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ナラカの黒き太陽 第二回 委ねられた選択

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ナラカの黒き太陽 第二回 委ねられた選択

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「この計器の結果については、こちらに書いていけばよいんですよね」
「そうだよ。……ハルディア君は優秀だね。私はこれだけ覚えるだけでも、もっと時間がかかったよ」
「いえ、そんな」
 清家の賞賛に、ハルディアは謙遜してみせる。
 「出来れば観察や観測、記録の付け方などを教えて貰えませんか?」と頼んだのは、ハルディアからだった。
「ゆくゆくは、ここで研究するのもいいなと思っているんだ」
 その言葉に、デイビッド・カンター(でいびっど・かんたー)や周囲は少し驚いた。ハルディアの出身が富裕な家であり、その跡継ぎとして、周囲の期待は当然大きいはずだ。だが、ハルディアはなんでもないことのように、「他にもその道の才がある兄弟はいるからね」と微笑んでいた。
「カルマの事をもっと知りたいし、その本当の力を二人の思うように発揮出来るよう手伝えて……最終的にシャンバラやパラミタの為にもなるなら、素晴らしい事なんじゃないかと思うんだ」
「ハル……」
 穏やかに語るハルディアの言葉が、デイビットには嬉しかった。単なる知的好奇心ではなく、心からシャンバラのこと想っていることが伝わってきたからだ。
「レモ君とカルマは二人でひとつ。研究対象やエネルギー云々の前に、僕達の大切な仲間だからね」
 装置のもう一つの使い道が、兵器であるということは、ハルディアたちにも知らされていた。そして、もしもそうなってしまいそうであれば、自分たちを壊してくれとレモが頼んでいったことも。
 だが、そんな道をたどらせたくはない。それもまた、ハルディアが研究に興味をもった理由の一つだったろう。
「レモ君が記憶を取り戻したら、君も目を覚ます事が出来るかな?」
 カルマにむかってそう声をかけるハルディアに、清家は「そうかもしれないな」と頷く。
「レモがこの研究所に来ていると、カルマの反応はやはり強くなったよ。少し、妬けるくらいにね」
 冗談めかして清家は言うと、軽く肩をすくめてみせる。
「清家さんは、カルマのことをとても大事にしていますよね」
「美しいからね。透明で、純粋だ。初めて見たときから、こんなに美しい存在がこの世にはあるのかと思ったよ」
 うっとりと、清家の瞳はわずかに潤んでいる。カルマを見上げるその横顔は、まるで忠誠を誓う騎士か、あるいは恋に煩う青年のようだ。
「そうですね。レモ君も、カルマも、綺麗で優しいと僕も思います」
 あの{SNM9998793#ウゲン・タシガン}が作り出した存在とは思えないほどだ。
 常に傍若無人で、狡猾なウゲンのことだ。レモとカルマにも、さらに罠をしかけられている可能性もある。
 けれども、そうだとしても、ハルディアは二人の可能性を信じたかった。
「なあカルマ、レモと繋がってるなら、あいつの記憶が…あなたの中にもあるのか?」
 デイビットもまた、そうカルマに語りかけてみる。
 クリストファーたちの歌声を聞いていると、自然に色々な記憶が、デイビット自身の中にも鮮やかに蘇ってくる。
 見つけた青い石が、レモの姿になって。それから、色々なことがあった。喫茶室での語らいや、ともに海で遊んだこと。とくに海辺でレモが見せた表情は、本当にただの純真な子供のそれだった。
 できたら、また海に遊びに行ければ良い。そのときには。
「カルマが動けるなら、一緒に行けるのにな」
「そうだね」
 待ちわびるようなデイビットの口調に、ハルディアが微笑んで頷く。
「オレさ、目覚めるって思ったら、不安より楽しみの方が多いんだ。……だから、信じて待ってる」
 目覚めたカルマは、どんな性格なのだろうとか。一緒に何かできるだろうか、とか。
 そしてなによりも、レモが無事に、タングートから帰ってくることを。
 デイビットは、心から強く信じていた。
