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リアクション
第8章 牢破り
同じく牢に入れられたセレスティア・エンジュ(せれすてぃあ・えんじゅ)は、「残虐極まりない」行為──光翼を毟られる──を受け、怒り心頭だった。
唯一の脱出のチャンスであろう、連行のために牢屋から出された時。彼女は抵抗して束縛を解こうとしたものの、両腕を抑えられてしまった。
鍵の隠し場所、不正の証拠。そう言ったものを見付ける間もなく毟られて、牢屋に逆戻りだった。
「いつか絶対に、逆に牢屋に叩き込んでやりますわ。わたくしの翼は安くはありませんのよ。ほほほ」
普段は温厚なセレスティアだったが、さすがに目が笑っていない。
毟る、と言っても、光の翼には勿論実体がない。しかし無理やり妙ちくりんな魔術をかけられて引き抜かれるのは……それは肉体を剣で斬りつけられるほどではないとはいえ、痛みや違和感、そして誇りを傷つけるには充分なものだった。
「やはり引き抜いてるんですね。何に使用するとは言ってませんでしたか?」
まだ「順番待ち」だったクナイ・アヤシ(くない・あやし)が問えば、セレスティアは憤慨して、
「寝具にしているようですわ。何でもゆくゆくは服にするとか言ってましたわよあの変態!」
その言葉に、クナイは考え込む。パートナーである清泉 北都(いずみ・ほくと)の顔が脳裏に蘇った。
(噂の寝具を購入しようと、お店で商品を見て回っていた所までは覚えているのですが……私とした事が迂闊でした。北都と一緒に寝る為の寝具だとは言えず、一人でこっそり買いに来たのが悪かったのでしょうか。
少なくとも気は完全に緩んでいました。このふわふわな布団に包まれて二人……などと妄想に浸って居た訳ですから)
でもこれが、守護天使やヴァルキリーの羽根だとしたら、妄想は変わる。他の男や女の羽根に包まれて眠る北都の姿は、あまり面白くないだろう。
どうせなら自分の羽根を使った布団に包まって貰う方が、マシかもしれない。いや痛いのさえ除けば、それはそれで有りかも……。
その頃の北斗はといえば、彼の内心など知らず心配しながら、携帯で彼の写真を見せて、聞き込みをし、寝具店に入ったと聞いて、頭に疑問符を浮かべていた。
(寝具……? 寮生活で不便がないはずなのに?)
クナイは膨らみ続ける妄想を一旦中断すると、
「すみません、そこの方。確か同じ守護天使でしたよね?」
取り立てて特徴のない守護天使の青年に声をかける。
「何にせよ、再度ここから連れ出された時がチャンスかもしれません。こう見えて、脱いだら凄いんですよ。そして蹴り技が得意なんです」
クナイの肉体は、細くも鍛えられた筋肉で作られている。着やせするタイプらしい。
「何とか一緒に逃げられる方法を考えてみましょう」
「──逃げる? 逃げるなど生易しい……敵は倒し、扉はぶち破ってでも帰ってみせよう」
力強く否定したのはヴィクトリア・ウルフ(う゛ぃくとりあ・うるふ)だった。
「不覚を取ったとはいえ……お優しい主君の心痛たるやいかばかりか……。脅し、力づくでも排除し、馳せ参じよう」
彼女は無茶な修練の後、疲労からくる眠気に勝てずに爆睡……していた所を、いつの間にか誘拐された。それが不覚という訳だ。主君とはパートナーのことで、ちょっとした理由から彼女はパートナーを主君に認定していた。
「椿様……すぐに戻ります……!」
今にも飛び出そうとするヴィクトリアが立ち上がると、松明に照らされた彼女の影の中から、狼が飛び出した。ぱくぱく動く口が、遠吠えをすると、あっという間に蝶に代わって壁の空をひらひらと舞った。
振り返ると、トゥーラ・イチバ(とぅーら・いちば)が微笑を浮かべていた。
「何だこの影絵は。こんな状況で良く笑っていられるな」
「……ほうら、これはなんでしょう?」
トゥーラは手をひらめかせると、蝶から楽しそうにうさぎを作り、ぴょんぴょんと飛び跳ねさせる。
牢屋に入っていた一同は呆気にとられる。同時に、漂っていたピリピリした雰囲気が薄れていった。
「一人では脱出できないでしょう? だから協力しましょう。そして、順番が大事です。まずは鎖を外し、それから枷です」
「落ち着いているんですね」
守護天使の青年が訝しげに訊けば、
「……ええ、ちょっと」
落ち着いているのは、実は、牢屋に入るのはこれが初めでではないからだ。過去に冤罪で捕まった経験がある。
しかも、今回もパートナーのディンス・マーケット(でぃんす・まーけっと)のとばっちり──交易都市に来て浮かれるディンスが、むやみやたらに名刺を配っていたせいだった。彼はそれを阻止するため、新調されたばかりのケースごと奪取して飛び去ったが、その時に翼の存在が知られたらしい。しかも、名刺入れを取り返そうとするディンスから逃げている時に誘拐されたというおまけつきである。
