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真赤なバラとチョコレート

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真赤なバラとチョコレート
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リアクション

2.


 新たな見取り図が生徒たちによって作成され、ルドルフの承認も得ると、いよいよ喫茶室は一時閉店となり、改装工事が執り行われた。
 床板や壁紙などは大きく変更点はないが、外にむかって窓を設えること。また、思い切って入り口は庭園側からに変更し、テラス席を増やす。また、その庭には、薔薇だけでなく季節の彩りを添える予定だ。
「窓の形は、景色という絵画の額縁のようなものじゃ。気をぬくでないぞ」
 和の佇まいをカフェにも取り入れるということで、讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)が提案をしたのは、漆塗りの丸窓だった。そこから見える窓の景色は、なるほど、一枚の絵画のようであり、洋風のカフェにも似合っている。
「こんなに窓の形で、印象って違うんですねぇ……」
「異なる文化同士がぶつかり合い、せめぎ合う場所で、「あたらしいなにか」は生まれるものじゃ」 その出来映えには、顕仁も満足げだ。
「季節ごとにメニューや小物といったものを変化させていく、っていうのがコンセプトなんだけど。今回に限っては、全体を四つのゾーンにわけて、好きな季節の雰囲気を味わってもらうっていう案なんだ」
 その分、準備は増えるが、それだけの価値はあるだろう。レモの結論に、大きな異議を唱える人間は幸いいなかった。
 そして、決まった新たな喫茶室の名前は、「彩々」…とりどり、と読む。
 日本語にしたのは、ジェイダスの好みを考えたということもあるが、様々な季節、様々な思い、様々な種族……その、全てがここに共にあるように、という思いをまとめていった結果、もっとも相応しいような気がしたからだ。
 勿論それも、知識が浅いレモが一人で思いつける単語ではない。顕仁をはじめ、日本語に造形の深い生徒たちが手を貸してのことだった。
「良い名ではないか」
「ありがとう。顕仁さんも、すごくこれ、素敵だね!!」
 顕仁が用意したのは、彼の手による水墨画だ。季節にまつわる言葉が、それぞれに描かれている。品良く描かれたモノクロの絵は、丸窓と同じように、不思議と洋間においても調和がとれていた。もっとも、これならば紙と筆、墨があれば、あとは表装の手間程度で出費も嵩まないという、顕仁なりの配慮もあった。
「たしかに、見事だね」
 改装中の喫茶室にやってきたクリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)が、顕仁の画に賞賛の目をむけた。
「クリスティーさん。クリストファーさんは?」
「ラドゥ様のところだよ。念のため、古王国語の分は見ていただこうと思って」
「ありがとう。二人がいなかったら、僕、メニューのことまで頭がまわってなかったよ」
「どういたしまして」
 クリスティーが、ゆったりと微笑んだ。
 クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)とクリスティーが担当していたのは、新たなメニュー表の作成だった。
 契約者の能力がある者は、常日頃言語に対してさほどの意識を払わずに済むが、きちんとシャンバラ語で書かれたものもあったほうが良いだろう、という考えのもとだ。
 また、品名だけを連ねたシンプルなものと、写真や解説が詳しく載ったものの二種類を用意するというのも、二人からの提案だった。
「いつも利用している人なら、名前だけで充分だろうけど。今回はお客様もいるしね」
 クリスティーの心配りに、レモは心から感嘆したように、「すごいねぇ」とため息混じりで呟いた。
「僕、まだ読み書きが苦手だから、お手伝いできなくてごめんなさい」
 初等教育中のレモは、いわゆる小学生レベルのことしか出来ない。そう詫びるレモに、「気にしないで」とクリスティーは優しく答えた。
 実際、クリスティー自身、シャンバラ語の猛練習をこのところ重ねていたのだ。幸い誰にもバレてはいないようだが……。
「ボクにも勉強になったしね」
「え、そうなの?」
 うっかり口を滑らせ、きらきらした目で尋ねられたクリスティーは、小さく咳払いをして続けた。
「古王国語は、ボクもそれほど得意じゃないから……」
「そうなんだ。僕も、本当にまだまだ、勉強しなくちゃいけないことばっかりだなぁって」
 つくづく、画も描けなければ、文章も書けない。ないないづくしだと肩を落とすレモのあどけない頬を、顕仁の白魚のような指がついと撫でた。
「?」
「俯くでない。我にとっての報酬は、そなたの笑顔じゃぞ?」
 顕仁のどこか艶っぽい囁きに、レモは一瞬驚いて、それから、頬を染めて笑みを浮かべた。
「そうじゃ、それでよい」
「はい! 落ち込んでる場合じゃ、ありませんもんね」
「そうだね、頑張ろう」
 クリスティーもまた、レモの肩を優しく叩いてそう言った。


