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Zanna Bianca――ザナ・ビアンカ

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Zanna Bianca――ザナ・ビアンカ

リアクション


●2

 ふたたび、雪中。
 教導団えりすぐりの部隊、リヒテン・マルゼーク隊の進軍は、艱難辛苦の連続だった。彼らは正面から、ヒラニプラ山脈に挑んだのである。
 凍てつく寒さに耐え、止まぬ吹雪を凌ぎ、雪中ビバークとなった。短い休息と索敵、緊張は常につきまとう。
「ちくしょう、クランジめ、こんな雪山に一体何の用があるんだよ? ……ふぇっくしょん! ああもう、こんな雪しかない場所なんてうんざりだ〜!!」
 ゴットリープ・フリンガー(ごっとりーぷ・ふりんがー)は寒さに震えながらも従軍している。冷蔵庫などというものではない。もはや冷凍庫、それも、終わり亡き巨大冷凍庫に入った気分、冷気は骨まで染みてくるのだ。不平で胸は一杯だが、それでも彼は職務に忠実だ。双眼鏡を取り出しては、何度も周囲を警戒していた。吹雪が厚すぎて遠くは見ることができない。近場ならなんとか見渡せるとはいえ、それもこの吹雪が増せば、たちまち二メートル以下の狭い範囲へと落ちるだろう。
(「雪中の白兎でも見逃さないぞ……といっても、連中は黒い毛皮だろうから見逃しようもないだろうけど」)
「空からの偵察がこんなに難しいとは……参りましたわぇ」
 ゴットリープのパートナー、天津 幻舟(あまつ・げんしゅう)が早々に魔法翼を畳み、空から舞い降りてきた。肩から雪に不時着する。この風雪だ。少しでも高度を取ろうとすれば錐揉み飛行を強いられてしまうのだ。事実上、空からの偵察は不可能に近かった。そのとき、
「ビバークの準備が整った」ハインリヒ・ヴェーゼル(はいんりひ・う゛ぇーぜる)が呼ばわった。
 ブリザードが吹き荒れる山中でテントを張るのは不可能と考えたハインリヒは、洞窟や張り出した岩の下など、風と雪を防げる場所をビバーク地点として選んできた。しかし今回はそうもいかなかった。適した場所が見いだせぬまま天候が悪化の一途を辿ったのである。まだ朝の時間帯だが、このままでは危険だ。ゆえに彼はパートナーの天津 亜衣(あまつ・あい)らと協力し、降り積もった雪を掘って雪洞を作っていた。湿り気の多い雪を掘り起こし、シャベルで固めるという作業は決して楽なものではなかった。しかしハインリヒは、疲れたという一言すら口にしない。(「クランジ共に追いつく前に雪山で遭難したとあっては、教導団員の名が泣くからな」)とでも言うかのように、即席とはいえしっかり雪を掘り固めたものだ。
「天候が荒れ始めた。捜索活動を中断して一時避難し、回復を待つべきだ」
 ハインリヒのこの提言を、リーダーのクレーメック・ジーベック(くれーめっく・じーべっく)は迷わず受け入れていた。一方で、亜衣は使い捨てカイロを大量に準備し「使って。凍傷になったら洒落にならないからね」と皆に配り始めている。
 ハインリヒらの作業完了を確認し、指示を出そうと上げた手を、クレーメックはすぐに下げることになった。
「通信よ。この地点は奇跡的に無線が入るみたい」島本 優子(しまもと・ゆうこ)が駆け寄り、クレーメックに通信機を手渡したのだ。通信機に赤く表示されている文字は、これが緊急時のコードであることを示していた。その意味するものを考え、少し通信機を重く感じながらクレーメックはこれを受けた。大半が雑音で聞き取りにくいものの、なんとか内容を聞き取ることはできたのだった。
 通信終了後、速やかにリーダーは一同に告げた。
