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精霊と人間の歩む道~風吹くウィール遺跡~ 前編

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精霊と人間の歩む道~風吹くウィール遺跡~ 前編

リアクション

 闇夜に紛れて、複数の殺気立った気配がイナテミスを取り囲む。
 焚かれた篝火を見て、ほとんどの獣は危険を感じて襲撃をかけてこなくなった。だが、一部の獣は危険を感じながらも、空腹を満たす欲求を押さえることが出来ずにいた。
 そして獣たちは門の前に積まれた物資に食料の匂いを嗅ぎつけ、強奪するべく茂みを飛び出し、軋みをあげる身体を奮い立たせて地面を蹴る――。
 突如、空間を電撃が走った。その電撃に獣が撃たれ、身体を震わせて地面に倒れる。
(……ごめんね。手加減してあげるから、死んじゃダメだよっ)
 茅野 菫(ちの・すみれ)が、獣たちへ哀れみの視線を向けながら、仲間がやられたことを知りながらそれでも向かってくる獣へ電撃を見舞う。加減された電撃が獣を撃ち、動きを止めていく。
(……あれ……手加減するのって、結構、疲れるんだ……知らなかったな……)
 そうして、もう物資に手を出す獣がいなくなったところで、手を下ろした菫が身体のふらつきを覚え、地面に崩れ落ちる。魔法は、何も考えずに撃つのが一番疲労が少ない――その分成果も低くなるが――。威力を増すことも、威力を加減することも、同様に術者に疲労をもたらすのだ。なまじ威力を加減することの方が、誰にでも出来る分厄介でもあった――威力を増すのは、個人の魔力量と出量によって決定され、例えば120%までしか出来ない人と200%まで出来る人とで差が生まれる。威力を加減するのは、0から100%まで誰もがとり得るので、誰にでも出来ることになる――。
「俺で良ければ、手伝わせてもらえないだろうか」
 声に菫が振り向けば、そこにはケイオースがいた。
「……なんであんたがここにいんのさ」
「アナタリア、知っているね? 彼女が俺に言ってきたんだ。菫はきっと一人で無茶すると思うので、力を貸してあげてください、って」
「…………」
 菫は、交流があった精霊、アナタリアのことを思う。彼女には言わずに来てしまっていたが、彼女には分かってしまっていたようである。人の心を読むことに長けた、そして菫のことを思うアナタリアだからこそ気づいたとも言える。
「彼らも、満足に餌があればこうして凶暴になることもなかった。彼らは必要のない苦労を負わされた。……俺自身も、どこまで手を貸せばいいのか分からない。それはこの者たちにも、そして君に対してもだ。何せ経験がないからね」
 自嘲気味にケイオースが笑う。
「……この子たちはあたしが面倒見る。それがあたしのしたいことだから」
 立ち上がれるくらいに回復した菫が、ケイオースへ言葉を投げる。
「では、俺はそれを手伝おう」
 無言のまま作業を始める菫の動作を真似るようにして、ケイオースも作業に従事する。そして、作業を終えた菫が人目に付くことなく街を離れていくのを見送って、ケイオースも街へと戻っていく。
「……ん? 何か聞こえるな……」
 ふと足を止めて、ケイオースが耳に届く優しげな声に身を委ねる。
 それは、街の中心にある噴水から聞こえてくるようだった。

 降り注ぐ陽光の下で
 手を取り合い踊り明かそう
 包み込み月光の下で
 手を取り合い眠りにつこう

 
 応急処置を施された噴水の前で、燦式鎮護機 ザイエンデ(さんしきちんごき・ざいえんで)が歌を歌う。
 雲の隙間から月が覗き、夜の光を届ける。水の代わりに言葉が雫となり、噴水を伝って吹き上げていくようであった。
「むぅ……ぐぅ……」
 ザイエンデに身を預けるようにして、神野 永太(じんの・えいた)が寝息を立てている。

 昼間は彼と二人、門の修理に追われていた。
 その合間を縫って、永太は家を回り、住人の話を聞き、時には手を貸してあげながら、小さな、ほんの小さな願いを口にする。
「もし良かったら、今晩、噴水の前に来てくれないかな。歌を、聞いてもらいたいんだ」

