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もっと知りたい、百合園

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●今回はほのぼのカオスです

 七枷 陣(ななかせ・じん)は、仰天した。
「うわぁ……なんて言うか……うわぁ!?」
 その娘(こ)は見たことがない。
 見たことはないが、知っている。知っているはずである。
 知っている気がする。
 知っている?
 知っている……よね?
 ぐしゃぐしゃにもつれ合ったコードの類を、頭の中に放り込まれたよう、陣は大混乱を引き起こしていた。
 だが意を決して口を開いた。
「うん、その、なんだ……イ、イキロ?」
 生きろ、と最初に一言告げておかなければいけない気がした。改めて、問う。
朝斗くん?
「はい……あ、あんまり見ないで……」
 榊 朝斗(さかき・あさと)は全身あますことなく羞恥心に包まれ、かっかと体が火照るのを感じていた。
 恥辱だ。この姿だけはみんなに見られたくなかった。こんな趣味があると思われたらどうしよう。
 そこにいるのは朝斗であって朝斗ではない。魔法少女マジカルメイド☆あさにゃんであった。
 朝斗、いや、マジカルメイド☆あさにゃんは思わず内股になり、手袋した両手でスカートの前を押さえていた。そうすることで少しでも、『望んでやっているのではない』とエクスキューズするかのように。
 しかしどうだろう。その恥じらう様子がますます、『彼女』を可憐に見せているのではなかろうか。
 あまりに短いスカートにはフリルがついており、そこからのぞく生脚(ナマアシ)は、大抵の女性なら嫉妬するほどにすべすべなのだ。
 フリルの攻勢が迫っているのはスカートだけではない。胸元に大きなピンクのリボンを飾ったコスチューム、淡いオレンジのカチューシャと手袋、絶対領域を確保するニーソックスまで、ありとあらゆるところにフリルふりふりが祝福を与えていた。
 ピンクのリボンといえばこれは胸元だけではなく、腰やスカートのアクセントでもあり、全体を上手にコーティングしていた。ピンクといっても、紫陽花のような色をした目に優しい桃色だ。
 そして、まず最初に陣の目を奪ったもの、それを書くことは避けられない。
 それは猫耳、猫耳であった。
 リボンと同じ色した猫耳がふたつ、あたまにひょこっとはえているのだ。
 おなじく猫の尾も、リボン飾りつきでひょこっと出現していた。
 本当の耳ではなく作ったものであろうが、これがまた、小動物のようというか幻想的というか、ともかく見る者の想像心を『そそる』特徴であるのはいうまでもない。
 なお、マジカルメイド☆あさにゃんは魔法少女であるからして、お約束のようにスカーレッド・マテリアという魔砲ステッキを装備している。
「ぼ、僕、拒否したんだけど……無理矢理……」
 大きな目の端に雫が浮かぶ。朝斗は涙目になっていた。それがまた、自分を瑞々しく見せているなどと思いもせずに。
 ――どうしよう。
 もともと小柄な身体をさらに小さくしながら朝斗は思った。
 自分が、女装大好き男子と思われたらどうしよう。
 変態、とののしられたりしたらもう、生きていけないかもしれない。
 でも、『かわいい』なんて褒められたとしても、やっぱり恥ずかしさのあまり消滅してしまうかもしれない。
 絡みついてくるような、そして、メイド服の内側を透視してくるような陣の視線が痛い。(※もちろん陣はただ驚いているだけだ。朝斗が考え過ぎなのである)
(「ああやめて陣さん。もうそれ以上見ないで……みんなも、そんな僕の存在なんか忘れてカレーを楽しもうよ……」)
 心臓がきゅんきゅんする。胸が潰れてしまいそう。
 そのとき、
「あら、かわいい」
