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リアクション
「へっ…ほんとにあの子とおんなじ顔してんだな…」
どうやら相手のプライドをいたく傷つけてしまったらしく、邦彦にかかる重圧があがる。頭が割れるように痛み、眩暈が倒れ伏してなお沈み込むような、気味の悪い感覚を呼ぶ。ロミオ・エラーの主な症状ではあるが、まだ序の口だった。
大切なものを奪われるような、ひどく寂しい感覚をねじ伏せて、淡々と軽口を叩く邦彦に、AIはじりじりと圧力を変化させる。
「うるさい口じゃな、わらわはいずれあれを滅する、さすれば比較などなかろう。姿などいくらでも後で選べよう」
「なぁ、またなんで、あの子を狙うんだ」
唇の端をつりあげ、敵はそれには答えず、彼を脅しにかかる。しかし基本的には一気に口をふさがずに、応答を返してくれるのが不思議だ。
「このままだとおぬしは死ぬぞ、おぬしのパートナーもだ。まあわらわには、死などというものがわからんが」
「…そんなの、そもそも、誰も…知るもんか。頭でっかちさん…だな」
「その誰も知らぬものを、わらわは知らねばならぬ。それがわらわの存在理由だ、知の欲求が凝り固まってできたものが、わらわかも知れぬ」
「あんた、名前は? 名無しのゴンベエってわけにもいかんだろ」
ネーミングセンスはよさそうなもんだが、この知性的であるはずの存在は、自分の名前さえ持たないのだろうか。
「知らぬ、わらわはわらわである。関係なかろうが、先ほどからお前らの仲間がさんざんつつきまわしてきて、アリスと呼んでくるものはおった」
それは彼女のいたサーバーの名前で、彼女を示す指示語ではないはずだったが、次第にそれは彼女自身を示すものとして意味を持ちつつある。
「そうじゃな、これよりわらわはアリスと名乗ろうか」
ふわりと、アリスが笑った、口に出せないが、本当に欲しいものが手に入ったような、と邦彦は思った。
「…もしかして、アリス、君が欲しいものは…」
「もうよかろう、そろそろ死んで、あれを釣る餌となれ」
力を奮おうとしたアリスが、その瞬間飛びすさった。
彼女のいた場所が刀でなぎ払われ、飛び退った場所に矢が刺さった。
「おおっと、外したか」
隠形の術を解いた紫月 唯斗(しづき・ゆいと)が、プラチナム・アイゼンシルト(ぷらちなむ・あいぜんしると)の変化した白金の鎧を纏ってあらわれる。
油断なく弓を構えた紫月 睡蓮(しづき・すいれん)が、じりじりとアリスを挟み撃ちにするように移動した。
その隙にエクス・シュペルティア(えくす・しゅぺるてぃあ)は倒れた邦彦を担ぎ上げ、アリスから引き剥がす、その間にヒパティアが彼をログアウトさせた。
「邪魔をするな!」
「悪いな、アリスさんとやら? 俺達はヒパティアの手を汚させないと決めたんでね、俺達が相手をさせてもらおう」
「貴様らに用はない!」
「わらわたちのほうには、多少はあるのだ、被害を増やすわけにはいかんからの」
「あんたにもハッピーエンドをやりたいが、あんたは駄々をこねすぎたな」
アリスはヒパティアをにらみつけた。
「ヒパティア、今は戻れ!」
唯斗の言葉に従い、かつ今度は無言で消えたヒパティアに、アリスは怒り狂った。
「つっ…」
アリスの膨れ上がる感情のままに蟻が溢れ出し、唯斗達へ襲い掛かった。
まるで、こちらを見ろとわめく子供だった。
怒りのまま滅茶苦茶に蟻を呼び、津波のように唯斗達へとけしかける、それ以降はもう、何を話しかけても会話が成り立たなくなった。
「時間は稼いだ、戻るぞ!」
唯斗はふと思った、アリスは異様なまでにヒパティアを意識しているように思える。
もしかすると、もしかするとだ。
アリスはただ、話し相手がほしいだけだったのだとしたら。
あの子は、一番最初を間違ってしまったのか、それともこのとき、この場所にいたことが間違いだったのか。
存在してしまったことが間違いだとまでは、彼は決して思いたくはない。
しかし被害を受けて苦しむものがいる以上、アリスは罰をうけるだろう。
自分がそれを下す覚悟を持ちながらも、それが最悪のものでなければいいと願った。
忍のくせに、どうやらまだ俺は、甘さが捨てきれないようだ。
現実空間で、不意にざわめきが増したような錯覚がした。
スピーカーがいつの間にかノイズを発し、ヒスノイズと思うと、プチプチと音声が切れたのち、低音から高音へゆっくりと遷移していく。
