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(まぁ、所詮噂……だし。パートナーに、ゆる族の人も守護天使の人もいないし……)
 ヴォルロスに流れる誘拐事件の噂は耳にしていたものの、信憑性が不明な噂話より、青い空と海を選ぶのはごく自然なことだったろう。
 非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)はだから、あまり気にしてもいなかったのだが……。
「あれ、イグナはどこです?」
 港湾地区に並んだ屋台の上で焼かれている貝を見ていたが、ふと顔を上げると、パートナーのイグナ・スプリント(いぐな・すぷりんと)の姿がない。
「つい先ほど、店を見に行くと仰られておりました」
 アルティア・シールアム(あるてぃあ・しーるあむ)が指差した先は、細い路地だった。昼間でも薄暗いその道の両側にも、ぽつりぽつりと露店が並んでいる。
「そうですか。じゃあしばらくこの辺りで待ってることにしま──」
 近遠が道を歩きながら可愛らしいパートナーたちのために、綺麗な貝殻でできたアクセサリーを光に透かせて品定めしていると、ユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)がクロークの下から小さな手を出して、あ、とまあるく開けた口に当てた。
「イグナちゃんの身に何か危険が迫ってますわ」
 “ディテクトエビル”が、イグナの向かった路地から嫌な予感を告げていた。
「!?」
 急いで三人が向かうと、イグナの背中が見えた。彼女は柄に羽飾りのついた剣を抜き放ち、敵に対峙している。
 敵は、目出し帽のようにした布を被った男が三人。
「街中で、いきなり人を襲うとは……一体、どういう了見なのだよ?」
 露店を見て戻ろうとした時、背後からの一撃がイグナを襲った。咄嗟に避けてから気付いたが、それは灰色の布に重りを詰めた、円筒形の武器だった。ブラックジャック。外傷が残りにくいため暗殺や、気絶させる用途に用いられることも多い。
 男たちは答えず、再度殴りかかろうとする。
 が、その時、懐中時計を握ったアルティアが、彼女が周囲に展開した光の剣と共に駆けつけた。
「イグナさん、大丈夫だったでございましょうか?」
「アルティア、それにユーリカ」
 ユーリカが稲妻の札を掲げて、飛びかかろうとした男たちの足元に雷を落とし、牽制する。
 男たちは後ずさると、視線を交わしてダッシュで逃げようとした。そこにイグナたちの背後から放たれたサンダーブラストの細い雷が命中して、彼らはうつぶせにばったりと倒れた。
 体が丈夫ではないために遅れてきたパートナーを、三人は振り返る。
「加減がうまくいったかどうか。とりあえず今のうちに捕まえましょう」
 近遠たちは露店で買って来たロープで男たちを後ろ手に縛ると、フランセットの処へと連行することにした。
「最近は……街の中も、物騒なのでございます。ですが皆さんが無事で、アルティアは嬉しく思うのでございます」
 やはり治安という面では、日本には遠く及ばない。

 ──というわけで。
「……やっぱり街の中での戦闘行為は治安上良くないし、契約者の信頼失墜等の遠因になっても困るので……」
「分かった、俺らが預かっておくな。あ、保護っていうか宿はここがいいかな。ちょっとお高いけど」
 セバスティアーノが彼らに手早く説明して、フランセットを振り返る。
「うちの船客が襲われたとして、尋問後に議会の方に引き渡し、で宜しいでしょうか?」
「ああ。適当に頼む」
「はっ。了解致しました、マム。じゃ、きりきり行くぞ」
 セバスティアーノが男たちを室外に引っ張って行く。
 敢えて会話はしなかったけれど、“適当に”とは、「事件解決以後こちらの都合のいい時期に適当な理由を付けて」引き渡しを行えばいい、という意味だ。



 議会といえば、この頃佐野 和輝(さの・かずき)はパートナー達と議会の建物から出てきたところだった。
 彼は、議会の一室を“本部”として借り受け、情報交換の場としたいと思っていた。商人達からも権限を借り受け、傭兵たちにも情報提供をしてもらう。得られた情報は彼が整理し、契約者たちへ浸透させる。
 権限とは具体的には、特定地区への立ち入りを禁止させたり、家宅捜索といった強権の使用許可だ。立ち入り禁止は、もしも爆発が起こった際の被害軽減と、捜査をしている契約者達の行動を支援するため。家宅捜索は、最終手段として使うから、どうしても欲しいわけではないが、行動の選択肢は多い方がいい。
「……法律の知識を使って手助けしたいと思ったんだけどね」
 階段を下りながら、パートナーのスノー・クライム(すのー・くらいむ)が首を振った。
