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リアクション
9. カラミティ・カラミティ 〜 疫病神と災厄の獣 〜
――ヒュルルルルルル
それは、天から突然現れた。
いや。正しくは、雅羅の乗っていた、もとは荷馬車にだった物の上に落ちた。
乗っていた綾乃たちはすでに退避していたために無事だ。
顔は仮面で隠されわからない。
襤褸きれようになった衣服が風にはためく。
――るるるるるる
口笛を思わせる細い声が口から洩れた。
口角がくっと吊り上る。笑ったのだろうか。
そう言えば、先ほどの音色はどこか嬉しげに聞こえた。
ぶわり。
襤褸が翻り、広がった。
しゅる。
次いで、その下にある腕が伸びた。文字通り。
ぐにゃり。
人体の骨格にあるまじき方向に四肢が伸びる。
それは最早、人ではない。別の生き物だ。
歪に蠢く体を揺らして、それは手始めとばかりに――放置されていた野盗を飲み込んだ。
突然目の前で繰り広げられる、まるでホラーかオカルト映画のような光景にその場にいた者は顔を見合わせた。
「――何? あれは……」
「ちょっと、あなたの部下なの?」
「馬鹿言うな。あんなのを団に入れた覚えはねぇ」
荷馬車の上空。
空賊と野盗は手を止めて、眼下を見やった。
と、突然、ガーゴイルが降下を始めた。
「あ! 待ちなさい!」
「勝負は預けたぜ。うちのがやばそうなんでな!!」
恭也と雅羅は顔を見合わせた。
「おい。雅羅」
「な、何よ」
「あれ――知り合いか?」
「そんなわけないでしょう!? 知らないわよっ!!」
だよなぁとため息をつくと恭也は雅羅の腕を掴んだ。
「え?」
「走れ!! ていうか、とりあえず、ヒドラに乗れ!!」
「えぇ!?」
機械化されてはいるが、言ってしまえば巨大な爬虫類だ。
ざらりとした鱗。そのくせ、やけにしっとりとした皮膚。低い体温。
それを思い出したのか。雅羅は一瞬の躊躇を見せた。
「迷うなよ! どう見ても、アレ、お前狙ってるだろ?!」
ぐいと、腕をつかんでヒドラの背に雅羅を押し上げる。
ついで――自分も飛び乗り、太い幹のような鎌首に腕を回す。
「行け!!」
慣れない態勢でヒドラは、その巨体で全身を始めた。
後ろから、触手が迫る。
追いかけっこの始まりだ。
* * *
そこには明確なものなにもない――きっと。
それは匂いに惹かれるようにしてやってきた。
ただ、それは自分の嗅覚をくすぐる不思議な匂いに強い興味を覚えた。
もっと、近くで嗅ぎたい。
それはどんなものだろう。
どんな形で、どんな手触りで、どんな、どんな――。
それは本能にも似た、純粋な欲望。
あの不思議な匂いの元は、きっと美味しいに違いない。
辛うじて人の形を保つそれは、身を震わせた。
匂いの元を求めて、周囲の全てを飲み込みながら。
(……あぁ。喰 ・ ら ・ い ・ た ・ い ……)
仮面の下でエッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)はうっそりと微笑む。
(……いた、あれ……他のも……)
不思議な匂いの周囲には、それには劣るがエッツェルを惹きつける匂いがいくつもあった。
(……ぜ、ぜんぶ……)
何かも。気になるものは全て――取り込んでしまえばいい。
欲求のままに一歩を踏み出した。
* * *
逃走劇と攻防は、陽動作戦よりも酷い戦いになった。
縦横無尽、自在に伸びるその四肢は接近戦をほぼ封じ込めた。
うかつに近付けば、武器はおろか、自分まで飲み込まれてしまう。
蠢くその体はなんでも飲み込んだ。
魔法でも、銃弾でも、弓矢でも。
そして、傷みに強いのか、効果が薄いのか。
頼りになる遠距離攻撃の多くが思うよう効果を得られない。
散々たる有様だ。
だが、光明が見えた。
「我は――」
左右から声がする。
「我は――」
右にワイバーン。左にダイヤモンドレッサードラゴン。
「「《放つ光の閃刃》!!」」
放たれた閃光に、その異形の身体が大きく揺らいだ。
痛みに強くとも、耐性があろうとも、攻撃が届いていないわけではないのだ。
突然、かくりと落ちた膝の部分を見て、仮面が首を傾げた。
(……あ、れ……?)
「今です! 《天のいかずち》」
「何でもいい!! 叩き込め!!」
全方向からの集中砲火。
――ぅ、るるる
小さな音色と共に、その異形の身体が大きくたわんだ。
(……あ、あ……もったい、ない……)
四方に伸びた触手が一気に縮む。
次の瞬間――
現れた時と同じような唐突差で、その異形は遥か、遥か上空へと飛び上がり、やがて見えなくなった。
* * *
そろそろと目を開くと、鼻先に触れていた何かは既にない。
先ほどまで、確かに何かがいた場所にはなにもなく、
代わりに赤い腕の大男が大人しく両の腕を差し出しているのが見えた。
「終わった、みたいだな。色んな意味で」
「――――」
後ろからかかる恭司の声に雅羅は大きく息を吐いた。
「……よ、よかった。……私の体質……全く変わってないけど……よかった」
そのままがくりとへたり込むその頭に言うべき言葉が見つからず、恭司は思わず天を仰いだ。