「激しい感情というのは正しい判断を奪います。ですからこちらは落ち着き、相手の感情を引き出しましょう」
トゥーラは、一つの提案をした。彼らは頷き、傭兵が来るのを待つことにする。
チャンスは程なくやってきた。
「うわあああっ! ………………なんだ、影絵か」
見回りに来た傭兵の叫び声が響く。本気でびっくりした傭兵だったが、振り返れば大きなゆる族と見間違う影を作ったトゥーラが微笑を浮かべていた。
「何だ貴様、馬鹿にしているのか!?」
恥をかかされたと牢屋に入って来た傭兵。ディンスにまっすぐ向かう彼に、クナイは横から飛びかかると、首の後ろで縛ったその青い髪を掴んで傭兵の目に押し付けた。
「うおっ!?」
クナイはそのまま屈み、足払いをかける。どさっと不恰好に倒れる彼を羽交い絞めにする。
「さて……」
トゥーラは拘束された彼から、鎖を切れそうなもの……剣を奪うと、それで鎖と枷を断ち切った。どうやら契約者としての腕力は残っているようだ。
開いたままの牢屋を出て、牢の出口に続く階段へ向かう。階段脇にはイスと机が置いてあって、そこでビールをあおっていた見張りが立ち上がった。
「何だ!? お前ら脱出するつもりか!?」
ウルフが無言で近づいて、彼の手を締め上げた。顔が不敵に笑っている。
「指が10本あるのは何のためだと思う……? 答えはかんたんだ。1本ずつ折るためだ」
彼を威圧して通り過ぎようとしたトゥーラたちだったが、背後から、先程倒れた傭兵が追い付いてきた。
「何だそんなもの──」
言いかけたウルフの声が途中で途切れる。傭兵の腕には、小さな熊のぬいぐるみが一体──いや、一人。
「……た、助けて……」
ぬいぐるみが、喋った。人質だった。傭兵は彼だか彼女だかの胸元に短剣を突き付けている。
「逃げ出せばどうなるか分かっているだろうな。腹を切り裂いて、思う存分ワタを引きずり出してやる」
傭兵はしてやったりといった風に、にやりと嗜虐的な笑顔を浮かべる。
「……くそ……どうする?」
誰からともなく悪態を吐いた。人質を見殺しにできるほど冷徹ではない。とはいえ、簡単に投降することもできない。そうなればもう二度とチャンスは訪れないだろう。
ジリリリリリリ……。
両者の膠着状態は突然の大きな音で破られた。
「何だ!?」
戸惑い周囲を見回す傭兵。守護天使の青年は、はっとして光を手の中に呼び出すと、それを矢として放った。
見事に傭兵の手首に当たれば、短剣がポロリと落ちた。するりと抜けだした熊のゆる族が、傭兵の手を跳び箱の要領でぴょんと飛び越えて、胸の中に飛び込んでくる。
「こいつ──」
守護天使に飛びかかろうとした二人の傭兵は、だが、顔面に鞭をぶち込まれて後ろに吹っ飛んだ。帯電した鞭のせいで焦げ臭いにおいが漂った。
「ディンス! ……もしかしてこの音は君が?」
トゥーラは思わず声をあげる。
「救けに来たネ。ああ、あれは火災報知器ダヨ。気にしないネ」
裏手から侵入したディンスが、火災報知機を鳴らしたのだ。そのせいで工場内は混乱が引き起こされ、作業員は屋内から退避させられ、傭兵たちがバタバタと走り回っている。
そしてもう一つ、混乱のおかげで指揮をしている傭兵の隊長を見付けるのも簡単という効果があった。尤も、さっき倒した傭兵が持っていた鍵は隊長から借りたもので、戦う機会は今のところは逸したわけだが。
「今のうちに逃げるネ」
表で起こった騒ぎに、彼らは乗じて逃げ出した、
外に出れば、敷地の外、ウルフのパートナーである白雪 椿(しらゆき・つばき)と、ネオスフィア・ガーネット(ねおすふぃあ・がーねっと)の姿があった。
ウルフが彼らを見付けるなり、叱り飛ばす。
「馬鹿かお前は! 何故椿様をこのような場所に連れてきた!?」
「馬鹿はどちらだ……!俺とて来たくもなかったわ! 椿がどうしてもというから……っ。おまえみたいな漢女なら、一人でもどうにかなると思っていたわ」
喧嘩しそうな二人の間に、椿が割って入る。そしてウルフに今にも泣きそうな声で、
「本当に……本当にご無事で良かったです。ウルフさんの身に何かあったらと思うと私……」
安堵に座り込む椿の手を取りながら、ウルフは感激していた。
「椿様……! なんと勿体無いお言葉……」
守護天使の青年は、ともかく一度目立たぬところに行こうと提案する。囚われの身は予想以上に彼らの心身を消耗させていた。
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