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Zanna Bianca――ザナ・ビアンカ

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Zanna Bianca――ザナ・ビアンカ

リアクション


●8

 村が敵に襲われていることは知っていた。しかし夢野 久(ゆめの・ひさし)は、あえて村には背を向けた。
 彼が狙う敵は蜘蛛機械ではなかったからだ。
 だから彼は、村の付近に駐留しつつも、銀の山を睨む位置に仁王立ちし、『彼ら』の来訪を待ちわびていた。
「というか現状のパラ実エリュシオン領なのに意にも介さず教導団の依頼受ける久君マジ何も考えてない」
 ふぅ、と久のパートナー佐野 豊実(さの・とよみ)は溜息をついた。久は直接その言葉に応えず、ただ、じろりと視線を向けるにとどめた。
「わかってる。そもそも別に教導団を嫌ってないってんだよね。まーそれはいいけど、わざわざ首を突っ込むなんてやっぱり馬鹿だよ」ここまで言っておきながら、豊実の口元には色っぽい笑みがあった。「うん、でも、それでこそ久君だよね。馬鹿過ぎて死んでも治りそうにない」
 久の『馬鹿』に付き合うのは豊実の喜びである。損得だけを考えるなら絶対に損でも、久は自分の信じる道を往く、その思い切りの良さが豊実は好きだった。それに、そんな久に付いていく限りきっと退屈することはないだろう。
「寒い!」同じくパートナーのルルール・ルルルルル(るるーる・るるるるる)は、現在感じている最大の感情を力の限り口にした。「寒い寒い寒ーい!」ここまで叫びルルールは、「そして……」と言い足した。「五月蝿(うるさ)い!」
 それもそのはず、シスター服もどきを着た少女、しかもグルグル渦目の変なやつが、ルルールの周囲をくるくる駆け巡っているのだ。
「無限の愛の前には雪の寒さ何て秒で溶けちゃうからそれはもう誤差で無いも同じで世界の愛は今日もあはは赤くて真っ黄で燃えてあは暖かあたあははははははは!」
 これはラブレイカーという悪魔で、ルルールと魔導補助の契約を結んでいる者である。少々、いや、相当うるさい存在だが、すぐにルルールは、「ああ、ラブちゃんに無駄な時間とエネルギー使っちゃった! 放置放置! 何言っても! 無駄だし!」と決め込んで口をつぐんだ。なお、豊実にも毛倡妓:於初という妖怪の従者がいるが、彼女(?)は顔の前にかかった長い髪を開かず口も開かず、静かに立っているだけであった。
「で、久はここでクランジちゃんたちを待ち受けるって作戦なんだけど、なにか公算があってこの場所に陣取ったの?」
 村が遠くに拝めるくらいの位置、雪も風も存分にさらされる広大な場所、というくらいしか特徴のない地点である。たしかに教導団のキャンプや中継点とは微妙に離れているが、それも『強いて言えば』の特徴でしかない。そういった場所は無数に存在するからだ。
 なんとなく、などと真実を話したら殺されるだろうか、とふと久が思ったときだ。
 その心配はなくなった。前方から二体のクランジが出現したからだ。見間違いはないだろう。幼いブロンドの少女と、大柄な褐色肌の少女の組み合わせ、しかも金髪(パイ)は、
「なに、あんたたち?」
 と、あきらかに苛ついている口調で言った。
「悪いけど急いでるの。それとも、あんたたち私のストレス解消源にでもなってくれるっていうの?」
 ところがその言葉を、久は正面から受けた。「良いぜ? 来な」ファイティングポーズを取って誘うように指を曲げて伸ばした。「……できるものなら」
