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【四州島記 完結編 一】戦乱の足音

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【四州島記 完結編 一】戦乱の足音

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第一章  疑念

「『雄信に、何か変わった事がないか?』ですか……?」
「はい。どんな些細な事でもいいんです。誘拐される前と後とで、何かご子息に変わった所はありませんか?」

 そう言って三船 敬一(みふね・けいいち)は、御茶ノ水 千代(おちゃのみず・ちよ)の点てたお茶を一息に飲んだ。
 生来不調法な敬一には良くわからないが、多分美味いお茶なのだろうと思う。 

 敬一の真剣な表情に、ただならぬものを感じたのだろう。次期東野藩主広城 雄信(こうじょう・たけのぶ)の実母春日(かすが)は、神妙な面持ちで、記憶の糸を辿り始めた。

 「どういう事なのですか?『雄信様の事でどうしてもお話したい事が』というお話ですが、雄信様にどこか疑わしい点でもあるのですか?」

 敬一に新しいお茶を勧めつつ、千代がが言った。
 半ば詰問するような口調になっているのは、別に敬一の不作法を咎めての事ではない。

 現東野藩主である広城 豊雄(こうじょう・とよたけ)の隠し子、広城 雄信(こうじょう・たけのぶ)誘拐の現場に駆けつけ、その母である春日を何とか敵の手から救い出して以来、千代は常に春日の側にあって、彼女を支えてきた。
 その姿勢は雄信が無事に帰還してからも変わること無く、元々城中に知り合いのいない春日にとって、千代はかけがないの無い友人となっていた。
 そしてそれは、千代とて同じである。

「いや、何か確たる証拠があるという訳じゃないんだが……。雄信様が救出された経緯を考えると、何者かの作為を感じずにはいられないんだ」
「それは、確かにそうだけど――」

 そう言ったまま、口ごもる千代。
 確かに、雄信が救出された経緯(いきさつ)には、不審な点が多過ぎた。


 何者かによって連れ去られた雄信は、気がつくと、何処かの座敷牢に監禁されていたという。 
 犯人たちは、常に顔を隠していたので良くわからなかったが、人数は全部で5、6人程と思われた。
 行動の自由を奪われ、雄信は、いつしか日にちの感覚すら無くなっていった。
 だがある日、それは突然に起こった。

 差出人不明の密書により、雄信の監禁場所を知った『調査団』のメンバーが、雄信を牢から救い出したのである。
 無論、初めは皆、密書の内容を疑った。
 しかし、密書に同封されていた雄信の肌守りを、春日が本物だと認めた事により、救出作戦は決行。
 完全に敵の不意をついた作戦により、敵は抵抗らしい抵抗も出来ずに壊滅。雄信は無事救い出された。
 この時の作戦には、千代も参加していた。
 母の身を案じる雄信に、春日の無事を告げた時の、彼の安堵の表情を、千代は今でも鮮明に覚えている。
 
 こうして取り敢えず広城へと迎えられた雄信だったが、すぐに本人と認められた訳ではなかった。
 母親の春日こそ、本人と信じて疑わなかったものの、他の者は皆、彼が本物かどうか、激しい疑念を抱いた。
 こうして雄信はその後数日間に渡り、魔術や特殊な装置による変装や変身、洗脳や後催眠、記憶の操作などが無いか、徹底的なチェックを受ける事になった。
 最終的に雄信が本人と認められたのは、DNA鑑定によって東野公の親子関係が確認されたからである。 
 それは、最終的に水城 隆明(みずしろ・たかあき)を東野藩の後継者に指名する四公会議が開かれる、その数時間前の出来事であった。

 一方、雄信救出作戦の際に捕らえられた敵兵から得られた証言や、監禁場所から押収された証拠により、全ては西湘藩の水城 永隆(みずしろ えいりゅう)の企みであった事が判明。
 その事を詰問された隆明は、自身の関与はおろか、監禁の事実すら知らなかったと主張したものの、最終的には城下を脱出し、九能 茂実(くのう・しげざね)の元に逃げ込んでいる。