「ああ、そうだよ。きっと、今度こそ、目覚めるとも……」
 清家もそう言い切る。
「感じるんだ。ここ数日、今までにないほど、カルマは反応を示してる。なにかを感じているはずなんだ」
 三人が見上げた先で、カルマがまた、微かに明滅した。深く眠る幼子の、微かな吐息のように。


 そんな風にカルマを見守っている人物は、三人だけではなかった。
「見えるかな? 見えているといいけど」
 リュートを演奏する手を止めて、クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)はシャンバラ語で書いた演奏曲目を、もう一度カルマに見えるように、水晶柱の前に置いた。今の状態ではどの程度カルマに視覚能力があるのかはわからないが、なにかを感じてはいるはずだ。
「素晴らしかったです」
 傍らでミサンガを編んでいたエメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)が、一度手を止め、ささやかな拍手を送る。リュミエール・ミエル(りゅみえーる・みえる)も「まるでここがコンサートホールになったみたいだよ」と陽気な笑みを見せた。
「みんなの作業の邪魔になってないかな。大丈夫?」
「いいえ。そんなことはないですよ」
 クリスティーの気遣いに、エメは微笑んで首を横に振った。
「レモ君にも、届いていると思いますよ」
「そう願うな。俺たちにとっては、歌が一番、レモとの絆だと思うから」
 二人がこうしてカルマの前で歌うことを決めたのは、レモの心を薔薇の学舎につなぎ止めるためだった。
 本人も、記憶のロックが外れた後、どうなってしまうのかは不安がっていたと聞いている。実際、二人の創造主の性格を考えれば、万事がハッピーエンドに向かうようにできているとは、クリストファーには到底思えない。
 ウゲンが教え込んだ、原初の記憶に飲まれてしまう可能性も十分にあった。
 だからこそ。
 二人は、歌で伝えることにした。
 タシガンで、薔薇の学舎で、どんな日々を過ごしてきたのかと。どんな思い出を作り、どんな風に今に繋がってきたのかを。
「最初はひどかったからね、レモは」
「そうだね。苦手意識が強すぎて、まともに声もだせてなかったし」
 レッスンの様子を思い出し、クリストファーとクリスティーはそう苦笑しあう。
 歌が苦手なレモを、どうにか人前で発表できるようになるまで一生懸命に指導したのは、この二人だった。
『師匠たちみたいに、きれいな声もしていないし、無理だと思う……』
 よく楽譜を掴んだまま、泣きそうな顔でレモはそう言っていたものだ。師匠、というのは気恥ずかしいから、すぐなおしてもらったけども。心の中では、レモは変わらず二人のことを師匠と呼んでいる様子でもあった。
 それでも、根気よく、楽しく。レッスンを続けていくうちに、ある日レモは言ったのだ。
『音楽って、音を楽しむって書く理由が、ようやくわかった気がする』と。
 それには、よく演奏につきあって、気後れするレモを励ましてくれたマユ・ティルエス(まゆ・てぃるえす)の力もあったかもしれない。
 結局、レモは今もごくごく普通程度の歌唱力ではあるけれども。少なくとも、音楽というものを好きになったようだ。
 かつてレモが操られ、正気を失ったときにも、彼を引き戻した力のひとつは音楽だった。
 だから、今回も。
 レモが絆を思い出せるよう、クリストファーとクリスティーは歌い続ける。
 優しい歌だけではなく、ときには胸が締め付けられるような切なく苦しげな歌もあった。なぜなら、喜怒哀楽のすべてを含めて、それこそが『記憶』であり、レモを形作ってきた経験だから。
「カルマ君。レモ君に、どうか伝えてくださいね」
 そう、優しく穏やかに、エメはカルマへと語りかける。
 その白い指先で編まれていたミサンガは、もうすぐ編み終わるというところだ。
「だいぶ長くなったね」
「ええ。クリストファー君たちにも、手伝ってもらったおかげです」
 様々な色が美しく編み込まれたミサンガは、エメ一人で作り上げたものではなかった。クリストファーやクリスティーも含め、尋人や天音、ヴィナ、ハルディア、梓乃、そして清泉 北都(いずみ・ほくと)らが協力して編んだものだ。
