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【●】月乞う獣、哀叫の咆哮(第3回/全3回)

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【●】月乞う獣、哀叫の咆哮(第3回/全3回)

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「ディミトリアス……!」
 がしゃん、と錫杖の転がった音と共に倒れた人物を目にした瞬間、巫女の悲痛の声が、地下の神殿に響いた。
 何をされたのか、床に倒れ伏したディミトリアスは、床をその血で汚しながら、立ち上がろうとする気配も無い。上下する肩に、辛うじて生きているのが判るだけだ。
 ゆっくりとだが、止まることなく広がっていく恋人の血に、心臓の凍えるのを堪えながらも、巫女は強い眼差しで前を見やった。
「……何者かは存じ上げませんが、我々を邪教と名しながら、何ゆえ斯様に非道な真似をなさるのですか」
 毅然とした態度を意外に思ったのか、輪郭がぼやけてはっきりしないが、頭らしき男がわざとらしい恭しさで頭を下げて見せた。
「申し訳ありませんな。ここまで案内して欲しいと申しただけですが、彼が余りに強情なものでして」
 不本意であったのだ、と口にはしているものの、それを非道だとは全く感じてはいないのがありありと判る。白々しいのは互いに承知の上で、巫女は「それは失礼をいたしました」を冷たい声で言った。
「なれば、ここへ至った理由は……聞くまでもないのでしょうね」
「話が早くてありがたいですな」
 男が喉を擦るような嫌な声で笑うと、その後ろに控えていた男の仲間らしき一団が、影のようにするすると前へ出た。不気味な様相は、巫女の印象がそういった姿を取らせているのか、生きた人間という雰囲気はしない。それぞれの手には、神官が持つ杖のような意匠の槍がある。そう、認識した瞬間、頭の男の持つそれが、ひゅう、と空を切った。
「……ッ、……」
 振り下ろされた槍の穂先が、ディミトリアスに突きつけられ、既に幾つもの傷を負ったその腕をざくりと裂いたのだ。新しく吹き出す血に、相応に深い傷だとわかるが、声を噛み殺したのか、既に喉も潰れているのか、ディミトリアスは呻き声一つ上げない。その反応には慣れがあるようで、男はそのまま穂先をその頭蓋へと突きつけながら、あくまで慇懃に頭を下げて見せた。
「我々は、邪教の発端である超獣さえ滅せれば良いのです。彼の命までとる必要は無いのですよ」
 彼らの要求は、超獣を降ろすこと、そして共に滅びること。ディミトリアスの命が惜しければ、超獣と共に死ね、と言外に迫っているのだが、巫女は憤ることもなく息をついた。この要求を飲んだ所で、邪教と呼ぶ一族を見逃すはずが無い。ディミトリアスの命が助かるわけがないのは判っている。ならば、と、巫女は静かに笑みを浮かべた。
(最早、助かりはすまい。祠も、恐らく失われたのでしょう)
 神殿に満ちていた星の気配は、祠がその機能を失ったと見えて、既に薄れかかっている。アルケリウスが前線へ出ているが、ここまで攻め込まれている時点で、勝敗は既に決したも同然だ。ただひたすらに、超獣を守り、鎮めてきた結果が邪教として討たれることだとは、甚だ不本意なことではあったが、これも宿命なのだろうか、と巫女は目を伏せた。
(還る、時が来たのだ。私も、超獣も……)
 恐らくそれが、超獣を降ろし操ることができるだろうと言われた、自分の生まれた意味なのだろう。虚しいと思うことも、悲しいと思うことも、巫女は知らない。それが生まれた時からの自身の役目であったからだ。
 ディミトリアスが超獣を還す、と口にした時は、突拍子の無いことだと思っていた。生まれた意味を否定するのかとなじりもした。それが、こんな形で実現するとは、皮肉な話だ。こんなことなら、はなから否定せずにもう少し彼の言葉を聴いておくべきだった、と思うが、もう全てが遅すぎる。
(後で、きちんと謝らなくてはならないね……)
 巫女の心は、不思議と穏やかだった。これで共にいられる。しがらみからも何からも、解き放たれて。そんな感情を胸に宿しながら、言葉を紡ぎ、超獣を体と言う器に迎え入れようとした、その時だ。
「……ッ」
 何が起こるか判っていたユリは、思わず目を背け、そんなユリの体をララが庇うように抱きしめる。次の瞬間。
「―――ッ!!」
 三者三様の叫びと共に、世界は真っ赤に染まった。
「ありえないわ――まだ動けたの?」
 女の声。
「構うものか、そのまま突け!」
 男の声。
 だが、それらの殆どは、巫女の耳には届いてはいなかった。その目はただ、瞬くことすら忘れたように、自分を庇っていくつもの槍を体に受ける、ディミトリアスの姿を見ていた。
「ま、ない……アニューリス……きみは、生き……」
 切れ切れの声で囁く、その体と共に、足元が淡く光を灯し始めたことで、巫女はディミトリアスが何をしようとしているのか、理解した。地面の溝を流れたその血を陣にし、魂を代価に封印しようとしているのだ。超獣を――自分を。
「……、ディム……ッ」
 悲鳴のように名を呼ぼうとした口が、唇に塞がれる。流れ込んでくるものは、失われていく命そのもの。毒のように甘く、意識を深くへ沈めていこうとしていた。
(嫌だ、眠りたくない……!)
 目を閉じてしまえば、永遠に失われるのが判っていた。崩れ落ちていく体が、体温を無くし、瞳が光を消し、触れている唇が離れていくのに、手を伸ばすことも出来ない中、巫女の心は血を吐くような悲鳴をあげて軋んでいた。置いていかないで、と。一人にしないで、と。最後時には共に、と誓ったではないか、と。

(永遠に失うぐらいなら、一緒に死んでしまいたかった――……!!)


 その叫びは、超獣の叫びとなって大気を振動させた。びりびりと森を揺らし、相殺し切れなかった余波、心臓を掻き毟りたくさせるようなそれに、皆が思わず耳を覆う。そんな中、特に顕著な反応を見せたのは、アニス・パラス(あにす・ぱらす)だ。
「や、やだ……ひとりは、やだよぉ……っ!」
「アニス、しっかりしろ!」
 佐野 和輝(さの・かずき)が慌ててアニスを引き寄せ、その肩を撫でながら落ち着かせるように声をかける。クローディスと巫女のリンクを支えるため、精神を近づけていたのが仇になった。垣間見た記憶に、精神が幾らか引きずられたのだ。同じか、それ以上にその影響を受けたはずのクローディスは、真っ青な顔で、それでも何とか堪えつつも、「不味い……」と呻くように声を漏らした。
「悲嘆が……呑まれ、る」
 どうやら、記憶の一部、それも最も辛い記憶が鮮明になってしまったために、巫女の嘆きと悲しみがより増し、超獣と共鳴して同化を推し進めようとしているのだ。気を抜けば溢れ出す涙と、叫びだしそうになる衝動を抑えながら、ぜえ、と息を吐いてクローディスは首を振った。
「超獣が、シンクロを深めてる……これ以上、同化が進むのは、危険だ……」
「情報を待っている時間はなさそうですね」
 クローディスの様子に眉を寄せ、難しい顔で白竜が呟いたのに、レオナーズ・アーズナック(れおなーず・あーずなっく)が、挑むように鋭い眼差しで、超獣を見やる。
「巫女を助け出すのを、急ごう」
 その決意の篭った言葉に、一同は緊迫した表情で頷いた。