 
「結局、密書の送り主は不明。雄信様の肌守りが同封されていた事を考えると、敵方に裏切り者がいたと考えられるが、捕虜を尋問しても、それが誰かはわからずじまいだった」

 今回の尋問においては、かなり苛烈な拷問が行われたとも聞いている。それでも口を割らないのだから、本当に知らないのだろう。

「だから、雄信様を疑うのですか?」
「密書を送ってきた奴には、必ず何らかの狙いがある。雄信様が無事に帰還して、東野藩を継ぐことによって、そいつは得をするはずなんだ」
「だからと言って、雄信様を疑う理由にはなりません。密告者にしても、例えば、水城永隆の方針に反対している西湘藩の人物とか、隆明や九能茂実に個人的な恨みがある人物とか、可能性はいくらでもあります」
「それは俺もわかってる。別に雄信様を疑ってる訳じゃない。あくまで念のため、聞いてるんだ」

 仏頂面で、敬一は言った。
 彼とて、最愛の息子を疑えというような事を、直接母親に訊ねるのは気が進まない。
 ましてやそれが春日のような、母の鏡のような人物となれば尚更だ。


「あくまで、私の見た範囲ですけれど――」

 それまで黙って2人のやり取りを聞いていた春日が、不意に口を開いた。

「雄信に、これといっておかしな所があるようには感じられません」

 迷いなく言い切る春日の態度に、安堵する千代。
 そしてその思いは、疑念を持った敬一も同じだ。
 
「ただ……」
「ただ?」
「夜中に時々うなされている事があると、小姓から聞いた事があります」

 広城に住むようになってから、雄信と春日は同じ部屋寝た事はない。
 かつてのような庶民の暮らしとは違い、次期藩主の身分では、それは許されないことなのだ。

「うなされる?」
「はい。次期藩主という立場が負担になっているのか、それとも監禁されていた間の辛い記憶が忘れられないのか。とにかく、時々夜中にうなされていると」
「それは……少し気になりますね――いえ、雄信様が疑わしいと言うことではなく、あくまで健康上の問題ですけれど」

 千代は、心の底から雄信の健康を案じた。
 突然の環境の変化と、降って湧いた責任の重さに、若い雄信が押しつぶされそうになっても不思議ではない。

「私が訊ねた時には、『夜も良く眠れているし、問題ない』とは言っていましたけれど……」 

 そうは言いながらも、春日の顔は曇ったままだ。

「そうですか……。わかりました。それではその件については、俺の方でも少し調べてみます。御上さん辺りなら、何か知ってるかもしれません。雄信様の家庭教師ですからね」

「私も、それとなく気にしておきます。若様が心の病にかかるような事があっては、大変ですもの」
「千代さん、敬一殿、くれぐれよろしくお願い致します」

 春日は畳に手をついて、二人に深々と頭を下げた。

(たとえ雄信様が無事に帰ってきたとしても、春日さんの気苦労が減る訳じゃないのよね……)

 いつまでも頭を上げようとしない春日の姿に、千代は改めて、これからも彼女を支えていこうと、決意を新たにするのだった。


「何も、有益な情報はありませんでしたよ」
「やはり、そうか」

 レギーナ・エアハルト(れぎーな・えあはると)の素っ気ない報告に、敬一はさして失望した風もなく応えた。

「城下で雄信様の話といえば、『ひと目見て、豊雄様の息子だってわかった』とか、『百姓出身の殿様なら、俺達庶民の事も色々と気遣ってくれるんじゃないか』とか、『その百姓出身の殿様に、戦が出来るのか?』とか、そんなに話ばかりでした」
「想定の範囲内だな」
「武将としての雄信様の資質を疑問視する声は少なからずありましたが、それを除けば、民の支持は相当高いようです」
「それも、想定の範囲内だな」

 レギーナの報告に対する敬一の態度は、誠に素っ気ないものだった。
 自分で頼んでおいてなんだが、敬一は城下での聞き込みには、ほとんど期待していなかった。
 本当なら春日と雄信が住んでいたという山村で聞き込みをしたい所なのだが、戦が差し迫った今、その時間はない。
 
