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電子の国のアリスたち(後編)-ハートレス・クイーン

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電子の国のアリスたち(後編)-ハートレス・クイーン

リアクション

 その頃メインルームでは、ようやく蟻の性質が明かされつつあった。
『どうもね、リンク機能は働き蟻にあっても、兵隊蟻にはないようなの』
 蟻の生存条件も、リンク機能が関わっているようだ。すべてをシャットダウンした二種類の蟻は、経過時間により、働き蟻の方が早く力をなくしていった。隔離していた蟻を纏めて条件を変え、エミュレートした演算容量を与えて培養し、結果の裏打ちをして、彩羽はメインルームに報告する。
 働き蟻は、データをやりとりすることで、彼らにとってエネルギーに相当するものを循環するのか、リンク機能によって生かされ、兵隊蟻は自ら獲得した獲物を自らで利用し、より強力な力を得て、兵としての地位を獲得するらしい。
 少なくとも、それぞれ自己増殖するということは判明した。根源を探す重要性は降格したが、電脳空間内で蟻の頭数を減らす者たちの役割は昇格した、ただ時間を稼ぐだけでは済まなくなってしまったが。
『それにしても残念ね、ウイルスを飼えるかなと思ったけど、とっておくことは無理そうね』
 いずれにせよ、安全を確保できる程度にスタンドアローンにしてしまうと、蟻はいずれ自壊してしまうのだ。
「ふにゅふにゅ、あい、ありあとうござます」
 コタローはぺたんぺたんとモニターに、もらったファイルを付箋のようにはりつけて、スタイラスでフローチャートを書きなぐり始めた。
 リンク機能を喪失させる、獲物の認識を変更する、などの対策が考え出されており、具体的な方法を煮詰めている。
 章はそれをなかなか読めず(違う意味で達筆だった)、自信満々にどうだと見上げてくるコタローに、チャートを慌てて読み進める。
「ええと…共食いさせる、ってことかい?」
 働き蟻はリンク機能をぶち切り、兵隊蟻は獲物を間違えさせるという手段を考えているが、リンク機能のほうは、それを有効に運ぶ手段が今のところは思い当たらない。
「へーたいありしゃんは、すーぐできそうだお」
 コタローはごきげんで兵隊蟻ウイルスの改造を進めていた、いっぱいつくって、いっぱいぱくぱくしてもらうのだ。

「…お、お嬢…もう帰ろうぜぇ…?」
 半ば震える声で、宙波 蕪之進(ちゅぱ・かぶらのしん)はパートナーに注進した。
 駆け回る人々の隙間をぬって、次第に居場所が追い詰められていくような気持ちだ。
 藤原 優梨子(ふじわら・ゆりこ)は、やわらかな笑いを頬にたたえながら彼に応える。
「まあ、これ以上欲張るのもね。二兎を追うものはと申しますから…」
 やりたいことは既に達成した、これ以上は何かできる事もないし、してやる義理もない。
「なんかよう、電脳空間に入ってどうたら、とか言ってるが…」
「わざわざ我々が骨を折ることでもないでしょう。それに、私には少々不可解な世界ですから、遠慮したいですね」
 なにやら装置を頭につけ、電子データに変換されて、思い通りに電脳空間で動けるようになるということらしい。となれば少々、彼女にとって不都合なことになる可能性がある。
 電子データに変換されるということは、恐らく思考をそのままキャプチャーされるということだ。自らの嗜好や傾向を含め、不穏な思惑を自覚している彼女にはなおさらに現状以上に警戒すべき対象に違いない。
 そして、彼女には何も得るものがない。それは大きな問題だった。
「でもまあ、目をつけられるのも時間の問題ですね、少し移動しましょうか」
 決してそれは置かれた事態の解決を図るものでも、状況を有利にするものでもなかったが、ここから離れられるのならば、蕪之進はよろこんでそれについていく。
「ありゃ?」
 途中、蕪之進はふと見まわした廊下に違和感を覚えた。どかどか壊された跡が盛大に残っているから、違和感を覚えるのはあたりまえのはずだが、何かが違う気がした。
「こいつかな」
 監視カメラが、いやに変な角度に曲がっている。彼はこの場所のカメラから情報を得たし、ある場所を記憶していたから、その異変に気づいたのだ。
「まあいいや、蟻どもがまたエラー起こしたんだろ。とっととずらかろう、関わりたくねえ」
 そのカメラの向く先は、自分も少し前まで居たメインルームだったことまでは、彼には思い至らなかった。