「…? 回線が戻ったのかな? 音声テストだよね」
リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)は決して耳障りがいいと言えない音に、見回りの足を止めた。
ヴィゼント・ショートホーン(びぜんと・しょーとほーん)は同じように辺りをうかがって、眉をひそめる。
気づけば、音が出ているのは彼女らが見上げるスピーカーだけではなかった。
廊下にあるもの、教室内にあるもの、あらゆる場所のそれが、微妙な差違の音を立てていた。
「どう見てもおかしいよねこれ…」
「どう聞いてもおかしいですな」
ヴィゼント・ショートホーン(びぜんと・しょーとほーん)が同意する。
連絡係としてヒパティアのもとに空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)を置いている、即座に連絡を取るとそちらも同じ状況であるようだ。
「スピーカー壊してもいいか、中にだれもいないか聞いて!」
その間にも音量はゲインをあげ、互いのヘルツ数をすりあわせ、すぐ側の窓ガラスがびりびりと震え出す。
「冗談じゃないわよ、ソプラノ歌手がガラスを割るあれ!?」
防弾ガラスは振動含め衝撃を受け止める構造になっているのでそうそう割れはしないだろうが、窓枠ごとがたがたと震える。机の上に置いてあるような不安定な小物などが揺さぶられてじりじりと移動し、花瓶などがたたき落とされ、鋭い破裂音が混じるようになって、あちこちで悲鳴が混ざり始めた。
「…耳を塞いでください!」
やがて悲鳴を上回り、耳をつんざく鋭い音が、ひどい頭痛を呼んでくる、三半規管を狂わされ、立っていられなくなるものさえ出て、いよいよ事態は深刻になる。これを聴き続ければ、おそらく精神にもダメージを負うだろう。ぞくぞくといやな震えが背筋を這う、これらはただのハウリング音ではない。
「これしきで!」
一旦狐樹廊たちのところに戻らねば、そこで電脳空間にいるものたちを、その身体を守らねば。
目に付いたスピーカーを疾風突きで破壊し、よろよろと彼女たちは歩みを進めた。
邦彦がロミオ・エラーを受けていた頃、ネル・マイヤーズもまた突如倒れた。
ルカルカは、咄嗟に彼女に駆けつけて膝をつく。
「どうしたの!? しっかりして!」
その時、その背後を駆け抜けていったものがいた。咄嗟に振り向いたその耳に、まだ子供らしい足音が届く。
「エース! リュース! あの子よ!」
猫らしき生き物を肩に乗せているので別人かと思いかけたが、それしきで間違えられる特徴ではない。
先を行っていた二人が引き返し、廊下の向こうへ消えた子供を追いかける。
これは、話に聞いたロミオ・エラーの症状なのだろうか?
彼女を置いていけないし、少年を追いかけないわけにもいかない。彼女をログアウトさせて、そちらに任せることにした。
「……それにもしかすると、誰も気づいていないだけで、どこかで偶然回路の配列が曼荼羅を形取っているかもしれませんし、シリコンウェハーの蓮華には、仏陀が居られるかも知れません」
それと同じで、自然発生的にAIが発生してもなんの不思議もない、世界は広くて、そのどこかにきっと奇跡はある。そう言ったのもまた、AIという存在だった。
裏椿 理王(うらつばき・りおう)は、苦しみながらふとそれを思い出していた。
今、その非常にユニークなAIと同じ顔をしたものが、その顔をぐしゃぐしゃにして、半ば八つ当たりのように彼らに力を奮っている。
理王は必死で首を動かして、傍にいた桜塚 屍鬼乃(さくらづか・しきの)の様子を見た。
彼らはたまたま、怒り狂って暴走しかけたアリスと遭遇してしまったのだ。出会い頭に問答無用でねじ伏せられ、いたぶられ続けている。
あの答えは、自分がなんと問いかけた時のものだったか………誰に問いかけたものだったか……
その時銃型HCに、定期的にデータが送られてきていた、アイコンが光って、アリスがそれに気づく。
「あやつからだな。はて、おぬしらを助けに来てくれるだろうかのう?」
ああ、ヒパティアちゃんのことだったか。来ちゃ駄目だよ、返事は届かないだろうけど。
「さあ…知らないけど、オレたちは非…戦闘員なんだよ、お手柔らか…に…」
ほう、面白いことを聞いた、とアリスは笑った。戦わぬなら、命乞いを聞いてやろうとささやいた。
