンバラ語でオジゾーサンって読める文字にしておく、とか?」
「寿司やマンガを英語で『SUSHI』『MANGA』って言うみたいにか? それで解ればいいんだが……」
「お地蔵さんとお団子の絵がついてるから、伝わるんじゃない?」
地球とシャンバラの両方にあるものは良いけれど、日本の昔話に出てくる物品はそうでないものも多い。芳樹とアメリアは頭を付き合わせて、相談しながら絵本の文章を訳してゆく。
金烏玉兎集はあえてその相談には加わらずにおいて、第三者の目から2人が訳した文章の校正を行った。訳に携わっている芳樹もアメリアもより良い訳文を、と考え、間違いがないように気を付けてはいるものの、当事者では気づけないこともある。それを金烏玉兎集がしっかりとチェックしては、改善した方がよい点を指摘する。
「そこは、オジゾーサンと書いた上に注釈でどんなものかを入れておくと良いのではないかのう。そうすれば、オジゾーサンがどんなものなのか、シャンバラの子供たちに理解してもらえそうじゃ」
「そうだな。お地蔵さんの説明か……うーん……」
また考え込んだ芳樹に、卓也が声を掛けた。
「作業中に失礼します。翻訳できた絵本がありましたら、題名を教えてもらえますか」
目録に載せておいて、利用者に聞かれた時にすぐ対応できるように、と言う卓也に芳樹はこれまで翻訳できた絵本の題名を書いて渡した。
「出来たのはこれだけだ。こっちの本はまだやりかけだから、翻訳できたら報せるぜ」
「よろしくお願いします。写本の方も知りたいんですが……」
写本の道具がまとめてある机に目をやる卓也に、アメリアが答えた。
「さっきまで写本してたけど、掃除をするって言って部屋を出てったわ」
「そうですか。探してみますね。ありがとうございました」
部屋を出て探すほどもなく、卓也はミルムを掃除中の縁たちに行き会った。手が空いた時でいいから写本をした本の題名を教えて欲しいと頼んで、卓也は事務室へと戻ってゆく。
「縁さん、三角巾が緩んで来ていますわ。少しじっとしていて下さいね」
クエスティーナが縁のしている三角巾を結び直した。手作りの三角巾の端には、丁寧な刺繍がされている。
「ありがと、クエスさん」
「ねーちゃん、もう前のでこりただろうから、あんましはりきり過ぎんなよ」
本棚の隅から埃を掻きだしていた佐々良 睦月(ささら・むつき)が、大丈夫だとは思うけど、と一応縁に釘を刺せば、佐々良 皐月(ささら・さつき)も念を押す。
「もう無茶はしないって約束してくれたもんね、よすが」
「分かってるって〜」
また同じことにならないようにというのと、家庭科的なことが苦手だからという理由から、縁は掃除は概ね睦月と皐月に任せ、自分は普段の業務をするようにしていた。睦月は手の届く範囲の掃除をし、皐月は家からもってきたガラスの花瓶を並べている。
「ねえ、よすがが育ててるアンズ、キレイに咲いてたよね。少し切ってきてここに飾ってもいいかな」
「えーっ。切っちゃったら食べる分が減っちゃうよぉ」
「でもアンズの花って、ここに似合いそうだと思うの。だからお願い、ね?」
「しょーがないなぁ」
皐月のお願いを、少しだけだよとしぶしぶ縁はのんだ。資金援助をしてくれようというお客さんが来るのだから、掃除と飾り付けはやっておきたい。
「……にしても、子供の名前、かあ……」
縁はサリチェから聞いたソフィアの話を思い出す。とんでもない漢字名をつけようとして、姑ともめているらしかったけれど。
「変わった名前つけられた子供の方って、けっこう苦労するんだよなぁ。私も縁なんて名前だったから、漢字を『緑』って間違えられるし、漢字があってても読まれ方が『えにし』だったり『ゆかり』だったり……まともに読んでもらえたことがほとんど無いからねぇ……ばあちゃんが考えて付けてくれた名前でも……気持ちがあるのは結構だけど、流れに逆らうってのはそれが些細なことでもぉ、やらなきゃいけない方はエネルギー使うんだよねぇ……ふふふふふ……」
ぶつぶつと独り言でぼやきだした縁の様子に、睦月が皐月をつつく。
「皐月ねーちゃん、なんかねーちゃんがぶつぶつ言っててこえーんだけど……目も濁ってるっつーか、すっげー遠いっていうかー」
