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電子の国のアリスたち(後編)-ハートレス・クイーン

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電子の国のアリスたち(後編)-ハートレス・クイーン

リアクション

 誇りある魔道書たるアレーティア・クレイス(あれーてぃあ・くれいす)の本体はノートパソコンである。そのおかげか電脳空間において、他の契約者達よりも格段に高い自由度を獲得していた。
 だがひとつ気になることがあった。ヒパティアに繋いでもらった時、ヒパティアが一瞬驚いたような、いや怯えたような気がした。
「どうなされた?」
「…い、いえ…。…お気を悪くされないでくださいね、今一瞬だけ貴方が『敵だ』と思ってしまったのです」
「すまぬ、わらわの本体はノートパソコンじゃ、そのせいかもしれんな」
「申し訳ありません」
「いや、気にするでない、おそらく当たり前の防御反応であろう。わらわがログインしても支障はないか?」
「はい、大丈夫です」
 そうしてその話は終わったが、やはり気になる点ではあった。
 アレーティアは今、電脳空間内の空京大学を俯瞰で眺めていた。同時に現実に聞き耳をたてている。本体と種族的な特性がこの状況を可能にしていた。
 パートナーは今どこにいるのかを探る、大学の中までは見通せなかったが、大体の位置はわかるので問題はない。パートナーの位置が光点で、蟻が群れる場所がかすむ様に見て取れる。ところどころ非常に密度の高い気配があるが、地図を引き合わせて気が付いた、それらはサーバールームや、ネットワークタワーの位置だ。
 イメージしにくいかもしれないが、電脳空間内での廊下や教室そのものは、決してサーバーやそれに類するもの、空間のつながりなどではなく、個別のそれらを繋ぐハブが相互に織り成す仮初の空間である。絡んだ蜘蛛の糸のように危ういが、補い合うハブの広がりを、ヒパティアは空京大学の廊下としてアサインしたのだ。
「真司、聞こえるか?」
 柊 真司(ひいらぎ・しんじ)はその声に反応した。
「ああ、聞こえている、とりあえず戦闘を避けて逃げてきている」
「アレーティア、大丈夫よ。この私がついてるのよ」
 魔鎧のリーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)は、今真司に鎧として纏われている。鎧になるとやることが減るので、口数が増える。
「無茶するでないわ。大体おぬしがおったからといって、事態が好転したことがあったのか」
「えーひどーいアレーティアー」
 延々わけのわからない会話をはじめそうになる二人を制し、真司が口を挟む。
「で、どちらに行けばいい? フューラーの研究室とかがあれば、そういうところに行ってみたい」
「それは、寮のほうになるだろうな。そこからだと遠回りになるが、一旦その校舎の2階に上がって、渡り廊下から別棟の裏に回れ」
 そちらのほうが蟻が少ないのを見て取ってナビゲートした。
「ふふ、私のアイデアよそれ」
 リーラがまた軽口をたたき、アレーティアはため息をつく。

 大学敷地内の寮の蟻のたかりようは尋常ではなかった。何故か兵隊蟻が遥かに多く、回避することは難しそうだ。
「なんだよこりゃ…」
 特に寮の一室が集中的に狙われているように見える。おそらくそこがフューラーが住む部屋なのではと思う。
 とにかく戦いを避け、ドア前の蟻をミラージュで誘い出し、メンタルアサルトで散り散りにさせる。
 ドアを開け放ち、部屋を見回すと、片隅に少年がひとり、膝をかかえてうずくまっている。
 他にログインした契約者とも思われなかった、予感をほぼ確信に変えて、真司は子供の手を引いて寮を飛び出した。
 ほこりっぽいジャケットを羽織った少年は、色黒で黒髪、青い目をしている。この子なのだろうか?
「真司、おそらくその子で間違いなかろう」
 ほっと安堵した真司だが、子供が口を開いて思わず耳をそばだてる。
「…さっきんとこ、どこだったんだ?」
「あそこは、お前が暮らしている寮の部屋じゃないのか?」
「知らない、それにおれ、おもいだせない」
「何をだ、お前の名前は…」
 やはり記憶がないのだ、教えてやろうとして、彼もまた探し人の名前を失っていた。
「真司、彼の名前は『フューラー・リブラリア』じゃ」
「あ、ああ…お前の名前はフューラーだ、フューラー・リブラリア」
「…なんだそれ、おれそんな変な名前なのかよ」
 子供は疑問に頬を歪ませて、あまりよくない目つきがさらに釣りあがった。
「あっはははは、そんなこと言われてもなあ!」
 リーラが笑い声をあげたが、真司の服の下にボディスーツのように着込まれている彼女はもちろん少年の目には映らず、どこから声がするのかと怯えさせてしまった。
「な、なんだー!?」
「リーラ黙れ。フューラー、おまえは何か探し物があるんじゃないのか?」
 その問いに少年はしばらく考え込み、うなずいた。
「…うん、今のままじゃダメってのは、なんとなくわかんだよ」
「お前に妹がいるっていうことは覚えているか?一生懸命お前を探している」
 妹という言葉に不思議そうな顔をしている彼の反応を見る。よく見れば、目撃報告の年齢よりもさらに下かもしれない気がした。
「? オレに妹はいねえけど。あ、院のチビたちに本を読んでやるのは好きだな。そいつらはオレの弟とか妹てことかな」
「今は何歳だ?」
 彼は子供特有の自分だけ理解している文脈で会話し、正確には知らないが、5歳だということがようやくわかった。報告は6、7歳くらいのはずだ。
 おそらくこのフューラーは、ヒパティアに会う前のフューラーなのだ。幾つか質問を続けて、それを確信する。
「どこからか逃げてきて、あそこにいたのか?」
「気づいたらずっといた、外はアリだらけだった」
 彼は目撃報告の少年とは違う、二人目のフューラーなのだろうか。
 アレーティアがヒパティアに連絡を入れたが、驚愕の答えが返ってくる。
「ヒパティア、探し物を見つけたぞ」
「えっ?」
「兄を見つけたぞ、真司が保護しておる」
「…どこに…ですか?」
 彼女には、子供が見えていなかった、確かに真司と比べると遥かにデータ量が少なく、その定義で言えば『人間というには足りない』のかもしれない。
 他のフューラーも見つけなければならないのだろうか。
 すまない、気のせいだったと断り、彼らは他を探し始めた。

