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【七 壊乱への序章】

 柱の奏女の能力と、三百年前のミリエル。カルヴィン城地下に出現している筈の、ナラカ・ピット。そして、ヴィーゴ・バスケスとカニンガム・リガンティが同一人物だったという事実。
 これらの情報は、立て続けにバスケス領内で活動するコントラクター達に余すところ無く全て伝えられたのだが、当然ながら、聞かされた側では少なからぬ混乱が生じていた。
 領都バスカネアの西街門近くの広場で、マーヴェラス・デベロップメント社の営業担当なる人物から、対オブジェクティブ用の切り札として印加反転粒子散布装置を受け取っていたヴィゼント・ショートホーン(びぜんと・しょーとほーん)は、その傍らでリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が携帯電話で話している最中に、急に素っ頓狂な声をあげたものだから、何事かと慌てて振り向いた際、危うく大事な装置を取り落としそうになる始末であった。
「お嬢……急に変な声出すもんだから、危うく落とすところでしたよ。一体、何があったんです?」
「あぁ、ごめんごめん……いや、流石にちょっと、色んな情報が次から次へと飛び込んできたものだから、つい変な声出しちゃったわ」
 通話を終えた携帯電話を胸ポケットに仕舞い込みながら、リカインは申し訳無さそうに頭を掻いた。
 すぐ近くのベンチに腰掛けていたアストライト・グロリアフル(あすとらいと・ぐろりあふる)またたび 明日風(またたび・あすか)の両名も、リカインがいうところの『色んな情報』に幾分興味を惹かれたらしく、ふたりそろってのっそり立ち上がり、態々リカインの傍らにまで歩を寄せてきた。
「そいつぁ〜、あれですかい。マーダーブレインとやらに関する情報なんですかい?」
 明日風の問いかけに、しかしリカインはかぶりを振った。
 届けられた情報はいずれも、マーダーブレインとは直接的な関係は無い。寧ろ、対オブジェクティブ戦に特化して行動を続けていた四人にしてみれば、参考情報程度にしか過ぎなかった筈ではあったが、しかしこれまでの前提を悉く覆す内容ばかりであった為、興味をそそられていることも確かであった。
「成る程な……そりゃ、思わず変な声が出ちまっても仕方ねぇな。まぁアライグマみたいな声じゃなかっただけ……」
 そこまでいいかけて、アストライトはリカインの至近距離からのラリアットを直撃されてしまい、もんどり打って昏倒した。
「カルヴィン城の地下に、ナラカ・ピット、ね。しかもミリエルお嬢さんも居るとなれば、マーダーブレインとの接触は、そう遠からずってところですな」
 泡を吹いて倒れるアストライトをちらりと一瞥してから、ヴィゼントは小さく肩を竦めた。余計な手間が省けたという思いからか、或いはアストライトの余計なひとことに呆れているのかは、本人にしか分からない。
 だが、次に彼らが取るべき行動は、この時点で決定したといって良い。
「カルヴィン城に潜り込んで、マーダーブレインとご対面ね。幸い、臨時応対スタッフに入っているザカコさんが、潜入経路を確立してくれてるみたいだから、中に入るのは楽そうだけどね」
 いうが早いか、リカインはさっと踵を返し、カルヴィン城に向けて歩を進め始めた。その後に、印加反転粒子散布装置を抱えたヴィゼントが、慌てて追う。
 一方の明日風はというと、未だにダウンし続けているアストライトを担ぎ上げて、やれやれと小さくかぶりを振りながら、ゆっくりとリカインの後に続いた。

 ミリエルの行方が、ようやくにしてカルヴィン城内にあるらしいと分かった時、紫月 唯斗(しづき・ゆいと)はこの後、どのようにしてミリエルと接触を取ろうかと、ひとり南街門外で思案にふけっていた。