「むっちゃん。多分つっこんだら負け、だと思うよ」
「……だな」
触らぬ神になんとやら、睦月は縁をそっとしておいて掃除を続けた。
はたき、箒、と順に掃除していったクエスティーナは、ランプの灯り傘や窓を古布で磨き上げにかかる。おっとりとしているのに、クエスティーナの掃除は的確で手早い。綺麗好きで普段からまめに掃除をしているのが、こんな処にも出ているのだろう。
「こんにちはっ、何をやってるのん?」
通りかかったルカ・アコーディング(るか・あこーでぃんぐ)がクエスティーナに気づいて声をかけてきた。
「お客様がいらっしゃるそうなので、お掃除をしてるのですわ」
「ああ、資金援助の。その話を聞いてからルカルカが、教導団も予算が足りてないって大騒ぎするんだよね」
落ち着かせるのが大変だと笑ってルカが去って行くのを、お金の苦労を知らないクエスティーナは小首を傾げて見送り、また掃除に戻った。
サイアス・アマルナート(さいあす・あまるなーと)はそんなクエスティーナに目をやりつつ、床にミルクワックスをかけていった。光沢を出そうと思うと力を入れて磨かねばならないから、この仕事はクエスティーナにはさせられない。
磨き上げが終わるとクエスティーナは、サイアスが磨き上げた床に傷をつけぬよう、椅子の脚にあわせて作ってきたカバーをかぶせて留め、と細々とした作業を続けていた……けれど。
一区切りついたからちょっと休憩、とサイアスにもたれて座った途端眠ってしまった。
「あれ、クエスさん眠っちゃった?」
「ええ。よろしければ皆様も休憩しませんか。気づかぬうちに身体は疲労しているものです」
フルーツケーキと紅茶が用意してありますから、とサイアスはクエスティーナを抱きかかえ、縁たちを休憩室に誘った。
「疲れさせちゃったかなぁ。ごめん」
気にする縁に、サイアスはいいえと首を振る。
「とても楽しそうにしてましたから。これからもクエスと仲良くしてやって下さい」
眠りながら微笑んでいるクエスティーナの夢にはきっと、ミルムとそこに集う人々の笑顔があるのだろうから。
ミルムの館内警備は、休日は学生、平日は近所の奥様ボランティアと館内利用している子供たちの保護者が主となって行っていた。とはいえ、明確に分かれている訳ではなく、休日に警備してくれる近所の人もいれば、平日に顔を出して巡回する学生もいる。
そうしてまめに館内の巡回が行われ、見通しが悪い場所は改められ、一式 隼(いっしき・しゅん)らの設置した人が入っているのかどうか一見しては分からない着ぐるみがあちこちに置かれ、と警備態勢が整ってくるに従って、ミルムでの盗難はぐんと減少してきていた。
悪質な盗人ほど損得勘定をする。絵本を盗むことによって得られる利と、盗む難易度、そして見つかったときの橘 恭司(たちばな・きょうじ)らの厳しい仕置きを天秤に掛け、ミルムでの盗みは旨味が無いと判断したのだろう。
とはいえ、減少したからといって手を緩めればあっという間に元通りになってしまう。
恭司は館内を見回り、警備の穴となっている箇所がないかどうかを確認した。問題がありそうな箇所はメモを取り、どう巡回すれば良いのかも書いておく。
そのメモを持って奥様ボランティアの処に行けば、そこには着ぐるみ姿の隼がいて、ボランティアの奥様方に飲み物やおしぼりを配っていた。周りに強い女性が多い隼は、女性に気を遣うことを自然に身につけさせられている。こんな時もしっかり、それが現れていた。
「見回りお疲れ様です」
恭司に気づくと、隼はおしぼりとトレーに載せた飲み物を差し出す。
「ありがとう。使わせてもらうよ」
恭司はそれを受け取ると、休憩中の奥様ボランティアの人々に自分のしてきた巡回の結果を、メモを示しながら説明した。
「なるほど。気を付けねばなりませんね」
隼もメモを確認して肯いた。気が付いたことは共有し、巡回の穴を無くす。それが犯罪の抑止に繋がり、絵本図書館とそこに集まる子供たちを守ることになる。
「こっちは任せたよ。オレ……わ、わたしは子供部屋に行ってくるから」
リシル・フォレスター(りしる・ふぉれすたー)は休憩している親にまとわりついている子供たちを、読み聞かせをするから子供部屋へと行こうと誘った。女性らしい処を見せたいと思うのだが、ついいつもの言葉遣いがぽろっと出てしまう。
