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2025年 秋


 2025年秋、一台の車が百合園女学院校門の前に止まった。
 外から車内が見えないようスモークフィルムを張ったガラスから、女性運転手が降り立つとドアを開ける。ドアと彼女との影に隠れながら、地面に降り立ったのは一人の女性。
 身を屈めて辺りを絶え間なく警戒していたが、息を吸うと一気に門の中に走り込んだ。それから緊張の息を長く吐いて、くるっと後ろを向き。
 彼女は門までの2、3メートルを無事にやり過ごしたことを確信して、今度は安堵の息をついた。
 茅ヶ崎 清音(ちがさき・きよね)
 パートナーキャンディス・ブルーバーグ(きゃんでぃす・ぶるーばーぐ)に騙されて契約したことにより、男性不信に陥る。彼女は百合園女学院において在学中遂に外出せず、その後シャンバラ宮殿の女官として、男子禁制区域に勤務することで心の平穏を得ていた。そう、そのために、未だに携帯電話の無い生活なのだ――パートナー間通信を避けるために。
(……今のが、最大の関門でした……ね)
 お給料全部をつぎ込んだ百合園までの小旅行。……といっても、その費用の殆どを地上移動、空中移動、乗り換えで男性と接触しないように、外と遮断されたチャーターでの移動費用に散財したので、贅沢な訳ではない。
 そして最大の関門。文字通り、百合園女学院の門。ここはキャンディスが百合園女学院内に入るために、良く陣取っていた場所だから。
 ……しかし、運良くキャンディスはいなかった、いや、いないと言うことは事前に聞いていたのだが自分の目で確かめるまでは安心できなかったのだ。
「茅ヶ崎 清音さん、お待ちしていました」
 胸のドキドキを抑えて清音が顔を上げると、そこには百合園女学院の元生徒会長にしてラズィーヤの秘書の一人を務める伊藤 春佳が立っていた。
 相変わらず腰まで伸びた髪は艶やかで如何にも大和撫子と言った風の美人だったが、年月が経って落ち着きが増したように感じる。
 彼女は卒業前の試練、つまり百合園女学院外壁越しのキャンディスとの会話――彼女は返事をしなかったので、キャンディスの一方的な呼びかけだったが――の機会を作った一人である。
 もう一人は、約束の場所――校長室にいる桜井 静香(さくらい・しずか)だ。
 でも、だからというわけではないけれど。契約以来キャンディスを避けていた清音は、そのあまりのショック寝込んでから少しだけ変わった。
(男性である静香校長にアポを取って会話をしようとするくらいには、男性への耐性が上がったわよね――少しだけ、多分、きっと、おそらく、メイビーパーハップス)
「……最近は如何ですか?」
「……あ、はい。お仕事は大変ですが、穏やかな日常を過ごしています。ここ半年は噂も聞きませんし……」
 春佳は校長室まで清音を案内すると、頑張ってくださいね、と言い残して廊下の向こうに消えていく。

 男性を前にしての若干の緊張と共に、清音はぎこちない動きで校長室のソファーに腰を下ろした。
 静香は笑顔で、相変わらず男性をあまり感じさせない。清音はそう自分を勇気づけ、遠路はるばるやって来た用件を告げるために静香に向き直った。
「すぐにでなくていいので、新しいパートナーの紹介をお願いしたいんです」
 清音の意外な質問に、静香は困ったような顔をした。
「清音さんはあまり聞きたくない名前かもしれないけど、キャンディスさんのことは僕も知ってるよ。もしかしたら、清音さんよりも」
「…………」
 清音は俯く。
「確かに、清音さんからすれば自分を騙した人のことだし。契約詐欺で困っている契約者のことは前々から少し問題になってたから、どうするかも考えないといけないんだけどね……」
 静香的には、一般論を話しつつも、二人には頑張って欲しいと思っているようだ。
「……キャンディスさんは、今までもろくりんピックのために色々と頑張ってたよ。今は色々あって地上に降りたみたいだけど」
「ああいうのは、世間一般では雲隠れとか夜逃げ、出稼ぎと言うんです」
「……新しいパートナー、多分、清音さんが自分でこの人と契約したいって思わないと、後悔するよ。それに……今よりも携帯電話が必要になると思うよ?」
 静香は苦笑した。
 新しいパートナーとの連絡のために携帯電話を持てば、キャンディスからも掛かって来る可能性がある。
「た……確かに」
「……契約の解除はできないから、前向きに過ごした方が、清音さんも辛くないんじゃないかなとも思うけど……。
 宮殿で女人禁制区域で安心を感じてるなら、それでいいと思う。よく考えて、また困ったことがあったらいつでも相談してね?」
 清音はそうして、また来た時と同じように宮殿へと帰って行った。