 突風が吹いた。それは風ではなくパイの超音波、物理的破壊力は大きく、聴力も瞬時にして奪われた。直前で久は跳び、被害を少しでも減らせたが、彼の連れている猟犬やヒポグリフにそこまでの格闘センスはなかった。いずれも消し飛んである者は首を折られ、ある者は雪に埋もれてしまった。
「てぇい、こんな程度でやられたりしないよっ☆」地に伏せてこの攻撃を凌ぎ、ルルールはがばと起き上がってアシッドミストを放った。「ほぅら、逆襲! メカは良く溶けるのよね☆」
 ところが、ごく平然とローが近づいてきて、
「ごめん、ワタシたち、メカ違う。人間べーす、て聞いた」
 ルルールを片手で掴み上げると、頭上で扇風機のように手早く回して、遠くへ放り投げてしまった。ローはラブレイカーも同様にして撃破し、防壁たらんとした於初も簡単にあしらった。しかもそのすべてを、さして気合いを入れるでもなく、ただ『必要だから』という表情でこなしたのだった。
「でたらめな強さだな! だからといって!」久は久で根性を見せた。パイに急迫し、拳を耳の真横に引いた。間髪入れず真っ直ぐに殴りつける。
「なんのつもり?」ところがパイは鼻で笑った。久の拳をほんの、半ステップで彼女は回避していた。「こんなパンチ、キスしてから避けることだってできるわ。甘く見すぎね、私たちを」至近距離から音波を浴びせるべく、パイは大きく口を開けて息を吸った。
「甘く見たのはどっちだ」久は語気を強めた。「キスしてもらおうか、お望み通りに!」
 最初の攻撃はブラフだった。そもそも『拳を耳の真横に』引くようなテレフォンパンチなど、見え見えのブラフすぎて格闘技の素人にしか通用しなかっただろう。無論、ただの演技ではなく渾身のブラフ、回避されるのは久にとって計算済み。反撃が来るのも、計算済み。
 開きかけたパイの唇に、久のパイルバンカー『聖杭ブチコンダル』が炸裂した。めきっ、と物凄い音がした。さしものパイも首を捻って、錐揉みしながら雪に頭から飛び込む格好となった。
 だが久の攻撃もここまでとなった。彼は背後から、柔らかな肢体と破壊的な腕力を有するローに抱きつかれていたのである。
「パイ、いじめるやつ、ワタシ、許さない」
 ただ抱きしめるだけという攻撃が、これほどの殺傷力を持つのはクランジの力あってこそのものであった。締め付けという言葉すら生やさしい。骨が砕け内臓が破裂寸前になるのを久は感じた。
 締め付けの力が突然、消えた。久は力なく落とされ、振り仰ぐ。ローが、首筋に一刀を受けてたたらを踏んだのが見えた。
「私の存在を、看過していてくれてありがとう」
 血煙爪雷降を手にするは豊実、繰り出したのは、戦いが佳境に入るまで、ずっと温存した疾風突きだった。
 パラミタ虎の央助にまたがった豊実は、久の体を虎の上にひっぱり上げると、騎首を来たのと反対方向に向けた。虎は駆けた。思った以上に速いのが、この動物の走行速度である。ローは片手を地面について立ち上がったが、追ってくる気配はなかった。きっと、パイを助け起こしに行ったのだろう。虎の背で豊実は言った。
「痛み分けってところかな……あれ以上やりあっても、こちらが負けるだけだよ」
 気がつくと、虎の背で久は意識を失ってしまっていた。
「久君、いつも君は馬鹿だが、今日の馬鹿に関しては、私はけっこう気に入っているのだよ……」豊実は懐に手を入れ、煙管を取り出した。火をつけようにも手が震えて巧くいかない。誰にも言わないが、これほどまでに緊張した戦いは豊実にとって久方ぶりのことだったから。「教導団に任せたら、きっとあれらクランジは皆、破壊されるなり捕虜として監視下におかれるなりして不幸になるだろうから……それゆえに、私たちだけで戦を仕掛けたんだよね。なんとか、教導団の手にかかる前に保護できるように……」
 彼女は煙管を、深々と吸い込んだ。正しくは、深々と吸い込む真似をしただけだ。どうしても火はつけられなかった。

