シャンバラ教導団へ

百合園女学院

校長室

薔薇の学舎へ

絵本図書館ミルム(第1回/全3回)

リアクション公開中!

絵本図書館ミルム(第1回/全3回)

リアクション



6.来館者たち


「こんにちは、ようこそ絵本図書館ミルムへ」
 樹月 刀真(きづき・とうま)は来館する人々に挨拶をし、貸し出しされる本を受け取りチェックしていた。
「本の貸し出しですね。少しお待ち下さい……」
 貸出する前には、本の表紙を布で軽く拭き、皮脂等の汚れを取って渡す。こうすれば本に汚れが染みついてしまうのを防げるし、来館者に綺麗な状態の本を貸せる。そして何より、大切にされている本だと印象づけられれば、貸し出されている間の絵本の取り扱いも変わってくるだろう。
「はい、ご利用ありがとうございます。どうか大切に読んで下さいね」
 笑顔こそないけれど、対応は丁寧でそつがない。
「ただいま。遠慮無く休憩させてもらったわ。疲れたでしょう? あなたも少し休んでちょうだい」
 カウンターに戻ってきたサリチェに勧められたけれど、刀真はいいえと奥に視線をやった。そこには絵本に没頭する漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)の姿。そもそも、絵本図書館の手伝いをしようと、刀真をここに引っ張ってきたのは月夜だ。刀真は月夜が手伝いたいなら仕方がないかと、同行しただけ……だったのに。
 最初こそ、月夜は図書館の手伝いができることに目をきらきらさせていたけれど、そのうちに、
「本……たくさんの絵本……あっ、あの本もう売ってなくて読んだこと無い」
「ちょっとだけ読ませて……これ、これだけ読み終わったら仕事する」
「あ、この絵本は見たこと無い……少し中を確認するだけ……」
「………………」
 となってゆき、遂には黙々と絵本を読みふけるのみ、になってしまったのだ。
「俺が仕事をしますんで見逃して下さい」
 月夜を示して言うと、サリチェは気にしないでと笑った。
「あんなに絵本を好きでいてくれて嬉しいわ。だからあなたも無理しないで、今のうちに休憩を取ってね。庭に行けば、美味しいお茶とお菓子があるわよ」
 月夜が1冊読み終わるのを待ってから、刀真はサリチェに勧められたように庭へと歩いていった。
 休憩に入った刀真の代わりに、それまで貸し出しカードの整理をしていた涼介とクレア・ワイズマン(くれあ・わいずまん)がカウンターに入った。どちらも動きやすい恰好に揃いのエプロン、という姿。胸につけた大きな名札にはっきりと読みやすい字で名前を書き、その下にはそれぞれ『気軽に声をかけてください』『気軽に声をかけてね』とのメッセージも入っている。
「本を借りるには、まず、貸し出しカードを作るんだ。この紙に名前と住んでいるところを書けるかな?」
「ううん……字、わかんない」
「それなら、代わりに書くから名前と住んでいるところを教えてくれるかな」
 本を借りに来る子供と視線をあわせながら、涼介はカード作成の用紙に記入した。カウンターにいてわかったことだが、文字の書けない子供は多い。絵本も、内容ではなく絵を見て選んでいる子供が多いようだ。
 富裕層の子供はすらすら文字の読み書きをし、そうでない層の子供は文字と親しむことがなく、絵本に出てくる程度の文章も分からない。
 涼介が記入した用紙を元に、クレアは貸し出しカードを作成して、子供に渡した。
「ここに書いてあるのが、デルフィー君のお名前だよ。でね、本を返したら、下のマスにこんなに可愛いスタンプを押すんだよ。いっぱい絵本を読んで、スタンプいっぱいにしようね」
「うん。ありがとう」
 自分の名前を珍しいもののようにデルフィーは眺め、にっこりと笑った。
 子供にこそ必要な絵本なのに、これまでなかなか手にする機会がなかった子も多い。両手で大事そうに絵本を抱えて帰っていく子供の姿は、この無償奉仕で最大の報酬なのかも知れなかった。


