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ピラー(後)

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【十一 柱の奏女、誕生】

 一方、対エメラルドアイズ戦が展開されている地点では。
「……これは、大したものだ」
 ダリルは自身の放った一撃が、エメラルドアイズの右腕を軽く消失、即ち電離崩壊させていることに、自分自身で軽い驚きを覚えていた。
 実はつい先程、駆けつけてきたあゆみが、左手甲のレンズに収めたバティスティーナ・エフェクトの認証コードをダリルに施していったばかりであった。
 倒れているルカルカを抱き起こしている淵も、半ば呆然と、ダリルの圧倒的に進化した戦闘力をただただ見詰めるばかりであった。
「淵はルカを頼む。あいつは……俺が落とし前をつける」
 ルカルカのオブジェクティブ・オポウネントは今もって、作用している。後は、ダリルが新たに獲得した能力が、エメラルドアイズを仕留めるだけであった。
 そのダリルに新たな力を与えたあゆみはというと、更に歩を進めて、ザカコやエヴァルト達のもとへと走り込んでいった。
 あゆみ自身はオブジェクティブ・オポウネントを保持している為、マーダーブレインを相手に廻しても、然程に怖さを覚えることは無い。
 だが、矢張りバティスティーナ・エフェクト無しでマーダーブレインと対峙するのは、かなりのリスクを強要されることとなる。
 あゆみの中では、エヴァルトにこそ白羽の矢が立てられるべきだ、という判断が下っていた。
「エヴァルトさん! あゆみからの贈り物だよ、受け取って!」
「何!? 今、ちょっと忙しい!」
 突然割り込んできて何をいい出すのか――エヴァルトはマーダーブレインの猛攻にさらされて防戦一方だった為、あゆみの相手をしている暇が無いというのが正直なところであったが、あゆみは無理矢理エヴァルトを戦線から引っ張り出した。
「ザカコさん! ちょっとだけ、エヴァルトさん借りるね!」
「良いですよ! ごゆっくりどうぞ!」
 気軽に応じたザカコだが、決して余裕がある訳ではない。
 幾らクロックダウンしたとはいえ、矢張りマーダーブレインは強敵なのだ。そしてバスターフィストやエメラルドアイズとは異なり、バティスティーナ・エフェクトの出現に対しても極めて敏感であった。
「あ! あの野郎、逃げる気か!」
 あゆみの左手の甲で輝くレンズから、バティスティーナ・エフェクトの認証コードを受け取ったエヴァルトが獰猛に吼えた。
 不利を悟ったのか、マーダーブレインは即座に宙空へと舞い上がり、ザカコ達から距離を取った。
 エヴァルトははらわたが煮えくり返る思いだった。ミリエルを消された上に、元凶たるマーダーブレインを取り逃がすなど、考えられぬ話であった。
「くそっ! くそっ! くそぉっ!」
 激しく地団太を踏むエヴァルト。
 しかしあゆみは、そんなエヴァルトの相手ばかりをしている暇は無い。後ひとり、バティスティーナ・エフェクトの認証コードを付与しなければならない友人が居るのである。
「ねぇ、リカっちは?」
「お嬢なら、あそこに」
 ヴィゼントの指差す方向に目的の人物を見つけると、あゆみは慌てて踵を返し、依然として吼えまくるエヴァルトを尻目に、その場を走り去った。