 立ち入り禁止であるとか家宅捜索の許可を貰うなど、目標は良かったのかもしれない。だが彼らには信用される身分や、説得するための言葉や対価の用意がなかった。
 強権については、たとえフランセットであろうと、すぐに手に入れることはできなかったろう。
 いやそれ以前に。彼らは何かの案を彼女に単に提案したとしても、積極的に採用されるのは難しかっただろう。彼らは以前ザナドゥに味方し、放校処分になっている。
 どのような事情があったのか、それはフランセットらヴァイシャリー艦隊の軍人には分からない。だがかつてシャンバラを裏切った、という事実は彼らへの信用や接し方にある程度の影響を残していた。
「終わったの? こっちも駄目。ぬいぐるみをのんびりお散歩させただけだよ〜」
 門に隠れるように立っていた、彼のもう一人のパートナーアニス・パラス(あにす・ぱらす)は、二人を見て顔を上げる。彼女は先程まで、精神を集中させていた──失踪者などを発見するべく、“式神の術”で操ったキュゥべえのぬいぐるみを街中に放っていたのだ。だが、こちらも特に何か発見はなかった。
「そうか。それじゃ、とりあえず飯でも食いに行こうか?」
「うん!」
 三人は街中へと戻っていく。



 セバスティアーノが部屋を出て、人質の尋問に行こうとして扉が閉められたかと思うや否や、扉が再び開いた。
「失礼します、これを提督に、いえ……」
 一人の海兵隊の青年──彼もまた私服だった──が、入ってくるなり部屋を見回す。胸には一冊のノートを抱いていた。
 冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)が寝具店から盗み出してきたあのノートだ。
「……どうした」
 フランセットが尋ねれば、彼は困ったように口ごもる。
「いえ、これをお渡ししていいものか……」
「いいよ、俺が見よう」
 船医がそれを受け取り、ぱらぱらと目を通す。
「分かった、何も言わなくていい。必要があれば、後で俺からセバスティアーノに渡しておく」
 海兵隊員が敬礼をして部屋を出る。フランセットもまた、そのノートはとは聞かなかった。
「──さて、そろそろおいでになる頃だな」
 船医は、雷霆 リナリエッタ(らいてい・りなりえった)黒崎 天音(くろさき・あまね)の方を見て微笑した。
 天音はその言葉に一度席を外すと、別室のブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)に声をかける。
「そろそろだって」
「……ん、む? もうそんな時間か?」
 振り返ったブルーズは至極残念そうな顔をしていた。
「行儀が悪くても、食べ歩きしておけばよかったのにね。少しは冷めちゃうし。……そんなに美味しい?」
 ブルーズの着いていたテーブルには戦利品──ワインと、サザエやハマグリ、それに見慣れない珍しい貝や海老などが並んでいた。港の屋台で売っていた、香ばしく焼けた海の幸だ。海がすぐ近くなだけに、シンプルに塩だけ、レモンだけというのも充分美味で、この他に、タコのマリネやイカの唐揚げ、エビのフリッター、ホウレンソウと羊のチーズの入ったパイなども控えている。
 天音はといえば、既に屋台で堪能済みだった。甘辛いタレに漬け込まれたぷりぷりの大粒貝の串焼き、バター焼き、味噌汁、生牡蠣……。
「ああ、流石捕れたては違うな。……しかし、昨夜の宿の食事で出された蒸し焼きもなかなか美味かったな」
 思わず頬が緩むブルーズの横に置かれた椅子には、もう一つの戦利品で膨らんだ袋がある。フラフィー寝具店で買った枕、彫刻などかさばるものから、珊瑚の細工物や海綿、石鹸など細々としたものまで。値切ったり、やり取りする過程も楽しいものだ。
「いいよ、ブルーズはそこで楽しんでおいで」
 旅行を楽しむ彼の様子を微笑ましく見て、天音は扉を閉めた。
 ──尤もなことだろう。港を降りて、友人の白竜に会わなければ、事件のことなど知らなかったはずなのだから。
 彼が部屋に戻って間もなく、フランセットのメイドである花妖精に連れられて、ドン・カバチョが既にふかふかのソファに、それよりふかふかそうな身体を埋めていた。
「……失踪したっていうユルルなんだけどぉ」
 リナリエッタがドン・カバチョと船医を見比べて口を開く。
「以前にもヴォルロスに来たことあるのよね? で、ヌイ族のカバの姿に不満を持っていた。これでいいのよねぇ?」
 ドン・カバチョは頷いた。
「この街には何度か来ておりましたよ。年頃の娘ですからなぁ、洋服やらアクセサリーやらが気になったようで。それでどうやら、人間や他種族の恰好を見るにつけ、カバが恥ずかしいなどと言うようになりまして、ハイ」