 今回は式神を用意しており、オブジェクティブの邪魔を受けぬよう、細心の注意を払ってミリエルの至近から情報を仕入れようと考えていたのだが、肝心のミリエルとは、今もって接触出来ておらず、折角の式神も、今のところ活躍の場を得ていない。
 これまで、ほとんど単独で行動していた為、カルヴィン城内に臨時応対スタッフとして詰めている面々ともほとんど繋がりらしい繋がりが無く、ザカコの用意した潜入ルートを用いるにしても、誰かの紹介による顔繋ぎが必要であった。
「バンホーン博士の名前を出せば、何とかなるかも知れないか……」
 ふとそんなアイデアが頭に浮かんだところで、唯斗は頭上に、竜のような影が舞っているのに気づいた。サー・ベディヴィア(さー・べでぃびあ)の駆る、ジェットドラゴンである。
 更によくよく見れば、氷室 カイ(ひむろ・かい)も同乗しているようである。
 実はこのふたり、上空からの広い視点でミリエルを探そうとしていたのだが、結局カルヴィン城内にミリエルの所在ありの情報が飛び交っている為、結果的に一歩出遅れた格好になってしまっていた。
 空からミリエルを捜す、という発想や理沙やセレスティアも同様ではあったが、結局のところ、成果を挙げる前にほとんど役目を終えてしまったようなものである。
 ところが、唯斗が目を凝らして見てみると、カイとベディヴィアは厳しい表情で遠くのある一点を凝視しており、ミリエルを探しているという様子とは随分程遠い様子を見せていた。
「おぉ〜い! 何が見えるんです!?」
 唯斗は大声で呼ばわった。カイとベディヴィアの様子が余りにも妙だった為、どうにも黙っていられなくなったのだ。
 呼びかけられて、この時ようやく唯斗の存在に気づいたベディヴィアは、ジェットドラゴンを巧みに操って、宙空を滑るように降下し、唯斗の眼前に着陸した。
 会心の着陸ではあったが、ベディヴィアの表情に笑みは無い。一緒にジェットドラゴンの背から降りてきたカイも、それは同様であった。
「何か、あったので?」
 唯斗が問いかけると、ベディヴィアは渋い顔つきで小さく頷いた。
「ミリエル殿を捜すつもりが、代わりに、とんでもないものを見つけてしまいました」
 声音まで硬くして応じるベディヴィアに、唯斗は小首を傾げた。すると、ベディヴィアの緊張に満ちた声に、カイが言葉を繋いだ。
「……ピラーだ。まだ距離はあるが、間違い無い。こっちに、向かってきている」
 思わず目を剥いてしまった唯斗だが、有り得る話ではある。
 情報では、カルヴィン城の真下にナラカ・ピットが出現しているというではないか。なれば、ピラーが領都バスカネアを目指していたとしても、何ら不思議は無いのである。
「愚図愚図はしていられないようだ。ミリエルの居場所がほぼ確定しているなら、俺達も向かおう」
 カイはベディヴィアを促し、ジェットドラゴンを南街門脇に固定してから、バスカネア内へと足を踏み入れていって。
 残された唯斗は、一瞬何かを逡巡した様子だったが、すぐに吹っ切れた様子で、カイ達の後を追う。
「まぁ……なるようにしか、ならないか」
 既に、腹は括った。
 唯斗は手にした式神(それは、雅羅のフィギュアではあったが)を力強く握り締め、足早にカルヴィン城へと向かった。

 同じ頃、バスカネアから僅かに東へ離れた丘の岩場では、御凪 真人(みなぎ・まこと)が険しい表情で、真っ黒な雲海から地上へと伸びる漏斗雲の巨大な柱を、じっと凝視していた。
 彼は群発性の衛星竜巻を探し出してピラーの出現位置を予測する助けになれば、と考えてバスケス領内を借りたジープで走り回っていたのだが、衛星竜巻を見つける前に、その大元の本体であるピラーと遭遇してしまったのである。
「何だか嬉しいような、悲しいような……」
 遥か数十キロ先の大地をめくり上げ、大量の土砂を巻き上げながら迫り来る漆黒の巨大な渦は、真人の思いなどまるで知ったことではないといわんばかりに、じりじりとゆっくり接近を続けている。
