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ノスタルジア・ランプ

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ノスタルジア・ランプ

リアクション

 夕方頃、遅れて旅館にたどりついた天宮 春日(あまみや・かすが)空野 功(そらの・いさお)は、目ざとく庭の隅で七輪を磨いている山葉ふたりを見つけ出した。
 綺麗に手入れされ、美しく整えられた庭で、隅っことはいえあくせく七輪など磨いていれば、なかなかに違和感あふれるハートフルな光景である。
「やっほ〜。俺のこと覚えてる? ほら、鏖殺寺院の空母へ潜入した時の〜」
 顔を上げた涼司は、ああと反応した。
「あん時は助けられたな、来てくれたんだな。楽しんでってくれよ」
「ところで、そちらが従兄弟の山葉聡さん?」
「うっす、聡っす。いやいや涼司がお世話になってるみたいで。あ、俺は聡でかまわないよ」
「はじめまして、蒼空学園の天宮春日だよ〜。これから三日間、宜しくね〜。あ、隣にいるのはパートナー兼俺の恋人の、空野功〜」
「はじめまして。紹介にあずかった、天宮春日のパートナー、…兼恋人の空野功だ。宜しく」
 功は、『恋人』のところは多少小声だった。
『おい、こんな子どこでナンパしてきたんだよ?』という目で涼司を見ていた聡は、春日の自己紹介に、なーんだ…という顔になった。
「すまん、作業を続けてくれ。俺達は荷物を置いたら手伝いに行くから」
「いや俺らはいいよ、もうすぐ終わるし、楽しんでけって。なんかあるなら適当に女将あたりに聞けばいいよ」
「そっか、じゃあがんばってね!」
 部屋に案内され、荷物を置いた二人はさっそく女将を探し出して手伝いを申し出る。
「それじゃ女将さん、宜しくお願いします。何から始めますか?」
「じゃあ厨房で、盛り付けの手が足りないと聞いたから、そちらに行っていただけます?」
「わかりました」
 とてとてと厨房に向かい、先に仕事をしていたローザマリアと共に料理を作り、盛り付けを手伝う。
「ふふ、花嫁修業って感じかな?」
 全員分の料理をととのえるとなると重労働だが、そう思っていれば春日には苦にはならない。
「待っててね、功。私が美味しい料理作ってあげるから!」
 一方功は大広間に案内され、他に手伝いをしている社たちと共に掃除をしていた。この後ここで皆を集めて食事をする予定なのだ。
「女将さん、これはどこへ持っていくべきですか?」
「そうね、それはもう使いませんので、裏手の倉庫のほうへ」
 片付けとレイアウト変更で、いらなくなった衝立を担いで倉庫のほうへと運んでいく。
「春日は大丈夫か? トラブル起こしてなきゃいいが…」
 ふと相方、であり恋人…、の暴走を危惧する功である。

 春日たちのすぐ後に、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)もやってきた。
「やっほー! 涼司と同じ学校の小鳥遊 美羽だよ。合同演習のときも会ったけど、改めてよろしくね!」
 涼司をほぼスルーして、美羽は聡に声をかけた。
「おわっ」
「こちらこそよろしくー! 聡って呼んでくれな!」
「涼司さんには、いつもお世話になっています」
 ベアトリーチェも丁寧に挨拶をする。涼司をスルーして。
「おいおい、何だ何スルーしてんだよ…」
 荷物を置いて、ベアトリーチェはさっさと厨房に向かう。かつて腕の良い料理人だとお墨付きをもらった彼女は、もちろん手伝う場所はここしか考えてはいなかった。
「何ができますでしょうか、山菜や川魚も期待できますわよね」
 しっかりご飯を食べて、スタミナをつけてもらうのだ。
 なにせいろいろと遠大な計画が、この旅館で山葉たちを待ち受けているのだから。

 一方、板長はまた若い女の子が手伝いにやってきたので、密かに鼻の下を伸ばしていた、といううわさだ。
「やばい、おっちゃんが、はなのしたのばしてる…」
「み、見なかったことにするんだ涼司! ひらがなになってるぞ!」

