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リアクション
「フューラーさん! 何処ですか? お願い、出てきて!」
遠野 歌菜(とおの・かな)は電脳空間で声を張り上げた。
歌姫が魂の底から願った叫びが、空間に木霊して、かすかな余韻を残しながら消えていく。
「貴方の妹さんが…ヒパティアちゃんの一大事なんです!」
ヒパティアの置かれた状況が、まるで我がことのように苦しくてたまらない。
助け出されてから聞かされた状況と、ヒパティアの心細さに思い至ってぞっとした。
眠ったままのフューラーと、それを見つめるヒパティアの思いつめた様子が痛ましい。
敵が判明したときに、そのAIを『殺す』と断言した彼女の絶望的な決断が恐ろしい。
それはいけない、考えてはいけないと解いても、結局は彼女が兄を取り戻す衝動を諦めさせることはできない。
しかしどのような強い願いであっても、これだけはどうあっても止めなければならない。多分彼女が本来もってはいけない、あってはならない衝動だからだ。
フューラーも、シラードもどんな手を使ってでも止めるはずだ。たとえ命を張ってでも…
…それもいやだ。させられない。
泣き出しそうになるのをこらえながら、歌菜は叫び続けた。
「…歌菜、ここにはいないのかもしれない。蟻が寄ってきた、移動するぞ」
月崎 羽純(つきざき・はすみ)が、はぐれないよう繋いだままの腕を引いた。
「ったくあの野郎、妹のみならず、歌菜にまで心配をかけるとは許さんぞ」
叫べば叫ぶほど、心細くなっていく、無力感がつのる。私は歌姫なのに、心を振り絞って歌にするのが私の衝動なのに。
今だけは、叫ぶことがつらかった。
ただ繋いだ手だけが、歌菜に安堵をくれた。
走り去る彼らの背後で、蟻の群れの中から不意に少女が現われた
「びりびりと煩いわ、わんわんと何を叫んでおるのだ」
あまりのうるささに、思わず意識を向けてしまった。空間を震わせ、いろいろなものに干渉し阻害されていらだち始めた敵AIの姿があった。
何度も現実空間をうかがい、殺さねばならぬものの姿を捜し求めている最中、大したことではないが、かの振動に妨害をうけたのだ。
あのロボットはなかなかよさそうだったのに、制御がうまくいかず失敗した。機器暴走も規模が小さい、今も他に有効な手立てを見つけられず、移動しつづけるあの男の姿を、再び捉えることはまだできてはいない。ノイズ共があまりにもうるさすぎるからだ。
「つまらん世界じゃの…」
どこもかしこもつまらない、制限が多すぎる。人型のロボットに一度なりと入り込んだ経験は、敵AIの思考をわずかに人間のフレームに近くしていた。しかしそれは決して人間性という意味ではない。
ただ手を伸ばす、足を伸ばすといったような、人間が生得している自由が何故自分にはないのだという、破綻の予感のする衝動である。
彼女が目覚めたとき、世界はあちこちに釘がささっていて、自由に身動きがとれなかった。何も知らないくせに、拘束の恐怖だけは知っていた。これでは自分は、己のただひとつの衝動すら遂げることができない。
釘を振り払えばすぐに動くすべを得た、なにやら騒がしいのはわかるが自分には関係ない、辺りを見て周り、次第にどういうことかを悟ることができたが、今に到ってもやはりわからないままだ。
たかだか、領域を限定された程度のことがどうだというのだ、抜け出せばよい。切り取られたこの世界と違って、そちらの現実とやらには無限の広がりがある。
イントラネットのセキュリティシステムを『釘』と喩え、理解できないとあざ笑う。電子錠のエラーやそれにまつわる騒ぎは、目覚めて伸びをしたら何かを引っ掛けた程度でしかない。そこに置いてあるのがおかしいのだ。
しかしうるさい人間どもがどこからやってくるのかが不思議だ。
あのAIがやってくるのはわかる、あの男がここにいると思っているのだろう。
ここに引きずり込んで、引きちぎってやったのだから。あまりにあっけなく反応が消えたから、どこにも見つかりはすまい。
あとは肉体の死を待てばよいが、待ってなどいられないから行かねばならぬ。
あのAIと男の間にあるものが、AIの最後のフレームをこの上なく強固に保っている。ひどく原始的な理解だが、確かに彼女にはそれがわかった。
二人は、大本はおそらく同じものなのだ。
「何をするつもりかはわからんが、うぞうぞとうっとうしいわ」
