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ピラー(後)

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【六 現実は小説よりも非道なり】

 領都バスカネアは、基本的には中世ヨーロッパを思わせる石造りの街並みが美しい城塞都市ではあるが、バスカネア中央病院のように、近代技術を取り入れた施設も多く存在している。
 閃崎 静麻(せんざき・しずま)が当面の行動拠点としているネットカフェも、それら近代施設のうちのひとつであった。
 静麻は割り当てられたブース内で、いささか古びたディスプレイを、能面のように表情を押し殺してじっと眺めていた。画面上では、空京のマスコミが撮影したピラーの被害状況が、ネット番組によって報道されているところが映し出されている。
 生憎、ここバスカネアにはテレビ電波が届いていない為、テレビ中継による報道については確認のしようが無いのだが、ネット上の反応を見る限りでは、空京や海京で放送されているピラー関連のニュースは、それなりの視聴率を得ているらしい。
 バスケス領の実態を他地方や地球に知らしめるという部分では、大いに成功を収めたといって良いのだが、その一方で静麻は、ネット上で義援金も募集していた。
 ところが、この義援金の方については全く状況が芳しくない。
 シャンバラでは、他の六首長家が治める領地内での出来事に対しては関与せず、が基本線である為、幾らピラーの脅威を訴えてみたところで、完全に他人事で済まされてしまい、義援金など見向きもされない。
 更に地球では、もっと反応が悪い。
 そもそも一般の地球人にとっては、コントラクターは脅威として見られており、パラミタでの災害は寧ろ願ったり適ったりという雰囲気が、多くの地域で密やかに流れている。
 そんなところに義援金を募ってみたところで、誰ひとりとして手を差し伸べようとしないのは、当然の結果であった。
「ま……先進国が、自分のところで災害が起きたから金を寄越せと、後進国に無理強いするようなものか」
 静麻は深い溜息を漏らしながら、ソファーの背もたれに上体を預けて、ひとつ大きな伸びをしてみた。しばらく同じ姿勢でディスプレイに見入っていたものだから、肩や腰が痛くて仕方が無い。
「ねぇ静麻」
 その時、隣のブースから、対ピラー特別救済措置規定について調べていた神曲 プルガトーリオ(しんきょく・ぷるがとーりお)が、パーティション越しにひょっこり顔を覗き込ませてきた。
 彼女はこの特別救済措置規定の中で、ピラーの出現が自作自演だった場合の罰則等を特に重点的に調べていたのだが、そもそもピラーが人為的に操れるなどとは誰も想定していなかったのか、そのような罰則は微塵にも存在していない。
 つまり、仮にヴィーゴが何らかの手段を用いて、人為的にピラーを自領内で発生させたとしても、この特別救済措置規定はきっちり効力を発揮するよう定められていたのである。
「生憎だけど、今のところ、ヴィーゴを法的に懲らしめる手段は無さそうね。やっぱり餅は餅屋。ツァンダの法に一番詳しくて、その運用にも明るいのは領主クラス、ってことかしら。あたし達のような一介のコントラクターがどうこう出来る程、甘くは無さそうね」
「……そうか」
 静麻はむっつりと黙り込んでしまった。
 今のところ、何もかもが面白く無い方向に進んでしまっていた。

 実はその同じネットカフェには、ピラーに関する情報を集めている別のグループが存在した。
 即ち、柱の奏女に強い興味を抱いたグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)ゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)エルデネスト・ヴァッサゴー(えるでねすと・う゛ぁっさごー)の三人である。
 もともと考古学好きなグラキエスは、日頃からイルミンスールの図書館に入り浸るなどして、古代文献を毎日飽きもせずに眺めていたりすることが非常に多い。
 今回も、古代からの存在でありながら、情報がほとんど出回っていない柱の奏女について、グラキエスの好奇心が強烈に刺激され、調べずにはいられなくなってしまったのだ。
 尤も、実際に情報を洗い出しているのはグラキエスではなく、エルデネストであった。
 エルデネストはグラキエスからの『見返り』を得ることを条件に、自身の過去の記憶を探ったり、或いは膨大な古代文献の中から該当するものが無いか検索をかけてみたり、分析・収集能力の全てを出し尽くして、柱の奏女に関する情報を掻き集めてみた。
 その結果――。
「ふむ……面白いことが、分かりました」
 エルデネストが妖艶な笑みを唇の端に浮かべると、グラキエスはまるで少年のように表情を輝かせ、デスクトップ脇のサイドテーブル上に勢い込んで上体を寄せてきた。
「流石だな、エルデネスト! で、どこまで分かったんだ?」
「そうですね。どこから、お話しましょうか」
 まるで焦らすようにくすくすと笑うエルデネストに、ゴルガイスが呆れた様子でかぶりを振った。
「もう良い加減にしておけ……見返りとやらを貰うんだろう? なら、さっさと教えてやれば良い」
 実のところゴルガイスは、グラキエスが安易に見返りを支払うという行為には、あまり賛同していない。今回はグラキエス自身の意思を尊重する形になったが、出来ればエルデネストの力を借りずに済むのであれば、それに越したことは無いとさえ考えていた。
 それだけに、エルデネストが無用に焦らす素振りを見せるのが、何となく腹立たしくてならなかったのであるが、その辺は流石にエルデネストも心得ているらしく、必要以上に話を引き伸ばすような真似はしなかった。
「では、最も重要なポイントから……前代の柱の奏女ですが、名前はミリエル。盲目の幼女だった、という話ですね」
 瞬間、グラキエスとゴルガイスは言葉を失って、互いの顔を見合わせた。
 エルデネストは更に続ける。
「柱の奏女は、肉体と精神に苦痛を受けることで聖石クロスアメジストのピラーへの共振波動を増幅させることが出来るそうです。前代の柱の奏女ミリエルも、親を失い、虐待を受けることで、クロスアメジストの共振波動をより強化させたということらしいですね」
 何とも酷い話ではある。
 だが、現在のミリエルも同じく、ゾーデ夫妻から虐待を受け、更に父親が失踪するという精神的苦痛も味わっているらしい。
 五歳の幼女には、極めて酷な話である。そして現実にこういうことが起きているというのは、グラキエスでなくとも、思わず耳を塞ぎたくなるような思いに駆られるものであった。
 また柱の奏女として祭り上げられるには、特別な資格は要らないらしい。
 条件としては、五感のうちのひとつを失っているか、キマクに居住しているかのいずれかで、後は女性であるという点さえクリアすれば、誰でも柱の奏女としてクロスアメジストに命を奉げる権利を得られる、ということであった。
「あぁそれから……前代の柱の奏女ミリエルですが、三百年前のピラー収束に際して命を失い、その精神体はクロスアメジストに封じられた、という結末を迎えたそうですね」
 嫌な話ではあったが、グラキエスはここでふと、暗い想念に駆られた。
(今回の騒動で姿を現した、あのミリエルという幼女。もしかして、彼女は……)
 一瞬、恐ろしい予測が脳裏を横切ったが、グラキエスは慌てて打ち消した。
 しかし、打ち消してはみたものの、どうしてもその考えが頭の中から離れず、悶々とした思いを抱いて視線を宙に漂わせてしまっていた。