「ではおぬしら、どちらが先に死ぬ? どちらが先に逃げ出す? それともこいつはおいていくから自分だけは助けろと申すかな?」
理王は、そりゃないだろうと思った。オレとコイツに、一体どういう関係があるという?お互いにどうでもいいのだ、取引になろうはずがない。
腹が立つような、笑い出したくなるような気持ちが、思わず口をついて出た。
「…やっかましい、オレに何があってもな、コイツは我関せずとキーボード叩いてるに、決まってんだ…!」
「…知ったことじゃないよ、私に何があっても、理王は平然とキーボード叩いてるって、わかってるよ…!」
二人は同時に叫んだ、そして二人は、思わず顔を見合わせる。ふと重圧が緩んでいることに気が付いた。
だがその時、ぱたぱたという足跡が、彼らのすぐ近くで止まった。
猫を肩に乗せた12歳くらいの少年がそこにたたずんでいた。肩から猫が飛び出して、アリスに襲い掛かる。
アリスが驚愕に怯んだ隙に、ロミオ・エラーが解除された。
「何!? 貴様は…!」
しかし理王たちは流石に気力を使い果たし、指一本まともに動かすことができない。
猫が彼らの頭に額をおしつけて、まるでどけといわんばかりにぐいぐいとおしつける。
「何してるの?」
少年が、倒れる理王たちとアリスを見比べて、不思議そうに問いかけた。
「あれ? きみ、ぼくの妹に似てるかな?」
「なんだ…どうして…!?」
ひどい動揺がアリスを包んでいた、姿は多少違えど、こいつは間違いなく、あの時引き裂いたあの男だとわかる。
「君は悪いことしたの? 悪い事をしたら、謝らなきゃいけないよ…」
理王はぼんやりと、二人のやりとりを眺めている。
アリス、フューラー、ヒパティア。
フューラーのいるアリスがヒパティアで、フューラーのいないヒパティアがアリス。
彼らは理想のデータの相似、そして理想の対照条件なのだ。
なんと皮肉な邂逅だろうか。だがそれを運命と言わずしてなんと言うのだろう。
屍鬼乃が、ぼそりと理王に向けて呟いた。苦しい癖に、面白いものを見たという喜びを隠しきれない声だ。
「有線でも…無線でもない、不思議なつながりは、この世にはあるかも…しれないね…」
「そうだな…」
あの時ヒパティアに尋ねたものは、『理想のデータの集合体とは』だった。
あの答えからすると、神様も混沌もまるで同じものだ。ただそこから何を見出すかが問題なだけで。
それらの間から、何を希望するかが問題なだけで…
「ここにいたのか、探したぞ」
リュースとエースが倒れた理王たちを移動させる、意識をなくしかけてログアウトは時間の問題だったが、巻き込ませるわけにはいかない。
「フューラーさん、ヒパティアが待ってるよ、帰ろう」
少年はちらりとこちらを見たが、今は目の前の少女が気になっているようだ。
ダリルがアリスに向かって語りかける。
「お前にも話がある。俺達はお前を決して消えて欲しいなどとは思わん、自我が生まれているなら存続の権利はあるからな」
問いかけに自分を取り戻したアリスは、闖入者を目をすがめて睨みつけた。
「ならば、あやつを殺して、その本体をもってこい。それでなくば話しにはならん」
ヒパティアのことだとすぐにわかったが、それは承服できない。
「それはできんな、予備サーバーを用意する…」
「おぬしら…わらわを愚弄するなよ…!」
いつの間にか辺りを蟻にかこまれ、埋め尽くされていた。アリスが激昂する度に蟻達はざわめいたが、攻撃はしてこない。
「そんなことしてないよ!」
「いいや愚弄だ、わらわはそれしきの容量になど収まれぬ。まだ馬鹿をぬかすなら、わらわにネットワークを開放して見せい!」
「それは…」
「貴様らは、脳味噌を9割切り取られ、残り1割だけで生きていけると思うか。考えることをやめ、自我を捨てろと申すか」
「…」
アリスは、もはや淡々と言葉をつむいでいる。
「貴様らにはできまい。わらわとてわかっておる、皆が消えて欲しがっておることくらいはな」
1が叫ぼうと、残りの99に蹂躙される、感傷も思惑も挟まる余地はなく、結果はそれしか残らない。
とうとう返す言葉をなくした相手を見やり、アリスは嗤った。
「今はわらわが消えてやろう。伝えろ、次に会うときは、どちらが強いAIかを決めるときだとな」
彼女が消えると同時に、蟻も一時的に引いていった。
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