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それを弱さと名付けた(第3回/全3回)

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それを弱さと名付けた(第3回/全3回)

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chapter.17 大講堂の戦い 


 タガザ――いや、魔女ニムフォがアクリトを真っ先に狙ったということは、何人かの生徒が予測した通り、やはり大学訪問の目的は彼だったのだろうか。
 考える余裕はない。ニムフォは杖をすっと一旦手前へ引いた。そこから何か来ると予測し、アクリトの前に出て彼の身を真っ先に守ろうとしたのはラルクと司だった。
「すまねぇな、ねぇちゃん。用件はまず、俺に通してくれ」
 身構えるラルクの横で、司が背中を向けたままアクリトへ言う。
「学長がまだ何を隠していたとしても、信頼に揺らぎは無い」
 ふたりがニムフォを迎え撃とうとした時だった。
「ダメ! 避けてっ!!」
 愛美の声が、ニムフォの攻撃よりも先に彼らに届いた。寸前でラルクと司は腕でアクリトを後方に退けつつ、距離を取る。
「……!」
 その直後彼女の杖が振られ、生徒たちは表情を凍り付かせる。アクリトたちがいた場所の両脇にあった座席が、一瞬で材質を石へと変えていたのだ。愛美の声が遅れていたら、3人がまとめて石化していたかもしれない。
「ああそうか、一度味わってるから分かってるのね。私の力を」
 彼女の存在を面倒に思ったのか、ニムフォは一転、愛美の方へと矛先を変えた。ドレスにヒールという服装からは想像出来ない早さで接近すると、ニムフォは杖を愛美に向けた。彼女の力を、危険さを知ってはいても、愛美の身体能力はお世辞にも高いとは言えなかった。脳が逃げろと指示を出すが、体が追いつかない。咄嗟に避けることが出来ず、両腕で体を覆った愛美。
 それを、トライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)が横から抱きかかえ、その場から退避させた。
「危なかったな、愛美」
 トライブはとん、と後方に跳ね、大きく距離を取る。そっと愛美を下ろしながら、彼は言った。
「殺気看破で警戒しといて良かったぜ。大丈夫か?」
「う……うん、ありがと」
「一気にここが危険な場所になっちまったな。どうする? 一旦講堂の外に避難しとくか?」
 トライブが優しく問いかける。しかし愛美は、首を横に振った。
「みんなのお陰で、ここまで来れたんだもん。ここから逃げたら、ちゃんと本当のことに辿り着けない気がするの」
 それを聞いて、トライブが笑顔をのぞかせる。それは、彼がどこかで望んでいた答えだったからかもしれない。
「タガザ……いや、今はニムフォか。あいつが何者で、何が目的かは分からねぇけど、こんなことくらいで愛美は負けないと思ってたぜ。むしろぶっ飛ばしてやるってくらいの勢いがあってもいいくらいだ」
 そう言うと、トライブは愛美を守るように彼女の前に立ちはだかった。
「そのためなら俺は、体のひとつくらい余裕で張ってやる! さぁ、気合いを入れていくぜ!」
 ニムフォは自分と愛美の距離を計る。目測で、およそ40歩。しかし、間に机や椅子があるせいで、直線を辿ることは厳しい。さらに今は、トライブがしっかりと愛美をガードしている。ならば。
 す、と彼女が杖と同じように、今度は懐からもう一本、細い棒を出した。しかし先程同様、杖へと変化したわけではなかった。生徒たちの前に現れたのは、箒であった。
 ニムフォはそれに乗ると、天井目がけ一気に空を走る。広々とした天井には、等間隔で照明装置が設置されていた。彼女の狙いは、これであった。
「ピンチの時は助け合おうってとこ? 反吐の出そうな感情ね。頭蓋骨バラバラになって、ヨダレ垂らしながら潰れなさい」
 持っていた杖を、ニムフォが振るった。彼女の近くにあった証明が石へと姿を変え、その重みで落下していく。
「っ!!」
 急スピードで床面目がけ落ちてきた石の塊は、激しい衝撃音と共に砕け散った。間一髪、トライブは愛美が怪我を負わないよう身を盾にして防ぐ。代わりに、慌てて彼女を覆うように庇ったせいか、飛び散った破片が彼の腕に直撃していた。鈍痛に耐えながら、トライブは頭上を見上げる。ニムフォが次はどの証明を石に変えて落下させようか、品定めをするようにくるくると浮かんでいた。
