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リアクション
第3章
「暑い……」
夏も真っ盛りなこの時期、綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)はそう言わずにはいられなかった。
荒野や草原よりも明らかに気温が高い空京の街を、彼女は恋人のアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)と共に彷徨っていた。
散歩でもしようと外に出たのは、そう前の話でもない。だが、さゆみの絶望的方向音痴が発動して、自分の住んでいる街だというのに2人は迷子になってしまった。彼女の気の向くままに歩いていたアデリーヌも、見覚えのない場所に成す術がない。汗を流しながら、ただ進むのみだ。
「暑いですわ……」
「家に帰れる気がしないわ。どうしよう……あれ?」
最初の頃の余裕はどこへやら、暑さの中で途方に暮れていたさゆみは、前方を行き交う人々の中にラスの顔を見つけてきょとんとした。彼は確か、まだ入院している筈だ。それが何故、こんな所を歩いているのか――
人違いかと思って目を凝らすと、おかしな点は他にもあった。実年齢よりかなり老けて見えるのだ。それに、服装のチョイスがいつもより明るいし、表情も朗らかだ。
「アデリーヌ、あの人なんかラスさんに似てる気しない?」
恋人の腕を軽くつつき、注意を促す。すると、彼女は僅かに眉を顰めた。
「不思議と他人のそら似……とは思えませんわね。どういうことでしょう」
本能が本人だと言っているような、そんな気がする。さゆみも同様で、他人と片付けるには少しばかり抵抗があった。
「ねえ、ラスさん、何かあったの?」
それ以上何を考える間もなく、早足で追いついた彼女はラスもどきに声を掛けた。このまま見逃してしまうのは、何となく気持ち悪い。
「……ん?」
振り返ったラスもどき――もといサトリ・リージュンは、さゆみとアデリーヌを見て瞬きした。隣の眼鏡を掛けた長身の男も足を止める。
(何か、すごい汗だな……じゃなくて)
その中で、さゆみ達にまずそんな感想を抱いたサトリは脳内セルフツッコミを終えると心配そう、というよりは訳が分からないという顔をしている2人に言った。
「俺はラスじゃないぞ。まあ、その親ではあるけどな」
「親!?」
「親……ですか?」
その答えは、何故か全く想像していなかった。ある意味、本人と言われるよりも驚いた。目を丸くしている彼女達にサトリは名乗り、「こっちは友人のシグだ。何かと世話になっている。縁の下の力持ちというやつだな」と眼鏡の男を紹介する。「本当にな」とシグ・シアルが渋い顔をする横で、彼はふと表情を曇らせた。慌てているようにも見える。
「それより“何かあった”とは?」
「え? “何かあった”って……」
何が、と聞き返しかけて、さゆみは彼に声を掛けた時の事を思い出した。“ラス”に対して尋ねた言葉に対して、妙な錯誤を起こしてしまったらしい。
「あ……何でもないわ。サトリさんを見て、ラスさんが一気に40歳くらいになったのかと勘違いしたから。ラスさんは元気にしてるわよ。入院してるけど」
「入院……そうだ、立ち話してる場合じゃなかったな」
さゆみの話に安心したり納得したりしていたサトリは、何かを気にするように一度進行方向に目を遣った。
「これから、病院まで迎えに行くんだ。あいつ、今日が退院らしくてな」
じゃあ、と軽く言って、さゆみ達に背を向ける。
「…………」
離れていくサトリ達を見送りながら、さゆみは考えた。目的地は病院――現在迷子中の彼女達にとって、彼等は貴重な道標ではなかろうか。一旦病院まで行けば、そこでタクシーを拾って家に帰れるだろう。……痛い出費にはなるが。
「こうなったら……。アデリーヌ、2人についていくわよ」
「はい。そうしましょう」
「待って! せっかくだし、私達もお見舞いに行くわ」
炎天下を迷子になって街中を彷徨い続けるのは地獄以外の何者でもない。さゆみ達は、急いでサトリ達を追いかけた。
「それでね、昔は本気でお宝を見つけて売りまくるつもりで色々行ってたらしいわ。『働くのが面倒』とか『働いてる間、ピノに会えない』とか……つまり無職希望者だったのね。でも、それから学園で知り合った女の子に纏わる事件で忙しくなって、元々ガラでもないからって宝探しは止めたんだけど」
