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第18章 ハーフタイム――暗躍と、作戦と


「さて、ハーフタイムです」
 本部テントの下で、浅葱翡翠は宣言した。
「円とサファイアはそれぞれ紅と白の選手たちに水分と糖分を持って行って下さい」
「「はーい」」
 北条 円(ほうじょう・まどか)サファイア・クレージュ(さふぁいあ・くれーじゅ)のふたりは、スポーツドリンク及び珈琲が入ったポットを数本首から下げ、それぞれの持ち場に移動を開始した。
「それで、一条 アリーセ(いちじょう・ありーせ)さんは、実行委員のみなさんを回ってきて下さい」
「了解しました」
 アリーセは頷く。
「……配るのは、こちらが準備したものですからね?」
「何の話ですか?」
「何でもありません。ではお願いします」
 アリーセは渡されているポットを肩にかけると、天幕から出て行った。
(気取られたか? まさかな……)
 肩越しに、天幕の浅葱翡翠を一瞥する。
 アリーセは、完全に目論見が外れていた。
 副審のついでに、試合中の選手の水分補給にかこつけて、各種のステキな薬物入りドリンクを売りつけようと思っていたのだが。
(まさか、副審――ラインズマンの出番が全くない試合展開になるとは……)
 両チームの衝突は原則中央帯の領域で行われていた。普通のサッカーならよく見られるサイドをついてのドリブルやパスなど微塵も見当たらない。前半は、スローインさえなかった。
 ……南北両端のタッチラインの距離は2キロメートル。センタリングを上げるにしても1000メートル近い飛距離を叩き出さなきゃならないから、サイドをつく攻撃は、戦術としては相当迂遠な部類に入るだろう。
「まともにやっても1500メートルも進まなければならないのですから、攻撃側の心理としては到底やってられないでしょうね」
 おかげで前半45分は、こっちの立場も観客と変わらなかった。リングサイド最前列なんて、嬉しくも何ともない。
「とは言え、やっとチャンスが巡ってきましたね」
 やりたい事を色々とやらせて貰おう。

(ちょっといらっしゃい)
 フィールドの藤原優梨子が眼で合図をして来た時、宙波 蕪之進(ちゅぱ・かぶらのしん)は嫌な予感がしたのだ。
 もっとも、災難が待っているとしても、拒否したら後でどんな目に遭わされるか分かったものじゃない。蕪之進には最初から選択の余地などなかった。
「えー、何ですかい、お嬢?」
「良く来てくれましたねぇ……」
 藤原優梨子の端正な顔に陰が落ち、酷薄な笑いが口元に広がる。両端の吊り上がった唇の向こう、不自然に発達した犬歯が見えた。
 ああ、ちくしょう。またいつものパターンか。
 一応気を使ってくれたのだろうか。眼光がこっちの心に絡みつき、何かを思う事も考える事も、うまくできなくなっていく。
 気がつけば抱擁され、頸動脈にに牙が突き立てられていた。
 ああ、ちくしょう。やっぱりいつものパターンか。
 俺は、この女に血吸われる為だけの存在なのか?
――ちくしょう。
 心の中、微かに残る彼自身が、その全てを懸けて思った事が、それだった。

 ――何だ?
 ――何かが俺に話しかけている?
(しっかりしてください)
 ――誰だお前は?
(さぁ、これを飲んで下さい)
 ――何だ? 何を飲ませるつもりだ。
(脱水症状が見えますね。まずは水分を補給しましょう)
 ――水分? そいつは本当にただの水なのか?
(どうぞ)
 清涼感。乾ききった心と体に、潤いが広がる。
(素晴らしい。予想以上の効果ですね)
 失われた力が戻る。胸の奥、腹の底から脳天、指先、爪先に至るまで。
 ――ちくしょう。
 さっき思っていた事が甦ってきた。
 ――何でこんな事になっちまったんだ。
(唸り声? 副作用でしょうか?)
 ――俺はお嬢に血を吸われる存在でしかないのか。
(涙腺への刺激がいきましたか。せっかく摂取した水分が、もったいない)
 ――冗談じゃない。
(全身の筋肉が突然膨張して来ましたね……もしもし? 私の声が聞こえますか? もしもし?)
 ――そんなもの、ぶっこわしてやる。
 ――俺にそんな運命を背負わせた、世界全てをぶっ壊してやる。
(……すみません、用事を思い出しました。失礼します)
 アリーセは、異変が起こりつつある蕪之進から全力で離脱した。