 現れたローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)が実に当然のように言ったので、朝斗の意識は天に昇っていった。……ようするに一瞬、意識が途切れた。
「おお、受けておるな」
 満足そうにグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)が言う。
「ふふふ……受けてるわね」
 ルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)も大いに頷く。
 朝斗があさにゃんと化したのは、そもそもはこの二人の策略なのであった。

 この日、朝斗の家は大騒ぎだったという。
 上を下への追走劇が繰り広げられていた。
「ルシェン、お願いそれだけは本当に勘弁して! 一生のおね……」
 逃げ回る朝斗(まだ男子)を、
「駄目♪」
 と、手に魔砲ステッキを持ってルシェンが追い、
「年貢の納め時ぞ朝斗、いや、マジカルメイド☆あさにゃんよ!」
 待ち伏せていたグロリアーナが物陰から飛び出してタックルを決め、彼を捕獲したのである。
「場所が百合園なんだからやっぱり場所相応の着替えをさせないとね! 朝斗を手込めに……いや、着替えさせるために、グロリアーナさんを密かに呼んでおいたのよ」
「いくら外側で開催とはいえ、男子禁制の百合園に於いて朝斗は些か不都合とみた。ゆえに、いいものを用意した」
 グロリアーナのいう『いいもの』が、英国最高級ブランドでオーダーメイドした猫尻尾付衣装であったことは言うまでもない。
「喜べ。英王族も御用達のブランドで作らせたものだ」
 言うなりグロリアーナは、じたばたもがく朝斗の頭に『ロイヤル猫耳@ウィッグ付』を装着したのである。
「やっぱり似合うわぁ」
 恍惚の表情で、思わずルシェンはあさとの顔に頬ずりしていた。
「今日は一日、それをつけて過ごしましょうね?」
 語尾こそあがっているがこれが、疑問文でないことくらい朝斗にも判った。
「イヤァァァァァァァァ!!」

 ――と、いうわけで魂が翔んでしまったいまの朝斗を、ちび あさにゃん(ちび・あさにゃん)が背後からぐいぐい押して歩かそうとしている。しかし身長40センチの哀しさ、朝斗はまるで動かないのだった。
「さて、そろそろ始めるとしよう」
 クールな仲瀬 磁楠(なかせ・じなん)は多少動揺したようだが表に出さず、腕まくりして材料を刻み始めた。料理には慣れているのか、玉ねぎを切る手際が良い。
「ほら小僧、手伝え」
「え……ああ、まあ、朝斗くんはお大事に……ということで……」
 磁楠にならってきちんと手を洗うと、陣もクーラーボックスから肉を取り出した。冷凍させたシーフードミックスもあるが、これは後回しにしよう。
 まず磁楠が、大鍋の底で刻んだ玉ねぎを炒める。
「玉ねぎこそはカレーの基本だ。これを上手に炒められるかで完成度はまるで違ってくる」
 やや強めの中火、焦げないよう注意しながら磁楠がどんどん炒めると、やがて玉ねぎは透明になり、そして飴色にかわりはじめた。
 空腹を刺激するような香りがする。弱い火では、この変化は訪れない。しかし強すぎると焦げる。これが玉ねぎを炒める際のむずかしいところだ。
「美空も手伝ってもらえるか?」
 陣は大黒美空(おぐろ・みく)を見た。
 大黒美空。
 彼女をどう定義すべきかは、陣も朝斗も、ローザマリアも決めかねている。
 しいて言うならば彼女は、元・塵殺寺院の機晶姫クランジタイプの一人だ。
 かつて『クランジΟ(オミクロン)』と呼ばれた者がいた。彼女は、死んだ。
 同じく『クランジΞ(クシー)』と呼ばれた者もいた。やはり死亡している。
 冷たい言い方をするならば、オミクロンもクシーも機晶姫ゆえ、『死んだ』というより『破壊された』というのが近いだろうか。
