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水晶の街

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水晶の街

リアクション


     8

「ひーいーいー」
 悲壮感がまるで伝わってこない間延びした悲鳴が水晶の街を駆け抜けていた。
 水晶の槍から必死で逃げ回っている桐嶋 静瑠(きりしま・しずる)だった。
「ここ何処ぉー?」
「何だとっ!?」
 目を剥いたのはアル・カトレノイア(ある・かとれのいあ)だ。
「も、もしかして、道がわかっていないのか……?」
「うん」
「では何故そんなにも自信満々で先導するのだ!?」
「なんとなくぅ?」
「……静瑠……自分の方向感覚の鈍さを甘く見ないでくれ……」
 静瑠たちは記録チームなのだが、他の人が撮らない所を、と単独行動に出た事が裏目に出ていた。
 どうやら完全に迷子になっているようだった。
「いざとなったら、信号弾で助けを呼ぼう〜」
「自分たちが要救助者になるのか……」
 一瞬、アルは疲れた表情で項垂れたが、すぐに気持ちを立て直した。
「ええい、地図を貸してくれ! 自分が先導する!」
「捨てちゃったぁ」
「何故捨てるっ!?」
 すぐに気持ちが折れそうになった。
「なんとなくぅ?」
「きまぐれでアバウトに物を拾ったり捨てたり決めたりしないでくれ!」
「だって、その方が退屈しないでしょ〜?」
「悪い意味でな!」
「ううーん。確かに、カメラも壊れちゃったしねぇ」
「ふふふ……! 自分たちほど役に立っていない記録組は他に居ないだろうな……!」
 単独で動いている彼女たちは、他の者もカメラが使えなくなっている事を知らなかった。
「もはやその辺りは割り切ろう! 今さら言っても仕方あるまい。で! どうするのだ、静瑠。いつまでも逃げてはいられないぞ!」
「だってアイツら隠れ身効かないんだものぉ」
「いくら斬っても無尽蔵に湧いて出てくるしな」
「ううーん……あら?」
 その時、静瑠は視界の端にその女性を見つけた。
「アル・カトレノイア! こっちぃ!」
「何?」
 静瑠が先導する先には、結界の中で倒れている中年女性の姿があった。要救助者である。
 静瑠らは水晶の攻撃を避けつつ急いで駆け寄った。
 転がるようにして結界の中へ滑り込み、女の安否を確かめようと手を伸ばし、止まった。
「あ……」
 女は既に事切れていた。槍に貫かれたのであろう、腹に大きな傷があった。
 死の間際、彼女は何を掴もうとしていたのだろうか。精一杯に腕を伸ばしたままの姿で息絶えていた。
「……」
 静瑠は、青い信号弾を上げた。