《さぁみんな! 蒼空杯サッカー大会前半が終わったね!》
 場内のスピーカーと、携帯電話からやたらテンションの高い声が聞こえてきた。
《フィールドの選手達は、みんな凄い活躍をしていたね! 今日は、そんな選手の応援にあの男が駆けつけてきてくれたぞ! この世に悪が現れる時、そいつは必ずやってくる! さあ、みんなで彼の名前を呼ぼう! せぇの!》
「シャンバラーーーーーーーン!」
「うわああっ!」
「ぬあああっ!」
 近くで突然叫ばれて、ヴェルチェと近藤勇はひっくり返りそうになった。
「い、いきなりどうした、若者!?」
「ひょっとしてアンタ、神代 正義(かみしろ・まさよし)のファンとかそういうクチ?」
「かみしろ? そんなヤツは知らんなあ!」
 日下部社はニヤリと笑う。
「俺が知っているのは正義のヒーロー、パラミタ刑事シャンバランや!」
「いや、力説されても困るんだが」
「……あ、出て来た。神代さん、全力で走ってるねー」
「うおおおおっ! シャンバラァァン!」
「分かったからちょっと黙ってなさい、エセ関西弁さん」
「外から中心まであの調子で行く気か? 確か1キロはあるんだったよなぁ」
「シャンバランなら1キロ程度のダッシュなど、散歩のうちにも入らんわい!」
「お面って、結構呼吸しにくくなるよねー。今頃お面の中で凄い事になってるんじゃないかなー」
「酔狂な真似を……と思ったら、客席があちこちずいぶん盛り上がっているな」
「何か選手の中にも手を振ってる人いるよ? ファン多いねー」
「いや、客席の中……あそこのあたりは『帰れ』とか『引っ込め』とか言ってるらしいぞ」
「嘆かわしい! ヤツらは何も分かってない!」
「分かんなくても別に困りはしないけど……あ、また小競り合い始まったわ」
「この試合の観客は血の気が多いな」
「スキル打ち合いOKのスポーツ見に来るヤツらが、平和主義者なわけないでしょ」

《こちら会場警備担当、リカイン・フェルマータ。これより暴徒を沈黙させて参りますわ》
《リカさん、お待ちなさい……! こちら中原鞆絵、これよりリカさんに合流して彼女を止めます!》

「……客席に誰かが飛び込んだな」
「さっき、開会式の時にもああいう場面あったわね。多分同じ警備の人じゃない?」
「おお、縦横無尽に暴れているなぁ。数人が吹っ飛んでいったぞ?」
「凄いなぁ、特撮とかCG合成じゃないんだよね?」
「やったれ、警備の姉ちゃん! 正義が分からんヤツらに、裁きの鉄槌を下したれ!」
「いや、騒ぎ起こした人の中には、シャンバランのファンもいたと思うけど……だから小競り合いになったんじゃないの?」
「昂奮してきたようだな。座板を引っこ抜いて振り回してる」
「あれじゃ、どっちが暴徒か分からないわねぇ」
「また何人か張り飛ばされた。いやはや、強い強い」
「完全に頭に血が上っちゃったわねぇ。あの人の事誰か止められるの?」
「……また誰か来たな」
「わお。簡単に懐に飛び込んで……あ、はたいた」
「……できるな、新しく来た方。ツッコミの仕草が堂に入ってるわ」
「おお、静まった」
「ん? 何話し合ってるんだろ?」
「俺には説教を受けてるようにしか見えんが……謝りだしたぞ?」
「あらら、連行されていっちゃった……暴れた警備員さんの方が」

《実行委員本部・浅葱翡翠より会場設営担当へ、聞こえますか? どうぞ》
《こちら設営担当・神和綺人。どうぞ》
《本部・浅葱より神和さんへ。東南方面の観客席に行って状況確認後、設備を復旧して下さい。どうぞ》
《設営担当、了解。ついでに負傷者の治療にも当たります》
《了解。お願いいたします》