 気合いをいれて腕まくり。黙々と本の整理をしながら関谷 未憂(せきや・みゆう)は、面白そうな絵本をチェックしていた。
「読んだことない本ばかり。あ、この本あとで借りられるかな……」
 絵本は重くて腕がだるくなってくるけれど、きちんと整理すれば子供たちが本を選びやすくなる。何よりきれいに整理された書架はとても気持ち良い。あとでゆっくり絵本を読ませてもらう為にも、今はお仕事お仕事。
「これ持つの手伝っ……リン、何してるの?」
「えへへ、何でもないよ」
 書架の前に絵本を等間隔に離して並べていたリン・リーファ(りん・りーふぁ)は、笑って誤魔化しながら本を戻した。もうすっかり単純作業に飽きていて、本でドミノ倒しーとかやったら面白いかな、なんて思ってたことは未憂にはナイショだ。
「? 何でもないならいいけど。もし手が空いてるならこの本……え?」
 持て余すほど重かった本が不意に軽くなり、未憂は驚いて振り返った。
「本は結構重いから、重労働だろう」
 未憂がかろうじて支えていた絵本の山の上3分の2ほどを、如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)が取って抱えていた。重みから解放されて、未憂はほっと息をつく。
「ありがとうございます、助かりました」
「いや……」
 面と向かって礼を言われ、佑也はぎこちなく目を逸らした。
 こういう時、そつなく振る舞えればいいのだろうが、なかなかそんな人生経験を積ませてもらえる状況がやってこない。佑也は逸らした目のやり場に困り、この場で目をやっても不自然でなさそうな場所……書架に走らせた。
「この辺りの書架はほとんど片づいているようだな」
「ええ、あと残りはここと隣だけなの」
「ではそこを片づけてしまおうか」
 女性相手は上手くさばけなくとも、こういう縁の下の力持ち的仕事ならお手の物。……それを喜んで良いのかどうかは今は考えずに置こう、と佑也は未憂から受け取った本から順に、書架の整理に取りかかった。


