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リアクション
機晶都市ヒラニプラ郊外。廃ビル。
このビルは元々八階建ての予定だったが、六階の建設途中で止まっていた。それゆえ、造りかけの六階らしきものが屋上と成っている。
何も支えていない支柱の一つに背を預け、ダオレンは階下に広がる風景を見下ろしていた。
「いやぁ、屋上ってのはいいねぇ。
自分が神様だっていう錯覚に陥ってなかなか気持ちいいもんだ」
子供のように無邪気な笑顔を浮かべるダオレンだが、そんな彼に冷や水を浴びせかけるように、佐野 和輝(さの・かずき)はノートパソコンを弄りながら呟いた。
「馬鹿と煙は高いところにのぼるというけどな」
「手厳しいなぁ。そんな事言わず、君も一緒に見ないかい?」
和輝はダオレンの言葉を無視して、物凄い指捌きでキーボードを操作していた。
液晶に表示されるいくつものページに何らかの暗号を入力し、マウスをリズミカルに動かし続ける。
そんな暇はない、という意思表示。
「つまらないねぇ。没頭し過ぎるのはどうかと思うよ、僕が大金をはたいて雇った手駒くん」
「ビジネスパートナーとして、仕事はこなすさ」
ダオレンは大げさに肩を竦めると、すぐに気を取りなおしたように、支柱から離れて和輝に近づいた。
「で、首尾はどうだい? どうやら色々と調べてくれてるようだけど」
「相手方の動きは把握した。数十人の契約者がこのビルに向かっているらしい」
「へぇ、それは困ったなぁ」
言葉とは裏腹に、ダオレンは口元を吊り上げた。
「一応、都市の機器をいくつかハッキングして奴らの到着を遅らせておいた」
「ヒュー、やるねぇ。僕の人選は大当たりだったようだ」
新しい玩具を自慢するような口ぶりで、ダオレンは和輝の肩をパシリと叩く。
「さて……あとは、他の手駒くん達も予想以上の働きをしてくれたらいいんだけどねぇ。そうしたら、この事件はきっと――ああっ、想像するだけで興奮するなぁっ!」
ダオレンは自分の顔に両手の爪をつき立てる。頬から血がつーっと伝った。
それでも彼は、玩具を与えられた子供のような目を光らせている。
(何をやってるんだ、こいつは?)
和輝はダオレンの意図がさっぱり解らなかった。
ただ、ダオレンの表情に張りついた笑顔が、だんだんと鋭さを増していくことが気になっていた。
(正直なところ面倒が残りそうな予感がするからこんな仕事はしたくないんだがな。
……とはいえ、相応の『前金』を受け取ってしまった以上は、仕事はキチンとこなすしかないか)
和輝は思考を片隅に追いやり、パソコンと正対して仕事に集中しはじめた。
それを知ってか知らずか、ダオレンは喜びを全身で表すかのように自動拳銃の銃口を曇り空へ向けた。
一発、二発、三発……と弾層が空になるまでトリガーを引き続け、吐き出された空薬莢が彼の周りにばら撒かれる。
「くく、ハハハッ。危ないあぶない。
もう少しで興奮し過ぎて飛び降りるところだったよ。命は大切にしないとね」
先ほどの奇人のような行動は、ダオレンにとっての発散方法だったのだろう。
気味の悪い微笑みを顔に張り付け、撃ち尽くした銃を歯で咥え、空いた手で悠然と弾層を交換する。
「……そういうことをする時は事前に言え。気が散る」
「これは失敬。昔からの悪い癖なんだ。治したいんだけどねぇ」
ダオレンは悪びれた様子もなく拳銃をホルスターに納めた。
と、ほぼ同時。和輝の脳内に、アニス・パラス(あにす・ぱらす)からのテレパシーが届く。
(「和輝! 今の銃声は、一体――」)
(「気にするな。敵襲じゃない。ただの奇行だ」)
(「むぅ〜、ただの奇行って……」)
(「安心しろ。アニスが気にかけることじゃない」)
(「……ぅ〜、危なくなったら精神感応で直ぐに連絡してね!」)
脳内にアニスの大声が響きわたり、和輝は顔をしかめた。
ダオレンはポケットから煙草の箱を取って一本抜き出し、それを咥えながら和輝に問いかけた。
「誰かからのテレパシーかな?」
「目敏いな。どうやって気づいた?」
「君の手が止まっていたからね。一番大きな可能性を言ったまでさ。相手はあの可愛らしいお嬢さんかな?」
その質問に和輝は答えない。
ダオレンは爽やかな笑顔を浮かべながら、安っぽいライターで煙草に火をつけた。