 一方、クリストファーのほうは、ラドゥ・イシュトヴァーン(らどぅ・いしゅとう゛ぁーん)の元で先ほどのメニュー表の確認作業を頼んでいるところだった。
 入り口に飾るメニューや題字、喫茶室の説明文に関しては、せっかくなのでシャンバラ古王国語で書こうということになったのだ。格調の高さや厳かさを出すための、ちょっとした演出というやつである。
「何故私がそんなことに協力しなくちゃいけないんだ?」
 ラドゥは最初、しきりにそう嫌がった。いわく、もはやタシガン領主としての自分は、薔薇の学舎とは以前ほどの関係はない、と。しかし。
「けど、喫茶室の招待状はジェイダス理事からのものだしね。俺としては、こんなミスで、恥をかかせるのは避けたいんだけど」
 ジェイダスの名を出されては、ラドゥも動かないわけにいかない。というより、本当のところは、ラドゥとて気になって仕方がない状態のはずなのだ。
「まぁ、あの子供では所詮役に立たないだろうしな。仕方ない、見せろ」
(ああ……なるほどね)
 ラドゥとしては、ジェイダスがレモのことを可愛がるのが、ややおもしろくないらしい。いつものことと達観しているようでいて、時折こんな嫉妬も顔をのぞかせる。本人はまったくの無自覚のようだが、傍で見ているクリストファーにはバレバレだった。
「なんだこれは。意味は通じるが、これでは格式がないだろう。知識があろうと、所詮下等な人間のすることだな」
 毒づきながらも、ラドゥは真剣な眼差しで、丁寧に文章を添削していく。時折言葉の選択に悩み、小さく唸ったりしているあたり、結局根は親切なのだ。
「ああ、なるほど。そういう言い回しをするんだね」
「この場合は、慣用句だ。古い書物の引用だが、教養として憶えておけ」
 ふむふむ、と頷きながら、予想以上にクリストファーには勉強になる時間だった。すっかり文章の体裁を整えると、きちんとラドゥは清書を済ませ、渡してくれる。
「ありがとう。勉強になったよ」
「べ、別に貴様のためを思っての事ではない。誤解するな!」
 いつものように憎まれ口を叩きつつも、ラドゥの表情は、まんざらでもない様子だった。
「リニューアルオープンの時は、私も行ってやるからな。せいぜい、準備しておけ」
 どこまでも不器用な応援の台詞に、クリストファーは思わず吹き出しかけ、さすがにそれは我慢した。


 いよいよ、オープンの日が近づいてきた。
 今日は、新たな椅子やテーブルといったものの、搬入および清掃だ。
 家具に関しては、全てを新しくするというよりは、いくつか変更したといったほうが近い。テーブルや椅子は、全体のイメージは統一しているものの、基本的に高さや大きさはバラバラだった。歓談のため、あるいは自習のため、一人で思索に耽るため、そのどの用途にも応えられるようにという配慮のもとだ。
 業者に混じり、生徒たちも忙しく立ち働いている。そのなかには、カールハインツの姿もあった。
 彼の性質上、どうも和気藹々と相談に混じるよりは、こうして実際に動くほうが気楽らしい。制服が汚れるのにもかまわず、豪快に腕まくりをすると、椅子やテーブルを運んでいる。
「よ、っと……」
「手伝いますよ」
 花瓶を飾るための大理石の台座に、さすがにカールハインツがてこずっていると、上社 唯識(かみやしろ・ゆしき)がすっと手をさしだした。
「二人でなら大抵のものは運べるでしょう」
 人好きする笑顔を唯維は浮かべる。二人とも上背があり、体格もそこそこだ。実際、二人がかりで、台座はそくざに持ち上がった。
「助かったぜ」
「いえいえ。これくらい。まだまだありますからね、頑張りましょう」
「そーだなぁ。やれやれだ」
 ふぅ、とややくたびれたようにカールハインツが息をつく。
「鬼神力を使えば、楽なんですけど」
「ああ、そうだな。そういう手もあるか!」
「でも、うっかり周りを壊してしまいそうですし……なにより、薔薇の学舎的には、ちょっと」
 唯維はそう言うと、苦笑した。能力を使っても良いが、そのときはただでさえ大柄な身体が二倍近くなり、天井に届かんばかりになってしまう。いくら力持ちになったとしても、丁寧な作業にはとても向かないだろう……という意味だ。
 だが、カールハインツはぱちくりと瞬きをして。
「薔薇的な意味で?」
「え?」
「……あ、いや、なんでもない。忘れといてくれ」
 なにを言ってんだ俺は、とごにょごにょとカールハインツが眉根を寄せた。
「唯識、足元に紐が落ちています」
 戒 緋布斗(かい・ひふと)が、おかっぱ頭を揺らし、二人の足元に散らばっていた梱包用の紐を拾い上げると、丁寧にまとめて片付ける。
「ありがとう」
「いいえ。当然ですから」
 どこか頑なに緋布斗は答えた。
「でも、ここはいいから、外を手伝ってきたら? レモに挨拶しておいでよ」
「僕はあんなに子供ではありません」
 そうは言うものの、緋布斗の外見はまだまだ少年だ。そして、力もそれほどない。力仕事よりは、外でレモとスレヴィ・ユシライネン(すれう゛ぃ・ゆしらいねん)が取り組んでいる庭の手入れ作業のほうが向いているのはたしかだった。
「そう? でも、無理はしないようにね」
「……はい」
 緋布斗はこくりと頷いた。その小さな唇に、微かに歯をたてて。
 だが、すぐに。
「わ、わーーー!!」
「レモ!?」
 外から響いたレモの声に、カールハインツが驚いた声をあげる。しかし、彼が庭へと向かうより先に、緋布斗のほうが外へと走り出していた。どうやら、本当は気になっていたらしい。
「……レモの方は任せて大丈夫だな。まぁ、たいしたことはないだろうし」
「そうですね。僕たちは、こちらで作業を続けましょう」
「ああ。頼りにしてるぜ」
 カールハインツはそう言うと、唯維にむかって微かに笑みを見せた。