病院に向かう道中で、さゆみはラスがどんな日々を送っていたのかをサトリに話して聞かせていた。というのも、サトリはラスがパラミタに移住した時に会って以来、一度も顔を合わせていないのだそうだ。本人が嫌がっていたのと、その理由も想像がつくからという事らしいが――父親なら息子がこのパラミタでどんな風に生きて、どんな事を考えていたのかを知る義務があるように思え、こうして彼女は話をしていた。
「……君は、ピノという子についても良く知ってるのか?」
「ピノ? ええ、知ってるわ」
「出来れば、君から見たピノについて聞かせてくれないか。俺は、まだ彼女に会った事がないんだ。契約直後にラスに会った時は、パートナーは怪しい相手じゃないから、と只管に隠されてな。……その時に彼女を外出させていたのはシグなんだが」
「え? ……そうなの? じゃあ……」
さゆみとアデリーヌはシグと、そして少し寂しげにも見えるサトリを見比べてピノについて口々に語り始めた。ラスの“妹”として一緒に暮らしているという事。初めは『刃が危険』という理由で料理をさせて貰えずに食堂やコンビニを利用していたが、ラスに菓子パンばかり買い与えていたらうんざりした彼が料理を許すようになった事。金銭管理以外の事はピノが実権を握っている事。ラスが何でも干渉してくる事をかなり鬱陶しく思っている事――
「でも、今はちょっと関係が変わったみたい。ラスさんをあんまり邪険にしなくなったし」
「そうか……」
サトリは俯きがちにそれだけ言って、顔を上げた。話をしている内に、彼等は病院の入口前に辿り着いていた。入院棟に入ると、当然ながらそこは冷房が効いていて、何とも『助かった』という気分になった。
「話してくれてありがとう。ちょっと手続きしてくるから待っててくれ」
暑さに強いのか、あまり汗もかいていないサトリはさゆみ達にそう断り、受付カウンターへ歩いていった。
「あーもう、少尉に昇進してから忙しくって遊ぶ暇がないわね」
その数秒後、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)はセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)と2人で入院棟のドアを潜った。空京には出張で訪れていて、公務中につきビキニとレオタードも脱いで教導団の制服姿だ。
「ラスじゃない。もう支度が終わったのかしら」
受付カウンターを見て、セレンフィリティは足を止めた。今日が退院と聞いていたラスが、そこで何か書き物をしている。何か変だと感じたのは、仕事の前に一言声を掛けようと足を向けた時だった。何となく、老けて見えるような気がする。
「セレン、あの人……」
「そうか、入院生活が長引いて苦労したのね……」
別人じゃない? とセレアナが言う間もなく、彼女は心で涙しながら近付いていく。
「退院おめでとう、ラス。これから帰り?」
ぴた、と書き物の手が止まり、「ん?」と彼は振り返る。まるで知らない人間を前にしたみたいに数回瞬きし、それから――
「ラスの友達には女の子が多いんだな。いやあ、おじさん羨ましいよ」
と、何ともおじさんくさい発言をした。
「何だ、お父さんだったのね」
「だから、違うって言おうとしたのに……」
拍子抜けしていると、セレアナが仕方ないわね、という目を向けてくる。
「ねえ、父親から見るとラスはどんな子供なの?」
さゆみ達と合流したところで、セレンフィリティはサトリに言った。親ならば、自分達が知る彼とは別な素顔も知っているかもしれない。
「どんな? そうだな……といっても、俺が知ってるのは何年も前のあいつだが……」
顎に手を当てたサトリは、何から話そうかと考えているようだった。その彼の横顔からは子を思う父性のようなものも感じられ、ラスにもこういう親がいるのか――と、セレンフィリティは安堵すると共に温かい気持ちを味わっていた。自分の息子が怪我をしたから、とわざわざ地球から会いにやってくる親がいるというのはそれだけでありがたいことだ。両親がいない彼女は、特に強くそう思う。