 ローは探した。
「うう、パイ、パイ、どこ?」
 あの人間(夢野久)たちを追い払うことはできたが、ローにとってそんなことはどうでもよかった。首筋につけられた一撃も痛みも、まるで気にならなかった。パイが見つからないこと、それだけがローの今の問題だった。
 だから、ローは、パイを見たときは、安堵で胸をなで下ろした。十数メートルほど先で誰かに声をかけられ、助けを受けてパイは立ち上がっている。しかしローは動けなかった。あの人間たちが敵かもしれないと恐れ、そして、どうしたらいいのか分からなくなって足がすくんだ。そして思わずローは、相手に気づかれる前に木陰に隠れてしまった。ローは、パイが指示をしてくれないと何もできないのだ。

 やや強引に神野 永太(じんの・えいた)はパイに手を貸し、立ち上がらせた。
 ここで彼女と出逢えるとは思えなかった。幸運だったといえよう。なぜなら彼の目的は、クランジに会うこと――戦うことではなく――だったからだ。失礼にならぬ程度に永太は彼女の体を観察し、ほとんど人間にしか見えないことに改めて驚いた。しかし、少し考えればわかる。強烈な打撃を受け、落下したパイはどう考えても通常の人間ではない。しかも、見たところほとんど怪我らしい怪我もしていないのだ。
(「クランジは凶悪な機晶姫らしい……だけど、だからといって私は機晶姫を傷つけたくはない」)
 思うことはある。伝えたいことも。しかし未整理で、永太はなかなか口をきけなかった。
 そんな彼に対しパイは不審の目を向けた。なんでもいいから言わなければなるまい。焦りが彼の舌を滑らかにした。そうそれはまるで、ワックスがけをしたばかりの床に、食べた直後のバナナの皮を置き全力で踏んだときのように。
「わ、私たちはアレですよ、あの、えと、か……観光! 観光に来たんです! イルミンスールでは雪なんて珍しいですからね! いやーやっぱり雪は良いなあ! 辺り一面真っ白けだ! あはははは!」
 この言い様に、同行者のミニス・ウインドリィ(みにす・ういんどりぃ)が脱力したのは言うまでもないだろう。
(「観光って、そんな嘘通じるはず無いでしょ……」)
 しかしミニスは戦いになるまで動くつもりはない。つっこみたい気分を抑えに抑え、寒さに身を震わせているだけだった。
 永太は不安が増し、つい言葉を重ねてしまっていた。人を騙そうとする者ほど多弁になる、そんな格言のような言い回しが頭をよぎったが、沈黙にはたえられそうもなかった。
「そ、それはそうとして君はどうしたんだい? 空をブッ飛んで来たように見えたけど、私たちと同じで観光とか? ……んな訳ないか、あはは」
「あんた、死にたいの?」
 クランジは赫怒するでもなく、呆れるでもなく、その中間、といった口調で述べた。息を吸い込みかけたそのとき、
「申し遅れました。わたくしは燦式鎮護機ザイエンデと申します。こちらの彼はわたくしが契約した方、神野永太様です」
 燦式鎮護機 ザイエンデ(さんしきちんごき・ざいえんで)がそっと、その手をパイの肩に乗せたのだった。
「……機晶姫ね」パイの口調が強張った。
「ええ」対称的に、ザイエンデはむしろ言葉をやわらげて微笑んだ。「中途半端な隠し事はやめましょう。わたくしたちは、あなたがどなたが存じ上げております。クランジΠ(パイ)様」
「へえ」パイは冷笑した。「それで? このまま捕獲するとでも言う気なら、寝ぼけてると言ってあげるわ」
「そんなことをするつもりはありません」と、ザイエンデはその言葉を聞き流して言った。「パイ様、歌はお好きですか? 宜しければ一曲お聞かせしますよ」
「歌?」
 このときパイが何か言いたげな上目づかいをしたので、場に緊張が走った。
(「戦わなければ……ならないのか……」)永太は瞬時、極寒の世界を忘れた。背中に汗をかいていた。
(「ちょ……ザイン、それっていきなりすぎない!?」)ミニスはいつでもゴーレムや巨大虫に号令できるよう構えた。
 この状態を破ったのは、他ならぬパイだった。
「やめておくわ。今は、そんな時間がないから」
 彼女はそう言って手を振ったのである。するとザイエンデも、手を振り返したのである。
「ええ、では次お会いしたときは、必ず」
 三人に見送られる格好で、パイは村に向けて歩き始めた。
「それにしても私を殴ったあの男……今度会ったら確実に殺してやるから……」
 という物騒な独言だけが残された。

 いくらか時間をさかのぼる。
 ハラハラとしながら木陰でパイと永太らにやりとりを見守っていたローは、いきなり背後から声をかけられ飛び上がった。
「クランジΡ(ロー)さん、ですね?」
 緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)であった。遙遠もクランジとの遭遇を求め、探索に加わっていたという。
「ワタシ……、そう、ロー。アナタ、近寄る、良くない」
「どうしてですか?」
「パイがたぶん、アナタ殺せという。ワタシ、そうなったらきっと、アナタ、殺す」
 でも、と言って遙遠は、防寒着のフードからのぞく黒髪を揺らして笑った。「まだそうなってないですよね。そうなるという確証もないですし。少しお話ししませんか?」
「でも」
「いいでしょう?」と言って遙遠はローの真正面に立った。「まず教えて下さい、あなたはやはり、相手を壊す殺す事が好きなんですかね?」
 ローは首を振った。「違う。好き違う」
「ならどうして、好きでないことをするんです? 遙遠は殺しは好きではないです。その行動で負うリスクを考えると割に合わないので……楽しめることなら他にも色々ありますし」
「でも……」姿形は大人びているが、ローはやはり幼かった。泣きそうな顔で膝を八の字にして、雪の上にぺたんと座り込んでしまったのだった。「やれって命令。命令絶対。命令に逆らった『しすたー』みんな不幸、なった。Φ(ファイ)、裏切って自爆、することなった。Υ(ユプシロン)、教導団に捕まって、みせ……見せ物、されてる。Ξ(クシー)、壊れた……」
「けれど」遙遠はローの正面に座り、その両手を握った。「だったら、従ってさえいれば幸せなのですか?」
 かつて遙遠も、人を人と思わぬ組織に属していたことがあった。その頃、命令に従うことは当然であったが、その『当然』は不幸でしかなかった。
「ローから離れなさいよ!」
 遙遠の肩を押して、彼女を雪中に倒したのは、永太の元より離れたパイだった。
「あんた、どういうつもり?」
「このひと、遙遠。敵と違う」超音波を発するべく息を吸いかけたパイの前にローが立ちふさがった。
「あなたが……パイさんですね」雪の中から立ち上がれぬまま遙遠は言った。「しかしほんとΠさん可愛いですね、Ρさんも綺麗ですし。ああそんな怒らないで下さいよ。遙遠としてはそんな可愛いお二人と仲良くしたいだけですから」
 パイはしばし絶句したが、ついに、
「あんたたち二言目には『仲良く』って言うけれど、理解できないわ。ほら、行くよ!」
 と断じて、ローの手を引いてその場を離れた。
 しかし何度か、ローは振り返って遙遠を見た。