 ザイエンデが、暗闇の聴衆を前に歌う。住人の姿はそこにはない。夜の寒さは容易に、住人を家屋へ閉じ込める。
 それでもザイエンデは歌うのを止めない。自分が歌うことがきっと、街を救う一助になると信じて。

(……闇あればこそ光輝く。君たちの行動もまた、闇のようだ)
 感想を漏らしたケイオースが、街を覆う闇に働きかける。吹き抜ける寒波に消されることなく、歌声が闇を伝って街中に響くことを願いながら。

「……ねえママ、歌が聞こえるの。優しい歌が」
「そう、きっと歌っている人も、優しい心の持ち主なのでしょうね」
 母親にそっと頭をなでられて、届く歌を子守唄にして、子供が安らかな眠りにつく。
 
 辺りをうろつく獣も、そして吹き付ける風さえもどこか穏やかになったようにさえ思える。
「んん……」
 仕事に疲れた永太の表情も、心なしか安らかに映る。
 静けさを、そして一時の安寧を得た街に、ザイエンデの歌が響く。

 その翌日も、そして次の日も、イナテミスを囲う門や壁、そして公会堂では生徒たちの活動が行われていた。
 ところで、公会堂の周囲だけは、他と比べて吹く風の勢いが弱められている。敷地に入ったとたん、それまで身を吹き飛ばすような勢いだった風が、撫でるような優しい風に変わっていた。
 その仕掛けは、彼女たちによってなされていた。

「……出力は安定しているわ。範囲がこれだけしか及ばないのには不服だけど」
 魔法陣に不備がないかを確認して、九弓・フゥ・リュィソー(くゅみ・ )が呟く。台座に描かれた魔法陣へ、漂うように大量のシルフィーリングが光を放ち、魔法陣へ魔力を注ぎこんでいる。魔法陣は公会堂の周囲にちょうど、川を堰き止める杭を打つように結界を構築し、吹き抜ける風をそらし、せいぜい隙間風が入り込む程度に抑えていた。
「やはりレプリカの限界かしら? 興味深くはあるけれど」
「これだけの指輪を目の当たりにするのは、そうそうないですわ☆」
 九弓の着込んだコートのフードから、九鳥・メモワール(ことり・めもわぁる)マネット・エェル( ・ )がちょこん、と顔を出す。九弓としてはイナテミス全体を覆うことを想定していたものの、いざ試してみれば全然出力が足りない。これがセリシア&サティナの所有するリングなら、1つで出力を賄えたかもしれないが、そうすると今度はその出力を制御する魔法陣の方が負荷に耐えきれず崩壊してしまうだろう。それでも確かに、これだけの数を用意することで一応、公会堂とその周囲までを数日間、結界で覆える算段をつけられたのだから、無駄ではない。

「ねーねー、何やってんのー?」
 ……そして、九弓にとっての当面の懸案は、この公会堂で遊ぶ子供たちへの対応であった。
 子供は無知で、そして容赦ない。公会堂を訪れる子供たちはすべからく、九弓を同年代の子とみなして接してくる。おまけに見境なく走り回るので、いつ魔法陣に綻びが生じるか知れたものではない。台座を用意したのも、子供たちがうっかり入り込まないようにするための処置であった。人目のつかないところに設置したくはあったが、立地条件を加味すると今の位置しかないのであった。
「……説明しても分からないのに、説明しても無駄よ」
「えー、なんだよそれー! いいじゃん教えろよー」
 子供の一人が九弓に食って掛かる。それを見止めて、興味を引かれたらしい他の子供もわっと集まってくる。
 そうして、他の生徒が事態に気づき、子供たちを散らせるまで、九弓は子供たちの好奇心を満たす格好の玩具にされてしまったのである。