 やがて時間になり、大広間で食事が供された。
 川魚は串に刺されて七輪で目の前で焼かれる、山菜のてんぷらが塩やつゆで味付けを変えられ、シンプルにおいしい卵焼き、和え物、炊き込みご飯など、とりどりの料理が皆の前に並べられた。
 女将が前に進み出て、挨拶をした。
「お手伝いしてくださった方々、真にありがとうございます。皆様のおかげで私は聡と涼司の元気な姿を見ることが出来ましたし、このようにおいしい料理を用意することもできました。お礼にもなりませんが、この宿で存分にお寛ぎ下さいまし」
 それを合図にして、料理に手がつけられ始めた。串に刺された魚は次々と回され、御飯はどんどんお代わりが要求されていく。新鮮な野菜のサラダはそもそもの味が濃く、山菜はほかにも、七輪の魚が消えたあと、朴葉に包まれて味噌で焼かれていい匂いを放つ。
 それらに夢中になる皆の間を巡って、ジュースなどを配って忙しく立ち働く涼司たちも、大分落ち着きをみせて来た状況の合間に、ちょいちょいと自分の分を確保してある。デザートのスイカが配られ、なごやかに談笑も始まって、涼司たちも一息がつける。。
 やがて皆は料理を腹に収めつくして引き上げていった。
「ごっそさん」
「おいしかったですー」
 食器などは皆がある程度集めていてくれたので、二人は片付けが大分楽に済んでほっとしている。皆たらふく食べたようで、残り物もほんとうに骨だとかで綺麗に平らげられているのがうれしいものだ。
「みんな、楽しそうだったよな。やっぱ皆で何かするってのは楽しいもんだな」
 洗いものを厨房に運び込み、涼司は膳を綺麗に拭いて片付けている。

 その時ふと、ものを考える暇がないほど大忙しだった一日に切れ目ができ、物思いに沈んだ。
 幼馴染の設楽カノンのことだ。小さい頃は、彼女も一緒にここに来たことがあったことを思い出していた。
「きっと、覚えちゃいないんだろうけどな…」
 もし覚えていたとしても、彼女の思い出の涼司は、自分ではないらしい。
 すっかり膳を拭く手が止まり、聡が声をかけてくることにもすぐに気づかなかった。
「大丈夫か、大丈夫か? 疲れたならあとは俺が…」
「あら、聡じゃない。そういえばちゃんとお礼が言えてなかったわ、誘っていただいてありがとう」
 箒と雑巾やバケツをかかえて、天貴 彩羽(あまむち・あやは)天貴 彩華(あまむち・あやか)が姿を現した。
 大広間を綺麗にしようと動きやすい作務衣に着替えて手伝いにきたのだ。
「ということは、あなたが山葉涼司さんね。お噂はかねがね聞いているわ、プログラミングの神童ですってね」
「…い、いや」
「噂ついでに、カノンさんのこともうかがっています。この子、私の実の姉なんだけど、カノンさんと同じで強化手術で壊されちゃったの」
 その横で彩華は箒を無邪気にチャンバラのごとく振り回し、雑巾を丸めて箒で叩いては遊んでいる。彼女らは二卵性双生児なので容姿は違うが、赤い瞳は同じだ、しかし精神年齢がかけ離れている。彩華のほうは強化人間なのだ。
 (―カノンと同じ…)
 今度はポシェットに詰め込んだおやつを取り出し、どれを食べるか迷っている。その表情はまるで小学校低学年の子供のようだ。
「私は、設楽カノンさんと彩華をなんとかしたいの」
 (―できるだろうか…)
 今の涼司は、絶望に満たされている、建設的な思考ができなくなっている。ぼんやりと反応が鈍くなった涼司に、彩羽は苛立った。
「何よ、カノンさんが大事じゃないの!?」
「んなわけねえだろ!!」
 反射的に叫んでしまう、そう、そんなわけはない。方法はあるはずだ。
 自分が見つけられなくても、自分ではない誰かが…

―その考えに、涼司はぞっとした。

「涼司…!」
 なりふり構わず、持っていたものを全部乱暴に投げ捨てて、涼司は出て行った。
「…あんた、自分が傷ついたからって、他人も傷つけるのかよ」
 思わず聡は彩華をとがめる。
「どうしてよ、彼と私は同じ気持ちのはずよ」
「違ぇよ!」
 程度の差でも、大事な人が彼をどう思っているかの違いでも、傍にいるかいないかの差でもない。
 しかしとにかく聡は彩華のことばを否定したかった。
 彼もまた、昔とかけ離れた涼司など想像したくもない。
 共に野山を駆け回り、いたずらをし、一緒に叱られて泣いた、きらめく記憶を共有する従兄弟を守りたいと思うのは当たり前だった。

