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●Wish you were here

 ほんの一瞬、気まぐれな風が一迅、ひゅうと吹き桜の樹を揺さぶった。するとはらはらと、桜の花が降りそそぐ。
「きれい。きれい」
 両手を挙げてこれを受け止めローラは笑った。しかしたくさん食べたせいか、いくらか眠そうにしている。
 今、ローラと涼司のいる席に小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が戻ってきている。美羽は蒼学の生徒会副会長、新入生を案内したり学校のことを説明したりする仕事が忙しく、いまようやく戻って一息ついているところである。
「この光景、パイにも、見せてあげたかった……」
 ふとローラが呟いた言葉が、桜とともに美羽の耳に届いた。
 ローラにとって、パイは姉妹同然の存在だった。運命が二人の距離を離したとはいえ、信頼関係は変わっていない。
「パイのことだけど……」
 美羽はつい、パイの名を口にしてしまった。そんなつもりはなかったのだが。
 魍魎島の決戦でパイが背負った宿命については、ローラももう十分に聞かされている。彼女の体内ではある『キーワード』で発動するよう設定された自爆装置が動き始めており、いつ爆発してもおかしくない状態にあるという。しかもそのキーワードは判らない。それなのに、ほんの偶然でもキーワードを聞いたり、目で読んだりして認識すればいつでも破裂するという物騒なしろものなのだ。
 だからパイは、人里離れた場所に身を隠してしまった。行方はローラも、美羽も知らない。
 ただ最近、たった一枚、差出人のわからないハガキがローラの元に届いていた。自分は無事であり心配いらないとの旨、短く書かれただけのハガキだった。
 ローラと涼司がこちらを見たので、美羽はやはり自分の考えを話そうと決めた。
「パイ自身は、身体をいじられるのが嫌だと言って、自爆装置の調査や摘出手術には応じないと言ってたよね、でも……」
 でも私は、と美羽は意を決したように続けた。
「なんとかパイを助けたいと思ってる。だから、いつでも手術できるよう、準備をしておいていい?」
「わかった」
 涼司は、美羽が手渡してくれた凝りに凝ったサンドイッチ(ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)が作ったもの)を手にしていたが、一旦置いて返答した。
「ただし、あくまで本人の意思を尊重するんだ。騙すとか無理矢理というのであれば、それは連中と変わらない」
「うん。もちろんそのつもりよ」
「ことによると今日、彼女が来ることもありえるよね?」
 コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)はローラに問うた。「だったら嬉しいけど……」という返答を聞いてコハクは頷いた。
「だから準備はしておこうかと思って」
 彼は微笑していた。まるでその言葉を待っていたかのように、桜の匂いとは別の、香ばしい薫りが漂ってきたではないか。
「うん? カレー?」
 ローラは目を輝かせた。しかもこれはただのカレーではない。
「そう、焼きビーフカレーです。以前、百合園に行ったときに作った」
 ベアトリーチェが呼ぶその方を見れば、彼女は野外に料理上をしつらえてもらい、そこでカレーを作っているのである。ビーフがカリカリに焼けてジャーキーのようになる食べ応えのあるカレーだ。きっとパイは喜ぶだろう。
 琥珀は手にパンを持ったままローラに問うた。
「きみならわかると思うんだ。パイは、僕らが頭を下げれば我慢して手術を受けてくれるだろうか……?」
クランジΠ(パイ)だったら、きっとイヤ、言われるだけ、思う」
 でも、とローラは言う。パイが送ったと思われるハガキを出して、
「このハガキくれた人、なら、ひょとすると……」
 場がいくらかしんみりして来たので、つとめて明るく、ベアトリーチェは声をかけた。
「さあ、カレーができましたよ。山葉校長、美羽もローラさんも、どうぞ召し上がって下さい。たくさんありますので」