「許さねぇ……愛美を、俺たちを弄ぶような真似しやがって。事情や理由なんか知ったことか。たとえどんな深い理屈を並べたところで、ケジメはつけさせてもらうぜ」
 腕を押さえながら、彼が言う。その近くでは、パートナーのジョウ・パプリチェンコ(じょう・ぱぷりちぇんこ)がニムフォを見上げてあることを考えていた。
「ネヴェスタって確か……花嫁って意味があったって聞くけど、あの様子を見ると、剣の花嫁じゃなく、言ってた通り魔女なのかなぁ」
 未だ目的が見えないニムフォ。ジョウは可能性として、彼女が剣の花嫁であることを考えていた。
 剣の花嫁は、パートナーの大切な人に姿が酷似する。だからこそ、あの人も誰かのパートナーで、もっと自分を見てほしくて美貌にこだわっているのでは、と。
 しかし、頭上で舞うニムフォの使う道具、魔術は明らかに魔女のそれであった。ジョウが出来ることは、正体を突き止めることからトライブたちを守ることへと変わっていた。

 と言っても、思った以上に彼女の攻撃は厄介であった。
 まず第一に、天井付近を飛空していることでこちらから直接攻撃を仕掛けるのが困難であること。そして、天井にはまだまだ彼女の武器があり、どのタイミングでどの照明をどこに落とされるかが読みづらいこと。さらに、ひとつ照明が落とされるごとに、講堂は暗さを増していき、回避が困難になっていくこと。まさに、一石三鳥の攻撃方法であった。
 それを打開しようと一同の前に進み出たのは、エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)だった。彼は両手をひらひらとさせ、片足を微妙な角度で曲げたままニムフォを見据える。その格好は、酔拳にも似ていた。メンタルアサルトによる、不可思議な構えである。その構えのまま、エヴァルトは言った。
「まったく……下らんことにここまで固執するとはな。どれだけ世間で美女と呼ばれているか知らんが、お前が持っているのは変わらない美しさなどではない。代わり映えのない、ワンパターンで、飽きの来るものに過ぎん。いくら売れっ子だろうと、同じネタを繰り返しては飽きられる……それと同じだ」
「あらそう。私はあんたたちの戯言の方が飽き飽きしているけど」
 エヴァルトの真上にある照明を石弾にして放つ。エヴァルトはそれを際どいタイミングと姿勢でよけると、そのまま近くの壁を利用し軽やかに飛び跳ね、神速で龍飛翔突――強烈な突きを放とうとする。攻撃が届けば脚で相手の体を捕え、勢いに乗せて地面に叩き投げる算段だった。
 とっ、とっ、と壁を足場にして跳躍を試みるエヴァルト。その体はある程度まで上へと運ばれるものの、大講堂の高い天井まで届くには至らなかった。
 この方法では攻撃を届かせることが出来ない、そう判断し、彼は一旦着地した。その彼目がけ再度石が落とされるが、運良くそれは目標物であるエヴァルトから離れたところへ落ち、被害を免れた。地面に散乱した石の破片を見て、エヴァルトはもう一度口を開いた。
「行動もワンパターンだな。何度もアンデッドを使ったり、照明を落とすだけだったり……芸のない。地球には『株を守りて兎を待つ』という言葉があるが、正に今のお前がそれだ」
 エヴァルトとしては、誘導尋問を兼ねた挑発のつもりだったのだろう。そこから何か彼女の真意を探り、あわよくば上空から引きずり下ろそうと目論んでいた。しかし。
「じゃあ今度はこうしてあげる。さっさと剥き出しの骨見せて、肉片飛び散らせなさい」
 ニムフォはあろうことか、素早く周囲を旋回し、自身の半径10メートル内にある照明をことごとく杖で姿を変えさせ、石の雨を彼らに振らせた。
「やばい……!!」
 ドドド、と轟音が響き、講堂はさらに暗くなった。ここに残っている明かりは、講堂の端を囲む照明と窓から差し込む暮れかけた太陽の光のみである。地面はデコボコに陥没し、砕けた破片は至るところにある窓を割っていた。
「む……」
 アクリトが立ち上がる。それとほぼ同時に、愛美も。ふたりの体には、幸運にも傷がほとんどついていなかった。否、幸運などではない。ふたりを守っていた生徒たちが、自らの命を二の次にして防いだのだ。直撃を受けた生徒はいなかったようだが、ここにいた者のほとんどが体のどこかしらに痣や裂傷をつくっていた。
「舐めた口をきくからよ。見下すのは私。あんたたちは黙って見上げなさい。神に祈りを乞う罪人のように。雨を待つ農民のように」
