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ピラー(後)

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【八 逃げるもの、導くもの】

 バスカネアはピラー接近を受けて、まるで蜂の巣をつついたような状態に陥っていた。
 通りという通りは、避難しようと慌てて家屋から飛び出してきたひとびとでごった返し、そこかしこで怒号や悲鳴が渦巻いている。
 この街に住んでいる領民の大半は土地を持たず、商業や役所務め、或いは鉱山労働といった職で日々の糧を得ており、領内五箇所の集落に住む土地持ちの領民達とは異なり、彼らは家を捨てて逃げることには何の躊躇も見せない。
 そういう意味では、コントラクター達の避難誘導はこれまでとは比べ物にならない程に段取り良く進み、ピラーが到達する以前に領民の脱出は成功しそうな雰囲気ではあった。
 しかし、とにかく数が多い。
 領内五箇所の集落は、多くてもせいぜい数百名程度の人口だったのだが、このバスカネアには数千という人口が狭い領都の外壁内にすし詰め状態で生活していることもあり、一斉に彼らが路上に飛び出してきた際の混乱ぶりは、ある意味悲惨でもあった。
「アキラさん、早く、早く!」
 大混乱に陥っているバスカネアの大通りの中で、必死に逃げ惑う領民の中に混じって、セレスティアに手を引かれるアキラの姿もあった。
 流石に迫り来る巨大な竜巻の姿を見ては、病室でのんびりしている訳にもいかず、慌てて院外に飛び出してきたのであるが、アキラの肉体は自力で逃げ出せる程には回復しておらず、セレスティアが必死に手を引いて、何とか路上に飛び出してくるのが精一杯であった。
「い、いでっ、いでででででっ……そ、そんな引っ張らなくても……」
 アキラに取ってはピラーの破壊力よりも、力任せに腕を引っ張るセレスティアの腕力の方が目下のところ脅威となっていたのだが、セレスティアの方はもう、それどころではない。
 何としてでも、バスカネアがあの巨大竜巻に呑まれる前に、アキラを脱出させなければならないという必死の思いで、頭の中が幾分パニックになりかけていた。
 ふたりの居る位置から通路を幾らか南に下ったところに、避難用の大型トラックが数台、停車している。
 鉄心、カルキノス、北都といった面々が、クロカス災害救助隊と協力してひとびとを脱出させる為に、このバスカネアまで移動させてきたのである。
 アキラとセレスティアが、領民達をトラックの荷台に誘導している鉄心の前にまで到達すると、流石にコントラクターが避難民の中に居るとは思っていなかったのか、鉄心はいささか仰天したような顔を見せた。
「まさか、コントラクターまで居たとはね」
 驚く鉄心に、セレスティアは気が引けた様子で、俯きがちに声を潜めた。
「あの……やっぱり、駄目でしょうか?」
「そんなことは無いさ。コントラクターとはいえ、怪我をしているなら脱出すべきだ……ティー・ティー、イコナ、手伝ってやってくれ!」
 鉄心からの指示を受けて、荷台で避難民達の乗車を手伝っていたティー・ティーとイコナが、セレスティアとアキラに優しく手を差し伸べた。
「はい、段差が大きいから、気をつけてくださいね」
 ティー・ティーの穏やかな笑みに、セレスティアは我ながら情けないとは思ったが、一瞬涙が出そうになってしまった。一方のアキラは、矢張り全身が痛むのか、上手く荷台に登れない。
 見かねたイコナが路上に飛び降りてきて、アキラの尻を力一杯押し上げてやったが、それでも中々持ち上がらない。
「ほらほら、無理するんじゃねぇって。俺様も居るだろうが」
 隣のトラックで誘導に勤しんでいたジョンが慌てて走り寄ってきて、イコナと一緒になってアキラを荷台に押し上げる。ふたりにもなれば、アキラの体躯を押し上げるのは然程の苦ではなかった。