 脳の機晶石まで粉砕されたオミクロンは別として、クシーは首だけ残っており、機械だけに修復することも可能な状態だった。
 そしてオミクロンとクシーは瓜二つ、一卵性双生児の姉妹だった。
 今でも、あの『処置』が正しかったのか、陣は悩むことがある。彼らは、オミクロンの首から下にクシーの首を結合したのだ。
 こうして生まれたのが『クランジΟΞ(オングロンクス)』とでも呼ぶべき存在、大黒美空である。
 だから美空の外見はクシー、あるいはオミクロンと同じだ。
 彼女の服装は小尾田 真奈(おびた・まな)が、適度に似合うものを見繕って着せている。といっても目立つわけにもいかないので、地方都市の地味な高校生が日曜に着ているようなもので落ち着けていた。
 今日も、美空はややさっぱりしすぎな扮装である。薄いピンクと黒のチェック柄、長袖のネルシャツに黒いジーンズを合わせただけのものだ。足元はブーツ。伸び始めたセミロングの黒髪と白い肌は目を惹かないこともないが、群衆にまぎれこんでしまえばすぐに埋没しそうな服装だった。
「美空様?」
 スカサハ・オイフェウス(すかさは・おいふぇうす)はこの日、ずっと美空の手を引いていた。
「ぁー」
 美空はやはり魂もたぬ人形のように、か細い声で応じるだけだ。虚ろな目は灯が消えたように、ただずっと遠くを見ている。眼前で手を振っても、拍手してもまばたきひとつしない。ずっとこうなのだ。命を取り戻したとき、あるいは、オングロンクスとして生まれ変わったときから、ずっと。
 たった二度だけ、美空が意識を取り戻したときがあった。
 七夕祭の会場で、美空をクシーと取り違えたユマ・ユウヅキが戦闘意思を剥き出しにしたとき、美空は激しく動揺していた。スカサハは聞いていないのだが、その直後に美空は、一言だけ意味のある言葉も口にしたらしい。
 現在では『第二次ザナ・ビアンカ事件』と仮に呼ばれている事件のときにも異変はあった。ヒラニプラ高山地帯の深雪の中、やはり彼女をクシーと見間違えたクランジΠ(パイ)が詰め寄ると、刺激されたのか美空は片言ながら話し始めたのだ。自分は何者か、ここはどこか、何が起こったのか――そういった言葉を繰り返して美空は再び沈黙した。
 以来、美空はやはりマネキンのような姿に戻ってしまっている。
 陣は機会を見て、美空にこれまでのいきさつ……オミクロンやクシー、出会ってきた数々のクランジのことを語って聞かせていた。無論、そこには美空(オングロンクス)がどういう運命の下に生を受けたかという秘密も含まれていた。
 しかし美空は簡単に返事するばかりで、この複雑な話が理解できているかどうかすら不明であった。
 やはり美空は魂の抜け殻なのだろうか、二度の異変のほうが例外であったにすぎないのだろうか。
(「でも、美空様に意識はあるはずであります!」)
 スカサハは希望を捨てていない。なぜなら美空はスカサハの呼びかけに答えたからだ。
 のろのろと歩みきたると、美空はスカサハが手渡した玉ねぎを握った。そして、おぼつかない手つきで皮をむき始めた。
「上手であります、美空様! ほかの手順もスカサハが教えて差し上げるであります! 友達でありますから!」
 スカサハの口調は美空に呼びかけているようで、一方、誰か第三者にも聞かせようとしている雰囲気もあった。
 実際、スカサハは美空と同時に、ある人にも語りかけていた。
 ただしスカサハは、そちらを見もしない。
 相手だって返事もしない。
 スカサハは、自らのマスターたる鬼崎 朔(きざき・さく)にも話しかけているのだ。よそよそしく。
(「……ったく、せっかくの料理で親睦深める機会だってのに」)
 これを苦々しく、ブラッドクロス・カリン(ぶらっどくろす・かりん)は眺めていた。
 このところ、朔とスカサハは直接言葉をかわしていないのである。
 会話らしい会話は、ほぼゼロに近い。