「状況に変化が生じたようだ。蜘蛛型の機械が麓の村に出現したらしい。だが、わが隊は引き続き二体のクランジを追う」
 このクレーメックの言葉に異論を唱える者はなかった。たどってきた巡回ルートから予測すれば、ここから麓はそう遠くない。しかし緊急移動という無謀は避けるべきであり、何より、当初の目的たる『クランジ追跡』を優先すべきという考えもあった。村には叶白竜をはじめとするベースキャンプ隊もある。彼らを信頼するならば、軽々、動くべきではないだろう。しかし異変はこれにとどまらない。
「報告いたします」猟犬を引き連れ、島津 ヴァルナ(しまづ・う゛ぁるな)が声を上げた。「近い、と思われますわ」
 先だって拾ったビーフジャーキーの破片を、ヴァルナは犬に与え匂いを覚えさせていた。その犬たちが騒ぎ始めたというのである。
「クランジ――」
 三田 麗子(みた・れいこ)の反応は迅い。彼女は禁猟区を使用し、敵意ある存在の接近を探知した。
 麗子が敵の接近を察し背の魔法翼を広げるより先に、耳をつんざくような超音波が雪洞を粉砕した。固められた雪は鈍い音を立てて崩落し、破片が痛みと動揺を誘った。吹雪がさらに増し、泣き叫ぶような勢いとなった。
「随分と過激なご挨拶だね!」神矢 美悠(かみや・みゆう)は雪と共に大気を吸い込み、そのざらざらとした質感を舌で転がした。さっきの超音波で両耳は、音叉でも突っ込まれたかのようにキンキンとする。敵の姿は見えないが、音波の到達した方向から検討を付け隊員とフォーメーションを組み、美悠はその後衛位置をとった。
「クランジってわけかい」
 ケーニッヒ・ファウスト(けーにっひ・ふぁうすと)は武器を構え、油断なく周囲に目を配った。蜘蛛型機械、ザナ・ビアンカ、いずれにも興味はあったものの、ケーニッヒがもっとも惹かれるのは殺人機晶姫と呼ばれるクランジの存在にほかならなかった。かつて一度、『Φ』と呼ばれるクランジと対戦した経験が彼にはあった。あのとき目の当たりにした驚異的な強さは忘れられない。ほとんどワンサイドゲームだった。クランジは彼らを玩び、一方的に痛めつけたのである。しかし当時と比べれば、ケーニッヒも彼ら部隊も、能力が上昇しているはずだ。ゆえに敵がクランジだろうと……
「そこッ!」殺気感知が奏功、ケーニッヒは敵の位置を看破するや猛禽類のように飛びかかった。「どぉりゃあああッッッ!!!!」声高に叫び相手を掴む。「取った!」言葉違わず彼の腕は、機晶姫の腕を取り絞め上げていた。
「この……っ」これには相手も驚いたらしい。身を捩って逃れようとするものの叶わない。ケーニッヒは両腕を使って彼女を捕まえた。
 紛れもない。彼女こそクランジ……クランジΠ(パイ)に違いない。
 年の頃十前後、ティーンと呼ぶにしてもまだ早い。そういった外見の乙女である。溶けたバターのような金の髪、雪よりも白い肌、睨む青色の目は、痛みと驚きと怒りに歪んでなお美しい。口の端に見え隠れしているのはビーフジャーキーだろうか。予想以上に幼いパイの姿に、ケーニッヒも思わず唸った。
「ちぇっ、『パイ』って名前の割りには、ここは大したコトねーな」ケーニッヒは首をめぐらせて少女の、膨らみとも呼べぬ膨らみを指す。「あいにくと、オレはつるぺた胸のガキは好みじゃねーんだ。どうせ抱きつくんだったら、あんたの仲間の方が良かったな」
「抱きつく? 抱きつくのと好み、なにか関係あるか?」
 のしのしという効果音が良く似合う。Π(パイ)に続いて姿を見せたのはもう一体の機晶姫、鏖殺寺院のクランジΡ(ロー)であろう。180センチを優に超える身長、分厚い防寒着越しでもはっきりとわかるモデルのような体型、とりわけ脚の長さは驚異的である。美悠が鉄のフラワシを呼び出し攻撃させようとしたが、Ρ(ロー)はそれを無造作に、まるで夏の蚊を落とすように簡単に、片手ではたき落としけろりとしていた。不思議そうな顔をケーニッヒに向けている。
