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リアクション
6
その頃、診療所では。
「うん、呼吸が安定してきたわね。心拍も……」
茅野 菫(ちの・すみれ)は、機器を繋ぎ直したモニターを見て安心した。院長の処置と、また、菫が獣医の心得と効果の大きい回復スキルを持っていたことが功を奏し、チェリーの体調は安定してきていた。脚の怪我も塞がりかけている。リジェネレーションもかけているので、余程の事が無い限りは悪化することもない筈だ。パビェーダ・フィヴラーリ(ぱびぇーだ・ふぃぶらーり)も、院長である老婆や看護師の指示を仰いで的確に補助をしていた。ウィザードの彼女は、医療的スキルでの手伝いが出来ないからだ。
意識も回復し、チェリーは薄目を開けて呆然と天井を眺めている。そこから、感情めいたものは感じられない。そんな彼女を、菫は心配そうに見遣った。
「人口呼吸器は、もう外しても大丈夫じゃな。自力で呼吸が出来るなら、その方がいいじゃろうて」
「あ、うん、分かったわ」
各検査で出た数値をチェックしていた院長が言い、菫は薄緑色の覆いを外した。看護師がそれを預かり、機材を片付け始める。
チェリーを少しでも元気付けようと、菫は努めて明るく彼女に言った。
「あんた、何やらかしたの? まあ、あれよ、うん、謝ればいいんじゃん?」
「あやま、る……?」
「そう、謝るの」
事情は訊かない。ただ、彼女の気が楽になるなら、それで良い。
その時、流しっぱなしにしていたテレビ――クイズ番組をやっていた――の音声が、突然切り替わった。
『番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします。本日の空京デパートの事件に於いて、犯人がもう1人いる事が判明しました。名前はチェリー、姓は不明。赤茶色の長い髪を2つにくくった、獣人の少女です――』
「さて、これでここの案件は終わりだな」
ヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)とキリカ・キリルク(きりか・きりるく)は、診療所の廊下を歩いていた。
「さっき、鳳明からテロに関する情報が入ったが……もう1人の犯人はパートナーロストの状態の筈だ。彼女が心配だな」
琳鳳明は、同じ冒険屋の仲間だ。昼間の事件に居合わせていたらしく、その場で起こった事を詳細に知ることができた。診療所に来る前に見たニュースで犯人は1人だと言っていただけに、行方不明になったままのチェリーが気になる。探してみようと思っているのだが――
「しかし……本当におまえも来るのか?」
ヴァルの言葉に、キリカは静かに頷いた。彼女は以前、契約者を亡くしている。その為、ヴァルは自分とチェリーを引き逢わせたくないようだった。しかし、キリカは思う。
(……ボクだって、昔のままじゃない。過去にパートナーロストした身だけに、そして立ち直れた身だからこそ、目の前の人を助けたい)
彼女の目を見て、ヴァルはそれ以上何も言わずに先を歩いた。チェリーについて考える。
「どこかの病院で治療を受けていればいいが……」
そこで、前方の病室の引き戸が開いた。看護師が人工呼吸用の機械を押して出てくる。
「……? 誰か、重体の方がいるようですね」
2人は、少し気になって病室に視線を送る。そこには、治療を続ける菫達と院長、『赤茶色の髪の獣人』の姿があった。
「そっか。あなたが……」
菫は、テレビのニュースとチェリーの容姿を照らし合わせて事情を理解した。彼女はテロ事件の犯人だ。恐らく、デパートで追い詰められて逃げてきたのだろう。そして、契約者であった山田太郎が死亡し、この状態になった。
「でも……」
菫の中に怒りが湧き上がってくる。報道を見る限り、この事件は――
「入っても、いいか?」
声を掛けられて我に返り、振り返る。警戒した様子の菫に、ヴァルは言う。
「彼女に危害を加える気はない」
ヴァルは枕元まで近付き、後から入ってきたキリカもチェリーを見下ろす。感情の無い、瞳。全てを閉じ込めてしまったような瞳を見て、キリカはそっ……と彼女の手を取った。
