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早苗月のエメラルド

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Phyllis’s Secret


 霧丘 陽(きりおか・よう)のパートナーフィリス・ボネット(ふぃりす・ぼねっと)は、カラスの様に黒い羽根を持った守護天使だ。
 今はパートナーの陽の元を離れ、一人海岸を歩いている。
 そんなフィリスの口から溜息が漏れると、無造作なシャギーの入ったショートスタイルの黒髪に手を入れてぐいっとかきあげた。
「ここに流れ着いて……ねぇか」
 先程からずっとフィリスが探しているのは、 鯨に襲われた時に取り落としてしまっていた自分の得物だった。
「ったく。武器がねぇままじゃ、明日船腹に残る処か足手まといになっちまう……」
 独り言に舌打ちを混じらせて、フィリスは海岸に落ちていた棒きれを拾い上げた。
「こんな棒切れ一本じゃどうにもなんねーし……あーどうしろっていうんだよ!!」
 誰かにぶつけるようにフィリスは大声を海岸に響かせると、座り込み、そのまま後ろに大の字に寝転び目を閉じた。
「……ったくどーすりゃいいんだ……」
 深呼吸するように息を吸い込んでみると、ふと空気に”異質なもの”が混じっているように感じられて、フィリスは腹筋を使い跳ね起きる。 
 フィリスの感じた通り、森の奥から3メートル程ありそうな蟹の足薔薇の花を突き刺したような適当な造形のモンスターがやってきていた。
「ちっ、こんなときに!!」
 フィリスは間合いを測っているモンスターの様子を伺いながら、先程砂の上に落としてしまっていた棒きれをなるべく小さな動作で掴む。
 ――こんなものでも、無いよりはマシか?
 三本の後ろ脚を使いフィリスに向かってきた蟹に向かって、フィリスは棒きれを構えた。
 振り下ろされた前の鋏を棒きれで受け止めるが、固い甲羅に覆われた蟹に逆に棒きれが折られてしまい、フィリスは羽根の力を利用して後ろに飛び退る。
 ゲームや何かで最初の装備にひのきの棒きれがあったりするが、そんなのは所詮ゲームの中だけの話。
 本物のモンスターを前に戦える武器では無い。
「しゃーない逃げるか!」
 フィリスは上半身をモンスターに向けたまま海を背中に走って行くが、蟹の脚は早くすぐにフィリスに追い付いてくる。
 再び振り上げられた前の鋏が腹部を襲うと、フィリスは横へ飛ばされ、砂に叩きつけられた。
 ――やばい!
 フィリスが思った瞬間に、既に蟹はフィリスの上にやってきていた。
 鋭い鋏が砂ごと突き刺そうと下ろされる。
「っ!」
 身体と首を曲げてぎりぎりに避けるが、すぐにまたフィリスの居るところへ鋏が落ちてくる。
 何度も繰り返していくうちに体力は消費されてしまう。
 蟹の胴体にはフィリスの脚は届かない。
 ――どうする、どうやったら!?





 フィリスが蟹に襲われる少し前の事。 
 フィリスと同じ様に永井 託(ながい・たく)那由他 行人(なゆた・ゆきと)が海岸を散歩していた。
「やれやれ、遭難するなんて……大変な事になったねぇ」
 両手を首の後ろに回す託は、言葉とは裏腹にさして大変そうでもなさそうな雰囲気でそう言うと、行人へ視線を向ける。
「何を考え込んでるのさ」
「フィリスにーちゃん」
「は?」
「フィリスにーちゃんさ、無人島ついてからちゃん大丈夫かな……
 無人島についてから元気がない気がするけれど」
「そうかなぁ?」
 イマイチ乗り切らない託の反応に、行人は難しい顔のまま頷いている。
 ――フィリスさんねぇ、僕には良く分からないけど……
「行人がそう言うならそうなのかな……ってあれ、まさにフィリスさんじゃ……」
 託が反応するよりも早く、行人は動いていた。
 
