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●朔の気持ち、スカサハの気持ち

 うつむいていた朔の頬が、スカサハの言葉できゅっと締まった。
 眼が、昏い。
 怒り、哀しみ、それとも無力感……? カリンは朔の目つきから感情を読み取ろうとしたが果たせなかった。深い涸れ井戸の底のように、スカサハの瞳には『無』があるだけだった。
「朔……」
 カリンが呼び止めようとしたものの朔は聞かず、空気のように歩み去った。グラウンドそばの茂みに姿を消す。
 スカサハと朔の確執について、カリンはその場にいなかったが、きっかけについては聞いている。
(「Λ(ラムダ)とかいう外道クランジの扱いについて……だったか」)
 スカサハはラムダをかばおうとした。しかし朔は、ラムダの息の根を止めた。絶対に修復できない致命傷の一撃を与えた。ラムダは自爆し、ネジ程度しか残さなかった。
(「まあ、決裂した原因もわからないではないけど……朔ッチもスカ吉も、もう終わったことじゃないか。朔が手を下さなくてもどうせラムダは自爆してたろうし、結果は覆らないだろ!」)
 チッ、内心カリンは舌打ちした。
 これを黙って看過できるカリンではないということだけは、あらかじめここに書いておきたい。

 朔は夢遊病のように歩を進め、林のなかの梓の木、その幹に手を付いて足を止めた。
 ごつごつしているが柔らかな、木の感触が心地良い。
 さわさわと風が吹き抜けていった。
(「……別に自分のやった事に後悔はないし、あれが正しかったと思ってる。ただ……」)
 自分が嫌になる。
 朔は背を幹にもたせかけ、ずるずると滑り落ちるようにしてその場に腰を下ろした。
 彼女の手にはいつの間にか、煙草とライターが握られている。
 普段、朔は煙草を吸わない。ずっと禁煙している。しかしショックなことがあると、つい手が伸びてしまうのだ。
 咥えて、先端に火をつけた。
 じりじりと音を立てて煙草の先端が燃えた。灰色の煙が一条、まっすぐに上に向かって伸びた。
 胸一杯に吸い込むと、黒い葉が生み出した毒――ただし甘美な毒だ――が灰に入り込み、ちくちくと内側から肺胞を刺激するのが判った。
「……痛いよぉ……もういい子になるから許してよぉ……」
 と、泣きながら這って逃げようとするラムダを自分は断罪した。鬼と呼ばれようが、それ自体は正しかったと朔は信じている。後悔などあるはずがない。
 胸が痛むのは、スカサハにとった自分の態度だ。
(「あのとき、スカサハの気持ちは分かっていたつもりなのに、感情のまま、最低な返答をしてしまった」)
 あのとき、朔は叫ぶように言ってスカサハを黙らせた。
「もう少し大人になれ!」
 そう言ったことをはっきりと覚えている。
(「『大人になれ』……か。……どっちの台詞だろうな」)
 一体、自分にとって、塵殺寺院への復讐がどれほどの意味を持つというのか。いや、それを問うのは今はやめておく。
 自身の復讐の犠牲になって、スカサハが苦しむのを見るのが嫌だった。
 スカサハの切ない声を聴くのも嫌だった。
(「……怖いんだ。スカサハ……大切な人に拒絶されるのが」)
 煙草の味が口に苦かった。口中が真っ黒になるような気がする。今の自分には、似合いの味だ。
「ちょっといいか?」
 朔は目を擦って顔を上げた。
 カリンだ。仁王立ちしている。
「ほら」
 朔は煙草の箱とライターをポンと投げ渡した。
「勝手にやれよ。奢りだ」
「……勘違いはなはだしいな」
 カリンは同じ木の根に腰を下ろすと、煙草とライターを朔の手にねじ込んだ。
 朔のほうは見ず、枝をひろげる樹を見上げつつカリンは言った。まるで独り言のように。
「……ったく、遅れてきたスカ吉の反抗期に過剰反応し過ぎなんだよ、朔ッチは」
「反抗期?」
 という問い返しにはあえて返事しない。カリンは朔の目を見て言った。
「……ボクにスカ吉、ボクたちは朔ッチの最初のパートナーだ。艱難辛苦、共に過ごしてきた『家族』だろ? いつだって、朔ッチの味方だよ、ボクたちは。だからさ、詫び入れればそれで大丈夫だ」
「詫びることなんか何も……」
「悪いと思ってるから、そんなに落ち込んでるんだろ?」
 朔は言葉に詰まった。
「……やったことの是非は今さら蒸し返すんじゃない。それを議論しても結論はお互い決まってるんだ……どうしようもないさ。だから詫びるべきことはひとつ、『スカ吉の気持ちも考えてやるべきだった』、ってあいつに言うんだ。わかるな?」
「……」
 口を閉ざすと、カリンは両腕をひろげた。
 そして朔は、カリンの腕の中に身を預けたのだった。
「……必要なのはちょっとの勇気。それだけさ」
 朔の頭に手をやって、言いきかせるようにカリンはつぶやいた。
 そしてさりげなく朔の口から煙草を抜き取り、用意しておいた携帯用灰皿にポンと放り込んだ。

 野菜を刻みながらスカサハは笑顔だ。明るいスカサハ、いつも通りのスカサハだ。
 しかしその心はやはり、朔と同じく曇っているのだった。
(「ただ……クランジの皆様とお友達になって、仲良く過ごしたかっただけなのに……朔様にも嫌われて……ファイス様、美空様……スカサハは間違っていたのでありますか……? 皆様を護る力も覚悟も足りないのでありますか? お友達じゃ、ダメなのでありますか?」)
 問いかけるように美空を見るも、美空から何らかの答は返ってこないのだ。
「美空様、あの時(※リンク先下部参照)、スカサハはクランジになればよかったでありますか?」
 つい、スカサハはそう問うてしまった。
 美空からの返答は期待しなかった。しなかったのだが。
 ……美空は首を振った。一度だけ。
「えっ!?」
 スカサハの小さな驚きは継続しなかった。
 林の中から朔、そしてカリンが現れ、
「ほれ、スカ吉、ちょっと来なよ。……朔ッチから話しがあるそうだ」
 と告げたからである。

 以降の展開は詳しく語るまい。
 劇的とはいわねど、かくて朔と和解したスカサハは、その嬉しさでさいぜんの美空の動きを忘れてしまった。