 グラキエスがエルデネストから聞き出した情報は、ほとんど間を置かずに、バスケス領内で活動を続けるコントラクター達のもとへ、様々な経路を使って届けられた。
 カルヴィン城内にて臨時応対スタッフとして詰めていた桐生 円(きりゅう・まどか)オリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)、そしてミネルバ・ヴァーリイ(みねるば・う゛ぁーりい)のもとにも、この驚くべき情報は即座に伝わってきた。
「三百年前の柱の奏女と、今のミリエルが瓜二つって、どういうこと……?」
 スタッフそれぞれに割り当てられる控え用の個室内で、円はオリヴィアとミネルバが緊張した面持ちで見詰める中、掌を口元に押し当てて、小さく呟いた。
 内容が内容だけに、流石に三人とも、次に発すべき言葉が咄嗟に思い浮かばず、ただただ、互いの顔を見合わせるのみである。
 加えていえば、円はつい数分前、バンホーン調査団からより現実的で、喫緊の急を要する連絡を受け取っていた。即ち、メルゼール岩山の使用済みナラカ・ピットの底地に刻まれた次回出現場所を精確に計測したところ、このカルヴィン城の真下に、出現位置が指定されている、との内容だった。
 つまり、この次にピラーが出現すれば、領都バスカネアを目指して邁進してくるというのである。
 クロスアメジストの反応位置と、ナラカ・ピットの現在地から考えれば、ミリエルがこのカルヴィン城内に居るであろうという予測は、ほぼ的中していると見て良い。
 ある程度の聞き込みを終え、さぁこれからヴィーゴの私室に忍び込もうとしていた円だが、次から次へと飛び込んでくる驚異的な内容の報告の連続に、もうそれどころではなくなってしまっている様子だった。
「でもさー、ここにミリエルちゃんが居るって分かってるんなら、そうあんまり考える必要は無いんじゃないかなー?」
 ミネルバが、自身が頭を使う作業が苦手だからそのようにいっている、というのもあるが、しかしこの台詞には一理ある。
 ミリエルが城内に居る可能性が高く、更にナラカ・ピットまで出現しているのは確実であろうという情勢の中で、これ以上、何を調べようというのか。
「でも……カニンガムさんに関してだけはまだ、何も手がかりがないから、一概にそうともいえないわ」
 オリヴィアの指摘も、尤もである。
 彼女も円と同様、城内では自身の能力を駆使して様々な情報を得ていたのだが、どうにもカニンガム・リガンティの所在は、依然として不明のままであった。
 だが、その直後。
 円が情報を整理すべく、輪廻との精神感応交信を繋いだ直後、彼女の脳裏には輪廻からの信じられないような報告が飛び込んできた。
 愕然たる表情で宙空の一点に視線を漂わせる円に、オリヴィアは怪訝な表情で小首を傾げる。
「どうしたの? 何か、重要な情報?」
 オリヴィアの問いかけに、円は一度だけ、ごくりと喉を鳴らした。続いて、幾分震えが混じる声で、輪廻から届いた報告を口にする。
「驚かないで聞いてね……四条君の報告だから、きっと間違いは無いとは思うんだけど……」
 円のいつになく勿体ぶった口調に、オリヴィアとミネルバは互いに視線を絡め合う。この次に発せられる言葉には、心の準備が必要だ――ふたりの間で、何となくそんな思いが交わされた。
 一方、円は口の中がからからに乾くのを懸命に堪えて、輪廻から届いた報告の最も重要な部分を、ふたりに告げた。
「カニンガムさんなんだけどね……どうやら、ヴィーゴ・バスケスと同一人物らしいよ」