「そうそう。それからこれはオマケなんですが――」
「オマケ?」
「はい。以前、城下で攘夷を訴えていた遊佐 堂円(ゆさ・どうえん)とかいう論客、アレから姿を見せていないようです」
「アレというと、ウチのメンバーが潜入調査に行って、危うく捕まりそうになったっていうアレか?」
「はい。いわゆる攘夷思想とか、排外主義を訴える集会というのは未だにあるんですが、遊佐堂円が現れる事は無くなったそうです。どうです?役に立ちましたか?」
「ああ。多分な」
「それは良かった。骨折り損にならずに済みました」

 役に立てたのが嬉しかったのか、レギーナの声は心なしか弾んでいた。
 包帯で、表情は良くわからなかったが。 
 
 

「お加減はいかがですか、忠則様?」

 《桃幻水》で女体化した南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)――この姿の時は、『光(ひかり)』と名乗っている――は、床に臥せっている長谷部 忠則(はせべ・ただのり)に訊ねた。

「おお、光か……。随分と良くなった。全身に溜まっていた澱(おり)がすっかり取れ、身体が軽くなった気がする」
「《呪詛払い》が効いたのですね。良かった……」

 ホッとした表情を浮かべながら、光は、床から起き上がろうとする忠則に手を貸した。
 女体化して、長谷部の元に潜入してから既に2ヶ月。すっかり、女としての所作が板についている。


 光一郎のパートナーであるオットー・ハーマン(おっとー・はーまん)の呪詛により、茂実軍の有力武将である長谷部が倒れたのが、今から一月前。
 その一月の間に茂実は、光を長谷部から奪い、自らの奥女中とした。
 光一郎が、手練手管を駆使して、茂実を誘惑したのである。
 茂実は、まんまと光一郎の『離間の計』に嵌ってしまったのだ。
 こうなると、後は光一郎の思うがままである。

 光は茂実に、『長谷部の病はとっくに治っており、仮病を使って、密かに謀反を企てている』と讒言した。
 これを真に受けた茂実は、病床の長谷部を亡き者にしようと図る。
 これに対し光一郎は、オットーと巧みに連携して長谷部の死を偽装すると、長谷部を秘密のアジトに匿った。
 全ては、長谷部に謀反を起こさせるためである。
 もちろん、「私はただ、忠則様をお助けしたいだけなのです」とか「私の身体は茂実の元にありますが、心は忠則様……貴方様の元にあります」などと、もっともらしい事を並べ立て、長谷部を煽り立てたのは、言うまでもない。
 
   
「すまぬな、光……。それで、茂実は?」
「茂実は昨日、水城 隆明(みずしろ・たかあき)様と共に出陣なさいました。今大川には、僅かな兵が残るのみです」

 日頃、茂実の目を盗むようにして行っている密会を、こうして堂々と行う事が出来るのも、茂実が留守なお陰だ。

「それで、儂の兵たちは?」
「忠則様の兵は、茂実が、一人残らず決戦場の日吉野(ひよしの)に連れて行きました。恐らく、後に残して謀反を起こされては困ると思ったのでしょう」

「そうか……。わずかでも手勢がおれば、大川を奪う事も出来るのだがな……」
「ご安心下さい、忠則様。忠則様の兵とは、内密に謀反の企てが出来ております」
「なんじゃと!それは誠か!」
「はい。忠則様には、兵卒に変装して軍中に紛れ込み、忠則様の兵たちと合流して頂きます。そして、頃合いを見て茂実を裏切り、戦場を脱出するのです」
「なんと、そこまで策が進んでおるとはな……。光」
「はい?」
「以前より薄々思っておったのだが、お主、やはりただの女では無いな――」

(やっべ、バレた!?)

