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絵本図書館ミルム(第1回/全3回)

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絵本図書館ミルム(第1回/全3回)

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5.ティーブレイク


 絵本図書館ミルムの北側は細長い庭、南側は広い庭になっている。この季節、咲いている花は少なめだけれど、緑から茶、銀に近い白までの様々な色合いの植物が植えられていた。
 メイベル、セシリア・ライト(せしりあ・らいと)フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)の3人は、南側の庭を借りてオープンカフェ風の会場を作り、メイベルの歌、セシリアのお茶と手作りクッキーでのもてなしをしていた。
 会場の一角には迷子の預かり所があり、はぐれてしまった子供たちがお菓子を食べながら親を待っている。会場にはメイベルの優しい歌声が流れ、穏やかな冬晴れの日を彩っていた。
 図書館内には飲食ができる場所が設けられていないから、メイベルの設けたこの場所は、訪れた人々の恰好の休憩所になっているようだ。今も何人もの人が歌に耳を傾け、あるいはお茶を楽しみ、くつろいでいる。
「ようこそ。お好きな席にお座り下さいませ」
 遅めの休憩を取りに来たサリチェたちに気付き、給仕をしていたフィリッパが笑顔を向けた。
「ありがとう。ちょっと休ませてもらうわね」
「放っておくとずっと仕事していそうなので、連れてきてしまいました」
 アリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)はサリチェに席を勧め、自分もその隣に座る。反対側の席を巡ってひそやかに明智 珠輝(あけち・たまき)ファタ・オルガナ(ふぁた・おるがな)が熱い攻防を繰り広げたが、体格差で珠輝が勝ってサリチェの隣席を奪取。ファタは素速く回り込み、サリチェの正面の席を確保する。
「私もごいっしょさせてくださいねぇ」
 歌を歌い終えたメイベルも、にこにこと席に着いた。
 学生たちがそれぞれ椅子に落ち着いた処に、セシリアとフィリッパが手分けしてお茶とクッキーを運んでくる。
「みんな、お茶とお菓子で元気出してね。このクッキーは自信作なんだよっ」
「もし何かありましたら遠慮無く言って下さいね」
 慌ただしいオープンの中のティータイム。