瞬間。
「……っ!」
チェリーは突然跳ね置き、キリカの手首に噛み付いた。半獣化した彼女の牙は深く食い込み、流れた血が床を濡らした。
「……キリカ!」
「……いいんです、帝王。構いません。チェリーさん、大丈夫……。事情は理解しています。ボク達は、あなたの味方です。ただ、一緒にいるためだけにここに来たんですよ。だから、安心して、落ち着いてください」
チェリーは噛み付いたまま、唸ってキリカを睨みあげる。一方、彼女の言葉を聞いて菫は安心したように力を抜いた。
「良かった。本当に味方みたいね」
「ああ。俺達は、事件に直接関与していないだけ、関係者よりは冷静に接することができる……彼女は傷ついている。その上から塩を塗るような行為はしたくない」
傷ついた人がいる。だから助ける。
治った人は、また別の誰かを助けるかもしれない。ヴァルはそれを望み、実行するだけだ。
「目の前の、傷ついた誰かの心にそっと寄り添う。そういう人間がいても、いいじゃないか」
優しい口調で言う彼に、菫もうんうん、と頷く。
「そうよね。うん、そう思うわ」
キリカは、噛まれたままの状態でチェリーに言う。
「……すぐに落ち着いてとは言いません。それまでずっと、ここにいます。あなたを独りにはしません」
「…………」
チェリーは、まだ警戒心を残したまま、ゆっくりと牙を抜いた。その顔が、少女のものへと戻っていく。
「やれやれ、それじゃあ治療するかね」
黙って見ていた院長が、道具を取りに部屋を出て行こうとする。そこに、菫は声を掛けた。
「あの、院長、彼女の事……」
「そんな状態の女の子を通報するほど、わたしゃあ心狭くないよ。安心しぃ」
院長がいなくなった後、キリカは噛まれていない方の手をチェリーの手に被せた。
(今ボクにできるのは、ただ、手を握ってあげることくらい。……あの時、帝王がボクの手を握ってくれていたように)
手当てをしていく院長を、菫は命のうねりとナーシングでサポートする。その間、チェリーはまた表情を消して天井を眺めていた。自衛行為に走る時以外は、こうして心を閉ざしているのかもしれない。それもまた、一種の自衛か。
キリカの手首にきっちりと包帯が巻かれた頃、受付に戻っていた看護師がやってきた。
「彼女に会いたいという2人組が彼女を探して来てるんだけど、どうする? 空京大学の学生証を見せられたから、警察でも寺院の奴らでも無いみたいだよ」
「大学……入ってもらってもいいんじゃない?」
パビェーダが言い、菫も頷く。彼女に話を聞きにきたのだろうか。
やがて、正悟とエミリアが入ってくる。正悟は、パワードレッグや怪力の籠手で防御を固めていた。龍騎士のコピスも持っている。
「……その武装は?」
眉を顰めて菫が訊くと、正悟はコピスをちらりと見て、答えた。
「彼女と戦う気は無い。ただ、色々聞きたい事があるだけだ。俺達に敵対の意志はないが、暴走した馬鹿が来る可能性はあるだろう。そういった時の為に、武装類の所持は勘弁してもらいたいな」
「馬鹿って……?」
「寺院の連中や、今回の被害者が襲撃に来るかもしれない。何となく、血管が切れた馬鹿が来る気がするんだよな。備えておいて損は無いだろう?」
「…………」
顔を見合わせる3人。
「……そうだな。警戒にこしたことは無いだろう」
ヴァルの言葉を受け、正悟は襲撃に対していつでもカバーリング出来る位置についた。
「……まだ、話が出来る状態ではないようだな」
エミリアが近付き、冷静な表情で言う。しかし彼女は、正悟を見たチェリーの表情がぴくりと動いたのを見逃さなかった。攻撃を受けたエミリアは姿を変えていたが、その時、勿論チェリーは正悟の姿を見ている。ターゲットにした相手に守られ、チェリーは何を思うのか――
何にせよ、チェリーが自分の『意思』で口を開き、自分の『意志』で意見を出すのを待つしかない。彼女の様子を見て、そうヴァルは思った。
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