「絵本を読んでる子って、なんだかかわいいな〜」
 向こうの部屋では読み聞かせに耳を傾ける子がいて。書架の前には真剣に本を選んでいる子がいて。そんな姿を見るだけで、アンネローゼ・エンゲルベルト(あんねろーぜ・えんげるべると)の頬は緩んでしまう。
 あんまりにこにこしてると、怪しい人に見えてしまうかも。そう思って顔を引き締めてはみるけれど、背伸びして手を伸ばしてる子供に絵本を取ってあげ、顔いっぱいの笑顔でありがとう、なんて言われるともう止められない。
 浮き立つ気分で世話をして……という間は良かったのだけれど。
「あ、だめよ。本は大切にしてね」
 男の子がいきなり放り出した絵本を、アンネローゼは慌てて拾い上げた。落ちた衝撃で曲がった頁が痛々しくみえる。
「こんなことしたら、絵本が泣いちゃうよ。ほら、絵本にごめんなさいしようね」
「うるさい! あっち行けよ!」
 仕立ての良い洒落た服装の子供は横柄な態度で言い放ち、アンネローゼが従わないとみると癇癪を起こした。書架を蹴って暴れる子供は、厳しく叱ることが苦手なアンネローゼには荷が重い。手を貸して……とパートナーのユヤ・ヴィンディーヤ(ゆや・う゛ぃんでぃーや)に視線を送るが、
「どこだ? こいつだな! あ、目の色が違うか……う〜ん……」
 びっしりと一面に描かれた動物の中に、表紙にいる動物が隠れているのを探す絵本に夢中になっているユヤは、顔も上げてくれない。ここに来るまでは、アンネのひょろひょろした腕じゃ頼りないから手伝ってやる、なんて言ってたのに、今やすっかり絵本の虜。
 どうしよう……。
 アンネローゼが困り果てていた時。
「静かにしてもらえませんか。読書の邪魔です」
 それまでひっそりと絵本を読んでいた一条 アリーセ(いちじょう・ありーせ)がゆっくりとその子に近づき、高さをあわせて目をじっと覗き込んだ。
「ここはあなたの為だけの場所ではありません。他人の静かな一時を邪魔するのは、非常に迷惑なことですよ」
 アリーセの口調は静かで丁寧だったけれど、目はまったく笑っていなかった。たまには良いかと、のんびりと絵本を読んでいた処にこの騒ぎ。ゆったり浸っていた絵本の世界から不快な音で強制的に引き戻された憤りは大きい。
「う……」
 男の子アリーセの迫力に気圧されそうになったが、踏みとどまって怒鳴る。
「こんなガキくせーもの読んでるなんて、ばっかみてー!!」
 顔を近づけていただけに、その怒声はアリーセの耳にがんがんと響いた。上手いののしり文句を言ったとばかりに顎をそびやかす子供に、アリーセは逆に笑ってみせる。
「絵本を馬鹿にしているうちは、まだ貴方も子供ですよ。別に本を好きになってもらわなくても結構ですが、ここは独りで静かに自由で豊かに本を楽しむ為の施設。大人しく本に親しむか、それが気に入らないのならば外で好きなだけ走り回っていることです」
 静かにしてるか失せるか、どちらにしても読書の時間の妨げにならぬのならそれでいい。
「だって、ここに来たらペットの犬を飼ってくれるってお母さんが言うんだもん。いるしかないだろ。けどさ、こんな話、ばかばかしいじゃん。貧乏人が魔法でドラゴンを倒して姫と結婚してめでたしめでたし。つまんねーよ」
 男の子はアンネローゼの持っている絵本を指さした。
「いや、それは違うぞ」
 そこに現れたのはイーオン・アルカヌム(いーおん・あるかぬむ)。物わかりの悪い子供を哀れむような目で見た後、こんこんと説き始めた。
「絵本、といってバカにできるものではないぞ。あらゆる優れた物語には大きな意味がある。そして読んだ人の数だけ、その意味は多くなってゆくのだ。
「……?」
 子供はぽかんとした表情でイーオンを見上げた。まったく分かっていない様子に、イーオンは出来るだけ噛み砕いて説明しようと試みる。
「絵本の物語は、その表層のみを見ていても分からない大意を含んでいるのだ」
「…………」
「絵本に書いてあるお話はただそれだけの意味ではない、ということです」
 子供が固まっているので、アルゲオ・メルム(あるげお・めるむ)はイーオンの言葉を翻訳した。
「そうだ。絵本の本質を理解する為には、描かれた時代背景、描いた人間の心情にも考えを至らせる必要がある。そのことも知らず、絵本をバカにするとは随分な浅慮といえよう」
「…………」
 きちんと説明しようとしているのだがそれが完全にあだになり、子供は理解不能で頭真っ白、という様相になっている。イーオンの言いたいことが少しでも子供に伝わってくれるようにと、アルゲオは優しい笑顔でまた子供に翻訳した。
「絵本は、書いた人の気持ちになって考えて読むものなんですよ」
「丁度良い機会だ。つまらないと言ったその絵本の読み聞かせをするとしよう。おまえがどんなことを思ったかを聞き、それに俺が解釈を加えれば少しは絵本の理解も進むだろう」
「一緒にこの本を読んでみましょう」
「……ぅ……」
 うんでもなく、ううんでもなく、曖昧に唸った男の子は、2人に連れられて読み聞かせ用の子供部屋へと歩き出した。
 これで静かになるだろうとアリーセが踵を返し、アンネローゼがほっと胸を撫で下ろした時。
 この顛末を見ていた男が、ふんと鼻を鳴らした。
「こんな施設があるからいけないのだ」
「え、あの……」
 面倒が起こりそうな予感に、アンネローゼは狼狽えた。
 50歳ぐらい……だろうか。がっしりとした身体、灰色の鋭い目、白いやや薄めの髪。特徴的な鷲鼻が男に頑固そうな印象を与えている。
「本は高価で貴重なもの。だからこそ、それを手に入れた者は本を尊び、敬意を払って大切にする。だが、簡単に手に取れ、気軽に読み捨てられるこんな場所においては、本はその価値を下げ、ああして安易に傷つける子供も出てくる。――なんと無意味でなんと有害な施設であることか。嘆かわしい」
 大仰な溜息をつくと、それ以上は何も言わず、男は大股にその場から去っていった。