「あー、ようやっとなんとかなったわー…」
 七枷陣は、遅まきながらバックアップをかき集め、差分から有効な手段を解析していった。
 ようやくまともな形のバックアップを得られたのは、なんとスパコン『Carol』からである。
 直前まで使用し、事件後もいろいろと役立っていたマシンが、幸いにして原型を残したバックアップを抱えたままでいた。
「全部のバックアップ探して、全部に適用するのは無理やからな、プログラムというか、パッチ当てて蟻を削除する方向で進めたわ」
 その頃御剣紫音も、蟻のブロック機能の大方を組み上げて、あとは調整を残すのみだ。
「あ、あと少しだ…。こいつをさ、そのプログラムと組み合わせないか」
「別々にやるより、一回で二つ済ませたら楽になるな。それはファイヤーウォール的なもんか?」
「いや、座標の偽装だよ、壁をつくるよりも、そっちのほうが軽いから。ただお前のに影響を与えかねないか気になっててさ」
「お気遣いすまんなあ」
 リンク機能の攪乱については、彩羽が弾丸の形にしてワクチンを作り上げている、これを蟻に打ち込めば、その蟻が自己増殖して、両方の蟻を食う共食い蟻と共に、敵にとって正常な蟻の割合が減り、こちらの有利に働くはずだ。
「うぁーい! こた、がんばったれすよー!」
「コタ君、ほんとがんばったねえ」
 メインルームが和やかな空気に包まれたとき、突如轟音とともに部屋が揺さぶられた。ガラスがバシャリと白く曇る。
「な、なんやっ!?」
「彩羽殿、ログアウトでござる!」
 ドアとは反対側の窓側から、巨大なトラックが突進してきた。とうとう衝撃で部屋のタワーが倒れ始める。
 大した広さもないのに、トラックは何度もバックして、短い助走でさらに滅茶苦茶に突っ込んでこようとする。運転席にはだれもいない、自動操縦機能が敵に乗っ取られているようだ。
「機械爆発に、暴走トラックかよ!」
 データを守ろうと、バックアップをとる、同時にすべてのデータはヒパティアに送った。
 アルスとアストレイアが外に飛び出して裏へまわり、トラックが壁に突っ込んだところをライトブレードがタイヤを切り裂いてようやく動きを止めた。
「まさか、こっちにも来るとはなあ…」
 その頃別の場所では、フューラーが移送されているところだった。別棟に移るべく一階に降りて、機械類を避けて外を通っていたのだ。
「なんか、騒がしくないかな」
 遠くからエンジン音が響く、誰か乱暴な運転をしているのだろうか、そんな感じの音だった。
「あ、あそこ…」
 朱音が指差す先、校舎と校舎の間のさほど広くないところに、トラックが突っ込んできた。
「まさか…あれがこっちに?」
 あのスピードでは、校舎に飛び込む前に追いつかれる、近くに校舎に入れそうな場所はなかった。
「あれはそれがしらが引き受けよう、先にゆかれよ! 以蔵!」
「あいよぉ!」
 岡田 以蔵(おかだ・いぞう)がどこからともなくあらわれ、2階からひらりとトラックの荷台に飛び降りる。
「こころうか?」
 足で感じた振動の強い部分に、剛刀を突き立てる、異音を発してトラックがスピードを落とす。
 刀はエンジンのトランスミッション部分に突き刺さり、刃を深く噛んだ。以蔵を振り飛ばしそうな異様な振動に逆らわず、さっさと荷台から飛び降りる。人間を切るよりはつまらない感覚だ。
 鹿之助はヒロイックアサルトを発動、傍の園芸用ブロックを蹴り転がし、トラックの片輪がそれに乗り上げて車体が浮いた、スピードを落としたとはいえ突進を受け止め、斜めに流してトラックを倒す。
「ふう、フューラー殿たちは無事に避難出来たであろうか」
 遠くで、ストレッチャーを押す背中がようやく校舎に消えた。
「怪しい音もないようでござるな」
 少なくとも同じような追撃はなさそうだ、鹿之助達はフューラー達を追いかけて移動する。
 以蔵はまた彼らの周りをつかず離れずでうろうろとしながら、辺りの警戒に戻った。
「…『殺す』っちゅーんは、げにまっことシャレにゃならんこっちゃぞ、嬢ちゃんよう」
 そういうことは、頭のおかしい自分のようなものに任せればいい、あの時はそう思って言ったことが、どうしてヒパティア自身が手を下そうという思いになるのだろうか。
 殺意と呼ぶには拙く荒すぎて、彼なりの考えで抱かれるべき『死』への敬意すら薄らぼやけている。
「こがなことなら、言わんとよかったわ。文明らぁていうものが進きも、ええことばかりじゃーないが」