「アクリト学長、少し提案があるのですが」
 緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)は、飛び込んでくる情報を取捨し、次の手を考えているアクリトに声をかけた。
 辺りは電脳空間に入って眠っている契約者が何人かと、交代で戻ってきたものが同じように転がっている。
「現在のネットワークの状況について、対策を自分にやらせていただけないかと」
「それはこれから、だれか人をやろうと思っていた問題だ。君に頼んでよいかね。具体的に何をするつもりか聞かせてくれ」
 十数分後、彼は人の群れから離れ、聞き出したネットワークインフラの集中する主要な位置を校内の案内パンフレットに書き留めておいたものを取り出して、一番直近のポイントに向かいながら考えを纏めていた。
―犯人がネットワークに存在し、クラスタを力とするなら、逃げ場をふさいでいくように埋めていく必要がある。
「校舎ごとにブロック化して、いつでも大学内で切り離して細分化していけるよう、手を打ってみましょうか」
 他の皆はネットワークの内側からアタックをかけている、彼はとかく、自分の行動が外側から敵の力をえぐりとっていく事に賭けた。
―それにしてもこのような事件、いや現象が他の場所や学園に波及していないとも限りません…
 ガガガッというノイズがスピーカーから漏れ、おまけに足元の瓦礫に思考を途切れさせられて、苛立ちに押されるように、遙遠はひとまず足を速めた。

 データとの戦いという意味では、電脳空間内もメインルームも変わらない。
 林田樹はスプレーショットで目に付き群がる蟻をなぎ払い、向かってくる兵隊蟻を狙い撃つ。
 ジーナも、その傍らでひたすら剣を奮う、迅雷斬が一番効率がよいと判断して、狙いをつけるまでもなく、剣を振って外す方が難しい。
 次第にルーチンワークになってくる中で、少し思考がぼんやりしてきていた。変わらない状況に渇を入れるべく、ジーナはとにかく何かを叫んだ。
「キリがありませんわよ! これでもし解決できなかったら、わかってますわよね…! …えと」
 そうだ餅!とガスガス怒りの叫びに任せて蟻をぶった切るジーナを見やりながら、樹はふと思い出していた。
「…ウイルスに襲われると、記憶がなくなる…」
 まさかな、と思いながら、さっきからの手のひらの違和感に、手袋の中を探った。何かのタグがころりと出てきた。
「なんだこれは…『GENE−A』…くそっ!」
 記憶が飲まれかけていたことに気づいた。それはジーナが封印されていた時のタグだ、何のために握り締めていたのだ!
 歯を食いしばりながら、蟻に狙いをさだめ、そして彼女は目を見張った、樹の目の前で、突然普通の蟻が変貌したのだ。
「い、今働き蟻が、兵隊蟻に変化したぞ!?」
 それだけではない、彼女らの働きにより、そのエリア内でごそりと数を減らした働き蟻が、その不足を補うべく分裂を始めたのだ。
 その叫びがメインルームに飛び込み、ざわめきは沸騰した、まず対策パターンを増やす必要ができたからだ。
「なんだって、働き蟻も兵隊蟻も自己増殖したあげく、働き蟻からのクラスチェンジもするのかよ…」
 ぶつくさと紫音が思考の枝を増やした、さしもの彼も手が止まり、考察の整理に囚われる。