 ぷっ、とパイの口からビーフジャーキーの残りが飛んで雪上に落ちた。
「バカ! 黙ってなさい! それからあんた!」強引に振り向くと、パイはケーニッヒに告げた。「さっきの発言、後悔なさいな。地獄で」
 直後、彼女の口から飛び出した猛烈な超音波がケーニッヒの顔面を包んだ。堪えきれず彼は吹き飛ぶ。脳は瞬間的に機能停止し、ケーニッヒは気を失って雪中に埋まった。
「接近戦は挑むな! まずは守りを固めろ」
 クレーメックは号令を下した。だがその実現は難しい。接近戦を避けようとしても両クランジは、すぐに距離を詰めてしまうのだ。隊列を組んで戦うには条件が悪すぎた。天候は最悪、敵は少数、足場も雪で身動きが取れない。
「巨体なのに……早い……!」優子はいつの間にか、ローに喉首を掴まれ、高く差し上げられていた。すさまじい握力で絞め上げられ、意気をするのも困難だ。右手一本しか使っていないのに、ローは彼女を人形のように軽々しく持ちあげていたのである。
「撃てない……」ゴットリープは唇を噛みしめた。意識してか、無意識か、こうなっては優子が、ローにとっては人間の盾だ。この行動により誰もローに手出しできなくなった。ローは彼女を掴んだまま、彼女の体をぐるぐると回してヴァルナを撲ち、幻舟も叩きのめす。
 一方でパイも魔人的な強さを発揮した。美悠を再起不能にする。鉄のフラワシ自体は、確かに超音波に耐性があったが、俊敏な動きでパイはその背後に回り、至近距離からの超音波を美悠にたっぷりと浴びせたのだ。美悠が気を失うとフラワシも消滅した。
 無邪気そのものの表情だが眉だけは曇らせ、ローは伝説の巨人コロッサスのようにその力を振るった。左手で拳を作り、振り回す。衝突音と共に幾本かの骨が砕け、鉄製の武器すら飴のように曲げられた。ハインリヒは数撃に耐えるも、優子がいるため本気の反撃ができない。やがて彼は、脳天を殴られて崩れ落ちた。同様に麗子も肋を砕かれいた。一本が肺に刺さったかもしれない。麗子はうずくまり、苦しい呼吸をする。視界は暗転していた。
 このときふと、ローは掴んだままの優子に目をやった。
「痛いか? 痛いごめん。でもこうしないとパイが怒る」
 変事はない。優子は意識を喪失し、白目を剥いてぐったりとしていた。
「殺して捨てなさい」パイが無造作にローに呼ばわった。
「わかった」ローは右手に力を込める……ふりだけして、虫の息の優子を雪山に投げ捨てた。どうせ死ぬと考えたのだろうか。それとも何らかの気まぐれだったのだろうか。
「それから、あんた」パイは首を斜めに傾け、スコープ越しにゴットリープに挑発的な目線を送った。「もう少しちゃんと狙いなさいな」かすかにステップすると、ゴットリープの放った弾はパイを掠めて飛んでいった。
「さすがはクランジ・パイ、動きが速い……でも、ここまで来たら、やるしかない!」弾奏を交換すべく腰のポケットに手を入れようとしたゴットリープは、その手をパイに――今し方までスコープの向こうにいたはずの彼女に――握られているのを知った。
「遅い。欠伸が出るわ」パイは拳を作ってゴットリープの腹を殴りつけた。ゴットリープは膝を折ると、雪中に倒れ込んだ。
 亜衣はクレーメックにすがるような視線を向けた。このときクレーメックの脳は既に、撤退ルートを割り出しつつあった。しかしそれも無に帰す。
「面倒だからもう、これで終わりにさせてもらうわ」と言い放ち、パイが大きく口を開け、そこから発した超音波を山の斜面に浴びせたのだ。これが雪崩の引き金となった。
「皆、自分の身を守れ!」
 クレーメックの号令は届いただろうか。彼自身、雪崩にのし掛かられ、数秒の後にはもう姿が見えなくなっていた。
 クランジ二人が去るを見送るように、ぴたりと吹雪が止まった。