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第38章 彼の夢と彼女の夢

 午後16時。
 フリューネ・ロスヴァイセ(ふりゅーね・ろすう゛ぁいせ)は、レン・オズワルド(れん・おずわるど)に誘われて再び飛空艇の格納庫を訪れていた。大型飛空艇アガートラームのドッグとして使われているそこは、レンが所有するものではない。民間から借り受けているものだ。
「精が出るわね」
 作業をしているレンに、フリューネは声を掛ける。作業着に身を包み、油に汚れながら整備をする姿は初めて見る。彼女の到着に気付いても、レンは手を止めなかった。「昼間からずっとだ」とだけ言って作業を続けている。
「私……食事に誘われたのよね?」
 フリューネはドッグを見回した。話では、ノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)と一緒に、3人で食事をしようということだった。だが、ここにあるのは簡易テーブルと、コートの掛かった金属製の無骨な椅子に各種部品の入った箱に工具箱。空腹が満たされるようなものは、見当たらない。
 ノアの姿も無く、テーブルの上にあるのもコンロとコーヒーメーカーにポット、幾つかのマグカップだけである。
「ああ、ギルドの本部で食事をしよう」
 レンは、彼女に手料理を振舞うつもりだった。その為の材料も買い揃えてある。
「だがその前に……フリューネに飛空艇を見てもらいたかったんだ」
 だから、夕飯時より少し早めに待ち合わせをした。といっても、レンにとっては日々の延長線上にある場所であるので、待ち合わせとは少々違うかもしれないが。
「ようやく一通りの武器弾薬が揃ってな。細かい調整は残っているが、最後の外装をどうするかという、そんなところまで来ているんだ。……そうだ、悩んでいるのは塗装の色なんだが、フリューネは、俺の飛空艇としてどんな色が良いと思う?」
「色? ……そうね」
 フリューネは飛空艇を見上げ、それから椅子に掛かっている彼のコートをちらりと見た。
「赤、とか良いんじゃないかしら」
「……赤、か」
 レンは彼女の視線を追い、納得したように頷く。それから、レンはようやく立ち上がった。テーブルを指して、フリューネに言う。
「何もない所だが、淹れ立てのコーヒーならある。それでも飲みながら待っていてくれ」
「…………」
 フリューネはテーブルの上を横目で見て、1つ息を吐いた。
「しょうがないわね」

「そういえば、飛空艇の名前の由来をまだ伝えていなかったな」
 湯気立つカップを持ったフリューネに、レンは作業を続けながら話しかける。
「地球に伝わるケルト神話に登場する神ヌアザに由来するものでな。戦争中に腕を失い、王権すらも失ったヌアザが銀の義手を手に入れたことで王権を取り戻すという話なんだが……あ、ちょっとそこのスパナを取ってくれ」
「スパナ? ……良いけど」
 手に重みを感じた時点で、礼を言ってそれを握りこみ、ボルトを締めていく。
「『アガートラーム』。俺がこの名前を船に冠したのは、こいつもまた誰かの何かを取り戻す力になれればと思ったんだ」
「……どうして、そんな話を私に?」
「俺は冒険屋だからな」
 パラミタ大陸崩壊の危機等の問題を解決してからの事になるだろうが、いつかは、自分の飛空艇で大冒険を、と考えながらレンは言う。
「冒険を、夢を語れないのでは、冒険屋の名が泣くだろう」
 それに、夢を語るのは生きている証拠だ。自分の夢を語るのは勿論のこと、誰かの夢を聞くのは楽しいことだ。
「フリューネには夢はあるか?」
「私? もちろん、あるわよ」
 夢を持たない者が悪いとは思わない。だが同時に、夢を持たない者は居ない、とも思う。それは未来への希望であり、本人が自覚していなくても“誰かと一緒に居たい”、“今の生活を続けたい”、それだけでも十分に夢となるからだ。そして、彼女は。
「私の夢は……エネフで色んな世界の空を駆ることよ。まだ行ってない所が、未知の世界がたくさんあるもの」
 力強い瞳で、そう言い切った。
「……そうか」
 フリューネの笑顔を見て、レンは微笑む。本日最後の作業を終え、彼女の隣に立って大型飛空艇を見上げる。
 彼女が空を駆ける時、この飛空艇で共に冒険が出来たら楽しいだろうと思いながら。
「俺はこの通り義手だ。ヌアザが義手だったように」
 自分の左手を眼前に掲げ、彼は語る。
「だが、腕があれば剣が取れる。誰かの為に拳を振るうことも出来る。誰かの手を握ることも、誰かの背中を押してやることも出来る。……この船には、そういう想いも託されているんだ」
 夢を語る。彼女の言った色に塗られてこのドッグを飛び出すアガートラームを想像して。
「フリューネと共に空を飛ぶという夢の他に、誰かの希望になるようにとな」
 ――ノアからメールから来たのは、その頃のことだった。
『レンさん、お客様がいらっしゃいましたよ!』