 蟹に襲われるフィリスの元へ走ると、タイラントソードの刃を砂浜ギリギリから斬り上げる。
 後ろ脚の二本が奪われ、蟹は態勢を崩し砂に崩れた。
 行人はその間にフィリスの元へ走るとフィリスを片手で助け起こし、庇うようにその前に立った。
「行人ッ!?」
「大丈夫か!?」
「え、あ、ああ……大丈夫だ」
 フィリスの言葉を聞き、上から下まで深い傷が無いか軽く確認すると、行人はソードを構えた左手の上に、更に右手で握り力を込める。
 ――フィリスにーちゃん、やっぱりなんか調子悪そうだ
「俺が守るよ! だから大丈夫!」
 行人はフィリスに向かって叫ぶと、左右から振り下ろされてきた鋏を剣ではじき返した。

 そんな彼等の様子を少し離れた場所で、託は腕を組みつつまさに見物している。
 ――こりゃぁ……中々面白いなぁ……フィリスさんはあんなに顔を真っ赤にしてるし。
 暫くは出て行かないで見守る事にしておこう。
 にんまり笑って見物人を決め込み託は砂浜に座り込んだ。
 と、そんな託の後ろから非常にタイミングの悪い男が現れたのである。
「あ。どうしたんだい陽さん」
「託さんか。
 どうしたもこうしたも無いよ、やっと見つけた。
 フィリスの奴、こう言う時くらい行人君と遊んでないで手伝ってくれったら」
「陽さん、あの二人は今放って――」
「いやいや、今日こそはしっかり言わないと! ね!
 フィーッリーッスーッ!!」
 フィリスに向かって大声で叫ぶ陽に、託は顔面を抑えた。
 こりゃだめだ。
 と。
 空気を読め! とかそういうレヴェルじゃない。
 と。
 託は強制的に陽の首根っこを掴んで歩き出す。
「た、託さん! やめて、今はフィリスを!!」
「…………はぁ。
 仕方無いな」
「へ? ぉグッ!!」
 託は陽の首に向かって、一撃を入れた。
「ほぅぇぇぇ」
 ぐったりと倒れた陽の首根っこを再び掴むと、託はまた歩き出す。
「さぁ、向うに行こうねぇ」  


「にーちゃん、走るよッ!!」
 行人はフィリスの手を握ると、そのまま海に向かって走り出した。
 足元がぬかるみ脚が取られそうだが、それはすでに二本の脚を無くした相手も同じだ。
「鋏は動きが早くて攻撃出来そうにない!
 横に回る!!」
 行人の言葉は、フィリスの心には完全に届いては居ない。
 ――ゆ、行人が手をッ!
  ……そうか! まだ行人はオレの……あの事を知らないんだ!

 緊張で胸が張り裂けそうだ……!

 全力で駆ける行人に手を引かれて、フィリスは初めて戦いを忘れていた。
 ――行人の手、暖かいな……
  オレよりも小さくて細い手だけど、すごく心強い……

 当の行人はと言えば、顔が上気していたフィリスの様子を見て、具合が悪くなったものだと勘違いしていた。
 そして原因と言えばこの蟹だと勘違いを重ねていた。
「このぉッ!!」
 行人は蟹の横を取ると、先程薙いだ脚からスライディングするように飛び込み、腹部に向かって刃を突き上げた。
 蟹はそのまま海の中に崩れ落ちていく。
「行人ッ!!」
 フィリスが駆け寄ると、行人は蟹の脚を持ち上げて泥だらけで中から出てきた。
「へへ、ちょっと失敗した」
「…………馬鹿」
 フィリスは相手に聞こえない声で言って、行人に手を差し伸べた。
 いずれ行人が真実を知る時、フィリスとの間には距離が置かれてしまうだろう。
 こうして差しのべた手を、握り返して貰えなくなるかもしれない。
 行人に嘘をつきたくは無い気持ちは勿論あるが、素直に伝える勇気は今のフィリスには持てなかった。
 それに、もう一つ。
 ――今はこの関係を壊したくないから
 「オレも強くなりたい……」
 小さく呟いた言葉に、行人は気付かない。
 ただフィリスを守れるだけの力を手に入れ
 ――守るって言ったからには頑張らないとな!
 沈む夕日に向かって、行人はその決意を新たにした。