 バティスティーナ・エフェクトの出現によって、形勢は一気に逆転した。
 既にバスターフィストとエメラルドアイズは倒され、オブジェクティブにとっての『死』に該当する電離崩壊によって、電子結合が解除されて実体を失った。
 そしてマーダーブレインは、ミリエルを消失させはしたが、矢張り不利を悟って撤退した。
 だが、まだ脅威は去っていない。ピラーは依然として、このバスカネアを目指している。そして更にいえば、柱の奏女が出現していない為、ナラカ・ピットへ収束させる者が不在のままであった。
 それはつまり、ピラーがこのまま消滅せず、バスケス領内を永遠に彷徨うことを意味する。それは、絶対に阻止しなければならない事態であった。
 両目をくり抜かれた上に、両手首を鎖で繋がれていたジュデットは、駆けつけてきたエースが救出した。エースの面には、渋い表情が浮かんでいる。
「こんな綺麗なひとを……酷い話だ」
 ジュデットをこんな目に遭わせたのは、ヴィーゴであろう。そしてその目的はひとつ。ジュデットを柱の奏女に仕立て上げて、生贄することであったと推測出来る。
 だがもし、ジュデットを柱の奏女に仕立ててクロスアメジストもろともナラカ・ピットの底に押し込めてしまえば、確実に命を失うであろう。彼女は、ただの一般人に過ぎないのだ。
「矢張り、コントラクターが柱の奏女になるしか無いね……丁度、資格を持ったご婦人の登場だ」
 メシエの視線の先には、巨大地下空洞に走り込んでくる菊と、その護衛たる羅儀の姿があった。
 ふたりが到着するや、メシエが菊に、柱の奏女としてピラーをこのナラカ・ピットに導く以外に方法が無い旨を説くと、流石に菊は仰天した様子で声を裏返した。
「え、えぇぇ!? あ、あたしがかい!?」
 驚いてはみせたが、しかし菊は思うところがあったのか、すぐに表情を落ち着かせ、深く頷いた。
「まぁ、乗りかかった船だ。最後まで責任持って、つき合わせてもらうよ」
 こうしてまず、菊が柱の奏女としてピラーをナラカ・ピットに導く任を請け負った。だが、ひとりで問題は無いのか――メシエが思案にふけった時、別の方向からか細い声が届いてきた。
「あの……もし、お邪魔でなかったら……私にも、協力させて、ください……」
「日奈々ちゃん! だ、大丈夫なの!?」
 歩に付き添われた日奈々が、おずおずとした口調で自ら柱の奏女になろうと決意を表明してきた。当然歩は、日奈々を心配して何度もその真意を問いただそうとするのだが、日奈々の決意は固かった。
「うん、大丈夫……でも、歩ちゃんが手伝ってくれたら、もっと大丈夫、かも……」
 日奈々の言葉を受けて、歩は背筋を伸ばして胸を張った。
「そういうことなら……任せて! きっと日奈々ちゃんを守ってみせるから!」
 そんな訳で、日奈々の側は話がまとまった。残るは、菊の方である。
 こちらは護衛としてついてきた羅儀が、菊の面倒を最後まで見る、ということで話がついた。
「足ぃ引っ張るんじゃないよ。大事な仕事なんだからね」
「はいはい、任せてくれって」
 更にオブジェクティブへの警戒として、唯斗が四人に付き添うこととなった。恐らくもうマーダーブレインは姿を現さないだろうと予測されるが、しかし絶対とはいい切れない。
 だが、オブジェクティブとの戦闘経験がある唯斗が同行すれば、何かしら対応が出来る、という判断が下り、一同はいよいよ、ナラカ・ピットの底へ降下する、という運びとなった。

 ピラーが、バスカネアに到達した。
 直径数百メートルにも及ぶ巨大竜巻は、領都を構成する数多くの家屋や街路、或いは街壁といった建造物を片っ端から巻き上げ、大地をも掘り起こして、ひとつの絶望的な破壊をそこで展開した。
 この恐るべき光景を、亜璃珠は大人しく寄り添うレッサーワイバーンと共に、バスカネアから数キロ離れた地点で静かに眺めていた。
「どうやら……ナラカ・ピットへの措置は、上手くいったようですね」
 純白の愛馬に跨ったリリィが静かに蹄音を鳴らして、亜璃珠の傍に馬を寄せてきた。
 確かにリリィがいうように、ピラーは壊滅的な破壊をバスカネアにもたらしてはいるものの、その規模は徐々に縮小を始めており、天空を埋め尽くす漆黒の雲も、その厚みを減らそうとしていた。
 亜璃珠にしろリリィにしろ、その表情には悲壮感の欠片も無い。
 前回はピラーの脅威を初めて経験したということもあって、何もかもが後手後手に廻ってしまった感が否めなかったのだが、今回は違う。
 全ての避難活動や救護措置をほぼ事前に完遂し、残るはピラーの到達を待つばかり、という段にまで全ての手順を終えていたのである。
 そして今、ナラカ・ピットへの誘導が完了し、三百年ぶりに発生したピラーの収束を、落ち着いた気分で眺めることが出来ている。
 多くの被害と損失を出してはいるが、これは間違い無く、ひとつの勝利といって良い。
「そういえば、あなたのパートナーさんは大丈夫なのですか?」
 亜璃珠に問われて、この場に同席していたおなもみが、変な顔を作って頭を掻いた。
 あゆみがバティスティーナ・エフェクトをカルヴィン城に集まっているコントラクター達に配布するというので、その付き添いとしてここまで同行してきたのだが、流石に城内は危険過ぎるということで、亜璃珠と共にこの地で待機していたのである。
 そのあゆみは、現在カルヴィン城の地下に居る筈である。恐らく、ピラーに巻き上げられて大空に放り出された、などという失態は犯していないだろう――少なくともおなもみは、そう信じた。
「うーん、ま、大丈夫だと思うけど……生きてたら、後で聞いてみるね」
 おなもみの適当な返答に、亜璃珠とリリィは苦笑で応じた。
 その間にも、巨大竜巻は次第に勢力が衰えてゆき、もうほとんど、ただの渦を巻く上昇気流という段階にまで達していた。
 そして――天空を覆っていた漆黒の雲間から、透き通るような蒼い空が顔を覗かせ、地表に金色の陽光が幾条も降り注いできた。


 ピラーは、完全に消滅した。