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早苗月のエメラルド

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The Beauty Underneath


 蒼空学園にほど近い場所にあるとある定食屋。
 ほんの数十分前まで昼食にきた客でごった返していた店内はすっかり静まり返り、
 カウンターの椅子に座るただ一人を除いて一人の人間も居なかった。

 時計の針は丁度二時半を告げている。
 ジゼルは読み終わったばかりの本をゆっくり閉じるとカバーに書かれたタイトルの文字を指でなぞり小さく息を吐いた。
 この本もまた同じだった。どうして異形の生き物は人間の敵としてしか書かれないのか。
 主人公にしてくれとかお姫様のように守ってくれなんて別段思った事は無かったけれど、彼らが言われも無く非難されて殺されるのは辛かった。
 読了後の爽快感もわき上がる感情も何一つ無いまま、ジゼルは周囲をぐるりと見渡して立ち上がる。
 定食屋の客の殆どは学生客だから、授業中であろうこの時間は昼食や部活動後のラッシュ時とうってかわって、一時間に一人か二人くればいい程度だ。
 ジゼルがここに世話になる以前にたった一人でこの店を切り盛りしていた肝っ玉女将も、この時間は買い物に出かけてしまう。
 皿洗いも掃除も終えたら、たった一人の店内でやる事の選択肢は少なかった。
「……もう一冊持ってこようかな」
 彼女の背に対してかなり高めなカウンター用の椅子からジャンプして降りると、ジゼルは本を手に二階の自室へ向かって行った。
 階段を上がりながら反芻するのは、本に登場したモンスターの挿絵だ。
 上半身は人間の男性で下半身は魚に飲み込まれたような異様な姿のモンスターは、人類の敵として描かれていた。

 ――でもこの姿は本当の私と殆ど変わらない。
 数日前読んだ本は、ジゼルに自分が知らず知らずに行っていた行動に合致するある単語を教えた。

 ”擬態”。

 動植物が体の色彩や形を変えて周囲に溶け込み自らの身を隠すのと同じ様に、彼女は真実の姿を少女の肌の中に隠している。
「モンスター、か……」
 そう独り言を呟きながら開いた扉の向こうに広がるのは、今や小さな王国だ。
 初めて入ったときに殺風景だったこの部屋も、今は四畳半を埋め尽くす程に物で溢れかえっている。
 服、バッグ、それを入れる為の小さな箱、お菓子にアクセサリーにそれからこの本も。
 どれもこれも、住む場所や物を一気に失った彼女を思いやって皆が持ち寄ってくれた物だ。
 たったひと月やふた月過ごしただけの地上で出会った友人達は、ジゼルにとってもはや掛け替えの無い存在になっていた。

 それでも、いやだからこそ負い目に感じてしまうのだ。
 愛情が募れば募る程、日に日に増して行くモンスターである自分自身を否定する気持ち。
 何時か真実の姿を皆の前で晒す事になったら、自分は今のままで居られるだろうか。
 ミニテーブルの上に置いた本の横にある小さな鏡映ったのは、二本の足と華奢な手を持った普通の少女だ。
 今のジゼルにはこれが自分だと言い切る事は出来なかった。
「私の本当の姿を見たら、皆怖がってしまうのかな……」
 ぽつりと呟いたところで、一階の店のドアに着いたベルの音が聞こえてきた。
 慌てて駆け下りて行くと、入り口近くに立っている豪奢な長い金髪と均整の取れた長身が目に飛び込んでくる。
「あ! 雅羅、いらっしゃい」
 雅羅・サンダース三世(まさら・さんだーすざさーど) は小さく手を振って応えるとカウンターに座り、そしてキッチンに入って行ってきたジゼルの様子を見て首をかしげた。
「何か元気ないわね、どうかした?」
「それより雅羅こそどうしたの? 今学校じゃ……」
 ――誤摩化された
 でも同時に今問いつめた所で答えが帰ってくる顔じゃ無さそうだと、今しがたカウンターテーブルに置かれたばかりのお湯とティーバッグが適当に突っ込まれたカップを見て雅羅は思う。
 ティーバッグ置きも、時間を計る為の砂時計も出てこない。
 スプーンは受け皿に乗って出てきたけれど、肝心のミルクと砂糖が無かった。
 普段ならこの紅茶にはジゼル考案の「こんな定食屋でわざわざ……」と言いたくなる程のきめ細やかなサービスがあるはずだ。
 ――簡単に答えられる内容じゃないみたいね
 ここは素直にジゼルの言う他愛も無い疑問に答えてやる方がいいだろう。
「ちょっと仕事を頼まれて出てたのよ、化け鯨退治のね」
「お化けクジラ退治?」
 雅羅の口から出てきた意外な言葉に、ようやく何時もの調子を取り戻した声で繰り返したジゼルは、小首をかしげて彼女の友人を見つめた。