 その糸一本一本に、想いをこめて。
 普通なら腕に結ぶ程度の長さで済むが、なにせカルマは巨大だ。その水晶柱の根元のあたりに、数本斜めに伸びた結晶部分のぐるりに結びつけるだけでも、かなりの長さを必要とした。
 しかしそれも、いよいよ完成だ。
 エメから引きついだリュミエール・ミエル(りゅみえーる・みえる)は、ミサンガを編みつつ、カルマへと言う。
「薔薇の学舎の一員なら、これ覚えておいてよね」
 そう前置きをして、リュミエールはジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)の語り口を真似て語りかけた。
「『美こそ、すべて。美しくない物に、この世に存在する価値はない』……なんてね。君の選択が、願いが、「美しい」ことを祈ってる」
 そう言うと、きゅっとリュミエールは最後の結び目を作る。
「きっと、美しいはずですよ。……カルマ君は、私たちを助けてくれました。そして今は、レモ君と二人で、きっと、同じ夢を見ているのでしょう」
 エメは、できあがったミサンガを手にとると、そっとカルマの一部に巻きつけた。
「気に入って、いただけますか?」
 目を細め、エメはゆっくりとカルマへと囁く。
「これは、ミサンガというんです。願い事をしながら身に着けて、自然に切れた時に願いが叶うそうですよ。他愛ないおまじないかもしれませんが、これには皆の思いが詰まってます」
 エメの頭のなかに、協力してくれた人々の姿がよぎる。今ここで、同じように見守っている人も、いない人も。彼らすべての想いが、ここにあった。
「貴方の事を仲間だと思う人達が、皆で思いを込めて、願いを込めて、編みました。どうか、貴方は一人ではない事が伝わりますように。それから……今から結びますから、願いをかけてくださいね? 貴方のその願いが、叶いますように……」
 リュミエールが長いミサンガの片端を持ち、エメを手伝いながら、編み上がった虹色のミサンガをカルマに飾った。
 透明な水晶に、色鮮やかなミサンガがよく映える。
「よく似合いますよ。そういえば、カルマ君の誕生日はいつなんでしょう? レモ君と同じでいいんでしょうか。ふふ、仲間だといいながら、そんな事も知らないなんて、いけませんね。貴方と話ができることを楽しみにしています」
 エメの指が、そっとカルマの冷たい表面を撫でた。
「そうだね。楽しみだよ」
 その様子を見届けて、クリスティーも微笑む。はい、とクリスティーに頷いてから、エメは再びカルマに向き合った。
「……カール君は、ソウルアベレイターの甘言に操られてしまったと聞きます。彼らは、貴方のことも狙っているそうですから、もしかしたら貴方にも、もしかしたら彼らの【甘言】が囁かれるかもしれません。ですが、願いは、自分で叶えるものです。誰かに叶えて貰うものではありません。でも、どうしても自分の力では成し遂げられない時、私達が貴方の力になります。どうか、このミサンガを感じたときには、思い出してくださいね」
 小さな子供に教え諭すように、その言葉や慈愛に満ちていた。
「私達が貴方を護るのは【大事な発電機】だからではありません。レモ君と同じく、【薔薇の学舎の仲間だから】です」
 そう言うと、もう一度エメはカルマに微笑みかけた。
 ……微かに、カルマの内部が明滅する。それは、たしかな答えのように、エメにもリュミエールにも感じられた。
「闇の声、か」
 ぽつりとクリストファーが呟く。
 さきほどエメの言葉にでてきた、カールハインツ・ベッケンバウワー(かーるはいんつ・べっけんばうわー)のことを思い出しているのだろう。
「この歌が、カールにも届けばいいんだけどね……」
 再びリュートをつま弾きながら、クリストファーは目を伏せた。
 カールハインツもまた、今その正気を失っている。
 同じ学舎の生徒として過ごしていて、どんな闇を抱えていたのか、それはカールハインツの性格上、知る人はそれほど多くはない。おそらくはレモすらも。
 ただ、過ごしてきた日々のなか、なにも感じなかったはずはないのだ。
 今はどこで何をしているのか。地下深くのタングートに思いを馳せて、再び二人は静かにメロディを奏で始める。
 この想いが、届くようにと。