 いつのまにか涼司は川岸まで来ていた。夜の闇にも道を失わずに来れたのは、昔から通いなれていたのと、そこかしこに蛍がいるからだ。
「そうか、蛍か」
「うん、蛍だよ」
 不意に上のほうから声が降りてきた。
 ルカルカ・ルー(るかるか・るー)が、川辺の木の枝に腰掛けて、蛍を一足お先に鑑賞していた。
 浴衣姿でなんてとこにいるんだよ、といいながら涼司も枝に足をかけてひょいひょいと幹の反対側に腰掛ける。
「なんか疲れてるみたいだね。今日一日忙しかったみたいだし、無理ないか♪」
「…ああ、疲れたんだ」
 いつもなら多分、疲れてなんかねぇよ、とでも言うだろう。なにか違うな、とルカルカは思った。最近沈み込むことの多い彼の、その原因は彼女も知るところだ。
「どぞ、紅茶だよ」
「サンキュ」
「いい思い出になりそうな光景だねえ…」
 かすかに残った月明かりが懸命に水面を洗い、蛍の光がそばを通り過ぎ、月光の仲間になって光をこぼしていく。
「ここも穴場だけど、ここよりもっといいところがあるからな」
 もう少し上流の納涼床の場所なら、もっと多くの蛍が見れるはずなのだ。
「…でも、思い出って、楽しいばっかりじゃ、ないよなあ」
「…思い出は、心の支えにも棘にもなる。苦しくとも、壊れそうでも、大切な記憶は必ず蘇る…」
「そうだといいな…俺は今日、思っちまったんだ。俺にはみんながいるけど、みんなは俺が必要なのかって、さ」
 それは同時に、知らないところで自分が関わるべき問題が解決してしまう可能性でもあるのだ。
「でも、崩壊しそうな心を支え、名を呼び、その人の全部を受けとめる人が側にいたなら、その人は戻ってこれる気がする…それはきっと、代えのきかないただ一人にしか…」
 ルカルカはハッとした。遠回しになぐさめたかったのに、結局はドストレートになってしまった。
「って、何喋ってるかな私…、ご…御免っ!」
 思い切り踏み込んだ話をしてしまった、喩え話とはいえ、プライベートの傷に踏み込む行為に違いないのだ。
 思わず枝から飛び降りて、闇雲には走り出す。混乱と衝撃にやがてじわりと涙がにじんできた。
「あ、待てよ!」
 止まらないルカルカに置き去りにされた紅茶の魔法瓶を掴んで、涼司は旅館への帰り道を辿った。
「…俺は忘れないし、お前の間違った記憶は元に戻されなきゃならない」
 その記憶のよすがを持ち合わせているのは、自分だけなのだ。

 魔法瓶を厨房に戻し、涼司は風呂に入ることにした。温泉かけ流しの風呂は、そう規模が大きくないものの、構えは立派にできている。
「お、もう大丈夫か涼司」
 先客は聡だった。
「すまん、残り押し付けちまったな」
「気にすんなって、今度女の子紹介しろよな」
「…うっ」
 最近なんだか、アプローチだかなんだかされることが多いのだ。
 ナンパにいそしむ聡にはあまりばれたくない類の話題であり、さっさと涼司は話題をそらしてしまった。

「ところで、涼司には聞きたいことがあるのよね!」
 風呂から戻ってきた山葉二人を捕まえて、美羽はまくしたてた。
「何々? こいつに何聞くのさ?」
「もちろん、最近の涼司のモテモテ具合の進捗を、ですっ!」
「なんだとー!? やっぱりな!」
 ナンパ連続失敗続きの聡には、激しく聞き捨てならぬ話題である。
「っていうか、何でもないって! お前らの期待するようなことは何もない!」
 とはいえ彼らには聞く耳もなければ、聡にとってアヤシイ符号も多すぎた。
「さっき女の子といただろ、ぜってーそうだ!」
 さっき、思い切り凹んでどこかに行き、戻ってきたころには何故か元気を取り戻していた。カラ元気かもしれなくても、聡のナンパのカンはそこに女の存在を嗅ぎ取っていた。
 そして涼司は涼司のほうで、とっさに嘘がつけずに口ごもってしまった。もはや言い逃れなどかなわない。
「美羽ちゃん、あんときゃー敵同士だったけど、今度はタッグを組んでやるぜ!」
「私たちは無敵よね! 枕投げバトルの始まりよ! なんとしても口を割ってもらいますからね!」
 ありったけの枕を取り出し、ターゲットは涼司以外ありえない。
「ちょ! 聡待てぇえ!! 顔狙うなよ! メガネこわれんだろ!」
「お前のトレードマークが壊れるわけねーだろ! お前のキャラなんだからさ! さあ吐け、吐くんだりょーーーーーじ!!!」
「なんか言葉は普通なはずなのにすげー悪意を感じるぞ聡!」
 抵抗空しくチームワークに負け、ズガン! と枕を顔面にぶつけられた涼司は、それきり動かなくなった。
 あ…やべっ、と思った二人は、そろそろと彼を覗き込む。
「あ、寝てる。気絶するよーに寝てる…」
「あ…ごめん、俺も今日は…体力つきたわ…」
 聡までふらふらと倒れ込み、やがてすぴー、と寝息を立て始めた二人を布団に押し込み、美羽たちも部屋に戻って眠ることにした。
「しょうがありませんよね」
「そうね、でもこの枕投げを、ちょっとでも思い出にしてくれたらいいなあ」
「最後の枕ドアップで記憶が途切れているでしょうけどね」
「あ、あはは」

 そうして、一日目の夜はふけていった。