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春をはじめよう。

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●ミスト

「すっかり遅くなってしまって……」
 日も暮れようとする頃、ようやくユマ・ユウヅキ(ゆま・ゆうづき)は会場に到着した。
 現在、晴れて自由の身となった彼女は、一人暮らしできる住居を探しているところなのだ。当面は教導団の宿舎に住むことになるも、いずれはアパートでも借りるつもりでる。自立を薦めてくれたのは、(多くの者には意外かもしれないが)あのリュシュトマ少佐だった。生活費は、虜囚として彼女が過ごした期間を労働とみなした賃金が支給されることになったため、しばらくはそれでまかなうつもりだ。
 この日、さんざ不動産巡りをし、しかも最後の不動産業者にずいぶん引き留められ、あれやこれや様々な説明を受けて聞いていたせいで、ユマの参加はこんな時間になってしまっていた。
 会場にユマの姿を認め、琳 鳳明(りん・ほうめい)は両手をあわせた。
「ご、ごめん! 教導団のお仕事抜けられなくて……」
 鳳明もいま来たところだ。今日は一緒にまわろうと、ユマに約束していたのである。
「いえ、私も来たばかりですから……」
 ユマは柔らかくほほえんだ。
「それならよかった。……ふふふ、でもユマさんも、これから私みたいに忙しくなるかもだよ?」
 なんてったって、と鳳明は言う。
「ユマさんも教導団員なんだから!」
 去年の今頃だったら、こんな日が訪れるなんて想像すらできなかっただろう。ユマが何の束縛も受けない一般学生となり、自由に行事に参加できる……なんていう日が。
 鳳明と共に、セラフィーナ・メルファ(せらふぃーな・めるふぁ)藤谷 天樹(ふじたに・あまぎ)も姿を見せている。
「お弁当、持って来れまして?」
 セラフィーナが問うとユマは紙袋を見せた。
「ええ、セラフィーナさんがおっしゃるように二人分作ってきましたが……」
 どうして二人分? ということが気になる様子のユマである。セラフィーナは懇親会前日にユマに連絡を取り、二人分の手製弁当の用意を頼んだのだった。
「ちゃんと作ってきてくれたのですね、ありがとうございます。鳳明もワタシも時間が取れそうにありませんでしたので……」
 ご持参のお弁当について、セラフィーナは言い添える。
「一人分は一緒に食べましょう。もう一人分は、今広げずにとっておいて下さい」
「え? ええ、それは構いませんけれど……なぜです?」
「この後必要になると思いますよ? なんと言っても、殿方は想い人の手作り料理というモノに滅法弱いものですから♪ よく判らないですか?」
 実際、ユマはその切れ長の目をぱちくりとするばかりだ。
「大丈夫、もうすぐユマさん自身が体験しますよ」
 セラフィーナはエメラルド色の眼を細め、悪戯っぽく微笑した。
「さあ、場所を確保して参ります。しばらく待っていて下さい。桜がよく見える位置にしましょうね」
 そしてそのまま、ぱたぱたと走り去ったのだった。
 鳳明もセラフィーナに同行したので、自然、その場にはユマと天樹だけが残される格好になった。
「……」
 ユマは、天樹と話したことがない。そもそれも彼は意思を示しても筆談なので声すら知らない。
 ぽつんと二人きりにされ、話すきっかけをユマが探している最中、
「……少し、いいか?」
 ユマは初めて、彼の声を聞いたのである。
「……僕は結果的に鳳明の契約者っていう居場所を得た。……けど、まだ……僕は失った力に代わる……戦う為の力を求めてる。……今の居場所を維持する為に……何もしない、安穏とした僕にならない為に……」
 天樹は滅多に声を出さない。言葉を口にするのは年に一度あるかないかだろう。
「ユマは……どうなの?」
「どう、と言われましても……?」
 いささか抽象的に過ぎたかもしれない。改めて天樹は述べた。
「戦闘用の機晶姫としての力を失って……。周りに守られて……でもそれで新しい居場所を得て……。ユマは……これから自身に何を求める?」
「それは……」
 ユマは言葉に詰まった。
 途絶えがちながら、天樹の問いは厳しいものだった。
 戦う能力のほとんどを失い。既に彼女は、最初の存在意義を失ってしまった。シータの野心を阻止するという役割も終わった。
 じゃあ、どうしたらいい?
「私は……」
 自立する、という目標はある。けれどそれは誰のために、何のためにするのだろう?
 天樹は口を閉ざした。その朱い目で、黙ってユマを見つめていた。
「さあユマさん、準備終わったよ♪ ご飯にしようよ」
 鳳明は笑顔で戻ってきたが、押し黙るユマと天樹を代わる代わる見比べて、
(「あれ……?」)
 口をつぐんだ。
 何かあったような。
「どうかした?」
「いえ……」
 歩きだそうとしないユマの手を引き、鳳明は歩き出す。天樹も黙って付いてくる。
 数分前までと確実に何かが変わったように思う。
 どう変わったのかは、巧く表現できないが。
 なんとなくユマの実体がぼやけて、霧の向こうにいるような気がする。天樹が何か言ったのだろうか。けれどあの天樹が……まさか。
 直接訊くべきではない。鳳明はそう決めた。だから言った。
「えっと、まずはアナタに感謝を」
「感謝……なにについて、ですか?」
「それはね、『生きていてくれたこと』に。……今、ここに居てくれてありがとう」
 今、ここに居ることのできない人々のことを思うと、その思いはより重みを増す。
「最近ようやく、ユマさんを護る事ができたんだな……って実感、出てきたよ。ありがとう、私の友達で。あと、これからもよろしくね!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 ようやく霧の向こうから、ユマの輪郭が見えてきた気がした。
「じゃあ、友達として忠告。………迷ったらさ、深呼吸して目を閉じてみて」
 それで自分の意思を決めたらいい、と鳳明は告げた。
 ユマは微笑した。