生死を把握しているわけではない。もしかすると、どこかで生きているかもしれない。だが、それは彼女にとって希望に値することではなかった。攫われたのか売られたのか、どちらの結果なのかは知らないが、幼い頃に売春組織に身売りされた彼女はそこで売春を強要されたり、児童ポルノ映画の“女優”として出演させられたりした。それは、葬りたくても葬り去ることのできない過去であり――
「……親の欲目かもしれないが、素直に育ってくれたと思うよ。友達も多く、いつも誰かしらとつるんでいた。おかげで、いつも帰りが遅くてリンに怒られてたもんだ。子供が苦手なのかピノとはあまり関わろうとしなかったが……」
病気になってからは俺よりもよく見舞いに行ってくれたしな、と、サトリは続ける。それから彼は、気遣うようにセレンフィリティに言った。
「どうした? 大丈夫か?」
「え? あ、ううん。何でもないわ」
甦ってきた記憶に心臓を凍らせたのは一瞬だったが、彼は目敏くそれに気付いたようだった。心を支配しかけていた過去を頭から追い払う。彼とラスがどんな風な再会を果たすかはともかく、少なくとも自分のようにはならないでほしい、と彼女は思う。
「誰? って突っ込みたくなるような少年時代ね。そういえば、今日は奥さん……リンさん? は来ていないの?」
「ん、あ、ああ、リンか……」
殊更に笑顔を作り、咄嗟に思いついたことを訊いてみる。すると、サトリは気まずそうな顔になった。
「リンには、今回のことは伝えていないんだ。……そうだよな?」
サトリに確認され、渋い面持ちになったシグが「ああ」と答える。セレアナは、そこに何か不穏なものを感じ取った。
「どうしてかしら。心配するから……というのではなくて?」
「病室には、剣の花嫁……というのか? その彼女……ピノも居ると聞いている。今の状態のリンと彼女が会うのは……決して良いこととは言えないだろう。確実に……リンはピノを自分の娘だと認識する」
サトリは説明した。娘の死に直面し、リンがラスの記憶を失っているという事。彼女の世界は今、“ピノ”で埋め尽くされているという事。
「まだ、ピノの死を受け入れられていないんだ。彼女は、混乱の中で生きている。何とかしないといけないというのは俺もシグも……ラスも分かっている筈なんだ」
だけど……と、サトリは辛そうに目を伏せた。
「ラスから連絡があって『ピノ』という子がパートナーなのだと言われたのは2年程前の話だよ。新しい妹として彼女と接してきたつもりだったけれど、結局、本物の代わりとして見てきた事は否定出来ない、と」
ラスはこの時、こうも言っていた。当たり前の事だが――ピノは自分を、代わりとしては見てほしくなかったのだと。だが、それと同時に本物の妹を超えられないという思い、自分は必要ないのではないかという思いを抱えていたらしいという事も。
「ショックだったよ。俺も本人に会ったらどう対応出来るだろうとも思った。だけど、ショックだったのはそれだけが理由じゃない。彼女の存在を隠されていた事がショックだったんだ。最愛の息子に信用されていなかったような気になってな」
正直、分からないんだ。と彼は続けた。
「今、俺はリンに同じことをしている……教えるべきかそうでないのか、分からないんだ」
会わせる勇気が無いだけかもしれないと、自嘲気味に笑う。
「でも……さすがにいきなり……というわけにもいかないだろうけど、いつまでも隠しておくのも無理があるわよね。知らせないといけない日は、いずれ来るわ」
頭の中で話を整理しつつ、さゆみが考えを一言一言口にしていく。
「どうすればいいのかっていうのは、さすがに私も悩んじゃうけど……」
「…………」
サトリとさゆみの会話を聞きながら、アデリーヌも考える。いつまでも隠し立てはできないだろうし、機を見て伝えることにはなるのだろう。だが、そのタイミングを外すと酷いことになるのは必定そうだ。迂闊なことは言えない――と、アデリーヌは思った。
「焦っても仕方がないし、今はそーっとしておいた方がいいのでは? きっとまだ、時が彼女を癒している途中なのよ」
「そう、なのかな……」
セレアナの言葉にサトリは考え込み、どこか頼りなさそうな表情を浮かべる。
「まあ、そういうことで今日は俺1人なんだ。リンに会いたい気持ちもあるが……中々勇気も出なくてな」
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