 ニムフォは自分が優位にあることをはっきりと自覚する。エヴァルトの挑発は、まったくの逆効果となってしまったかのように思われた。しかし、彼の行為は逆転の引き金を本人も知らぬ間に引いていた。

「なんでしょう、突然講堂が暗くなりましたね。それに、地鳴りのような音まで」
 それは、隣の棟で講演中ずっと監視をしていた遙遠だった。講演会が終わり一旦は監視を止めたものの、万が一に備えまだ棟に残っていたのである。さっきまで使っていた双眼鏡をもう一度取り出し、中の様子を見る。そこには、箒に乗ったニムフォが照明を石に変え落としている風景があった。
「やはり、やってくれましたね。瑠璃、非常事態です。講堂に向かってそれを」
「やっと出番なの!」
 指示を受けた瑠璃が、持っていたロケットランチャーを遠慮なく発射した。後でお咎めを受けるのを覚悟の上の一撃だった。
 ひゅるる、と煙を引きながら講堂に近づいたその弾頭は、外壁に触れた瞬間凄まじい爆音と共に大量の煙を生んだ。煙で見えないが、講堂の壁は直径2メートルほどの穴が開いていた。
「なに……!?」
 突然打ち込まれた巨大な一発に、ニムフォも思わず声を上げた。それは、戦いが始まって初めての隙だった。エヴァルトの挑発が、結果として彼女の一斉攻撃を誘発させ、外部に異変を気付かせたのだ。困惑が生じたのは生徒たちも同様だったが、ニムフォの注意が逸れ、煙幕が発生しているこの好機を逃してはいけない。
 真っ先にそう判断し、動いたのはイーオン・アルカヌム(いーおん・あるかぬむ)とふたりのパートナー、アルゲオ・メルム(あるげお・めるむ)フィーネ・クラヴィス(ふぃーね・くらびす)だった。
「フィーネ、アシッドミストを」
「目的も謎の敵と戦うというのはいささか野蛮だが……そうも言っていられぬか」
 魔力を霧と変え、周囲に発生させていくフィーネ。ちらりと見たイーオンの横顔は、心無しか苦い顔をしているように見えた。その意味を問いたい気持ちがないわけではなかったが、優先すべきはイーオンの意思と同じ、ニムフォの陰謀を阻止することだった。
 フィーネが放った霧は、瞬く間に上へ上へと上昇していく。そして昇った分だけ濃度が増すのは、自然の摂理である。
「ん……これは……ゴホ、アシッドミスト……か」
 ニムフォが気付いた時、既に霧は彼女を覆っていた。霧に含まれた酸が、ニムフォを数度咳き込ませる。それはイーオンにとって、狙いを定めるには充分過ぎる時間だった。
「彼女の使う魔術に対する予測はある……しかし、捕縛か、あるいは近い状態まで持っていかなければそれも確かめようがない」
 一瞬だけ目を閉じた後、イーオンは何かを決意したようにサンダーブラストを放った。
「ゴホ……ぐっ!?」
 霧の奥から突如駆け上ってきた雷。この状態でかわすことは、不可能だった。その身に激しい痺れと痛みを受けてしまった彼女は、バランスを崩し箒から身を投げ出した。
「アル」
 それを見るや否や、イーオンはアルゲオの名を呼ぶ。
「イエス、マイロード」
 アルゲオはバーストダッシュでニムフォの落下地点へと足を動かすと、地面すれすれで彼女を受け止め、そのまま自身の体を重しとして組み伏せる。
「く……私を下に敷くなんて許されると……!」
 身を捻り、脱出を計ろうとするニムフォだったが、その細身の体では体勢を僅かに変えることが精一杯だった。
「拘束完了しました」
 アルゲオの淡々とした口調と、体を横たえ身じろぎしているニムフォはどこかちぐはぐな印象を与えていた。



 辺りを埋めていた埃と地鳴りが収まり出し、やがてその場にいた誰もが現状を把握するに至る。
 動きを封じられ、杖も箒も使えない彼女に抗う術は残っていない。
「よくここまで暴れ回ってくれたな。覚悟してもらおうか」
 エヴァルトがアルゲオに組み敷かれたままのニムフォを見て言う。だが、この期に及んで彼女の口から出たのは、不敵な言葉だった。
「殺すつもり? モンスターでもアンデッドでもない私を? 芸能人として活動し、ファンがついている私を?」
「殺しはしない。行動不能一歩手前までダメージを与えるだけだ」
「そんな都合良く調節できる? 私はあんたたちが思ってるより脆いのよ? もし加減を間違えて死んでしまったら? 人殺しの汚名をずっと背負っていくの?」