 その、約1時間後。
「……富井さん、お久しぶりです」
 フリューネと共にギルド本部に戻ったレンは、地球から訪れた富井に挨拶をしていた。その様子から、彼が富井に気を許しているのが分かる。
「フリューネ、富井さんは、俺が昔、世話になった人なんだ」
「何でも、地球でレンさんと一緒に仕事をしていたそうです。つまり、警察の方ですね! 富井さん、こちらはフリューネさん。レンさんの……」
「ノア?」
「ご友人の方です」
 想い人です、とかと紹介されたらと一瞬焦ったが、フリューネを目の前にノアは言葉を選んだようだ。レンは内心でほっと安堵する。
「そうか。憂内の……」
 レンは、彼のバディであった先輩、山岡の、パラミタ人への否定的な意見に反対していなかった人物だ。賛成もしていなかったと思うが、山岡の持論について、理屈として正しいと考えていたところがある。だが、今はこうしてパラミタ人と契約し、交流を持っている。
 それが不思議な気もするし、微笑ましいことのようにも富井は感じた。
「突然来て悪かったな。今日は何か、予定でもあったのか?」
「予定、ですか? いえ……」
 レンはつい、ギルド奥にあるキッチンに意識を向ける。そこには、フリューネに料理を振舞うべく買ってあった食材があったのだが。
「じゃあ、皆で食事に行きましょう! 美味しい中華料理屋さんを見つけたんで是非!!」

「私、この回転するテーブルをクルクル回すのが好きなんですよね〜」
 数々の点心や青椒肉絲、麻婆豆腐等、幾つもの皿が置かれたテーブルを回し、ノアは楽しそうに取り皿に料理を取っていく。取り終わっても、他の3人が回さないとなれば縁を持って右へ左へと回していた。
「堪らないんですよね〜。く〜るくる〜♪」
「ノアは本当に、最近は食べることばっかりだな……」
 ご機嫌に中華料理を食べ始めたノアにレンは苦笑する。その彼に、富井は自分の周囲で起きたあれこれを語っていた。彼自身のこと、元同僚たちの近況から、山岡の娘が大学を卒業し、つい先日結婚したことまで。
 富井は、ずっと山岡刑事の遺族の面倒を見ていたのだ。
「これで、俺の父親代わりの役も卒業だな」
「そうですか、結婚を……。色々とありがとうございます」
 彼は、レンにパラミタ行きを薦めた人物でもある。同僚――山岡殺しで退職したレンの将来を考え、自身のコネを使ってパラミタへの切符を用意したのだ。
 レンが、パラミタ人を殺そうとした山岡を止めようとした――という事情までは知らぬ筈だが、事件の後、彼はレンを心配していた。
 そして、今はレンが無事に独り立ちし、多くの仲間に囲まれている現状を心から嬉しく思っている。
「気にするな。山岡も安心してるだろう」
「あ、ところで、地球に居た頃のレンさんのお話って聞いても良いですか?」
 そこで、食事に夢中になっていたノアが、ふと顔を上げて富井に訊いた。
「ん、憂内の話か?」
「ノア?」
 レンが箸を止めるのも気にせず、ノアは少し身を乗り出す。
「お仕事の話とか、どんな生活をしていたのか、とか。レンさんに聞いても教えてくれないのでぜひ! フリューネさんも、聞きたいですよね〜!」
「そうね……」
 フリューネは思案顔になって、冷静さを装っているレンを見て、それから富井に笑顔を向ける。
「少し、興味があるわね」
「そうか、じゃあ……」
 そうして、富井はレンが内心ではらはらと落ち着かない気分になっている中、彼女達に昔話を始めた。