 光一郎の額を、冷たいモノが伝う。
 だが、長谷部の口から出た言葉は、予想外のモノだった。

「――光。そなた一体、どこの間者じゃ?」

(ば、バレてねぇ〜……)

 最悪の事態は免れたと知り、胸を撫で下ろす光一郎。
 今も、胸がバクバクと鳴っている。

「わ、私は間者などではございませぬ!今申し上げた策も、全て忠則様のご配下がお考えになった事!私は決して――」
「もう良い、光」

 光の弁明を、忠則が遮った。

「もう良い――。そなたが何処の、誰の間者でも構わん。そなたが、儂の命を救ってくれた事に変わりはない。それに、儂のそなたに対する『想い』もな」
「忠則様――」

 正面から、視線を絡め合う二人。
 最初に目を逸らしたのは、長谷部の方だった。

「策を成功させるためには、すぐにでも出立した方が良いのであろう?光、支度を頼む」
「か、畏まりました」

 決戦の最中に謀反が起こったとなれば、九能軍の動揺は計り知れない。
 ましてや、決起したのが死んだはずの長谷部となれば尚更だ。

(そうなりゃ、九能軍が総崩れになるのは確実――。頼むぜ、長谷部ちゃん♪)

「早速、お召し替えの準備を致します」

 そう言って廊下に出た光一郎は、足早に廊下を歩きながら、改めて先程の長谷部の言葉を思い出してした。
 長谷部の『光』に寄せる想いの強さに、思わずゾッとする。

(コトが終わったら、とっととトンズラしよう……。万が一にも正体がバレたら、何されるかわかんねぇ……。斬りかかってくるならまだしも、押し倒されたりした日には……)

 命と貞操の危機を同時に感じ、光一郎は、固く心に誓った。



「御上さん、聞こえますか?」

 クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)は、支給品の通信機で、広城にいる御上に連絡を取っていた。

『ああ、電波状態は良好だよ。定時連絡ご苦労様。何か動きがあったかい?』
「いえ。相変わらず小舟の出入りが何回かあるだけで、大きな動きはありません」

 そう答えながらも、目は片時も、太湖を臨む断崖から離そうとしない。

 クリスティーはここ数日、太湖のほとりにある湖賊のアジトを見張っていた。
 【魂の賢龍】と交代で見張る事により24時間監視を行い、【水雷龍ハイドロルクスブレードドラゴン】で高空からの偵察も行った。さらに《影に潜むもの》と【ノクトビジョン】を駆使して、夜間、敵のアジトに潜入したりもした。
 こうした努力によって、クリスティーは、湖賊についてある程度の情報を掴んでいた。

 彼等が三道 六黒(みどう・むくろ)によって暴力的に統合させられた、四州各地の犯罪組織の集合体である事。
 その人数は少なくとも二千人以上になる事。
 そして西湘の何らかの組織と、頻繁に接触している事などである。 
 クリスティーは初め、その『何らかの組織』というのが西湘藩であり、両者が同盟関係にある事を危惧していたのだが、捕らえた湖賊を尋問した所によると、今のところそういう訳ではないらしい。
 ただ、彼等のボス――つまり、三道六黒だ――は西湘藩にコネがあるらしく、そのお陰で彼等は沿岸警備隊を気にすることなく、西湘と行き来が出来ているという事だった。

 しかし、六黒がいつ西湘藩と手を組むとも限らない。
 そうなれば、湖賊が東野での戦いに参戦する可能性がある。
 またそこまでしなくても、彼等が西湘軍の通行を保護し、その退路を確保することによって、西湘軍は全兵力を東野に差し向ける事が可能になる。
 どちらにしても、東野軍にとっては避けたい事態だが、今は東野藩にも自分たちにも、彼等を討伐する余力はない。

「このまま、監視を続けます」
『済まない。よろしく頼むよ』

 必要事項だけを報告して、クリスティーは無線を切った。
 発見される可能性を少なくするためにも、交信は短いに越したコトはない。 

 クリスティーは、魂の賢龍に見張りを頼むと、テントに潜り込んだ。
 湖賊は、夜活発に活動する。
 そのためクリスティーは、睡眠時間を、朝の定時連絡の後と決めている。
 眠りは、すぐに訪れた。