 紅チームは、現在応援席の前に並んでいた。
 学ラン姿のルイが中心となり、「驚きの歌」が歌われて、メンバーのSPを回復させていく。
「まさか、ここまで苦戦するとはな」
 弐識太郎が言った。
「チームメンバーの一覧を見た時は、勝利を確信していたんだが」
「俺も同じだよ」
 椎名真が苦笑する。
「このメンバーなら、何があっても絶対負けないって思ったさ」
 並んでいる列の中、「博識」な者達が集まり話し合っていた。
「そこに油断があったな。らしくないぞ、真」
「反省してるさ、兄さん」
「このチーム分けで普通の戦闘だったら、こちらが勝っていたと自分も思う」
 鬼崎朔が言葉を継いだ。
「だが、これはサッカーという競技だ。そして向こうには、サッカーの専門家が多くいる」
「迂闊なロングパスはバーストダッシュなりなんなりで止められる。スキルを使えばパスはつながるが、受けた方にダメージが蓄積される……お互いにスキルキックは多用は出来ない」
 四条輪廻は鼻を鳴らした。
「……そうなれば、フィールドがどんなに広大だろうが普通のサッカーでボールを繋ぎ、ラインを上げていくのが一番確実だ。白の選択は実に正しい」
「そして、ラインはある程度上がればいい。無理してゴール前まで来なくても、500メートル程度なら十分得点を狙える大砲がある。仮に外したとしても、連発していけば一気にゴール前まで距離を詰めていける。粘り強くて実にしたたかだよ、彼らは」
 如月正悟はニヤリと笑った。
「……そんな強敵から、こちらもちゃんと点は取ってる。勝ちは十分狙えるよ」
「あれはボールの主導権が両方こちらにあったからだ。あんなチャンスは滅多にあるまい」
「あの程度のチャンスなら幾らでも作れる」
 本郷に対し、鬼崎朔は不敵に笑う。
「鉄壁の赤羽美央も、一度にふたつ以上のボールには反応できない。その弱点を突けばいい」
「簡単に言うなぁ、うちのステルス担当は」
 苦笑する如月正悟。
「白のサッカー部員は恐ろしく手強いよ。不甲斐なくてすまないけど、結局前半、紅の守備陣が束になってかかっても白のパンダボールを奪う事は出来なかったんだ」
「奪えればそれに越した事はないが、次善策ならこちらで準備できる――ふたつ以上に見えればいいのだろう?」
「生半可な幻術の類が通用するとも思えないけどねぇ?」
「一度や二度なら、な。だが、何十回と重なったら話は変わってくる――もちろん、FWによる積極的なシュート攻勢も必要だ。結局得点の最後の決め手になるのは、彼らの必殺の一撃には違いない」
「その幻術連発の宛てはどこにある? 『その身を蝕む妄執』は禁止されているだろう?」
 鬼崎朔は不敵な笑みのまま、四条輪廻の問いに答えた。
 聞いた者達は、全員が一瞬言葉を失う。
「……ずいぶんと用意がいいんだな」
「本来ならもっと違う事に使う予定だったが――こいつで白のキーパーの神経を摩耗させる」
「これで後半の紅キックオフボールの戦術は見えたね」
「さて……では、白キックオフのボールはどうする? 彼らはどう出るかな?」
 弐識太郎の問いかけに、彼らは考え込み――そしてほぼ同時に、同じ結論に達した。

「後半は、全員で前線に上がろう」
 虎鶫涼の提案は、それほど衝撃的なものではなかった。
 白チームもまた、白の応援席の前に並び、「驚きの歌」を聞いている。
 呆気に取られたのは途中参加のエヴァルトだけだった。例えば蒼学サッカー部員は、
「……やっぱりそれか」
「それが一番いいですね」
「全員FWか……原点回帰もひとつの手ですね」
などと呟きながら頷いていた。
「……素人ですまないが」
 エヴァルトは手を挙げた。
「守りはいいのか? キーパーしかいなくなるだろう?」
「ボール一個なら、絶対止める」
 ポツリと、だが断固とした口調で赤羽美央は言った。
「だから、もうひとつのボールが奪われなければ、私達は負けない」
「……いや、理屈ではそうだろうけどな」
「紅も白も、得失点が発生したのはふたつのボールの主導権を確保したり奪われたりしてからだ」
 虎鶫涼は説明した。
 ――キーパーの防御率はボール一個の時なら100%。フィールドプレイヤーは、ボール一個での攻撃に全エネルギーを注ぎ込めばいい。攻撃陣の密度を高めて進撃の速度を速くする。得点直後はすぐに自陣に戻るetc
「紅はそれ、予測してくるかなぁ?」
 ミューレリアの質問に「多分」とアシュレイは頷く。
「だから、向こうもプレイヤーのほぼ全員が、こっちの方からボール奪おうとして来るじゃろう」
「奪わせはしないさ。前半と同じにな」
 葛葉翔も、断固とした口調で言う。
「こっちはサッカーの専門家が揃ってるんだ。多少時間をかけてもいいから、まともなサッカーでじっくり上がっていって、ゴールが見えてきたら――」
「あたし達の出番ね」
 秋月葵が不敵に笑う。
「今度こそ、ちゃんとゴールを割って見せるから。がんばろうね、グリちゃん!」
「ん? なーにー?」
 力強く振り向いた秋月葵の見た物は、実行委員の持ち込んできたお菓子をイングリットがひとりで食らいつくしている姿だった。
「あおひー、ほれ、ふっごふおいひーねー」
「……喋るのは、口の中空にしてからにしなさい」
(……大丈夫かなぁ)
 見ていた水無月良華は、リスみたいにほっぺ一杯に飴とクッキーを頬張るイングリットの姿に不安になった