「私も巡回に入りますから、子供部屋まで一緒に行きましょう。では……」
着ぐるみの頭部をすっぽりと被ると、隼はリシルと子供たちを見守るように、後ろからついていった。
今日も絵本図書館には子供たちの姿が多く見られる。
真剣に絵本を選び出している子、友だちと顔を寄せ合って1冊の絵本を読んでいる子、読み疲れたのか窓の外を背伸びして眺めている子。
こうして見ていると、子供は皆平和な世界にいるようだけれど……と幻時 想(げんじ・そう)は館内にいる子供1人1人の顔を眺めた。
その中に、この間話したショーンを見つけ、想はこんにちはと声を掛ける。
「こんにちは」
ショーンは屈託無く挨拶を返した。はじめて声を掛ける時には勇気が必要だったけれど、一度話してみれば次にこうして挨拶するのは自然だ。最初の一歩……たぶんそれが一番難しいことなのだろう。
今日も1人で絵本を選びに来たのだというショーンと立ち話をしながら、想はその境遇を少しでも理解しようと試みた。
地球で生まれ地球で育った想と、ラテルで生まれラテルで育ったショーンとは、生きてきた世界が全く違う。けれど、過去の人物であれば、生きた時代は違っても、人間として意外と同じ悩みを抱えていたりするもの。ラテルで暮らすショーンにも、地球で暮らす子供のような悩みはあるのだろうか。そう思ったからだ。
悩みはないかと尋ねてみると、ショーンはあのね、と話し出した。
「この間、裏通りの子と仲良しになったんだけど、お母さんが遊んじゃダメ、って……。あっちの子は良くて、こっちの子はダメ、ってうるさいんだー」
どこで暮らしていても、共通する悩みはある。人と人の関係はどこでも悩みの原因となる。
「友だちのことが書いてある絵本、探してみようか」
想はショーンと手を繋ぎ、その悩みに答えてくれる絵本を探して書架を眺めた。
ミルム図書館外に設置されたラテルのマップの前に設置しておいた書き込み用紙を、出かける前にロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)は確認した。
用紙の一番上には、『百合園女学院について教えて下さい』と書いてある。ラテルで百合園女学院はどんなイメージを持たれているのか、行ったことや見学したことのある人がいればどうだったか、を街の人に書いてもらおうと置いてあったのだ。
書き終えた用紙を入れてもらう箱を開け、ロザリンドは入っていた紙を読んでみた。
ヴァイシャリーにあるお嬢様学校であること、地球人とパラミタ人の両方が通っていること……ラテルがヴァイシャリーに近いこともあって、間違っているという情報は無い。けれど、行ったことのあるという人はおらず、書いてある情報に詳しいものもない。
ラテルの街の人にとって百合園女学院は、実際の距離よりもずっと遠い存在なのだろう。
「見学や体験入学をしてもらえると良いのでしょうけれど……」
入っていた用紙を百合園仲良し組の皆に届ける為に回収すると、ロザリンドはラテルの街中へと出かけていった。
マップには、ロザリンドが求めるマタニティ用品の店の情報はなかった為、実際に自分で探してみようとしたのだけれど。
「無い、んですか?」
返ってきたのは意外な答えだった。
マタニティ用品、というくくりの店がラテルにはないのだと言う。ではどこで揃えるのかと不思議に思って尋ねてみると、服ならば洋品店、ベッドならば家具店、おもちゃは玩具店……という具合に、それぞれの店の一角に赤ちゃん用のものもある、という程度らしい。
豊かな人々ならば、それぞれの店に特注で作ってもらい、そうでない人々は数少ない物品から選ぶか、大抵は自分で作ったり大人のものを流用したりで済ませてしまうのだという。
ラテルでの子供や赤ちゃんに対する扱いや考え方は、ロザリンドが知っているものとは随分違うようだ。それを実感しながら、ロザリンドは各店に置いてある赤ちゃん用品を調べて回ったのだった。
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