「あぁ!? んだよてめぇ、余所者がうろちょろしてんじゃねぇ!」
 公会堂での生徒と精霊の活動が行われている中、何らかの理由で家に閉じこもっている住人へ救援物資を届ける仕事に従事していたミーミル・ワルプルギス(みーみる・わるぷるぎす)が、扉を開けた男性に罵声を浴びせられる。
「あっ、ご、ごめんなさい……」
 驚いて、そして謝るミーミルの言葉を聞くことなく、男性が物資をひったくるように受け取って扉を閉めてしまう。
「ちびねーさん、大丈夫か?」
「……うん、大丈夫。私、何か相手を怒らせるようなことをしてしまったのでしょうか……」
 手伝いに来ていたネラに慰められたミーミルは、自分の行動に責があったのではと勘繰る。
「ミーミル、それは違う。例えばミーミル、今君がした行動は、君自身はいいことだと思っているね?」
「はい、お父さん」
 アルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)の言葉に、ミーミルが頷いて答える。
「だがね、相手はそうは思わないかもしれない。いや、思わないことの方が多い。どうしてこうなってしまったのかという不満、自らと異なるものへの恐怖は、人間、いや、知的生命体から判断の余裕を奪う。非常に狭い行動以外は受け入れなくなってしまうんだ」
「何やそれ、よう分からんわぁ。何かをしてくれたらちゃんとありがとう、って礼を言わなアカンって教わらなかったんか!?」
 ネラが不満げな表情を見せる。
「……父さんほどではないと思うけど、私には何となく分かるような気がするよ。全てを拒絶して自身の考えだけに救いを求める……私もそれを経験しているように思えるから」
 アルツールの隣にいたヴィオラが、やや自嘲気味に呟く。
「自分がよかれと思ってやっている行動は、相手にはそう映らないかもしれない。それは心を、感情を持っている我々にとっては当たり前のことなのだよ」
「……難しいです。何をしていいのか分からなくなりそうです」
 うな垂れるミーミルの頭を、アルツールの掌が包み込む。
「そうやって誰もが悩んで、そして成長していくんだ。こういうことがあったからといって足を止めれば、そこから先には進めない。君にとっては辛い経験かもしれないが、経験は必ず君を前に歩かせてくれようとする。後は、君が諦めない心を持って、前に歩き続けようとすればいいんだ。フォローはお父さんが、君を慕う生徒達がしてくれる」
「そやな。ウチはいつでもちびねーさんの味方やで! あんまおかしなこと言うたるヤツは、ぶっ飛ばしたる!」
「自分ひとりだけじゃないって、君は教えてもらったんだろう? みんなで考えて、そして行動すれば、それはきっと実を結ぶと思う」
 アルツール、そしてネラとヴィオラに励まされて、ミーミルの表情にようやく笑みが浮かんだ。
 そして一行は、次の家へと足を向ける。

「おばあちゃん、なにかこまったコトはないですか〜?」
「そうじゃねえ……私は足が悪いから、あまり外に出られなくてねぇ。子供たちも街の外に出てったきりだから、もし私に何かあったらと思うと怖いねぇ。誰か様子を見に来てくれるなら嬉しいけど、みんなも大変そうだからねぇ」