     ×     ×     ×

 ほうきを駆ってケイカナタソア雪国ベア(ゆきぐに・べあ)は、聖堂の前に降り立った。
「えっと……。これが、本当に聖堂なんですか……?」
 その『箱』を見上げ、ソアは首を傾げた。
 それは『聖堂』と呼ばれるイメージからは程遠い、石造りの巨大な箱だった。
 降りる前に空からぐるりと周りを回って見てみたが、南側に観音開きの金属製の扉があるだけで、他には窓一つさえ無いのだ。
 威圧感のある何とも奇妙な造りだった。
「しかし、この街で水晶になってない建物はコレだけだからな」
「聖堂っつーより刑務所だな! これは」
「わらわには墓に見えるな」
「ベアもカナタさんも、不吉な事を言わないで下さいよ……」
 ソアは小さく身体を震わせた。
「オレは金庫に見えるぜ」
 そう言ったのは、小型飛空挺に乗った速人カミュだった。
「やっぱり先客さんがいたんだね」
「教導団の人間が居るかと思ったんだが、イルミンスールとはなぁ」
 速人たちは飛空挺から降り、ケイたちに近づいた。
「あ、私、イルミンスールの大図書館って一度行ってみたかったんだよね! ねぇ、今度連れて行ってよ」
 カミュは微笑みかけた。
「あ、はい」
 ソアは笑顔で頷いた。
「ソア。相手にするな」
 怒られた。
 ケイは地に転がる砕けたクラスタの塊を手に取って見た。
「つれないなー」
 速人もクラスタの破片を拾った。ボーリング玉よりも一回り大きなその欠片は、ずしりと腕に重たかった。
「うお、でかっ。コレ売ったら幾らになるんだろーなー……」
 聖堂のあちらこちらには、まるで岩に苔がむすように、水晶の結晶クラスタが突き出していた。その突起の一本一本が人間ほどの大きさを持っており、なるほど、こんなものが扉の前にも有ったというのなら、今まで開けられなかったのも頷ける。
 扉の前には、かつてその場を封印していたであろうクラスタの砕かれた破片が、掃除されないままゴロゴロと転がっていた。
「これを砕いて中に入ったのか。無茶しやがる」
「仕方あるまい。昔から好奇心は業深きものよ」
 くつくつとカナタが笑う。
「おい、ケイ! とっとと中に入っちまおうぜ。またあの槍だか爪楊枝だか判んねぇのが出てきたら面倒だ」
「そうだな」
「お。手伝うぜ」
「好きにしろ」
 簡単に扉を調べ、罠がない事を確認する。もっとも、もう一度開いてしまっているのだから、罠も何もあったものではないかもしれないが。
「よし、いくぞ」
 ケイは扉に手をかけた。そこで、制止の声が掛かった。
「ヘイ! オイシイ所の独り占めはよくないヨー」
 レベッカアリシアだった。
「あら、結構先客の方がいらっしゃいますね」
「みんな考える事は同じネー」
「……」
 ケイは、一瞥をくれただけでそれに答えず、扉を開けた。重い音を立てて、ゆっくりと開いていく。
 窓がないから当然なのだが、聖堂の中は真っ暗だった。
「うわ、やだなー」
「だったらここで留守番してるか? カミュ」
「そんなわけないでしょ」
「さて、鬼が出るCar。蛇が出るCar」
「ケイ。ソア」
 詠唱を始めたカナタに促され、二人は頷いた。
 火術で杖の先に明かりを灯す。ならってカミュも火をつけた。
「こういう時、魔法って便利ですネー」
「行くぞ」
 ケイは一歩を踏み出し、中へと入っていった。続いてソア、速人、レベッカらも続く。
「何だ? 中にも水晶が……?」
 揺れる火術の灯りが、暗闇の中で水晶をキラキラと輝かせた。
「紫水晶……アメジスト、か?」
「ですネー」
「コレが騒動の原因なのか?」
 聖堂の中には、沢山のアメジストが綺麗に並べられていた。
「いったいコレは……」
 そう言って彼らがアメジストに触れようとした時。それが何なのか気が付いた。

