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冬空のルミナス

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●護送車の中

 蒼空学園の裏庭に教導団の大型車両が一台滑り込み、停止した。
 物々しい形状の護送車だ。その薄黒い色と無骨なフォルムは、存在するだけで見る者に威圧感を与えるであろう。
 この護送車は暴動鎮圧作戦を想定して設計されている。すなわち、大量の暴徒を一斉収容し運ぶことができる車体なのだ。
 しかし現在、その車中にいる囚人はただの一人であった。
 広い車内には医療器具が多数揃えられており、現在本車はその外観に反して、移動手術車としての役割を果たせるようになっている。
 車両が運ぶ唯一の囚人、かつ患者の名は……クランジΙ(イオタ)
 読者諸氏は覚えておいでだろうか? 彼女は塵殺寺院が開発した殺人機晶姫の一人、超一流のスナイパーであった。年齢は十三歳と推測されている。
 だがしかしこれが十三歳の、それも少女の顔だろうか。
 頬はこけ目は落ち窪み、まるで生気というものがない。針のように細い虹彩だけやけに目立った。じっと黙って壁を見つめている。銀髪も手伝ってか、幼い顔をした老婆のようでもあった。数日前に目覚めてから、ずっとこうだという。
 手錠をはめられたイオタの両手には痛々しい特徴があった。右手は手首から先がなく、左手も、人差し指と親指しか残っていない。服は囚人用の白いものだ。場合によっては拘束着にもできる。
 車内には、イオタの他に一人いるだけだった。簡易ベッドに腰掛けている。
 エウフロシュネ・ヴァシレイオス(えうふろしゅね・う゛ぁしれいおす)だ。彼女はしきりとイオタに話しかけているがまるで無視されている。そもそも、現在のイオタに、人の話を聞くような意識があるのかすらわからない。
「メディカルチェックの時間だ」
 がらっと扉を開けてグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)(ライザ)が入ってきた。
「うーん、イオタ、ぜんぜん話、してくれないね」
 エウフロシュネが言うもライザは生返事して、
「交替だ。出ていってくれて構わない。書き初めを見物してくるといい」
「必要ないね。ワタシ、ここ、いるよ」
「なら言い方を変えよう。出ていけ」
「そんな……! うわ、もう、押さない、押さないよ!」
 なおも抗議するエウフロシュネを無視して彼女を外に押し出すと、ライザは扉をしっかり閉じ、護送車の窓を開けた。
「鉄格子が入っているが……これだけあれば十分だな」
 言うなりライザは腰の剣を抜いた。魔剣『青龍』……! この剣には、植物を異常成長させ操る能力がある。
 たちどころに窓の外から、学園で育てている植物のツルやツタが伸びてきて車内に入り込んだ。これらの緑色は鞭のように、くねりながらイオタの躰に絡みついた。その四肢のすべてを縛りつける。首にも。
「ローザは、其方に執着している――いや、あれはもはや妄執と言うべきか」
 しかしイオタはさして動じる様子もない。いや、ライザが入ってきたとき同様、無感動な目で壁を見つめているだけだった。
「それを断ち斬ることができるのなら、妾にそれを躊躇う理由などありはしない。ここで素首、刎ねば事足りよう。だが――」
 イオタは無抵抗だ。魔剣青龍であれば、ほんの一振りするだけで首を落とせるだろう。
 ライザは、剣を振るった。
 しかしそれはイオタを傷つけるためではなかった。彼女を縛る植物を切り刻むためだけに用いられた。
「妾は、その様な終焉に興味はない……行くぞ」
 どさっ、と床にイオタは崩れ落ちた。
 イオタはのろのろと体を起こすと、元いたベッドに座り直した。一言も口をきかない。
「なんデ、危害を加える気もないのに、あんなことしたか?」
 ライザが外に出たとたん、エウフロシュネが食ってかかってきた。
「いい警官と悪い警官だ」
「それなにか?」
「悪い警官が徹底的に容疑者をいじめて尋問する。それから、いい警官がかわりに入ってきて優しく容疑者に言いきかせる。容疑者は情にほだされて口を割る……」
「なにそれ!」
 エウフロシュネはムッとした声で言った。
「つまり、ローザが『いい警官』いう気ね? ライザ一人でワルモノになる、そんなのローザもワタシも望まナイ」
 だがライザは首を振った。
「妾がやつに言った言葉、聞いたであろう。あれも本心だ。……できるなら、ローザの妄執を取り去ってやりたいという気持ちもある」
「トモダチは大切。それを奪った奴が許せナイ。分かる。それが自然、あるべキ感情。執着はその延長線上にある。だカラ、Ιへの執着は、ある意味で当然。ライザは違うか?」
「……妾には、わからぬ」
 ほら、とライザは顔を上げた。
「『いい警官』が来た」

 ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)が護送車に入った。
「魍魎島以来ね――クランジΙ」
 椅子を引いて、イオタの眼前に座る。ここではじめてイオタが口を聞いた。ただ、焦点の合わない目でぼそっと、小声で呟いただけだったが。
「……死ね」
「ご挨拶ね」
 ローザはさして気にすることもなく、あっさりとイオタの手錠を外した。
「団長の許可も得てるから、安心していいわよ」
「……」
「あなたのその手を、今から治す」
「なんだと……?」
「言った通りの意味よ」
 ローザは、イオタの腕と首に痲酔を打った。局部麻酔だ。
「私を殺して逃げようなんて思わないでね。護送車の周囲はライザとエウフロシュネだけじゃなく、海兵隊特殊強襲偵察群【SBS】にも、二重、三重に守らせているから。やるだけ無駄よ」
 そして本当に、ローザはイオタの手に義手と義指を取り付け始めたのだった。
「こう見えて私、クランジ修理にかけてはエキスパートなのよね」
「知ってるよ。あんたに手がけられた機体は全部、《※最悪に汚い英語のスラング。妥当な言葉がないため伏せ字》になりさがったね」
 ローザはイオタの罵倒をスルーして、独り言するように言った。
「陣はまた違う考えみたいだけど――私は、貴方がどう振舞おうが構わない」
 なおこの義手ならびに義指は、脳波を電気信号に置き換え触覚すら再現する本格的な物である。
「美空を殺したのは私の甘さ――そして、あなたがミス・ソノダを仕損じたのもまた、契約者の力を読み違えたあなたの甘さよ」
「せいぜいほざいておくんだね」
「あなた、二度も失敗しているわね。いずれクランジΖ(ゼータ)が殺しに来るでしょうね。あなたのことを……。跳弾の弾道を計算するよりもはるかに簡単にわかるでしょう?」
 ローザがこの手術をするのははじめてだが、何十回、何百回とシミュレーターでトレーニングしてきたのだ。みるみるうちに手術は終わりにさしかかっていった。
「もはやあなたは狩る側ではない。狩られる側に過ぎないわ」
「僕は、今までの連中とは違う」
「どうだか」
 神経伝達系を身長に接合し、ローザは手術を終えた。
「かなりリハビリが必要と思うけど、だんだん動くようになるわ。その手」
 言いながらローザは、イオタが見たことのない医療機器を取り出した。ローザはこれをイオタの体のほうぼうに近づけては離した。イオタの身体データを取っているのだ。
「リハビリさえ怠らなければいつか、以前と変わらない生活ができるようになるわ――もちろん、銃を持つことも。私と再び対決したいのなら、それでも構わない。弾丸を交わすことでしか分かり合えないのなら、受けて立つわ――これが私の答えよ。いいかしら、ライザ?」
 ローザマリアは護送車の扉を開けた。そして壁にもたれかかって、ライザを待った。
 ライザは立ち入ると、イオタの手とローザとをかわるがわる見比べ、ふんと鼻を鳴らした。
「好きにするがいい。その者を治し、結果として其方がその者に討たれたときは其方もそれまでだったということだ。無論、其方の器を量り違えた妾も、身を以て代償を支払うこととなろう」
「最悪の結果だけは避けたいわね」
 ローザは幼子のように微笑むとイオタに近づき、その胸になにか貼り付けた。
「ほら、プレゼントよ。私からの餞別」
 それは名札だった。
 『イオリ・ウルズアイ』と書かれていた。
「その名前はある人の提案。私は『オターヴィア・ヴォルツィウス』というのを推したけどね。でも、イオリも可愛いじゃない?」


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 護送車から、数キロ離れた断崖の上。
 カイサ・マルケッタ・フェルトンヘイム(かいさまるけった・ふぇるとんへいむ)が無言でたたずんでいた。
 彼女の目は蒼空学園のほうを向いている。
 なにか見えているのだろうか。
 だとしたら、なにを見ているのだろうか。