「おばあちゃん、そういってました。ボクがたくさんいたら、ひとりわけてあげたいです」
 ある家を尋ねたヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)が、一人で暮らす老女を気遣って心配そうに呟く。
「じゃ、俺たちのうちの誰かが世話してやりゃいいんじゃね? あるいは交代で」
「君は考えが短絡的だな。いくら気の優しそうな方とはいえ、見ず知らずの僕たちを住まわせると思うかい?」
「そうよ、かえってその方が気を使わせてしまうわ」
「ま、交代で様子を見に行くってんなら、アリかもな。お婆さん、俺らを見ても特に疑わなかったし」
 ヴァーナーを囲むように立っていた精霊たち、ガイネリアアカシアケストナーがそれぞれ意見を口にし、方針をまとめていく。騒ぎを聞きつけてやってきた彼らは、馴染みであるヴァーナーと一緒に行動を共にし、何か出来ることがあればそれを実行に移すべく算段を立てていた。
「……おにいちゃん、だいじょうぶですか? いそがしかったりしないですか?」
 そんな一行に、ヴァーナーが不思議そうに首を傾げる。確かに手伝って欲しいと誘ったのはヴァーナー自身だが、彼らがどうしてここにやって来たのか、そしてどうして手伝ってくれるのかが謎であった。
「俺は耳と、あとカンがいいんだ。こいつらは俺が呼び寄せた」
 ケストナーが胸を張って答える。頼りないところがあるものの、彼ら4名の中では彼がリーダーになっていたようである。
「ガイったら、家で寝てたわよ。まったく、暢気なものね」
「ち、違え! 何かあった時のために準備してただけだ! おい、お前はどうなんだよ」
「僕かい? 僕は呼ばれるまでもなく来ていたよ。当然じゃないか」
 口々にそう答えた後で、それぞれがどうしてヴァーナーを手伝うのかを口にする。
「あんたが張り切ってんのに、俺たちが何もしないってのも気分悪いしな。全部がそうじゃねえだろうけど、少なくとも俺たちは、あんたの手伝いがしたい」
「何をすればいいってのはよく分かんないけどさ、言ってくれれば何だってやるよ!」
「身体を動かせれば何だっていいぜ! 俺だけで動いてても面白くねえしさ」
「確かに君と僕とは契約を結んでいないけど、それだからといって何もしないのは、色々と良くしてくれた君に失礼だ。いつもとは限らないけど、力になれる時には協力したい」
「なんだよ、弱気なこと言ってんな。いつだって俺に任せろ! くらい言っちまえよ」
「直前まで寝てたあんたが言う言葉じゃないわね」
「な、なんだとぅ!?」
「止めておけ、こんな街中で騒いでは迷惑だぞ」
 そんな彼らの言葉を聞いて、ヴァーナーが嬉しさ極まって涙を滲ませつつ、満面の笑みを浮かべて答える。
「……ありがとうです。ボクもがんばるのです!」
 ヴァーナーの言葉に一行が頷いて、そして次の家へと向かっていく。

「もう一ヶ月もこの寒さだよ!? 今年はいったいどうなってるんだ! 俺も妻もこんな調子だし、一体いつになったら――ゴホッ、ゴホッ!!」
 公会堂の一角に設けられた仮設の医療施設で、男性が興奮のあまり咳き込む。隣に座る女性は対照的に、青ざめた顔でじっと話に耳を傾けている。
「心中お察しします。病状に関してはこちらとこちらの薬草で大分改善されるはずです。天候については私の仲間が原因を調査中ですので、申し訳ありませんがもう少しだけ待っていただけないでしょうか」
「……ありがとうございます」
 本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)から渡された薬を受け取り、それまで黙っていた女性が口を開き、感謝の言葉を口にする。二人を見送った涼介はその言葉に癒される思いを抱きながら、次の患者を迎え入れる。涼介が自らの知識を生かせる場所をとのことで設置された医療施設は、最初こそ住人が訝しがって入ってこなかったものの、日を追うごとに訪れる人は増えていき、今日はついにその客足が途絶えることはなかった。親身になって話を聞いてくれることが分かってから、その噂が街中に伝播することで今の状況を作り出していた。
「はい、どうぞ」
「ありがたやありがたや……ワシらはなんの力も貸せんけど、応援しとるでのう」
 施設の外では、エイボン著 『エイボンの書』(えいぼんちょ・えいぼんのしょ)が中心となって用意された炊き出しを、訪れた住人が感謝の言葉を口にして受け取っていく。『エイボンの書』曰く「兄さま直伝のスープ」である『トマトとにんにくのスープ』は、住人を内側から温めていた。
(兄さまもお手伝いを頑張っていらっしゃるのですから、わたくしも出来ることを精一杯やらせていただきますわ)
 施設に視線を向けた『エイボンの書』のところに、協力を申し出た街の青年が声をかける。
「すみません、容器の余りってまだありますか?」
「あ、はい。えっと……ごめんなさい、もうないみたいですわ」
「分かりました、じゃあ俺、取ってきますよ。他に足りないものはないですか?」
 気さくな青年と足りないものなどを話し合い、駆けていく青年を『エイボンの書』が見送る。
 住人と生徒との距離は、確実に縮まっているようであった。