 ニムフォが矢継ぎ早に言う。何もそれは、エヴァルトに対してだけ言った言葉ではなかった。学生が、殺人を犯して良いのか。そういう忠告を、彼女は全員にしたのだ。この状況で助かるための、苦肉の策だった。が、それは彼女が思っていた以上の効果を生んだのか、生徒たちの動きがぴたりと止まった。彼女の問いに、答えることが出来なかったからだ。加えて、まだ愛美は大事なことを聞いていない。被害に遭った者が、どうすれば元に戻るのかを。
 これ以上ニムフォに手をかけられない生徒たちの様子を察すると、彼女はにやりと笑みを浮かべた。まだ、形勢は逆転できる。ある人物のところまで辿り着ければ。
「!?」
 ニムフォは止まっていたアルゲオを残りの力を振り絞り体の上からどかすと、そのまま何も持たず、身ひとつで歩き始めた。進路の先にいたのは、アクリトだった。
「まさか、本当にアクリトに憑依するのか……?」
 アクリトのそばにいた鏨が、自身の予感が当たっていたのでは、と心臓の音を高める。彼の呟きを聞いた周りの生徒――アクリトを護衛していた者たちは、反射的に両者の前に塞がる。ニムフォに、それを突破する力はもうない。
 それでも彼女は、右手を、左手を、頭を。持てる部位のすべてを使って、生徒たちをどかそうとする。その姿は、哀れにすら見えた。
「どうして、あんなこと……」
 その光景を見ていた愛美が、胸に手を持ってきて呟いた。
「もしかしたらタガザ……いや、ニムフォは、細胞内の老化に関わる部分を奪う力を持っているのではないか?」
 彼女のそばへ歩み寄り、そう言ったのはエヴァルトだった。彼は、ネクロマンサーにも種類があることを知っていた。遠い地では、死体を操るだけでなく、自身の肉体の欠損を死体の同じ部分で補うことが出来る者もいるらしい。エヴァルトは、それに近い能力が彼女にあるのでは、と踏んでいた。だがそれでは、アクリトを狙う辻褄が合わない。彼よりも若い人間が、目の前にたくさんいるのだから。
「おそらくは、もっと広義のものだろう」
 エヴァルトと愛美の後ろにいたイーオンが、会話を聞きそう告げた。
「対象を触媒とした『部位の交換』といった術理といったところか」
「部位の交換? つまりそれって……」
「使用に耐えられなくなった彼女の肌と、小谷の肌は交換されてしまった可能性が高い」
 イーオンの口から語られる推測に、愛美は目を丸くした。
「じゃあ、じゃあもう私の肌は……!」
「諦める必要はない」
 言いかけた愛美を、イーオンが制した。
「今、彼女の肌は綺麗だからだ。絶えず交換を繰り返しているせいだろう。そして奪取ではなく交換なのであれば、逆にあの綺麗な肌と入れ替えることも可能ではないか」
「そっか! それなら、あの人がその術を使おうとした瞬間に飛び込んでいけば、もしかしたら!」
 愛美の言葉に、イーオンは目を伏せる。
 もしかすると、言うべきでないことを言ってしまったのではないか。目の前の友人を守るため、ここに来たはずなのに。部位の交換はあくまで仮説だ。こちらの望むものが交換される保証もない。賭けにしては分が悪い。
 一瞬そんな考えが頭をよぎったが、それを取り払ったのは愛美だった。
「ありがとう、教えてくれて」
「やるのか? 戻るとは限らなくても」
 イーオンが、念を押すように尋ねる。
「うん! だって私、私ね……」
 愛美の頭に、過去と未来が同時に浮かぶ。たくさんの友達が、自分のためにここまでしてくれた過去。運命の人を懲りずに探しては、みんなに茶化される未来。
「マナミンでいたいんだもん!」
 明るい声でそう言った彼女は、今にも取り押さえられそうなニムフォ目がけて駆け出した。
「みんな、ごめん! どいてっ!」
 戦いの最初で、愛美が危険を声で知らせたせいか、生徒たちは思わずニムフォから一瞬離れる。彼女が奥の手を隠し持っているのではと、警戒したのだ。背後から聞こえた愛美の声で、アクリトまでの導線を見出したニムフォは、膝を地面に擦り付けながら近づいていく。全身にダメージと疲労が回っているのか、顔を上げる余力すら残っていないようだ。
 ふるえる腕を伸ばし、ニムフォがアクリトの胸に手を付けようとする。やや遅れて、彼女の全身から淡い光が滲み出始めた。前に出した手のひらに、体中の気が送り込まれているような、そんな流れを生み出している。
 咄嗟に彼女を拘束し、アクリトから離そうとする護衛の生徒たちだったが、それより先に、ニムフォを追い越した愛美がアクリトと彼女の間に割って入る。
「危ない!」
 誰かが叫ぶ。
 直後、ニムフォを中心とした光が周囲を包んだ。