「あーあ、なにやってんだよ」
「……あ、あはは」
 スレヴィが呆れた声で言うと、レモはびしょ濡れになったまま、照れくさそうに笑った。
「なにがあったんですか?」
「あ、緋布斗さん。ええと……」
「レモが、ホースの先を確認しないで水だしたもんで、すごい勢いで水かぶったんだよ」
 スレヴィが事情を説明する。緋布斗は一旦店内に戻ると、タオルを手にして戻り、レモに手渡してやった。
「ありがとう、助かったよ」
「風邪をひかないように、きちんと拭いてください」
「うん、そうする……っくしゅん!」
 言ったそばからくしゃみをすると、レモはあわててごしごしと金色の髪をタオルで拭った。
「あー、ほんとに僕、役に立たないなぁ……」
「…………」
 言葉のわりに、レモは落ち込んだ風でもない。緋布斗には、それが不思議だった。どうしてそんな風に、微笑んでいられるのか、と。単純にいい加減な人間には見えない。なのに、どうしてだろう。
「緋布斗さん? あ、見て? ほら、スレヴィさんがこんなにキレイにしてくれたんだよ」
 あたりはびしょ濡れだが、テラス席のまわりは、たしかに薔薇だけでなく、小さな花や緑の葉が、可愛らしい姿を見せている。
「まぁな。今は寒いけど、春になったらここでのんびりできるんじゃないかな?」
「そうだねー。……っくしゅ!」
「あの。……水まき、かわりにやりましょうか」
「いいの? ありがとう!」
 そのまま緋布斗は、レモを暫し手伝うことにした。二人で薔薇の剪定をしているうちに、だんだんと、雰囲気も多少うち解けてくる。そのうちに、ふと、緋布斗はレモにむかって尋ねていた。
「レモは……自分に、満足している?」
「え?」
「僕は本当はもっと体も背も大きいはずなんだ……でも自分のことがよくわからないし、今は小さいから唯識に代わりにやってもらうことが多いんだ……」
 完璧主義者の緋布斗にとって、自分が本来の力を発揮できず、唯維の手を借りていることが、どうにも心にわだかまっていた。
 過去の記憶も曖昧で、そんなところは、レモと自分は似ているような気がしていた。だからつい、こんなことを口にしてしまったのだろう。
「ええと、……僕はさ、外見は『あの人』からの借り物みたいなものだし、そのくせ、画も描けないし、字も読めないし、ほんと、なんの取り柄もないんだよね。こんな風に、みんなに協力してもらえなかったら、絶対、今回のことだって出来なかった」
「…………」
「情けないなって、ちょっとは思うよ? でも、僕は、その分みんなの想いが有り難いし、嬉しいなってすごく思えた。もしもぜーんぶ自分で出来るんだったら、こんな想いは知らなかったろうなって。けど……多分、なんでも自分で出来る人なんて、いないでしょう?」
 いや、嘘だ。レモは知っている。
 なんでも自分一人で出来る人間。それは、レモの創造主、ウゲンに他ならない。だが、そうやって……誰も何も必要としなかった者は、結局は、孤独な魂のままだった。
 しかしあえて今、レモは彼のことを口にはしなかった。
「みんな、足りない部分を補いあえばいいだけなんだろうなって。緋布斗さんにも、僕、今すっごく助けてもらったよ?」
 レモはそう言うと、にっこりと緋布斗に笑いかけた。心からの、感謝をこめて。
「そう、かな」
「うん! じゃなかったら、絶対僕、当日に風邪ひいてたと思うよ」
 おどけた調子で続けたレモに、緋布斗は、微かに口元を綻ばせた。