「このような素敵な雰囲気の図書館をお作りになるなんて……素晴らしいです。また、こうして開設のお手伝いを出来たことに感謝しております」
 実に丁寧に紳士的に挨拶を述べる珠輝に、リア・ヴェリー(りあ・べりー)はこっそり呟く。
「珠輝がド変態モードじゃないなんて……珍しい。ずっとこの図書館に入れておきたいくらいだ」
 今の態度だけでなく、最初の出会いの挨拶も優雅なら、本の整理も大はりきりでこなしている。元々黙っていれば礼儀正しき好青年……風、の珠輝だから、そうしていると普段の言動が嘘のようだ。
 そんなリアの呟きには気づかず、サリチェはティーカップを持ったまま、恥ずかしげに笑う。
「館は先祖が残したものだし、絵本は父母が買ったものも多いのよ。オープンだって、みんなが手伝ってくれなかったらどうなっていたことか。私がしたことなんて、ほんの一部だけ。褒められると恥ずかしいわ」
「いえいえ、その館や絵本を図書館として開放しようという志が素晴らしいのですよ」
 珠輝は衒いもなく褒め言葉をすらすらと言ってのけ、さりげなく自分のアピールも付け加える。
「私も絵本、そして絵を描くことが大好きなのです。いつか此方の図書館に置かせていただけるよう頑張りたいですね」
「まあ、それは素敵だわ。その時は来館者のみんなに読んでもらえるように、目立つところに置かせてもらうわね」
 はしゃいだ声を挙げるサリチェに綺人は、そういえば……、と尋ねた。
「ミルムには絵本を表紙を前面にして並べられる書架はあるのかな? もしあれば、そこにおすすめの本コーナーとか作ってみるのはどうだろう?」
 サリチェはそれがどういうものか分からないようだったが、こんな感じ、と綺人が図解すると理解したように肯いた。
「ここにはそういう書架はないんだけど、その展示方法は面白そうね。私がもっと器用なら、そういう棚を作るんだけど……」
 私が作ったら本を置いたら崩れちゃいそう、とサリチェは肩をすくめた。
「普通の書架におすすめ本コーナーを作ってもいいと思うよ。サリチェさんの思い出の絵本コーナーとか」
「思い出……」
 綺人の言葉にサリチェは一瞬目を伏せた。けれどすぐにいつもの微笑に戻る。
「開館の忙しさが落ち着いたら、選んでみるわね。いろいろあって迷っちゃいそうだけど」
「こんなに集めたのだから、きっと思い出も多かろう。サリチェは小さい時からずっと絵本が大好きだったのかえ?」
 セシリア・ファレータの問いかけに、サリチェはいいえと答えた。
「あ、と言っても別に嫌いだったとか、そういうのじゃないのよ。ただ、小さい頃の私にとって、絵本は自分が読んで楽しむものじゃなかったから」
「ほう? では蒐集家なのかえ? かなり希少な絵本も見受けられたしのう」
 ファタは紅茶カップから立ち上る香りを楽しみつつ、だがまだ口はつけずに問いかけた。
「ある程度の歳になってからは、絵本を探し回ったりもしたけれど、蒐集家とも言えないわね。私にとってずっと長い間、絵本は姉の為のもので、自分の為のものじゃなかったから」
「お姉さんの為?」
 アリアは今日修理した絵本を思い浮かべた。古い絵本はどれも何度も読み返された痕跡があった。サリチェが読んでいたのだろうと思っていたのだが、違うのだろうか。
「うちの姉は生まれた頃から身体が弱くて、ほとんど外に出られなかったし、身体を使う遊びも出来なかったの。その姉が唯一好んだのが絵本だったのよ。父母は手を尽くしてあちこちから絵本を集めてきて、姉に読ませたの。私も姉の為に絵本を探したものよ。絵本を目にした時に姉が喜ぶのが、何より嬉しかったから」
「今はお姉さんは……」
 返ってくる答えを予測して、アリアの問いは低くなる。
「亡くなったわ。そうでなければきっとまだ、私は絵本は姉の為のものと思い続けていただろうし、絵本を街の人に開放しようだなんて考えもしていなかったと思うわ」
 サリチェはゆっくりと絵本図書館ミルムを振り仰いだ。閉じられた世界だった頃の面影を探すように。
「なぜ、私財を費やしてまで絵本図書館を?」
 既にある図書館に絵本を寄贈する方法もあったのに、とアリアが聞けば、ユーリも
「……実は俺も不思議に思っていた」
 と言い、ファタもそれに肯く。
「ほとんどの私財をつぎ込むとは、その熱意とても本が好きだからだけとは思えん、とは感じていたが……姉上のことが設立に関係しておるのじゃな」
「ええ。姉の本を手放してしまうのは寂しいし、かといって、姉の思い出の絵本にただ囲まれて暮らしていたら、自分が駄目になってしまいそうで……」
 こんなこと話すつもりじゃなかったんだけど、とサリチェは淡く笑った。
「姉が亡くなった後私ね、何をして生きていけばいいのか、分からなかったの。この家も家にある絵本もすべて姉の為のもので……私も姉が少しでも快適に過ごせるように、楽しく暮らせるようにとだけ考えてきたものだから」
 しばらくはぼんやりと魂の抜けたように日々を送った。それから、姉の形見になった絵本を読むようになった。そしてある時思った。姉が好きだった絵本を外に広く開放して、みんなに読んでもらおう、と。
 家にあるものは姉の好きな夢物語が多かったから、それ以外の絵本も買い集めて、なんとか『絵本図書館』といえるくらいのものを揃えた。館も、自分が暮らすのに必要な一部を除いて、図書館として開放することにした。
「でも、まさかこんなに大変なことだとは思わなかったから、始めてみてびっくりしたわ」
 そう言うサリチェの様子は、もういつも通りに戻っていた。世間知らずで穏やかで、どこか抜けてて懸命で。
「今は絵本を読むのは大好きよ。こんなことなら、子供の頃も外で遊んでばかりいないで、少しは絵本を読んでおくんだったわね」
 ふふっと声に出して笑うと、サリチェはもう冷めてしまった紅茶のカップに口をつけた。