「よほどあのお嬢さんが大切らしいね。
シエロの傍に避難させているのも、僕と共にいるのが危険だと判断したからかい?」
「……だとしたら?」
「別にどうもしないよ。これでも僕は感謝しているんだ。
あの可愛らしいお嬢さんと扇情的なお姉さんがシエロの傍に居てくれるのはね」
扇情的なお姉さんとは、リモン・ミュラー(りもん・みゅらー)のことだ。
彼女は不知の病にかかったシエロを診察することを見返りに、ダオレンに協力している。
「僕はシエロには会いたくないからね。彼女を代わりに見張ってくれる人がいるのはラッキーだ」
黒い皮手袋に包まれた指で煙草を挟み、ダオレンは満足そうに紫煙を吐き出す。
それは風に乗り、一筋の流れとして空気に溶けていった。
「お前はそれで良かったのか?」
「うん、何が?」
ダオレンは不思議そうに首をかしげた。
和輝はパソコンを操作しながら、言葉を続ける。
「ミュラーに診察をさせるということだ。
あいつの性格はさておき、医者としての腕前は本物だ。不知の病を治されるかもしれないぞ?」
「大丈夫だよ。その点において心配はいらないさ」
「自信があるんだな」
和輝を見下ろしつつ、ダオレンはゆったりと紫煙を吐いた。
「だって、大した医療技術もないこの時代で――しかも、あれは……くく、くくく。
あの病気を一目見ただけで……いや、一ヶ月だとか一年かかったって、完全に治す方法なんて見当たるわけがないんだ」
ダオレンはそこまで言うと、和輝に静かに笑いかけた。
「ねぇ、手駒くん。君は一目惚れってしたことがある?」
「……いきなりなんだ?」
「そう邪険にしないでよ。そのまんまの意味と受け取って」
「答える必要がない」
「つれない人だよねぇ、ほんと」
ダオレンは心底つまらなさそうに首を横に振ると、半分ほど吸った煙草を床に落とし、靴の裏で火を消した。
「僕はね、あるんだよ。昔に一回だけさぁ。
未来では叶うことのなかった片思いなんだけど……恋って楽しいよね。胸がドキドキワクワクしっ放しだよ」
ダオレンはケラケラと軽い調子でそんなことを言った。
へらへらとした態度をとる彼とは対照的に、和輝の顔は相変わらず無表情だ。
「くだらない話はそれでお終いか?」
「あらら、ひどいよねぇ。せっかく恋する男の気持ちを話したっていうのに」
そんな軽口を叩いていると、突然パソコンの液晶に赤い文字が浮かび上がった。
それは相手方がこちらに近づいてきているという警告のメッセージ。
「意外と早かったな。俺は他の奴らに伝えに行ってくる」
「いってらっしゃい。僕はもう少しここでいるよ」
ダオレンに見送られ、和輝はテレパシーで全員に伝えるために歩いていった。
「くくく、さあて――とても悲しく救いのない事件の始まりだよ」
ダオレンはパソコンの前に座り込み、マウスを動かせてページをクリック。
拡大されのページは、ヒラニプラのある監視カメラの映像とリンクしていて、数人の人間が映っていた。
映像をズームさせ、その中の一人に画面を占領させる。
「楽しくなってきたよねぇ……君は、どんな表情を見せてくれるかな?」
ズームされた映像に大きく映るのはウィルコ・フィロ。
ダオレンは彼を見つめつつ、ポケットから手帳を取り出した。
ページを開く。
そこには、こんなことを書かれていた。
『十九時四十八分、仕事を終わらせてきた彼の帰り道。その表情は憔悴し切っている。たまらない』
『二十時五分、買い物袋には牛乳が入っていた。シエロにホットミルクを作る気かな? なんてやさしいんだ』
『二十一時三十五分、家に帰宅。シエロの前では元気な振りをしている。いじらしい』
『十三時二十分、彼に新しいターゲットを説明した。その表情は険しい。カッコいい』
『十三時二十五分、僕にあろうことか頼み事をしてきた。彼は弱っているようだ。嬉しい』
『十三時三十分、彼は暗殺に向かっていった。その後ろ姿は疲れていて、あの頃の面影はない。つい嘲ってしまった。僕の悪い癖だ』
ペンを走らせ、そのページに新しい一文を追加する。
『十六時三十分、終わりの始まり。この上ないほど彼を苦しめてやろう。ああ、楽しいな』
ダオレンはどこまでも真っ直ぐな瞳で彼を見つめて、口の端を持ち上げた。
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