     ×     ×     ×

「う……」
 男が目を覚ました。
 ベースキャンプで発見された現地ガイド五人に続いて、救出された男だ。
 彼はその後、スーパーハウス二階の一室にあった簡易ベッドに寝かされ、治療を受けていたのだった。
「お目覚めですか」
 そっと覗き込み、は言った。幸の隣では、ガートナが男へヒールを唱えていた。
「ここは……」
「水晶の街のベースキャンプですよ」
 男の顔が記憶を探って歪む。
「あぁ、そうか……。次に目を覚ます時は、あの世か病院かのどちらかだと思っていたが……。まさか、もう一度ここで起きる事になるとはな……」
「結界の範囲ギリギリでした」
「運が良かったという訳か。君たちが助けてくれたのか……?」
「ええ。私たちはヒラニプラから来た救助隊です」
「そうか、ありがとう」
 男の意識はハッキリしているようだ。しっかりと受け答えをしていた。
 その様子を確認して、黒龍は切り出した。
「早速で申し訳ないが、聞きたい事がある」
「構わない。何かね」
「他の要救助者に心当たりはないか?」
「このスーパーハウスの一階で、五名の方を保護する事はできました」
 幸が補足したが、男は首を横に振った。
「いや……わからないな。皆、パニックで散り散りになってしまって……。私も無我夢中だった」
「そうですか」
 幸はそっと目を伏せた。
「あなたならわかりますか? この街で、何が? 聖堂の扉を開けたから、こうなったのですか?」
「……」
 男は黙ってしばし目をつむり、やがて頷いた。
「……ああ。ああ、そうだ。……教授は、私たちは聖堂の扉を開けた。その直後だ。水晶が襲ってくるようになったのは。ここはまだ強力な設置型結界があるが、携帯用の結界しか持っていない人間は、もう、もう……」
 男は両手で顔を覆った。微かに震えているようだった。
「どうして水晶が襲ってくるんですか」
「この街は呪われているんだ。そんなもの、とうの昔に失われたのだと思っていたが……呪いはまだ生きていた。私たちは、それを目覚めさせてしまった……!」
「呪い……?」
「……鏖殺寺院(おうさつじいん)だ」
 かつて、シャンバラの古王国を滅ぼしたと伝えられる邪教だ。
「ははは」
「? どうしたの?」
 セトは、突然笑い出した黒龍に尋ねた。
「いや。鏖殺寺院のカイジンか、とな」
「なに?」
 正義の味方の勘というヤツなのだろうか。黒龍は、ぼんやりとそんな事を思った。
「悪い。続けてくれ」
「ああ……。文献によると、五〇〇〇年前……鏖殺寺院の呪いによって、この街は一瞬にして水晶になってしまったらしい。あの聖堂を除いて」
「聖堂の中には何が?」
「解らん。開けて一分もしないうちに、この有様だからな」
「何故、聖堂だけが水晶になっていないんだ?」
「私だって、全てを理解している訳じゃない。だから我々は調査をしていたんだ。だが、私はもうやめる。君たちも、これ以上この街に関わらない方がいい」
「それは……まだ発見されていない方もいますから」
「言っただろう。呪いはまだ生きているんだ。どんな堅牢な要塞でも、五〇〇〇年風雨にさらされれば形を変える。にも関わらず、この街は何もかもが当時のままだ! ……私はそれがずっと不思議だった……」
 男は、昏い瞳で呟いた。
「……だが、今ならわかる。この街は、補っているんだ」

     ×     ×     ×

「な、何なんですか!?」
 上空から水晶の街を観測していたナナは驚きの声を上げた。
 街の外周部に揺らめき立っていた赤い光が、急激にその輝きを増したのだ。
 光はやがて外周部を越えて溢れ出し、ミミズのようにのたうち回りながら街へと滲み入っていく。
 数多のミミズは街中を交錯して進み、絡み合い、やがて一つの形を織りなしていった。
 それは術式だった。
 街を丸々一つ覆うほどの巨大な魔法陣。その陣の中心は聖堂だった。
 その巨大さ。その密度。数千年を経てなお、この威圧。
 これを完成させるのに、いったいどれほどの時間と労力、そして犠牲を払ったのか。想像もつかない。
「し、知らない」
「ナナ?」
 ズィーベンはナナを見た。
 冷静なナナが、取り乱していた。奥歯が噛み合わないほど震えている。
「こんな魔法、わたし知らない……! こんな、気持ち悪いの……魔法なんかじゃない……っ!」
 ナナの顔は真っ青だった。