 もしかしたら、誰かに馬鹿にされたことがあったのかもしれない。一般的に言ってカバのイメージはスマートではない、と思う。
 リナリエッタは考えを巡らせる。
(やっぱり、誰か好きな人がいて思わず駆け落ち的に逃避行……又は、男に騙されて連れ出され誘拐されたかもねぇ)
 恋バナに興味があるリナリエッタらしい考えではある。
 実際ここに来る前、港でユルルらしいゆる族の目撃情報──それに、お嬢様と付き合ってそうな男性を探してみた。
(お嬢様って船乗りさんとかワイルド系に憧れることが多いのよねぇ)
 その予想は──別の意味で予想を上回ることになった。カバの着ぐるみ姿の女の子ゆる族の姿は見たけれど、一人ではなかったと言う。
 ユルルの相手は……。考えるうちに、何となく船医と目が合った。
「そういえば、さっきの話聞いてると、ユルルに詳しいみたいだけどぉ。知り合いなのぉ?」
「え? 俺? ──いや、ユルルちゃんのことは提督から聞いて知ってることくらいだけど」
「ちゃん付けとかしてるから、まさかねぇと思って」
 カオだけならいいし。そんなことを思って船医を見るリナリエッタだが、ちゃん付けなのも、やたら話に入るのも、羅儀と同じように、女の子が好きだからだった。……どうやら彼の首筋に噛み付く動機は逸したらしい。
「じゃあ、中身は本当にユルルっていうことでいいのかな」
 天音はドン・カバチョに挨拶を済ませると、彼とそしてメイドの花妖精の方を見て。
「この島に来る時、船上から美しい海上の森が見えたよ。あそこを治めているのは、花妖精の族長だっけ? 名前は確かドリュアス・ハマドリュアデス……だったかな」
「それがどうかなさいましか?」
「ちょっと気になることがあってね。その方、どんな性格なのかな? お忍びが好きだったりしない?」
 メイドは首を振った。
「そんなことはないのです。ドリュアス様は大変しとやかな方なのですよ」
 天音の他、何人かが気になっていたことだ。ドン・カバチョが隠したがっていたこと。ユルルと、口を滑らせた「しおれる」という言葉。
 もしかしたらユルルの中には、族長ドリュアス・ハマドリュアデスが入っているのではないか、と。
「──これについては、私も気になっている。族長」
 フランセットが、碧い瞳をカバの、黒々としたボタン制の目に向けた。
「失踪したのがユルル嬢で間違いがないという前提で問いたい。ユルル嬢としおれる、という言葉。爆発しては困る事情。その全てを話してはくれないだろうか。
 議会ではなく、権限もない部外者である私たちに捜索を頼んだ理由は──それは、契約者である以上に、ヴォルロスの商人たちには知られたくない事情があるからではないか?」
「…………」
「失礼だが、ヌイ族は商工業で成り立っている部族。その氏が商人に隠したがることというと、そう、企業秘密くらいしか思い付かないのだが」
「私、港で聞いたんですけどぉ、ユルルが女の子と一緒にいたのが目撃されてるんですよねぇ」
 リナリエッタの言葉に、──ぴくり、と、ドン・カバチョの赤い蝶ネクタイが震えた。
「……これは……仕方がありませんね。そうです──、失踪したのは、ユルルだけではないのでございます」
 ドン・カバチョは重い口を開く。
「ユルルは、大事な花妖精を連れて行ってしまったのでございます……」

 ヌイ族は、ぬいぐるみやその素材などを生産し、売って生計を立てている。着ぐるみ観光もその販促の一つだ。実際にゆる族に使われるクオリティで、快適な着ぐるみライフを提供する。
 そんな彼らの命といえば、特別な素材だった。工場や綿の畑には、害虫や勿論モンスターは勿論、企業秘密の保全のためのぬいぐるみ警備員が常駐している。
 素材は大切に育てられていたが、中でも上質なものがある。花の世話に手慣れた花妖精たちが育てているものだった。
 そして時に、彼女たちに咲く種子を用いることもある……。中でも上質な素材となり、族長一族も自身の着ぐるみに利用していた。
「ユルルは、カバの姿を嫌がっていたのでございます。そこでおそらく、反対する自分たちに知られぬように『自分に相応しい姿』の着ぐるみを作ろうとしたのでございましょう。
 こちらには若い娘が好みそうなデザインがありますしな、服を季節や流行で好きに着替えたいと言ってましたから。
 着ぐるみと服を作るために、ヌイ族の秘密である綿花の花妖精を一人、手伝いに連れて行ってしまったのでございます、ハイ」
 この花妖精がもし商売人の手に渡る、もしくは知られてしまえば、ヌイ族の産業にダメージを受ける可能性がある。
「花妖精とは給料などなど契約は結び、生活保障はしておりますが。商売を潰すために、人権問題だとか騒がれる可能性もございまして……ハイ」