 カルキノスが誘導しているトラックには比較的、子供の姿が多い。
 淵に頼まれていたということもあったが、矢張り彼が前準備として、避難用のトラックを大幅に増強しているのを領民達が気づき、まず自分の子供から、という思いでカルキノスのもとに子供を連れて駆け込んできている姿が多かった。
 しかし、流石にひとりで捌き切るのは無理がある。一瞬、北都かクナイに応援を頼もうかとも思ったが、あちらはあちらで、誘導に手一杯の状態だった。
 押し寄せてくる子供連れの数は、増える一方である。いよいよトラック前で混乱が生じるか、とカルキノスが覚悟を決めたその時。
「はいはーい! 順番に並んでよ! 前のひとを押したら事故になるからねっ!」
 長身の美貌が張りのある声をひとびとの頭上に飛ばし、笑顔で整列を呼びかけている。
 理沙であった。
「おぉっ、助かる!……しかし、どうしてここに居るんだ?」
「いや、まぁ、出遅れたっていうかね」
 はにかんだ笑みを浮かべて頭を掻く理沙。
 傍らで、セレスティアが苦笑を浮かべて小さく肩を竦めた。
「ミリエルさんの居所がほぼ確定された時点で、わたくし達のやることはなくなってしまいましたの」
 そんな説明を受けても、矢張りカルキノスにはよく分からない。
 実際のところ、ミリエルやジュデットの行方を捜しているコントラクター達の大半は、カルヴィン城の地下へと向かっていたのだが、つい先程バスカネアに到着したばかりの理沙とセレスティアはというと、今更カルヴィン城に向かっても助力になれるとは思えず、それならいっそ、城外で避難誘導を支援した方が余程有意義だ、と考えて、カルキノスのトラック前に駆けつけてきた次第であった。
 しかしそこまで細かく説明するのは時間の無駄だと判断した理沙とセレスティアは、ただただ照れ臭そうに笑うばかりである。
「お姉さん方、申し訳無い! 人手に余力があるなら、その子供達を引き受けてくれないだろうか!?」
 隣のトラックから、北都が大声で呼びかけてきた。見ると、クナイが幾分困った様子で、大勢の子供達を率いてカルキノスのトラックへと向かってきている。
 北都の用意したトラックは、既に荷台が大勢の大人達で満杯状態であり、ここに子供達を押し込むのは危険が大きかったのである。
「申し訳ありませんが、余裕があるなら、是非、お願いします」
 クナイが拝むような仕草で頭を下げると、理沙はカルキノスの返事を待たずに、クナイから子供達を引き取った。
「良いわよん、任せなさいって! 構わないよね、カルキノスさん?」
 既成事実を作られた上で了承を求めてくる理沙に、訊かれたカルキノスは苦笑して頷くしかなかった。
「ありがとうございます。では皆さん、こちらのお姉さんと一緒に、あちらのトラックへ行きましょうね」
 クナイが穏やかな声で促すと、子供達は元気な声で返事をしながら、理沙とセレスティアに誘導されてカルキノスのトラックへと次々と乗車していった。
 一方では理沙が長身を活かして自らを生きた目印とし、他の街路から駆け込んでくる子供連れを、大きな仕草で手招きして呼び寄せ、自身の周りに集めている。
「いやぁ、こういう時だけは、デカ女に生まれたことを感謝しなくちゃね」
 理沙の軽口に、クナイが敬意を込めた笑みを湛えて会釈を贈った。

 バスカネアで活動を続けていたコントラクターも、カルヴィン城に向かうのでなければ、最早脱出する以外に取るべき道は無い。
 静麻とプルガトーリオは、空京のマスコミ連中が命を惜しんでバスカネアを離れていく様を、幾分残念そうに眺めてはいたのだが、彼らとて命あっての報道である。無理強いをする訳にもいかなかった。
「仕方が無いか……それにこっちも、ぼやぼやしてられんな。さっさと逃げるとするか」
 静麻がプルガトーリオの手を引いてネットカフェを出たところで、グラキエス一行とばったり出くわした。お互い、同じネットカフェに居ることは知っていたが、こうして顔を突き合せるのは今回が初めてであった。
「そっちも撤退せざるを得ないようだな……欲しい情報は、集まったのか?」
 静麻の問いに、グラキエスは僅かに眉を開いて、軽く頷いた。
「まぁ、ね。情報は既に、この街に居るコントラクター達にばら撒いておいたけど……まだ、見てない?」
 グラキエスに逆に問い返され、静麻は困った様子でかぶりを振った。
 恐らくデータの到着に遅延が発生しているのだろうが、何となく自分だけ蚊帳の外に置かれているような気がして、変な疎外感を味わってしまった。
 そんな静麻を、エルデネストが残念そうに眺めて、肩を竦めた。折角自身の能力がフルに活用されたというのに、成果が未だ形として現れていないと、悪魔とて気分が滅入るものであろうか。
「そこの皆さん、ちょっと良いですか!?」
 不意に呼びかけられ、静麻とグラキエス達は一瞬互いに顔を見合わせてから、声の主に振り向いた。
 見ると、真人が逃げ惑う群集を必死の形相で掻き分けながら、足早に近づいてくる。
 何となく面倒臭そうな予感が静麻とグラキエス両名の脳裏を過ぎったが、それでも律儀に真人の到着を待っていたのは、彼らが、真人の提案(或いは依頼)を引き受けようという気概を心の内に抱いている確固たる証拠でもあった。
「もし力が有り余っているなら、是非お助け頂きたい! この街はまだまだ、コントラクターの力を必要としています! 避難誘導の為に何人かのコントラクターが走り回っていますが、全然人手が足りていません! どうか、手を貸してくれませんか!」
 真人の呼びかけに、やっぱりな、といった表情で顔を見合わせ、そして苦笑を浮かべる静麻とグラキエス達だが、彼らの返答は既に決まっていた。
「良いぜ……指示を出してくれ」
「こっちも断る理由は無いからね……どこへ行けば良い?」
 かくして、ネットカフェを出たコントラクター達は、当初の『さっさと脱出する』という方針をあっさりと覆し、真人に請われるがまま、街の領民達を安全に避難する為の重要な戦力として、混乱の渦中に飛び込んでいくという道を選択した。