 その時、背後で蹄の音が響いた。
 振り向いてみると、見事な毛並みを見せる純白の良馬に跨ったリリィ・クロウ(りりぃ・くろう)が、鞍上で携帯カメラを片手に携えながら、柔和な笑みを真人に向けていた。
「こんにちは。丁度良いところに、ピラーが出てきてくれましたわ」
 前回同様、今回もピラーを携帯カメラで動画に収めようとしていたリリィだが、今回はピラーのみならず、ナラカ・ピットの所在も掴めれば、との思いでバスケス領内の荒野を、愛馬を駆って所狭しと駆け回っていた。
 しかし結局、バンホーン博士率いる調査団の研究により、ナラカ・ピットがカルヴィン城の真下にあるという情報が出回ってしまっており、今となってはピラーの脅威を撮影する以外に、あまりやることがなくなってしまっている。
 とはいえ、数百年に一度発生するという伝説の巨大竜巻を、個人の携帯電話のメモリー内に動画として収められれば、それはそれで貴重な映像として後世に残すことが出来る。
 そういう意味では、リリィの役割は長期的に見て、大いに意義があるといって良い。
「ナラカ・ピットが放つという、淡い紫色の光柱は撮れましたか?」
 真人の問いかけに、リリィは相変わらずの穏やかな表情で、柔らかな唇を笑みの形に変えた。
「えぇ、勿論ですわ……でも、カルヴィン城全体が紫の光柱の中に包まれているという光景は、何といいましょうか、とっても不気味な感じでしたわ」
 リリィが幾分、表情を曇らせて応じたその瞬間、ふたりの頭上を巨大な影が横切った。
 何事かと視線を上空にめぐらせると、丁度崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)の駆るレッサーワイバーンがふたりの居る丘の岩場をぐるりと一周して、着陸しようとしているところであった。
 何度か大きく両の翼をはためかせて大地に足を下ろしたレッサーワイバーンの背から、亜璃珠が軽快な動作で飛び降りてきて、ふたりのもとへと歩を進めてきた。
「ご機嫌麗しゅう……それにしても、一度遭遇しているせいか、あれ程の巨大竜巻を目の当たりにしても、もうあまり感動といいますか、驚かなくなってしまいましたわね」
 亜璃珠の不謹慎極まりない台詞に、真人とリリィは苦笑せざるを得ない。
 だが実際に、真人にしてもリリィにしても、ピラーを脅威には感じてはいるが、今更驚いて恐れ戦く、という感情は湧いてこない。ただとにかく、何とかしなければという責任感のような感情だけがこみ上げてくるばかりである。
 そんなふたりの思いを知ってか知らずか、亜璃珠は妖艶な笑みを湛えて、僅かに小首を傾げて曰く。
「今回はもう、前回と同じ轍は踏みませんわ。クロカス災害救助隊の皆様には早々にバスカネア入りして頂きまして、既に避難活動が始まっております。流石に家屋はどうにもなりませんけど、出来る限りの財貨は持参して避難して頂けるよう、手を打っておきましたの」
 円からの精神交感通信を大いに活用して、方々に向けて避難誘導に必要な情報を拡散させるようにも手を尽くした亜璃珠である。
 シャディン集落の時のような後手に回る対応だけは、何とか避けられたようであった。
「さて……私はこれからバスカネアに戻って、クロカス災害救助隊の皆様をお手伝いして差し上げようと思うのですが、おふた方は如何なさいますか?」
 亜璃珠に問われて、一瞬互いに顔を見合わせた真人とリリィだが、既に腹は決まっていた。
 ピラーは出現し、その行き着く先も分かっている。となれば、後はもう、やることといえば他にはない。
「俺もバスカネアで皆さんをお手伝いしますよ」
「わたくしも……携帯での撮影も、少し飽きてきたところですし」
 かくして三人は、ピラー出現を受けて恐怖と混乱が渦巻いているであろうバスカネアに向けて、それぞれの用いる足を急がせた。