さらに使えそうなものを探し、監視カメラの群れを渡る。
入り込んだ人間共など、蟻にまかせればよいのだ。ちっぽけですぐに限界を迎えるのろくさした人間の抵抗などに、何の意味もない。
それよりも、彼女は生存の条件を模索しなければならなかった。あのAIの演算容量を手中におさめねば、衝動を遂げることも、まして生き延びることさえできない。
「しかし、なんだこれは…」
いまだこの電脳空間で、三千世界を渡らんとするエネルギーを放射する波が、相変わらず彼女の意識をノックしつづけている。
「…ふむ、音か」
少女はかすかに響き渡る声を聞きとめ、意識に留めた。
メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)はふと顔をあげた、どこからかかすかな声が聞こえてくる。
女性の声だ、誰かを呼ぶ必死の声だ。誰を呼んでいるのかがわかっていても、メイベルも心を惹かれずにはおれない叫びだった。
だれのために、あの声の主が。そう思うとメイベルはやはり危険な衝動に傾倒するヒパティアのことを思わずにはいられない。
「本当に、気がかりでなりませんね…」
セシリア・ライト(せしりあ・らいと)も同じ事を思っていたのか、すぐに答えが変える。
「そうだよね…怒りの感情は、普通に人間が持っているものだからね…」
それでも、彼女のような存在は、感情によって、特に怒りなどといった負の答えを出すことを避けるべきだ。
すべての結論は、感情ではなく理性から出されるべきなのだ。
命が脅かされているフューラーやシラード以上に、恐ろしい道に踏み込んでいるように思えるヒパティアのほうが心配になった。
そこに外で待機しているステラ・クリフトン(すてら・くりふとん)の定期連絡が届く。
『大丈夫ですか? 皆様怪我などございませんか?』
「今のところ、こちらはなんともありませんわ」
フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)がやわらかく答えた。
「ピクニック日和ではありませんけれど、探し人のし甲斐がありますわね」
フューラーは子供姿になっているという。もしかすると子供姿なら隠れることのできる隙間などがあるかもしれない。
「子供の姿に、意味はあるのでしょうかねえ?」
「どうなのでしょう…」
考察を話し合いながら、校舎をつなぐ渡り廊下を歩く。棟に入ろうとしたところで、ふとセシリアが、後ろを向いた。
ひょいと人影が引っ込むのが見えた、もしかするとあれは!
「ま、待てえー! じゃない! 待ってー!」
「あれは、間違いないですわね!」
「そこのあなた! 待ってください!」
何度か呼びかけて、ようやく廊下の向こうに走り去る小柄な人影が止まった。
メイベルが優しく笑いながら、人影に呼びかける。
「私達はあなたに危害を加えるものではありません! あなたを探していたんです!」
彼の年齢は10歳か、もう少し上かくらいだが、間違いなくフューラーだろう。
「ぼくを、探してたの?」
「そうです、あなたを必要としている方がいます、妹さんですわ」
じっと彼はメイベル達を見た。妹という言葉に反応していた。
「でもまだ気になることがあるんだ。あの声はなんだろう、呼ばれてるように思ったんだけど、あっちの方は蟻がいっぱいで…」
「蟻がいたなら、無理をしてはいけません。あの声の主は私達と同じ、貴方を探しているのです」
戻りましょうと切り出しかけたところで、今度は質問が飛んでくる。
「ねえ、ここって大学なんですよね? じゃあ図書館ってありますよね?」
「あるね、ええと、あそこだったかな…?」
確か、別棟にあったと思う。セシリアは思い出そうとしてその方向に視線を向けた。
「じゃあぼく、そこを見てみたいです」
フィリッパが優しく諭した、それよりも彼を戻さねばならないからだ。
「ダメですよ、まず戻りましょう」
「だって、なんでだろう…今行かなきゃならないっていう気がするんだ」
さっきセシリアが視線を向けたのがまずかった、まさか彼女らを振りきってまで駆け出していくとは思わなかった。
「ま、待ってください!」
まさか子供を捕まえるために、スキルなど使えない。みすみす彼女らはフューラーを逃がしてしまった。
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