     ×     ×     ×

 信号弾を打ち上げた静瑠の元へやって来たのは、上空で要救助者を捜していた芳樹アメリアベアトリクスだった。
「すごいな。徒歩でこんな遠くの方まで探し回っていたのか」
「いやぁ、まぁ。えへへ」
「はははははは」
 静瑠とアルは笑って誤魔化した。
「こういう言い方はなんだけど。初めてね。ご遺体が見つかったの」
「ああ。まぁ、結局俺たちの考えすぎだったって事か。これからゴロゴロ見つからない事を祈るよ」
「いや……。もう、見つからないだろう」
 芳樹とアメリアに、アルは沈痛な面持ちで告げた。
「え?」
 そう、芳樹が疑問の声を上げた時。
「あの……。これ、変じゃないですか?」
 そう、遥が訝しげな声を上げた。
「どうした?」
「見て下さい。これ」
 遥が指し示した先は、結界の切れ目だった。
「ここで綺麗に血痕が途切れてなくなってます。おかしいですよね、これ」
「確かに。何なのだ、これは」
「あのぉ……」
 ベアトリクスの疑問に、おずおずと静瑠が手を挙げた。
「ちょっと、こちらを見ていただけますかぁ?」

 静瑠に案内された先で、一同は言葉を失った。
「亡くなっていた女性がぁ、何かを掴もうとしてたので……。もし見つかるなら、お供えでもぉと。でも、そしたら」
 そこには、男性の遺体があった。もしかしたら女性と夫婦だったのかもしれない。
 二人の遺体は距離こそ僅かに離れていても、お互いを求め合うように手を伸ばしあっていた。
 だが、その手はもう決して触れあえない。

 男の遺体は、半ば水晶化していた。

     ×     ×     ×

 幸は驚きの声を上げた。
「食べるということですか!? 水晶が?」 
「そうだ。この街は、全てのモノを水晶に変え、取り込む。そうやって失った部分を補って、永遠にこの形を保ち続けるんだ」
「そんな馬鹿な……」
「いや、きっとそうさ。気を失う前に見たんだ。殺された仲間の身体が、水晶に変わり、消えていくのを。気付いたか? この街には虫一匹いない。そういう事だ」
「……」
 幸は絶句した。
 調査団の死体も、血痕も、何もなかったのは、食われたからだったのだ。
 セトが重く口を開く。
「鏖殺寺院は、何の為にそんな呪いを……」 
「さぁ。いつの日か、最後に残っているあの聖堂さえも、水晶に変える為じゃないか。わからんがね」
「鏖殺寺院も陰険な連中じゃのう。そんな呪いだなんて回りくどい真似なんぞせず、バーンとぶっ壊してしまえばよいものを……ネチネチネチネチ、面倒臭い奴らじゃ」
 嫌悪の表情でエレミアは吐き捨てた。
「何か目的があったのかもしれないわね」
 幸の言葉に、男は頷いた。
「そうだな。……あぁ、ははは」
「なんですか」
「神話の時代から、水晶が何の象徴とされているか。ご存じかね?」
「いえ」
 男は笑った。
「浄化だよ」

     ×     ×     ×

「いやっ!」
 ソアは目を見開き後退った。
 灯りの中浮かび上がったそれは、祈りを捧げるように屈んで手を合わせる人間だった。人型の紫水晶だった。
「な、なんだこれは」
 ケイが息を飲む。聖堂の中には、幾十、幾百の人間が祈りを捧げたままアメジストになっていた。
「この服って、昔の……か?」
「え? これって、人が? 水晶に……?」
「この街の今までの様子を見るに、そうであろうな」
 カナタの言葉にカミュは飛び退いた。
 同じく後方で震えているソアと手を繋ぎあう。
 色を帯びた人水晶をみて、レベッカは表情を強張らせた。
「まるで、血に染まってるみたいですネ……」
「笑えない冗談だぜ、それ」
 その時、ぴしり、と。
「何だァ!?」
 人々の水晶に亀裂が入り、
「きゃっ!」
 アメジストはガラガラと崩れ始めた。
「ご主人!」「ベア!」
「ケイ! 退くのだ!」「わかってる!」
 崩れた端から、その欠片はひとりでに動きだし、
「こういう時は、スタコラサッサネー!」「は、はいっ」
 聖堂の中央へと集まり始めた。
「冗談じゃねぇぞオイ!」「速人、ちょ、置いていかないでよっ!」
 ぎちりぎちりと音を立てて、欠片は積み上がって。

 一つのかたちになった。