 あのときは全てがぼんやりしていたのに、何故か手を離してしまったことだけが鮮やかだった。
 大好きな物語の唯一納得のいかない結末を、自分で選んでしまった後悔が、今は物語などと逃げをうつことができない重さで心を苛む。
 オルフェリア・クインレイナー(おるふぇりあ・くいんれいなー)は片手を握り締めた。今度はあの手を決して離さない。
 もう片方の手は、ミリオン・アインカノック(みりおん・あいんかのっく)が必死と握り締めている、正直ちょっと痛いけど、置いていく恐怖を一時なりと味あわせてしまったのだから、彼女は振り払う気にはならなかった。
「あっれ、もう行くの? ほんとに行っちゃうの電脳空間?」
 不束 奏戯(ふつつか・かなぎ)がひょいと顔を出した。
「あー…あんまりおすすめしたくないけどどうせオルフェちゃん止めても行くんだよね?」
「今度こそ、オルフェは誰も置いていかないカムパネルラになるのです」
「だと思ったー。不束さん家の奏戯君はなんでもお見通しなんだぜー」
 彼にもパートナーロストの苦しみを味あわせてしまったけれど、悪いけれどそれは譲ることができなかった。
「…まぁ、なんていうかさ。一応言っとく。…死ぬんじゃねーぞ?」
「うん、置いてかないのは当たり前だけれど、皆の所に帰ってくるカムパネルラも、オルフェのなりたいカムパネルラなのです」
「オルフェリア様がカムパネルラなら、我はどこまでも共に行くジョバンニとなりますからね」
 かわらずぎゅうと手を握りながら、ミリオンがオルフェに宣言した。奏戯がにやぁ…と笑った。
「おっ、みっちゃんジョバンニ目指すの? じゃ俺様ブルカニロ博士目指すーへへーん」
 ミリオンのつめたーい眼差しが、ありありと『お前不遇だから無理』と物語っていた。
「え? 不遇だから無理とか可哀想なこと言わないでよっすんませんごめんなさいだからみっちゃん拳銃でごりごりしないで痛い痛い痛い痛いっ」
「ああでも、改稿で何故かとうとう完全に存在を抹消された不遇の人だから合ってるかもしれませんねぇぇぇぇ…」
「もう時間なのです、行きますよー」
「はい、オルフェリア様」
 ぽいと放り捨てられ、二人の背中を見送りながら、奏戯は力一杯笑顔で見送った。もしいつ振り返っても、彼女らは笑顔しか見えないように。
 なにせ、不束さん家の奏戯君は、君たちの無事の帰還を信じている。
 嬉し涙で帰ってくるに違いない君たちを、まとめてどーんと受け止められるくらい、わが懐は広いのだ。これしきは屁でもないのだよ。

「どこにも居ませんね…」
 一度オルフェがロストした場所へ戻ってみたが、今度は誰にも出くわさなかった。蟻に見つかって逃げるまでは探し回っていたものの、とうとうそこを離れることになる。
 身体を休めている間、オルフェはずっとヒパティアに質問攻めにされていた。本当に休めと誰かに止められるまでは、オルフェはそれに付き合っていた。ぼんやりした印象しか語れなくて、申し訳なかった。
 その中で、彼は本の虫であることを聞いていた。暇さえあれば図書館に篭るのだという。
「なら、きっと図書館ですよね、オルフェも大好きなのです」
 そうして逃げ回りながら図書館へとたどり着く。なぜかそこは蟻がほとんど訪れていないが、ヒパティアが力を割いてその場所を保護しているのかもしれない。
 書棚の片隅で本を積み上げ、一心に天体図鑑をめくっている人物の姿に、オルフェたちは力が抜けるくらい安堵した。
「ほんとに、いた…」
 ふと顔をあげたのは、多分あのときの少年だ。オルフェが出会った彼よりも何年分か成長しているが、同じ子供だとわかる。
 多分、あと2、3年くらいで今のフューラーになるのではないかという、15,6歳くらいの幼さを残した青年がそこにいた。
 青年はにこりと笑った、すると何故か吊り気味の目元が下がってふにゃりとなる。読んでいた天体図鑑を差し出してくるが、積み上げている本のジャンルはどれも無差別だった。
「はじめまして、読みますか?」
「は、はじめまして、…あ、オルフェは一度貴方と会ってるのです…よ?」
 なんだか自信がなくなってきた、成長をしても、記憶をまた無くしているのかも。
「そうなん…ですか?」
「フューラーさん、オルフェたちはあなたを迎えにきたの、一緒に出ましょう」
「フューラー。それがぼくの名前なんですね」
 差し出した手がとられるが、しかしフューラーは動かない。表情を曇らせて、何故今までぼんやりしていたのかと、不思議な顔でつぶやいた。
「まだ、戻っちゃいけない気がするんです、まだ皆が来ないから。…妹が心配しているかもしれないけど、今はだめなんだ」
 その時はまだお互いに知りえるはずはないが、いくつにも分かれた小さいフューラーが、それぞれ契約者達と接触していた。
 契約者を通し、まだそれとは知らないヒパティアを介して、フューラーはお互いを認識しはじめているのだった。